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「大野病院事件」報道への所感

よね様 / 2008.08.21 05:33 / 推薦数 : 10

福島県立大野病院での「事件」について、無罪判決が下った。

既にm3の多くのブログでも取り上げられており、特段に追加して意見を述べるものでもないが、この事件関連の報道により、日本のマスコミのレベルの低さが改めて露呈されているので、私の健忘録として、このブログに書き留めておく。

遺族にはやり切れない気持ちが残り、そして加藤医師は安堵の表情だとの報道がほとんど。もちろんそうだろう。
それが真実であり、裁判とはそういうものだ。

しかし報道には「遺族の感情」にフォーカスを当てた論調が目立った。例えば以下の読売新聞。

-----------------
「なぜ事故が」…帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り
8月20日13時4分配信 読売新聞

 産科医不足を加速させたとして医療界が注目した「大野病院事件」に、無罪の司法判断が下った。

(中略)

 「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。
-----------------

この一節を見るだけで、「この記事を書いた記者、あなたは中学校から勉強をやり直しなさい!」と言わねばならない。

それはなぜか?
この記事を書いた記者は、「法治国家」という概念を理解していないからだ。

「法治国家」における刑事事件では、被告に罪状を確定するためには、法の下で判断しなければならない。
誤解を恐れずに言えば、「法治国家では、刑事事件の最大の判断基準は法律(特に刑法)と判例であり、遺族の感情を司法判断に組み込んではならない」のだ。

もちろん司法判断には「情状酌量」というものがある。
これは罪状について被告人が十分に反省と謝罪の意思がある場合、「減刑」が目的となる。
法治国家では、刑罰確定するために、そして刑罰のレベルを上げるために「感情」という基準が使われることは無いのだ。

これはなぜか?
法治国家では、「法は人間が定め、罪状は人間が判断するものであり、それは不確かなものである」ことが前提となっているからだ。法律は未完成のルールであり、社会状況が変化するにつれ、改定されなければならない。しかしいくら不合理なこととはいえ、事件が起こった時点で法律が裁く条文がない場合、あるいは裁く法律そのものがない場合は、少なくとも法治国家では罪状を付けることはできない。
法律を改定することで、「次には起こらないようにする」ことが前提。

また余談だが、法律が改定されても、今の法律でその成立前の昔の事件を裁くことはできない。これは事後法不適応の原則ということだ。

以上が法治国家での大原則である。

つまり言い換えれば、被告人に罪状を確定するには、必ず法の条文に触れる証拠が存在しなければならない。「情」という不確かなことを根拠に、人を罰してはならないのだ。

これを象徴する言葉が、「疑わしきは、罰せず」なのだ。

大野病院事件の場合は、剥離を続けるという加藤医師の判断が医師の裁量権の範囲か否かが一つの大きな論点にされた。

これは極めて専門的な内容であり、裁判の過程では当然論点であるべきである。
「公判は医療を巡る専門的な議論が中心で・・・」という報道であるが、「そんなもん、あったりまえじゃね〜か」なのだ。

そして、「遺族が置き去りにされた」という表現は、極めて作為的な文章であり、これは「遺族の感情は十分に理解されたが、それと刑事事件における司法判断は別物である」とされるべきである。

この大野病院事件での報道によく似たレトリックは、例えばA級戦犯への報道、太平洋戦争を「侵略戦争」とする報道、従軍慰安婦に関する報道などにも、頻繁に出てくる。

かいつまんで言えば、「道義的責任」と「被害者の感情」いう表現だ。

もちろん道義的に責任を感じることはあってよいし、それは人間として当然持つべき感情である。
しかし道義的責任と法理論を混同してはならない。

道義的責任では、断罪はできないからだ。つまり道義的責任は、感情に属するものであり、これを争うには民事事件でなければならない。それは「感情」を元にしたものであるからだ。
このようなもので罪状を付けられるのであれば、全ての民事事件は全て刑事事件になってしまう。

かつて東京裁判の際、構成メンバーであったインドのパール判事は、「日本無罪論」という本を出している。
高潔な法律家であったパール判事は、当時の国際法に基づき、日本は無罪であることを法理論として論証した。

なぜなら、現在でも戦争は外交の最終手段として国際法上認められている行為であり、当時は植民地支配は欧米列強が推進していた「合法的行為」であり、さらに「戦勝国による敗戦国の裁き」である東京裁判の法的根拠が極めてあいまいだったからだ。

これに対し、「パール判事は日本の戦争を侵略だと思っていた」という本も、最近散見される。

高潔なパール判事にとって、確かに日本の中国進出は、侵略戦争と写ったかもしれない。

しかし仮にそれが正しかったにしても。そのパール判事の「感情」と、国際法学者としての彼の「プロ意識」は、全く別物であるということだ。

これが本当のプロである。
何者にも代え難い家族を失った遺族の心中は、察しても余りある。
しかしこの遺族の感情を、「被告人の罪状確定」のために司法の場に持ち込むことは、決して行ってはならないのだ。
あくまで法と判例に照らして司法判断を行わなければならない。

それが法治国家なのである。

様々な圧力があったであろうこの裁判を担当なさった判事には、その高潔なプロ意識に対し心より敬意を表したい。

そして、遺族の感情をあえて必要以上にあぶり出し、「医師・医療界 vs. 医療被害者」という構図を無理矢理つくることにより、医療不信を増幅させている各報道機関については、猛省を促したい。

本日は以上!

