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Doctors Blog

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報道によると、医師確保対策に関する協議会の原案が明らかになったらしい。

「どれどれ・・・」と見てみた。

・医師、看護師、助産師の業務分担の見直し:
(オレ様の意見)色々と議論はあるかも・・・。でも議論は大事かな。しかし、これについては法整備をしないと(責任の所在とその法的な取扱いを明確にしないと)紛糾しそう・・・。

・医学部地域枠定員の拡充:
(オレ様の意見)これは効果が出てくるのは10〜20年後かな・・・。

・女性医師への環境整備:
(オレ様の意見)これも大事。ただこの場合の対象になる女性医師は、家庭、育児のためにパート的にならざるを得ない場合が多く、従って医療過誤等についてどのように取扱うか、について法整備が必要。

・地域拠点病院に医師バンクを設置:
(オレ様の意見)これがすんなり行くのであれば、こんな状況になっていないと思うが・・・。これって国立病院? じゃあ、誰も国立病院に行かなくなるのでは?? 既に国立病院機構の理事長も、「医師派遣は無理!」と投げ出しているけど・・・。

ところが、以下の2点については、「まさか?!」と驚いた。真面目に考えているのか??
これがそのまま実行されるのであれば、日本の医療は息の根を止められるかもしれない。

(1)医療リスクに対する基本的な法整備:
(2)都市部の研修医枠を減らし、地域へ吸収させる。

(1について)
これがまだいい。が、内容には全く意味無し。
その内容とは、「産科医療に保障制度を作る」、「死因究明をする機関を作る」ということらしいが、全くもってわかっていない。誰だ、こんな案を出したのは!
例えば、「じゃあ何を保障するの?」ということ。補償(患者と家族へ)はともかく、保障(医療関係者へ)はあくまで民事裁判でのみ生きてくる。これでは刑事裁判では全く医療従事者は保護されないだ。
従って、この内容では産科医療は全く改善されないし、産科へ限定していては、医療崩壊は全く食い止められない。

(2について)
これは「絶対に」阻止しなければならない。まだ誰も反対の声を出していないが、これは地域医療の息の根を止めてしまう施策だ。

間違いは、「現行の研修医=医師」と勘違いしているところである。
臨床研修制度前ならいざしらず、現在の研修医は保険医を与えられていない。従って「医療活動は出来るが保険請求ができない学生さん」と同じなのである。
私は研修医が未熟だから、と言っている訳ではない。私の頃の研修医は、半年〜1年もすればびっくりするほど出来るヤツに成長していた。しかし今の研修医は、制度上「未熟」な立場に置かれてしまっているのだ。

このような中途半端な身分の研修医が大量に地域に押し寄せたらどうなると思う? 
比較的医師が豊富な大学病院でさえ、現在の研修医の指導には不満が多い。それは当たり前だ。もちろん真面目な研修医も多いが、労働基準法で保護されている研修医は、無理をして診療する義務がないため、ある程度で仕事を切り上げてしまう場合が多い。その尻ぬぐいは指導医がやるのだ。しかも入局もしていないので、学生実習の延長の気分の研修医も散見される。このような状況で、都会の大学病院や中核病院の指導医ですら、やる気を削がれているのだ。

医師が多い都会の病院でもこの有様である。ただでさえ死にそうなくらい忙しい地域の研修指定病院の勤務医は、制度上使い物にならない研修医のお世話と尻ぬぐいで完全に息の根を止められてしまう。

「医師の偏在」が、いつのまにか「研修医の偏在」へすり替わっているのだ。これは政府と厚生労働省が「コントロールしやすいところから手を付ける」という悪癖と場当たり的な対応の結果であり、早急に止めさせなければならない。

従って今回の原案は、多少評価出来る項目については、効果が期待できるのは限定的かつ10〜20年先。一方、即効性を求めた案は、全てとんでもない方針である。

もう少しことの本質を考えて欲しい。
多くの医師は命を預かるという責任に背を向けているわけではない。
多くの医師は命を預かるという仕事に、誇りを持って献身的に働いている。
しかし最近の医療制度改悪により、底なし沼のように増えていく仕事、患者に感謝されず報われない仕事、そして医療過誤と合併症の区別も付けず司法に刑事事件にされてしまい、社会的に抹殺されかねない現状に対し、自衛(医師が多くて責任を限定的できる)とQOLを求めて都会へ集まっているのだ。

