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ガンバレ!!謙虚なダルビッシュ==投球を魅せる一級のスポーツマン==メジャーでの活躍を心から祈ります==

http://www.youtube.com/watch?v=dsB717k2hNk

ダルビッシュ、レンジャーズと6年契約 46億円で

01/19 北海道新聞)

ダルビッシュ有投手のレンジャーズ入団が決まり、記者会見するライアン球団社長(左端)ら=18日、米テキサス州アーリントンのレンジャーズ・ボールパーク【アーリントン(米テキサス州)共同】日本のエース右腕、プロ野球日本ハムのダルビッシュ有投手(25)が18日(日本時間19日)、米大リーグのレンジャーズと6年契約を結んだ。

入札制度による入団で、同日球団が発表。AP通信によると総額6千万ドル(約46億円)で、06年オフにレッドソックスと6年契約した松坂大輔投手の総額5200万ドルを上回った。

 宮崎市内で日本時間19日もシーズンに向けて調整したダルビッシュは、自身の公式ブログで「正式契約しました」と報告。

20日(日本時間21日)に本拠地で入団記者会見を開く。その後帰国して北海道でも会見することも明かした。

 いよいよ、ついに、北海道日ハムファイターズのダルビッシュ有投手が、アメリカメジャーデヴューすることになりました。 

日ハムの試合を観戦するとき、まず勝敗にこだわることはいちファンとしては当たり前です。

しかし、ダルビッシュの当番試合は違います。

ゲームの勝敗よりも彼そのものの立ち振る舞いと彼の投球内容に吸い寄せられてしまいます。

この場面では、どの球種をどのように投げるのか・・・・

打者はどのように反応するのか・・・・など、興味は尽きません。

今日、投球を魅せる数少ない一級のスポーツマンです。

また、試合後のインタビューで何を話すのかも彼をウオッチする上で貴重な情報となります。

時には札幌ドームまで、足を運びじかに彼のピッピングもチェックします。

昨年春、学会出席のついでに寄った沖縄・名護キャンプでの出来事・・・。

小規模な名護市民球状では、ピッチング練習する彼との距離は数メートル。

見学する野球少年にも気軽に声をかけていました。

決して偉ぶらない、目線の低いダルビッシュは、記者会見やTVのインタビューでも誠実に答えています。

今度は、アメリカでの活躍を心待ちにしていますが、深夜のBS放送が楽しみなります・・・。

いや、もしかしたらべ現地アメリカまでだルビビッシュの投球を感染しに行くかも知れません。

彼の力をいつものように発揮すれば、十分活躍できることを確信しています。

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「猫」でもわかる野田どじょうの「二枚舌」=「二枚舌」が行き詰まれば・・・『次の傀儡内閣』誕生か==

聞きなし

小説「吾輩は猫である」で夏目漱石が語らせる無名の猫は、何事にも一家言を持つ。好物とおぼしきセミのツクツクボウシについて、<博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか>と偉そうに問いかける

猫に即答できないのはしゃくだが、確かに私たち人間は鳥や虫の声を勝手に聞きなす。ホトトギスは「てっぺんかけたか」、ツバメなら「土食って虫食って渋ーい」といったふうに

東北にはヒバリが太陽に金を貸したという民話があり、空に昇る時は「ひいちぶ(日に1分(ぶ))」、降りる際は「つきにしゅ(月に2朱(しゅ))」と違う利息を請求しているように聞こえるそう(川崎洋「母の国・父の国のことば」)

鳥の声を都合よく解釈しても取って食われはしまいが、外交ではどうか。日米首脳会談でのTPP交渉参加に関する野田首相の言葉は、オバマ大統領には「すべての物品、サービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる」と聞こえたようだ

首相は「一言も言っていない」と否定しているが、米側と真偽を詰めないのは解せぬ。海の外と内では、言うことが違うのではとの疑念は消えない

閣内には、先の記者会見の首相発言は「交渉参加を前提としたものではない」と主張する農水相もいる。「最近、人間がヒト語を聞きなすのがはやりなのか」と猫に笑われそうだ。

