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息子を見て思うこと

よね様 / 2007.03.18 05:42 / 推薦数 : 0

本当に忙しかった今週を乗り切り、ようやく余裕が出てきました。
しかも伸び放題だった髪を切ってスッキリ!

さて、最近息子を見て思うことを綴っておきます。
うちの息子は4月から小学校2年生になります。毎日学校が楽しいらしく、またなぜかしら登校時も近所の同級生が元気に呼びに来ますし、休みの日になると、朝っぱらから集団で遊びに来ます。

いかにも、絵に描いたような幸せそうなほほえましい光景なのですが、息子に言わせると、それなりにストレスがあるそうな。「A君はB君にイヤなことを言うんだよ。」、「C君は押すし、物を投げるし・・・。」、など。
まあ「ふんふん」と聞いていますが、特に私の意見を言うこともありません。というのは、私の関心はそれ自体がどうこうということではなく、「さて、彼がどんな風に自分のストレスを解決するかな?」ということ。

息子は同級生に言わせると「正直でやさしくて良いヤツ」なんだそうな。確かに父親の私に対しても、真っ正面から正当な理屈を言ってくるし、間違っていることを諭すと、「ゴメンなさい・・・」と良く理解した態度。確かに大人の眼からみると、いわゆる「良い子」なのだが、さて自分の子どもの頃と比較すると、余りに真っ直ぐ過ぎて、逆にちょっとばかり心配になることもある。

最近はよくいじめが問題になり、いじめが原因で自殺する子どもも増えてきた。「美しい国」のために教育再生を目指す安部内閣の方針でも、いじめの解消は一つの重要な課題のようだ。
しかし一方で、いじめは無くなるのか?というと、「まさか・・・」である。そう、昔からいじめは相当なレベルであった。家内に言わせると、「それでも最近は陰湿になってるから、親と先生が気をつけなければ・・・」ということらしい。確かにこれは一般論としても正しい。しかしこれは母親的視点であり、私は父親として単純に賛同するわけにはいかない。何故なら、いじめなんてものは根本が人間という種の本質から出てくる現象なのであるから、学校でいじめが無くなっても、次は社会に出てから同じ壁にぶち当たる。

従って、私が父親として息子に伝えるべきは、「いかにして、自分に降りかかるいじめと闘うか?」、そしてその闘い方を教えることなのである。

そもそも、いじめとは「他者との比較、そして優越感・劣等感」という、人間の本質的な部分に端を発している。もちろん、これ自体は否定するべきことではない。優越感は自己を確認するために必須であり、また劣等感は自分の足りない部分を理解し、それを乗り越えるエネルギーにすることができる。しかしこれらの感情が自己ではなく特定の他者へ向く場合、それが負のエネルギーとしていじめの原因になるのだ。従って、どんなに工夫をしても、いじめを無くすことは絶対に無理なのだ。

さて、ではどうすればよいのか。それはいじめのプロセスを理解すればよい。
つまり我々が認識すべきは、いじめは不特定多数に向くことは決して無く、必ず特定の個人へ向くことが特徴なのであり、これがいじめに「実効性」がある最大のポイントなのだ。つまり、いじめの対象を「個人」から「多数」へ転換させることができれば、いじめはその実効性を完全に失うのである。これならば子どもへの教育に加え、学校・親の協力によりシステムとして対応することができる。子どもたちには、いじめを見たときにどのようにして「個人から多数へ」転換させるか、その方法論をパターン化して教えることが重要なのである。

生まれと育ちが違う人間が社会を構成している以上、トラブルとストレスはつきものだ。いじめは学校の専売特許ではなく、社会に出ても必ずつきまとう。そしてそのトラブルとストレスをどのようにして料理していくのか、それを子どもの頃にしっかりと教えて行かなければならない。

息子には、いじめなんかに負けない雄々しく逞しい精神を養ってもらいたいものである。

ではまた。

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