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I君、逝く。

よね様 / 2008.08.02 15:16 / 推薦数 : 13

外科医局の後輩I君が、先ほど息を引き取った。
35歳。余りに早すぎる死。

私が企画した臨床試験を一手に引き受け、責任感と志が人一倍高かったI君。

患者さんに好かれ、すぐ友達のような関係になる。信頼関係を築く才能は天性のものだったI君。

実家がソーメンを作っているI君は、夏になると実家のソーメンを差し入れてくれていた。この数年は夏になるとソーメンパーティーをしているので、「今年もそろそろやろうか!」と言っていた矢先・・・。

彼が大学院が終了し、医局で血管外科トレーニング中、たまたま一度だけ一緒に手術に入った。静脈グラフト採取を出血無くテキパキとこなし、「お前、手術のセンスいいね!」と褒めると、「またまた〜・・・。褒め殺しですかぁ?? でもちょっぴりうれしいです!」と屈託無く笑ったI君。

この4月より第一線の関連病院へ出向する際、「ようやく大学の雑用から離れ、臨床一本で頑張れます! また宜しくお願いします!」と生き生きとした表情で挨拶に来たI君。

8月31日、結婚してまだ1年も経たない奥さんの誕生日、研修医の送別会を早めに切り上げ、帰路、脳幹部出血を発症したらしい。
路上で嘔吐している彼は急性アルコール中毒と判断され、近くの救急病院へ搬送されたようだ。診断はそのまま。もっと近くに三次救急に対応できる自分の病院があったのに。

身元が判らず、診断が着いたのは朝。
その時点で出血による脳幹の損傷は、到底治療の及ぶ範囲を超えていた。既に瞳孔は散大。JCS300。

法事を済ませ、ようやくと取れた休みを利用し、息子と海で遊び始めた私に連絡があったのは、11時48分。

急遽休みをキャンセルし、福岡へ。
そして夕方になり、ICUで人工呼吸器に繋がれているI君とようやく対面できた・・・。

そして一夜明け、彼は息を引き取った。

なぜ神様は、彼を見放した?
なぜ死神は、彼に狙いを定めた?

後輩を失ったのは、I君が二人目。
第1子が生まれた数日後、Brugada症候群による発作で亡くなったN君。私が病棟勤務時代に指導していた研修医。
温厚で、誰からも可愛がられたN君。
今でも年に一回同期の連中が集まり、彼の席を用意して、きつくも楽しかった病棟時代の思い出話をする。

なぜ前途を嘱望されていた若い医者が死ななければならないのか。

生き残った我々は、彼らの意思を継いで彼らの分も生きなければ。
明日、突然命を奪われるのは、我々なのかもしれない。

天国で彼らと再会したときに、彼らに恥じることなく語れる人生を、そして彼らが志半ばで断念しなければならなかった医療という崇高なる職務を全うしなければ。

I君、安らかに。
君は私たちの心の中で、いつもまでも生きています。

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(続編)

前回の解説版になります。

私が何が言いたいのか・・・。そこをもう少し具体的に書きます。

m3にも多くの先生方が色々な医療崩壊についてお書きです。
基本的に戦術論が大多数を占めるのですが、その中に、この医療崩壊における最大の問題の本質が隠されています。

それは・・・・

「心が折れる」

・・・・・・・・・・

オレ様は、実はこの言葉が最も重要であり、早く手当をしないととんでもない時代になると危惧しているのです。

私はマンガを良く読むのですが、私の好きなものの中に、かわぐちかいじ氏の「沈黙の艦隊」というものがあります。

独立国を名乗り、核兵器をちらつかせながら国連・ニューヨークへ向かう原子力潜水艦「やまと」。
対応に苦悩する合衆国大統領ベネットは、自分が最も信頼するネーサン所長を呼び、その進言へ耳を傾けます。

そこでネーサンが言った言葉・・・。

「ベネット、この国の財産はスピリットだ。スピリットが二流になれば超大国アメリカはすぐさま二流国に成り下がる。一度滑り落ちたら、取り返すには100年は掛かるぞ!」


私の意見は、まさにこの言葉に集約されています。

世界一の医療制度を支えているという誇りをもってきた医師が、医療従事者が、一度その誇りを失えば、取り返すには100年掛かるのです。

そこにいくら資金ばかり投入しても、その投資効果は現れてこないのです。

私は医学部を卒業し、医局に入局したとき、現在は御退官なさった私のボスは私に向かってこう言いました。

「この歴史と伝統のある医局に入るということがどういうことか判っているか? ここは医者を作るのではない。医者の先頭に立ち、医者をリードしていくリーダーを創っていく。私はそのようにあなたたちを教育する。」