従ってこの試案では全く改善されることはなく、むしろ緩やかに改善する前に、速効で息の根を止められる。

この現状に政府・霞ヶ関が出来ることは、医師と医療関係者の責任範囲と法的な取扱いについて、早急に法整備を行うことである。

まずは医療訴訟に対する刑事訴追の禁止。これを早急にやらなければ、絶対に今の状況は改善されない。医療訴訟が全て民事で行われるようになれば、後は民の力にまかせてよい。これに乗ってくる保険会社は絶対に多いはずだ。

後は医師数の増加と偏在の解消についてであるが、これは色々とやり方があるだろう。戦前から戦後に存在した医師促成栽培(医師専門学校)制度を作れば即効性があるかもしれないが、これは問題も大きい。従って、看護師他コメディカルの身分を上げ、権限と責任を委譲することは、反対も多かろうが議論の余地がある。地域枠もいいだろう。ただこれも効果は限定的。

また医師の偏在について、私は多くの医師は「地域に行くのがイヤだ」と言っているのではなく、「ずっと地域に行きっぱなしになるのがイヤだ」ということだと思う。
以前は教授の権限で、「一定期間」地域へ出向していた。一定期間なら、待遇さえそこそこ良ければガマンは出来るものだ。また基幹病院へ戻って技術や知識を取り戻せるから。
多くの医師は地域に行くのがイヤなのではなく、都会の基幹病院へ「ずっと」帰れなくなることにより、自分の医療レベルが下がること、客観的に評価できなくなることが不安なのだ。

しかし無邪気に医局の力を落としてしまえば、みんな「ガマン」はしなくなるのは当たり前だ。なぜこんな単純な本質的なことが判らず、場当たり的かつ高圧的な案しか出せないのか。

私はこの政府案に断固反対!
皆さんの意見を求めます!

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今日、立花隆氏のコラムで、「安部教育改革の「負の遺産」「哲学の崩壊は憲法問題」」という論文を見た。
大学から哲学科が消えつつあるそうだ。これはこの文章にも触れられているが、国立大学の法人化と「運営交付金の競争的資金化」によるもの。哲学は人間の知的発想の基礎であるから、これを無くしてはならない。大学人は抗議せよ! という内容。

概ね納得できる論旨だが、私のようにもともと大学にいた人間からすれば、「何をいまさら?」という気もする。文系が消えるかも、というのは大学が独立行政法人化した時点から明らかじゃないか。このような横暴を許してしまったのは、小泉政権の人気を下支えしたマスコミではないのか?

法人化し、運営交付金を握られてしまった時点で、国立大学は逆に完全に「国有化」されてしまったのだ。政府と官僚の方針をかぎまわって、御用聞きをこまめにやる大学がいい目をみる時代になったのだ。こんなことは当時からわかっていたではないか。法人化も、COEも、科研費も、そのために制度設計されたのだ。何をいまさら??

ただ、立花氏の論旨には面白いところがある。それは、今般の大学制度改革は、学問の自由をわざわざ独立した条項まで作って保障する憲法に違反しているのでは、という論旨。これはいかにもその通りと思う。

私はこれまで、「アカデミア(古代ギリシャで成立した頃のそれ)」本来の持つ機能「自治」を比較的ちゃんとやってきたのは、日本では京大だけだと思っていた。しかしこの京大も含め、日本の大学は「社会に開かれた」という美名のもとに独立行政法人化をきっかけに経済的基盤を完全に官僚に握られてしまった。従って、今や大学には自治は存在せず、正確にはアカデミアではない。従って、非生産的な哲学、文学などは、まずはリストラ対象になるのは、当たり前である。

ここで私が立花氏に同調するのは、哲学・文学などを失うことの損失の大きさである。このような失政により、日本の社会はいよいよ薄っぺらなアメリカ流プラグマティズム一色になること。将来は、頭の回転はいいが、物事の本質を見抜く眼力を失い、合理性を全ての判断基準にする人間で埋め尽くされてしまうだろう。