(2011・11・18 北海道新聞卓上四季)

これだけ『揶揄』されながらも、国民からは『二枚舌』といわれながらも、首相の座にどじょう顔でい続ける野田氏の心境はいかがなものか・・・。

そんな冗談は別にして、こうした『二枚舌』が、TPPなど国内外で使われるにもならず、国内でも幅を利かせることになるかも知れません。

そもそも野田氏に限らず、民主党の政治運営は、『玉虫色』を良くつかいます。野田首相が力んでいる消費税増税では、あたかも増税が福祉政策を進めるかのような「幻想」を撒き散らします。

「医療制度や年金制度を維持するため、増税はやむをえないと・・・。増税すれば福祉がもっとよくなると・・・・」そんなペテン師のような詭弁は、ちょっと考えればすぐ「嘘だ」とわかるはずですが・・・・・。

漱石流に言えば、「猫でも判る国民だまし」ではないでしょうか。

こうした「二枚舌」を国際環境はどのように見るのでしょうか。

そんな深まりのない、「その場限りの言い逃れ=二枚舌」に終始する日本の首相を一体何処の国が尊敬を払うでしょうか。

自国の国民からは、「どうせ何を言っても外国向けにはリップサービスして、その付けは国民に押し付けるのだろう・・・」と。

12月から始まる様々な政治課題=

    東日本大震災復興と混迷深める「原発」問題、

    TPP参加問題とわが国の医療制度、

    消費税増税と「社会保障と税の一体改革」、

    沖縄普天間基地移設問題、

そんな中に⑤憲法審査会活動開始などなど・・・・

日本の針路を左右する重要課題が山積しています。 

そんな中で、私の心配は、TPP参加を強引に推し進めている野田内閣がゆきずまれば、アメリカと財界は、『次の傀儡内閣』の用意を始めることです。

 勿論、そんな売国的政治路線を許すわけには行きません。    

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紳助氏は、『謝罪会見』が必要です==長年起用し続けたテレビ放送局の責任は??==「お笑い番組」依存にあぐらをかく日本のテレビ界==

 

紳助、山口組ナンバー4に手紙 同席写真も

 

2011.8.25 サンケイスポーツ)

 

 23日夜に芸能界引退を表明した元お笑いタレント、島田紳助さん(55)=本名・長谷川公彦=が、交際を明かした暴力団関係者に直筆の手紙を送っていたことが24日、分かった。

この関係者は指定暴力団山口組のナンバー4にあたる最高幹部であることが判明。

同幹部との写真も見つかっており、一層の親密ぶりが明らかになってきた紳助さんと暴力団との抜き差しならぬ関係が、さらにクローズアップされてきた。

 23日午後10時から都内で“引退会見”を開き「普通の人」となった紳助さんは、一夜明けた24日は大阪市内に滞在しているとの情報が流れたものの、報道陣の前に姿を見せることはなかった。

 前夜の会見で、十数年前から友人を介して暴力団関係者とメールや電話のやり取りをしていたことを告白。

友人は元ボクシング世界王者、渡辺二郎被告(56)=未公開株をめぐる恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中=だと判明していたが、会見で「Bさん」と表現していた暴力団関係者の“素性”が明らかになった。

 捜査関係者によると、山口組ナンバー4にあたる「筆頭若頭補佐」の肩書を持つ“大物”幹部だ。渡辺被告は、この幹部が所属する暴力団の相談役とされる。

 紳助さんは渡辺被告を仲介して幹部に「お二人がいるから心強い」とするメールを送ったことも会見で明かしている。さらに、紳助さんが幹部あてに直筆の手紙を送っていたことも分かった。

 3人が関係を深めた事の発端は、紳助さんが会見で触れた十数年前のトラブル。司会していた関西ローカル番組で発言した内容をめぐり、右翼団体から猛烈な抗議を受けた際、渡辺被告の口添えで事態をおさめてくれたのが幹部だった。 