「外科医とは、合法的に人を切ることで病気を治療する。世界広しとはいえ、法律で護られながら人を傷つけることを許されているのは、医師、そして外科医だけだ。その崇高な意味をしっかり考えて、謙虚かつ真摯に研鑽するように。」


外科の世界に踏み込み、そして最初にこのような言葉を投げかけられた私も、私の同期も、外科医をしての「誇り」を胸にしたものです。

(今では、人権派を自認する法律家により、医師は護られていないようですが!)


「心が折れ」、「誇りを失った」医師を量産したところで、そしてそこにいくら投資をしたところで、その投資効果はほとんど得られないでしょう。

既に歴史が浅い介護士は、その重労働、低賃金、そして認められないやるせなさのため、その心を折られてしまい、サポタージュしているのが現状です。

そしてそれは、医師、看護師にも始まっています。

小泉政権以来の「聖域なき構造改革」の美名にもと、自民党とマスコミは、国の型を形成する、そして聖域として護らなければならなかった重要な要素「医療・社会保障」に荒々しく手を突っ込み、掻き乱していった結果が、この医療崩壊なのです。

しかしこれは大きく制度を変えて行くチャンスにしなければなりません。

政治家、官僚、そして医療界は、しっかりとしたグランドデザインを描き、今後100年も世界一で有り続ける輝かしい医療制度を設計するべきなのです。

本日ここまで!

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崇高なグランドデザインを描け!

よね様 / 2008.06.21 12:57 / 推薦数 : 6


私は政治的発言は控えていますが、ガマンできなくなったので、あえて申し上げます。

「自民党・公明党は一度野へ下らなければならない」

何故なら、(衆議院で2/3も持つような)「絶対的権力は絶対的に腐敗する」からです。

ここまで医療界を追い詰めておきながら、出てくる案は、「予算はどうした・・・」、「社会保障財源は消費税アップで・・・」などなど。

あきれかえってものが言えません。

予算では、医療崩壊は救えません。

お金は確かに問題ですが、お金が「根本的な」問題ですか?
「医師を増やす」、「診療報酬の減額をストップする」などは、確かに重要なポイントですが、これらはあくまでも「戦術論」であり、この国の医療崩壊を減速させることは出来ても、V字回復することは出来ません。

研修医制度や後期高齢者医療制度など、つまらない小手先のことばかりやっているのが、この国の政治家、特に与党のレベルなのです。

従ってこのままでは、やがてはこの国の医療は、完全に荒廃していくことは間違いありません。

何故なら、「高齢化社会への明確なグランドデザインがない」からです。

言い換えれば、国、医師、そして国民の「誇りと自信の回復」につながらないからです。

「日本の医療は遅れている、欧米は進んでいる」という迷信を刷り込まれ続けたために誇りを失い、医学研究を通じて生命と医学・生命科学の底知れぬ奥の深さを畏怖の念を持つことなく、専門医・認定医を取る(=出来上がった医療技術を吸収する)ことのみに関心を示し、面倒な医療現場には関わりたくもない/楽をしたい、という思考パターンを持つ医師の数をいくら増やしたところで、焼け石に水だということが判らないのでしょうか?

まず「数」は重要なのでこれは進めなければなりませんが、日本のような島国国家は、そこに「質」あるいは「こころ(命)」を吹き込まなければなりません。

決して、「仏作って魂入れず」になってはいけないのです。

過去、WHOが世界一と認めた我が国のこれまでの制度を、これからの未曾有の高齢化社会を迎える日本がどのように発展させていくのか。世界は固唾をのんで注目しています。

あるエコノミストによると、日本のバブル〜失われた10年での失敗は、現在のサブプライムローンへの対処に大きく貢献しているということらしい。

今回の医療崩壊は、我が国が世界へ誇れるような、国民が幸せに過ごせるような、そして高齢者が幸せに余生を全うできる制度を再構築するためのチャンスでなければなりません。

福田首相は、「消費税5%でここまでやってきたんだから・・・」などということを言ったようですが、これから先が、「だから増税なんだよ!」と繋いでいく自民党のメンタリティでは、これからの激動の時代の舵取りは不可能です。


そのためには、この国の政治家が、医療制度と医師・医療技術者の身分(義務、責務、保障)について、崇高なグランドデザインを描かなければなりません。

そのためには、日本のこれまでの皆保険制度、そしてこれを参考にした先進国各国の現在の医療制度、そしてその法整備について、徹底的に分析が必要です。

この分析に、アメリカで少し偉くなって「アメリカ万歳!」というレベルの低い医者、学者、政府の御用聞きの医者、学者は排除しなければなりません。

また国内法しかしらない法律専門家、特にマスコミの御用学者も排除するべきです。

しっかりした各国の制度を知る専門家による諮問委員会が必要でしょう。

日本は、来る新しい時代のグランドデザインを描くことが出来るか?