哲学・文学を学ぶことは、多くの先人が試行錯誤してきた「この世界の本質」を見抜こうとする思考過程を吸収することである。これは歴史の積み重ねがなければならないが、歴史のない薄っぺらなアメリカを無批判に受け入れてきた小泉・安部体制により、早晩、日本の知は完全に壊滅されられてしまうことだろう。
しかも同じ現象が医療の現場でも進みつつあるのだ。根は一緒なのである。

アメリカに洗脳されて、「アメリカ、バンザイ!」を国策とするアホな政治家と官僚、マスコミ、有識者、保守系言論人がいる限り、この国は間もなく根こそぎ解体させられる。

恐らくその負の遺産は、第2次大戦で負けたことよりも、はるかに大きいかもしれない。それは国民の教育・意識と、日本が時間を掛けて培ってきた「日本らしさ」が解体されて行くためだ。

あなたはどう考えますか??

ところで、立花氏の同コラムは、以下の文章でまとめている。
「いまの大学教授たちは、全共闘世代ではないか。全共闘世代が、自己の存立基盤が丸ごと掘りくずされようとしているときに、黙って座視したままでいるとは、ほとんど信じ難いことである。」

こういう文章は如何なものか? 
というのは、事実がわかっていないから・・・。

今の教授たちは全共闘世代であっても、制度・権力と闘うことを「避けてきた」方々が多くを占めている。もちろん全てではないが。

全共闘やってたら、多くの場合大学には残れず、就職もできず、公安からも目を付けられているし・・・。しょうがないから予備校や塾へ行った人たちが多いのだ(と「全共闘やってた人」から聞いたものである)。

ではまた!

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夢を語る:もっと若い力を!

よね様 / 2007.05.20 11:59 / 推薦数 : 1

週末、遺伝子・デリバリー研究会という、工学・材料系の研究者が中心の会で講演をさせて頂いた。

一番驚いたのは、20代の若い方々が多いこと! 今が旬の「ナノテクノロジー」というキーワードで集まっていらっしゃる方々で、それほど魅力的な分野であるということだろう。やはり一生懸命な若い研究者が多いことは、それだけ学問が進むことであり、喜ばしいことである。

学問には残念ながら流行廃り(はやりすたり)がある。注目を集めている分野の論文は一流誌に掲載されやすく、研究費も採りやすい。もちろん、学問分野は一朝一夕で形成されるものではなく、それまでにも類似の分野がある。現在のナノデバイスも、昔からあるリポソームやミセルなどの技術をもとに、最新の材料工学が結びつき、大きく進歩しているのだ。

私の研究対象の一つである遺伝子治療技術も、90年代は同様の隆盛にあった。が、臨床的効果が表に出る前に副作用が必要以上に強調され、全体的にみれば、今や若い研究者を引き込んでいく魅力を失ってしまっている。
しかしむしろ現在では、腰を落ち着けた研究が進み、遺伝子治療技術は10年前と比較すると格段に進歩している。しかしこの分野の研究者は、その魅力を若い世代へアピール出来ないでいる。

それどころか、私が最近の動向を見て脱力感を覚えてしまうのは、教授クラスの指導者側が、「このキーワードでは研究費が取れないから、次はこれにしよう!」と、いとも簡単にテーマをずらして行くのだ。
例えば、最初は遺伝子治療、次に再生医療、そしてナノテクノロジー・・・。一体何をしたいのだろう? と首をかしげてしまう。

何のために研究をするのか? 以上挙げたキーワードを使うのであれば、究極の目的は「難病から患者さんを救うこと」であろう。そのためには研究費がいる、ポジションが必要、特許・ベンチャーが必須、と演繹的にやるべきことが決まってくるはず。しかしどこかで、目的と手段がすり替わってしまっているような気がする。

もちろん、研究者にも生活があり、ある意味学会や大学内での政治が必要なのも理解しているし、むしろそれだけのことをしたたかにこなしていく力が無ければ、指導者としての資格も無いのかもしれない。しかしそれにもまして、若い世代へ「夢」が語れなくなった研究者に、どんな価値があるのだろうか。

研究者もそうだが、人生は一人の力では限界があり、個人の能力がいかに高くても、目的が大きければ大きいほど、とてもやっていけない。同じ志を持ち、信頼して一緒にやって行ける仲間をどれだけ増やすことが出来るか、ということは、人生の大事なテーマである。
そのためには、羅針盤としての夢と志を語れることは重要であり、そして若い人の信頼を得るに足る人格が必須だろう。私にそれがあるかどうかはもちろん疑わしいが、決して気付かぬうちにこの基本線からズレてしまわないように、日々自らを戒めているのは事実だ。