この幹部は2005年6月、大阪府東大阪市内の自宅建物と土地が差し押さえられたことをめぐる競売入札妨害事件で大阪府警に逮捕された。関係者によると、関係先の家宅捜索で紳助さんからの手紙のほか、同席した写真が見つかっていた。

 手紙の内容は、右翼団体とのトラブル解消に対するお礼を書いたものとみられる。関係者によると、紳助さんも手紙を書いたことは認めている。 また紳助さんが送ったメールは、逮捕された幹部を心配したり「警察は本当にひどい」などとする内容で、幹部の肩書の「会長」という呼称を使うなど心酔している様子もうかがえた。メールは府警が07年に渡辺被告を逮捕した際、押収した携帯電話から判明した。

 会見では「暴力団関係者とは接触してはいけないと十分分かっていた」「(同幹部と)偶然を含め十数年で4、5回会っただけ」などと交流は深くなかったことを強調した紳助さんだが

紳助氏の「正直言って・・・・・・・OOOOO」もまた、正直でなく「嘘」であったことが判明してしまいました。

  後でわかる「嘘」をあたかも正直なように「演出」する・・・。

お笑い芸人と言ってしまえばそれまでですが・・・・。

これは、ちょうど東電や原子力・保安院が国民の前で何度となく繰り返してきた「会見」と同じです。

視聴者や国民を平気で欺く手法です。

こうした低劣な手段を駆使するとは、紳助氏にとって決定打になるかも知れません。 

今では、『引退会見』どころか『謝罪会見』を行うことが当然ではないでしょうか。

彼自身が会見の中で述べていたように「本当に反省」するのであれば、あのような「大々的な記者会見」などせずに、声明等で事は済むはずです。

ことは、ずいぶん前の出来事です。

それを「セーフ」などといって自分勝手に不問に付して・・・・つまり視聴者に隠して、もっともらしいことを発言していたのですから『引退』もやむを得ません。

否、引退などと言う処遇でいいのか疑問の残るところです。

さらに、こうしたことは紳助氏個人だけの問題ではありません。

その「人気」におんぶに抱っこで、視聴率稼ぎに紳助氏に依拠してきた放送局にも責任の一端を感じます。

いくらお笑い番組全盛だからと言って、暴力団関係者との友好関係にあった彼を長年起用し続けてきたテレビ局からの反省・謝罪の言があるのか、注目したい気持ちです。

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北欧・ノルウエーで、若者への乱射事件==ムンクの「叫び」再発阻止と世界中への伝播を防ぐことが出来ないか==

叫び

(7月24日 北海道新聞 卓上四季)

ノルウェーが生んだ画家エドワルド・ムンク(1863~1944年)は、19世紀末の不安や孤独を表現した作品を残した。有名なのは不気味にうねる夕空を背に、やせ細った人物がおびえた顔で大きく口を開け、橋の上で両耳をふさぐ「叫び」だろう

ムンクの回想などによると、絵は、この人物が叫んでいるのではなく、どこからともなく聞こえる叫びに恐れおののく姿を描いたという

美術史家高階秀爾氏は「叫び」を含むムンク作品は、<いっさいの日常的な音は遮断され、かぎりない沈黙のなかで、ひそかに運命の糸が紡がれている>(「近代絵画史」中公新書)と説く。幼くして次々に肉親を失い、死に向き合った画家は、その筆で魂の叫びを伝えようとしていたのか

「白夜の国」から恐怖と怒りの叫びと慟哭(どうこく)が聞こえてくる。ノルウェーの首都オスロとその郊外のウトヤ島を襲った連続テロで、多くの命が奪われた

乱射事件があったリゾートの島では与党労働党青年部のサマーキャンプが標的にされ、10~20代の若者が犠牲になった。暮れやらぬ夏の夜を徹して政治討論にとどまらず、将来の夢や希望、恋を語り合っていただろうに-

極右思想の持ち主とされる容疑者の男が逮捕された。オスロでノーベル平和賞授与式が行われて今年で110年。人類の英知をたたえる地が卑劣な行為で血塗られた。悔しくてたまらない。
 