現在の与党では無理。おそらく民主党も無理でしょう。
しかし強行採決を繰り返すような腐敗した政党については、まずは退場して頂かなければなりません。

まずは解散総選挙、そして政権交代。一時の停滞は覚悟しなければなりませんが、そこからしか新しい医療制度は生まれない。

私は、今そう思っています。

私の息子が成人する時代には、誇りある国に生まれ変わった日本であることを祈っています。

この件。また書きます!

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無視って・・・

よね様 / 2008.06.06 18:48 / 推薦数 : 4

以下、読売新聞の報道。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
民主、首相問責決議案を参院提出へ…小沢代表らが協議

 民主党は4日、小沢代表ら幹部が党本部で協議し、福田首相に対する問責決議案を今月15日の通常国会会期末までに参院に提出する方針を固めた。

 衆院への内閣不信任決議案提出も検討している。後期高齢者医療制度(長寿医療制度)などに対する国民の批判や不満は強いとして、福田内閣に対する対決姿勢を明確にする必要があると判断した。

 首相問責決議案が提出されれば、参院で多数を占める野党の賛成多数で可決される公算が大きい。首相に対する問責案の可決は初のケースとなるが、法的拘束力はなく、福田首相は、これを無視する構えだ。

 民主党幹部は4日、問責案の提出時期について、「野党内の調整が必要」と述べ、週明けになるとの見通しを示した。

(2008年6月5日02時20分 読売新聞)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・・・・・・

無視、って・・・

・・・どういうこと??

じゃあ、問責決議案って、何の意味があるの?

・・・・・・・・

開き直りが大事ってこと??

・・・・・・・・

世も末ですなぁ・・・。

こんな大人の態度を見せつけられて、子どもたちはどう思う?
ゴネ特??

ガタガタ抜かすくらいだったら、ちゃんと選挙をやって、今現在の世論を反映した国会議員構成にしてしまえば?

今の衆議院は、郵政民営化を争点に選ばれた人たちですよね?

じゃあ、もう役目は終わったんじゃない?

こんな政権に、教育とこの国の未来を語る資格無し!

自民党は、既に末期症状ですね。

どうなることやら・・・

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(ボストンでの滞在中のホテルの窓より)


 5年ぶりにボストンに来ました。
 今回は若い先生方の発表の「監視(?)」がメインなので、多少のjet lugも余り苦になりません。

 明け方に目覚め、少し雑事をのがれたこともあり、ネットサーフィンをしていると、やはりやはり、先日の日経BPnetに掲載された森永卓郎氏のコラム(第134回 医療費のコスト削減策はこんなにある、http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/134/index.html)が、色んなところで取り上げられ、大炎上していました。

 私もこれを読んだとき、「何だかなぁ〜・・・。マジにこんなこと考えてんのかなぁ〜」と思っていましたが、医療関係ブログの強者どもの先生方からは非難轟々です。
 まあ、そのような反応を受けても仕方ない内容なのですが・・・。

 論点は沢山ありそうですが、私も苦笑(というより、失笑ですか・・・)してしまったのは、以下の部分です。

「(医者を増やすために・・・)例えば、こうしてみたらどうだろうか。建築士と同じように、医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。  

確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。もし、手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。  

そこで重要になってくるのは、先端医療技術よりもコミュニケーション能力である。そうした技能の優れた人を養成して、2級医師にするわけだ。2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する。  

最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる。  

病院としても、そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。高齢者にとっては、待ち時間が減って、話をじっくり聞いてくれるので喜ばしい。こうした医療機関が普及すれば全体の医療費を下げられる。みんなハッピーになるのではないか。」

 この後、「麻酔医が不足しているから、余っている歯科医を回せ」など、名(迷?)案が飛び出してきます。

 多くの先生方のブログでは触れられていないので、あえてオレ様が指摘しておきますが、実は同様の発想(取りあえずの医者の促成栽培)はかれこれ70〜80年ほど前から戦後に掛けて、日本には実績があります。

 医学部に併設された「医専」がそれです。

 (以下は私の記憶を元に記載しているので、もし間違いがあったら指摘して下さい)
 実は、医専は明治時代からありました(東北大学医学部や、千葉大学医学部も、もとは医専からのスタートです)。これらの医専は、その後帝大や医科大学へ昇格しましたが、戦地での負傷兵の治療などにあたる医師数が絶対的に足りなかったため、「医師の促成栽培」を目的に、医学部に併設する形で医専が設置された訳です。
 (余談ですが、私が医学部の学生時代は、この医専出身の教授が数名いらっしゃいました。もちろん差別もあったようで、臨床系にはいらっしゃったかどうか定かではありませんが、基礎系には立派な教授が複数いらっしゃいました。)