今回この研究会で講演させて頂いて、私がnon-MDである若い研究者へ訴えたかったことは、
1)自分の研究が、大目的である患者さんにたどり着くまでに、どれ程の距離があるのか、しっかり理解して下さい。
2)もし本気で患者さんにたどり着きたいと思っているならば、技術を愛してくれて、患者さんと一緒に真剣に頑張っている「いい医者・研究者」を見つけなさい。
3)そして方法論として何をやればいいのか、そして一緒に頑張る仲間を作って下さい。私で協力出来る範囲なら、喜んでお手伝いします。
ということ(ちゃんと伝わったかどうか?)。

新しい医療を作るには、もはや医師だけでは限界。色々な異分野の融合が必須だ。そしてそれは優れた個人的能力以上に、大きな夢と信頼できる仲間、そして仲間を結集させる能力(恐らくは人格が最も)が必要だろう。

まだまだ、私も頑張らねば!!

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医師不足の特効薬は??

よね様 / 2007.05.12 10:59 / 推薦数 : 5

各種報道によると、自民党緊急医師不足対策特命委員会なるものが出来て、いよいよ本格的に対策へ乗り出すそうな。

このブログでも一度話題にしたが、私自身は実効性を心より期待したい。・・・のであるが、本当に実効性がある手が打てるだろうか。
色々な皆さん(特に医師サイド)の意見を聴いていると、大方は以下のような意見のようだ。
(1)臨床研修制度により、医局への人材流入が極端に減少した。従って、医局は既に人材バンクとしての機能を失った。
(2)医師が自主的に病院を選ぶようになったので、都会へ偏在している。つまり必ずしも数が減った訳ではない。
(3)いやいや、OECD平均からすると日本はまだまだ医師が少ないから、まずはこのレベルまで増やすべきだ。
(4)医療費も対GDP比で比較すると格安だから、もっと先進国平均並みにしよう。
(5)もっと医師の待遇を改善せよ。医師が増えると医療費が一定ならば待遇は改善されない。
(6)医師は今でも高所得だ。
などなど。

まあ、(5)(6)は少し言い過ぎの感はあるが、概ねの論点は(1)〜(4)ではないか。

しかし私は重要な観点が落ちていると思う。それは、
1)なぜ、日本ではWHOが賞賛した医療システムを低コストで構築できたのか、という詳細な分析がなされていないこと。
2)医師一人当たりのパフォーマンスが低下していること。
に尽きる。

1)にも関係してくるのだが、特に2)についてご注意頂きたいのは、これは能力が低下したという意味ではなく、種々の要因のために専門分化されすぎたため、医師一人の守備範囲が最低限になってしまった、という意味であること。これはマイナー系の先生方にはよく分からないかもしれないが、メジャー系診療科の中堅以上の方々には、よくご理解頂けると思う。

例えば外科を例に取ると、欧米先進国では、手術前検査(内科)〜手術(外科)〜術後管理(外科・麻酔科)〜外来フォロー(内科)という流れになるが、日本ではこの全てを外科医が担当していた(特に中小規模の病院)。特に手術麻酔の場合は、以前(私の研修医時代も含む)外科でも最低限のトレーニングを受けて、麻酔専門医がいなくても、いつでもリスクの低い患者さんの全麻くらいは出来るようにしていた。つまり、以前は欧米で3〜4人で担当する内容を、日本では外科医一人でまかなって来たのである。

この弊害については、まだ余り報道されることは少ないが、東京都心部で手術待ちの期間がじわじわ延びてきていることに反映されている。外科医がいても麻酔科医がいないのだ。ある程度の規模の病院では、外科医は自ら麻酔を掛けることを控えるようになったのである。
また私は一般外科の出身であり、専門は血管外科であったが、もちろんトレーニングは消化器、肝臓、呼吸器など、何でも受けた。しかし現在の流れはこれらも細分化されていき、それぞれの手術しかしない方向での修練構造になりつつある。