 しかし医専の本来の目的は、「促成栽培で対応できる、窮余の外傷治療を実施可能なレベルの医師の養成」が主であり、現代の医師不足への対処法とは余りにも状況が違い過ぎます。

 現在の国民が医療に望む理想像とは、
1)サービス業として低姿勢であり、
2)コンビニのように24時間体制で診療可能であり、
3)しかも24時間、最高の医療レベルが実施可能であり、
4)それが日本中あまねく、どこにいても、
5)待ち時間がほとんどなく、自分だけはゆったりと享受できる、
という医療を、
6)世界で最も低コストで実現せよ。
という無茶苦茶なものなのです。

 以前もこのブログで議論しましたが、「性悪説」を元に医療制度を設計した代表はアメリカです。「ヒトは誰でもエラーを起こす」比較的低いレベルでの個人の能力が前提なので、医療を複数で監視・管理すること、そしてほとんどの場合、刑事訴追されないことが原則です。従って必然的に多くの医療従事者が必要となり、このシステムは高コストにならざるを得ません。

 一方、我が国では医師等は「専門職」としての特別な立場にあり、「性善説」を元に医療制度を設計してきました。従って個々の医者には高い知識・技能のみならず見識を要求されてきました。私の知る限り、多くの医師はそれを満たす有能な方々ですが、もちろん医師全てがそうではありません。しかし日本では個々の医師のレベルが高かったこと、そしてこの仕事に対する情熱と使命感のため、これまで世界が成し得なかった「高レベル・低コスト医療」が実現できていたのです。
 一方、最近ではこの「そうではない」部分が過剰にスポットライトを浴びたため、色々と制度をいじり始めた結果が、現在の矛盾(医療崩壊)につながってきたと考えています。

 森永氏の「2級医師」論を真面目に議論するには、日本の医療制度そのものについて、「性悪説」をもとにグランドデザインの変更をしなければなりません。つまり、医療におけるリスクヘッジとそのコストの問題について、原則を固めなければ、このような案をいくら出したところで、意味はありませんし、議論の価値すらありません。
 これまで医療を支えてきた医師、医療従事者にとっては、ちゃんちゃら可笑しい案に過ぎません。

 私は国民投票を提案します。
(1)これまでの日本型を堅持するか?
(2)アメリカ型(高コスト医療)へ方針転換するか?
 政治家は、まずここを国民に問うべきでしょう。

ちゃんちゃん!

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息を吹き返したロシア

よね様 / 2008.05.12 01:48 / 推薦数 : 2

今朝テレビを眺めていると、大統領が変わったロシアの特集をやっていた。現在のロシアは史上最高の好景気により、急速に息を吹き返し、国民の支持が高いプーチンが与党の党首になったそうな。

その中で一つ気になる発言があった。それは「投資マネーが資源に集中している他に、ロシアによる原油輸出制限が、最近の原油高の一因だ。この原油高を演出することにより、ロシアは巨大な利益を得ている。」という指摘だ。

なるほど、とオレ様を思った。
「これは世界の枠組みが大きく変わるかもしれない」という予感、というより懸念だ。

最近急速に発展しているBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、いずれも広大な国土を持っている。大きな国土に一般に豊富な資源が眠っている。一方で、アメリカはサブプライムにあえぎ、イラク問題にも抜本的な解決ができないまま、急速に影響力を失っている。

中国は、今は国威発揚のためにオリンピックを成功させなければならず、従って最近ではよい子を演じている。しかし一方では、日本と摩擦を続けている東シナ海ガス田を始め、アフリカや北朝鮮のレアメタルを確保しようと、開発権を得るためになりふり構わない援助を進めている。

つまり、これからは時代はアメリカ式の金融至上主義から、再び資源争奪戦の時代に突入する可能性が高くなってきたのだ。

特に重大なことは、これまでマルクス主義により抑圧されてきたロシアと中国が、国の制度の根本を変えないまま資本主義による富の集中の味を知ってしまったことだ。経済は悪というマルクス主義の呪縛より解放され、「お金は素晴らしい!」と考えだし、その煉金術のために自国内の資源を最大限に使用する時代がやってきたのだ。
もちろん、その矛先は他の国にも向くだろう。
その時にどのような摩擦が発生するのだろうか。

国土が狭く、資源に乏しい我が国の最大の武器は、
1)高度に成熟した金融システム(つまりお金)
2)高い国民の教育度と洗練された技能、そして高い生産性
であった。
これらがうまく機能したバブル期は、Japan as No.1だったのだが、現在のように景気回復に弾みが見られず、ゆとり教育のためにレベルの下がった国民の知的レベルでは、とてもこれらの国々の台頭には、まともに闘っていけない。

つまり、これまで余りにも無邪気に盲従してきたアメリカ型経済と社会システムは、これから破綻を始めるのだ。

日本は一体どうなる? 政治家は何を考えている?