私がいたイギリスでは、がん患者の手術待ち期間は、10年前で約1年であった。当時私は日本ではありえないとんでもないことだ、と思っていたが、聞くところによると、既に都心では平均3ヶ月くらいではないか、ということらしいので、今後じわじわとイギリスのようになって行くかもしれない。

というのも、昨今のマスコミでの医師叩き、つまり専門医の資格が無い医師がトラブルを起こした時に、「刑事事件(日本では不思議なことに、欧米と異なり民事ではない)」として徹底的に処罰される現状から、医師側が専門外の診療について、手控えるようになって来たのだ。

それでも日本のお医者さんは一般に処理能力が高いので、この10年で急激に増加してきた仕事量を、殺人的なスケジュールの中でこなしてきたのである。

ところが現場がギリギリまで頑張っていたにも関わらず、医療行政に影響力を持つアメリカかぶれの一部のお偉いさんが、無邪気に「アメリカ式」医師・医療構造を制度として導入するよう自民党・厚生労働省を先導したものだから、たまらない。じわじわ伸びきったゴムが、一気に切れてしまった訳だ。

何度も申し上げるが、アメリカ型医療は訴訟(この場合は民事!)を前提とした、高コスト医療である。責任を分散するために、医療プロセスごとにそれぞれの専門医師・コメディカルが関与するために人件費が圧倒的に高額になる、即ち高コストにならざるを得ないのだ。

ここまでお読みになった方はお解りと思うが、行政による「医療費削減」という錦の御旗と、「アメリカ・欧米型医療の導入」は、理論的に矛盾するのである。
これを同時に進めようとした結果、そしてこれに権威で医師の動きを規定していた医局を「臨床研修制度」で弱体化してしまった結果、あっという間に現在の医師不足(特に地方)となってしまったのである。

従って、もちろん急激に医師が減った訳ではない。偏在化は間違いないが、そのウラには、これまで進めてきた「専門分化」の弊害が、ボディブローのように効いて来ているのだ。 従って私の読みでは、地方の医師不足は、恐らく別の形で都会を襲うようになるだろう。それは「診療科・診療プロセス別の医師の偏在化」である。医療の流れをアメリカ式に細分化してしまったため、一箇所で専門家がいないと一貫した医療を受けられなくなる(例えば、外科医がいるのに手術ができなくなる)危険性が出てくるだろう。外科医そのものも、最近「絶滅危惧種」と言われているが・・・。

アメリカ式を追従する限り、これを改善する方策は、医師の数の倍増と医療費の倍増しかありえない。

結局、失策の付けは現場の医師と国民がかぶるしかないのか・・・・

ここで日本人の知恵を出せるか、が問われているように思うのは、私だけではないだろう。

ではまた!

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皆さん、GWはどこか行きましたか?
私は溜まりにたまった仕事(ほとんどが書き物です・・・)を片付けるため、今回は外出なし・・・。ちなみに数時間だけ横須賀へ車で出かけましたが、高速道路で追い越し車線ばっかり走っていて、警察に止められ「1点減点」をくらいました・・・。これで20年間続いたゴールド免許もパーのようです。

悲しい・・・

さて今日で休みも最終日。しっかり時間はあったが、では予定通り仕事をこなせたかな? と自問自答すると、「半分くらい」というのが正直なところ。

結局、時間はあっても、仕事の密度が高くないと、予定の仕事は掃けないないのだ、ということを、今更ながらに実感・・・。

忙しい時には忙しい中で時間をやり繰りするが、時間があればあったで、スローダウンするのが人間の性ですかね・・・。

最近、スローフードなどをよく耳にする。またある研究者の先生は、スローサイエンスが大事!という方もいる。
「人生、余裕が大事!」という意味か、「時間がないと、しっかりした思考が出来ない!」という意味か・・・。

正直なところ、私にはまだよくわからない。ただ少なくとも、「いつもスロー」なのは問題有り=だらしがない、ということだろう。
走りっぱなしは疲れるし、体力と知力を浪費するが、一定のスピード感が無いと、絶対良い仕事は出来ない、というのが、これまでの人生での私の実感。

つまりは、スピード〜スロー〜スピード、なんてメリハリが大事ということだろう。

メリハリのあるピリッとした人生を送りたいものである。
今年のGWの教訓でした。

ではまた。

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