昨日の新聞では、日本ではこんなに国民があえいでいるにも関わらず、東証一部上場企業は、6期連続の利益拡大なのだそうだ。

利益拡大して、じゃあどれだけそれが税収・国家予算に反映されたのか?

つまり、「まずは東京が、大企業の利益が出なければ、日本経済は良くならない」とするアメリカ模倣型の竹中理論は、既に崩壊した、ということではないのか?

資源の無い日本がBRICsの台頭とまともに闘って行くには、結局は人的・経済的資源、そしてそれを最大限に活用する知性しかないのではないか?

グローバルスタンダードなどという押しつけの基準ではなく、日本はそろそろ、日本式の独自の「島国モデル」を提唱すべき時代になっているのではないか?

いよいよ日本の底力が試される時だろう。
そのヒントは、以外と田中角栄の発想あたりにあるような気がしてならない。

ではまた!

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メス化する日本

よね様 / 2008.05.04 06:17 / 推薦数 : 8

*題名を見て、「男女差別!」と思ったあなた! その浅はかな感性を磨き直して下さい! これはオレ様流の、表現型なのです!

(さて、本題)

今日の本題は、「凄みのある政治家はどこへ行った???」

2〜3日前、大学から車で帰り道、古舘さんのニュースステーションを見ていると、今回の暫定税率の件で与謝野さんがとうとうとしゃべっていた。
一ヶ月の間のつかの間のガソリン安。そして早速再可決、その後の値上がり。
茶番もいいところだ。

その理由もまたお粗末・・・。
「暫定税率分の2兆円が無くなると、困るのは地方のあなた方なのですよ!」

開いた口が塞がらない。これが日本の未来を創造するべき政治家の言葉か??
これは、家庭に例えれば、「限られた家計でやりくりするお母さん」の発想だ。
もちろん、これは重要であるのは間違いないのだが、じゃあお父さんは一体どこに行った? 一生懸命頑張って、出世して、給料を増やして、家族が少しでも楽になるように頑張るのがお父さんではないのか?
お父さんとお母さんがいて、家族の調和が取れるのではないか?
みんなお母さんになったらどうなる?

はたまた、最近では若い大阪府知事が、公的な場で感極まって泣き出す始末。
大阪のおばちゃんは、「気持ちは伝わった」などと褒めていたが、これはおばちゃんが子どもに「よしよし、よく頑張ったね〜」なんて言っているようなもんだ。

はたまた民主党の若手の元党首さん。
党首だった時には若いだけで選ばれて、実際は大したことも出来ず、小泉さんに「民主党は党首が精神的に参っただけで休めるなんていいですね。これくらいのことで入院できるんなら、私なんかしょっちゅう入院ですよ。」なんて揶揄されて・・・。
参議院選で民主党が勝った途端、小沢さん批判ばっかりやっている。
一体、あなたは誰のおかげで大きな顔をしてテレビに出ているのですか?
「ガタガタ言っても、政党が意見を通すには、数の力が大事なの!」と言い、それを実現していく現党首に、どれだけの敬意を払っているのでしょうか?

この3者に共通するものは何か?
発想と行動が、生物学的なメスそのものであることだ。

私はメスが悪いと言っているのではない。
メスとオスは、必ずペアでなければならないということだ。生物学的に言うと、
オス的発想とは、外向きである。外敵と戦うからだ。
メス的発想は、内向きである。護らなければならないからだ。
メスの役割は、オスの足下を固めることである。
でなければ、オスはすぐ足下を救われてしまう。

古代より、オスがどんなに頑張っても、食料が得られないこともある。そのために、メスは最悪の状況を想定し、切り詰めながら組織の体力を温存する役目を負っているのだ。

一方、オスが良い仕事をすれば、大漁の場合もある。
そうすれば、組織は潤うのだ。その分、余裕が生まれる。

従って、国も、組織も、家庭も、オスの役割をする人、メスの役割をする人、両方が対になって存在するべきなのだ。

私は経済学には素人だが、今のようにデフレを脱却できないまま物価が上がり、スタグフレーションのような状況の時には、国は積極的に財政出動をし、減税し、投資を呼び込み、そして雇用を安定化させること。これが王道だと記憶している。
実際サブプライムであえいでいるアメリカでさえ、矢継ぎ早に金利引き下げ、財政出動を行っている。

ここ数年、いざなぎ景気を超える景気拡大と言いながら、庶民にその実感は無いものの、実際に税収は自然増で数兆円増えた。ある経済学者によると、一昨年度の実績から、プライマリーバランスは間もなく正常化するという状況だった。
つまり景気さえ良くなれば、2兆円程度の財源はどうにでもなるということだろう。

なぜ、たった2兆円程度のために、迷惑千万な暫定税を再導入するのか? どうせ既に800兆円の借金があるのなら、「ここ数年で一気に経済を好転させる自信があるから、今後数年は毎年数兆円規模の緊急財政出動をします。これを元手に雇用を安定化し、年金も確実にもらえるようにします。積極的に減税します。医療も充実します。そして、経済がをどんどん良くして、借金を一気に返して行きます。このような国の財政基盤をしっかり作り、あなたやあなたの子どもの将来も約束します。」とならないのか?

将来に年金も十分にもらえず、雇用も不安定で、医療も満足に受けられず、将来に不安がある状態で、消費が進む訳はないではないか?

こんなメス化した三流政治家たちでは話にならん。

小泉+竹中ペアは、政策には問題ありと思うが、凄みはあった。
小沢さんも、善し悪しは別にして「数の力」の重要性を再認識させた。政治は数があってなんぼである。そのことを民主党の若手の跳ねっ返りは理解しているのか?
その意味では、この人たちはやはりしっかりした政治家だ。

こんな連中は、もう与党、野党ともに現れないのか?

実は、現在の大学も全く同じ状況だ。
最高学府のくせに、プライド無く「金がない」ばっかり言うな!
つまらん権威なんかにしがみついているから、誰も大学に投資してくれなくなっていることが判らんのか!

社会が一斉にメス化して行った時、いよいよ日本も落日を迎えるだろう。

我々オスが惚れ惚れするような、本物のオスの出現を期待したい。

ではまた!

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同級生はいいものだ!

よね様 / 2008.03.03 21:16 / 推薦数 : 11

週末、同期入局の連中と久しぶりに博多で飲んだ。

平成2年3月卒のため、「平二会(へいじかい)」いう。あっという間に、卒業して18年? もうすぐ20年になりそうな勢いだ。

(以後、博多弁にて・・・)

ある友人(A)曰く、
最近「お前のブログ読んどるばってん、あんまり更新せんやないか。いつまでもiPodじゃつまらんぞ!」

だそうな・・・。

(私)「お前らが推薦ばポチッと押してくれんけん、やる気の起きんたい!」

(A)「・・・? 推薦って、どげんするとよかとや・・・?」

(私)「お前知らんとか! 記事の最後の方にボタンのあるけん、そこば押すだけたい!」

(A)「ふ〜ん・・・。知らんかった・・・。今度しとっちゃるたい。」

(B)「あ〜、オレも見よるばい。何か色々書いてあるばってん、長すぎるったい!」

(私)「あ〜・・・。了解。じゃあ、もう少し短くするけん。ばってん、ちゃんと推薦してくれよ!」

(A,B)「おうおう、わかった、わかった!!」

もう・・・ハッキリ言って、天下無敵の田舎オヤジである。
そして外科医として20年近く働いているにと、それぞれ色々な道に分かれてくる。

1.たとえ安月給でも、そして愚痴をこぼしつつも、大学でしか出来ない仕事に打ち込んで頑張るやつ。
2.卒業の頃のスピードを維持しつつ(少し落ちたかな?)、ひたすら目の前の患者へ情熱を注いで勤務医として奮闘しているやつ。
3.そろそろ人生の転換期かな、と家族の未来のために開業を考えるやつ。
4.親の基盤を引き継ぎつつ、さらに地方の開業医として医療崩壊と闘おう!、と燃えているやつ。
5.そしていっちゃん情けない、外科ドロップアウト組(オレ様・・・)。

男40代、不惑のはずが、まだまだ大いに悩んでいるやつもいる。年はどんどん取っているが、やっぱりいつまでもどこかの部分が幼いのだろう。

何年も会わなくても、久しぶりに会うとすぐゴキブリのような研修医だったあの頃へ。
計算も打算も身分も関係ない関係って、社会ではあんまりないから、ホントにホッとするよね。

同級生は、いいもんだ!

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iPS細胞狂騒曲(?)

よね様 / 2008.01.24 11:33 / 推薦数 : 4

今年初めての投稿です。
たまにおいでになる方、済みません!!

さて、本日はちまたを賑わしている誘導型万能細胞(iPS細胞)について、私見を記しておきます。

この細胞、2006年にマウスでの成功以来、私も大変注目しておりましたが、昨年暮れのヒトでの成功で、一気に火が付きました。
私はマウスとヒトでは、初期化のメカニズムはかなり違うだろうと思っていましたが、同様の方法での成功はむしろびっくりです。
私と同世代でもある山中先生には慎んで敬意の念を表しますと共に、我が国のリーダーとして、そして同世代のヒーローとして、益々研究の成功をお祈りしています。

さて既に報道がなされているように、ES細胞における倫理的問題がクリアーされることは極めて大切であり、この細胞がそのブレークスルーになることは論を待ちません。
しかも我が国としては異例でありますが、文科省がこの研究の体制整備のために即座に反応し、巨額の研究費を付けたことは注目に値します。

私も他の研究者と同様、この細胞に関する海外(特にアメリカ)との熾烈な開発競争において日本が勝利することを祈って止まないのですが、冷静に考えると、こと「実用化(臨床応用)」については、このままの状態では基礎研究で勝利しても実用化では後塵を拝する結果になるのは目に見えています。従って、今の時点において周到な準備が必要です。

先に3つの重要なポイントを記しておきます。
1.iPSの実用化研究は、我が国の規制上は再生医療に加えて遺伝子治療であること。
2.iPSの臨床応用の規制当局は、文科省ではなく厚労省(+環境省)であること。
3.開発するべき企業が、基本的に新しい技術に対して及び腰であること。
以下に、その重要なポイントを解説します。

これは敬愛する森下先生が既にブログで解説していらっしゃいますが、ベクターを用いて細胞の遺伝子を改変し、その細胞を生体に戻すことは、我が国の規制上は遺伝子治療になります。実際、iPS細胞はベクターを用いて4つの遺伝子を導入し体細胞を初期化する訳ですから、これは遺伝子治療です。

第一に、遺伝子治療に関する規制として、我が国では厚生科学審議会での審議に加え、カルタヘナ議定書に基づく生物多様性評価(環境省の管轄)の審議が必要です。

現在の遺伝子治療臨床研究の審議では、外国で既に実施されているものと同様のプロトコールであれば比較的早く審議される場合がありますが、世界で初めての計画の場合、これまでの厚労省の実績では2〜4年ほど掛かります(理由は・・・、よく判りません!)。しかも省庁での審議の前に、各医療機関IRB(倫理委員会)での審議が必要です。従って、計画書を提出しても、審議だけで平気で3〜5年経過しなければ、実際に患者さんへ還元できないのです。その間、研究者は厚労省からの質疑に対応し続けることが要求されます。

アメリカはカルタヘナ議定書を批准していませんので、生物多様性評価の議論がありません。またアメリカでも審議プロセスは同様なのですが、IRB-RAC/NIH-FDAの流れは、遺伝子治療でも1年〜1年半です。
私がいた英国では、基本的に半年。

従って、まずスピードで負けることになります。

第二に、日本の薬事法の問題があります。
これはポイント3に関わってくることですが、企業が治験として計画しない限り、臨床研究〜先進医療(あるいは自由診療)などの枠組みでやらなければなりませんが、その場合は実施する各医療機関が、たいそうお金が掛かる「カルタヘナ関連法」に準じた「細胞プロセシングシステム」をそれぞれ独自に準備しなければなりません。
これは薬事法の縛りによるものです(例外は外国で生産し、輸入すること。この場合は「輸入薬」扱いになるので、薬事法の縛りは受けない)。

ところがアメリカは遺伝子治療の時に、既に面白い試みを実施した経験があります。
まず米国内に政府主導でナショナルベクターコアファシリティーを数カ所(確か3箇所程度だったと記憶しています)作り、国内医療機関が依頼することで目的のベクターを生産してもらい、これを臨床研究に使用しました。この気軽さのためアメリカでは爆発的に臨床研究が進んだことが周知の通りです。
従って、米国が今後どう動くか判りませんが、先導する企業が現れるか、あるいは「ナショナルiPS細胞コアファシリティー」のようなものが出来るかもしれません。

一方で、日本は薬事法の縛りのために、ベクター生産を行うGMP施設が複数出来たにも関わらず、多施設へのサプライは出来ず、結果として開店休業になっているファシリティーが多いのです。


以上が、iPS細胞を実用化しようとした際の問題点であり、どう考えても現行システムではアメリカに勝てそうにありません。

従ってこれを解決するには、
1)審議プロセスを大幅にショートカットできる新しい規制をiPSのみを対象に創設する。あるいは、遺伝子治療の規制ごと刷新する。
2)薬事法を改正する。
3)iPSならびにそれから誘導される治療用細胞のGMP生産施設を、政府主導で作る。これには薬事法を適応しないようにする。
などの措置が必要でしょう。

そしてこれらは研究者側の問題ではなく、文科省・厚労省、そして政府の問題です。決して山中教授に無駄な負担をさせるべきではなく、立法・行政レベルで対応するべきです。

世界と闘えるだけのポテンシャルを持つ技術を手にし、初めて日本の底力が試されます。
山中教授の言う「オールジャパン体制」とは、研究者だけでなく、立法・行政・企業で進むべきでしょう。

山中教授の素晴らしい研究をきっかけに、日本のリジッドな規制システムが大きく改善されることを祈って止みません。

では、また!
今年も宜しくお願いします。

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