 安全というか、住みやすいというか・・・福祉充実の模範とも言われて来た北欧・ノルウエーで、あってはならない出来事が発生しました。

しかも、ノーベル平和賞が授与されるオスロにおいてです。

 自らの意見を暴力で押し通そうとするテロリストの「論理」で、100名を超す犠牲者を出してしまいました。

テロリスト達は、あえて平和のシンボル都市、オスロを狙っていたかのようでもあります。

それも犯行者が右派・キリスト教原理主義者とも言われています。

であれば、その対象・標的となるのは、すでに報道されている「イスラム世界」だったのでしょうか。・・・。

これからの推移を見ながら、どうか「報復の連鎖」が起きないように、ノルウエー当局による厳正な捜査と審判が望まれます。 

再発を防ぎ、世界中への伝播を阻止するために!!!    

 

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小澤征爾さんの尽きぬ偉大さ==望まれる更なる御活躍

 

小沢征爾さん、NYで大曲指揮 90分の反戦鎮魂歌(共同通信 20101219

 【ニューヨーク共同】世界的な音楽の殿堂、米ニューヨークのカーネギーホールで18日夜、指揮者の小沢征爾さん(75)が、約90分に及ぶブリテンの大曲「戦争レクイエム」を指揮した。

 1月に食道がんを公表し手術を受けて以来、小沢さんにとって最長のプログラム。大きな拍手と歓声に迎えられて舞台に登場した小沢さんは、指揮台に置かれた椅子に腰掛けて指揮。要所では立ち上がるなど力強い動きで演奏を導き、演奏後、総立ちの聴衆から喝采を受けると大きく手を振って応えた。

 「戦争レクイエム」は、第2次世界大戦の悲惨さを伝えようと作られた英国の作曲家ブリテンの代表作。小沢さんが育て上げたサイトウ・キネン・オーケストラが演奏し、日本から来た小学生を含む合唱団約150人も参加した。

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小澤征爾さんの復活に心から拍手です!!!

食道がんという大病を患いながら、その手術治療から指揮者への復活です。

小澤さんがクラッシク音楽界に果たしている業績の偉大さについては、いまさら私なんかが語る必要はありません。

その小沢さんが、音楽以外で私に与えてくれた大きな影響があります。

 15年ほど前、家内と欧州旅行でウイーンに投宿したときのこと。

国立歌劇場の近く、ケルトナー通りから入ったところにあるホテルアストリアだったと記憶しています。

当時も古びた歴史のありそなホテルで、エレベーターのドアも手動式でした。(当時、そのようなEVがあったのは慶応大学の医学部で経験していましたが・・・)

そこに、若い時代の小澤征爾さんがよく滞在していたのを教えてもらいました。

 帰国後、TVで小沢さんの密着番組があり、その中で早朝早起きして、自炊で朝食をつくり、その後音楽活動にはいる様子が放映されていました

そうした経験がなかった私は、その後、家の食器洗いを手伝うようになるときに、「あの小沢さんが・・・・」といって、自らを納得させてきたのです。

また、有名なのとのひとつに彼のスキー上手があげられます。以前、大江健三郎さんとの対談でもそのことに触れたました。

スキーファンの私としても妙に近親感持たされました。

しかし、何といっても一番私達に送ってくれた最大のメッセージは、今回の食道がんの克服ではないでしょうか。

こうして見ると、音楽という彼の一流の専門分野以外に様々な影響やメッセージを発し続ける小澤さんの偉大さに限りがありません。

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知知里幸恵さん登別に眠る==「知里幸恵 銀のしずく記念館」がオープン==先住民族の存在と理解を!!!==
登別に「知里幸恵 銀のしずく記念館」がオープン
2010920日(月)室蘭民報 朝刊】
NPO法人知里森舎(横山むつみ理事長)が建設した「知里幸恵 銀のしずく記念館」が19日、幸恵の生誕地・登別市登別本町2にオープンした。関係者がテープカットなどを行い、全国各地から善意が寄せられて建設された同館の開館を祝った。
  知里森舎は、アイヌ神謡集を著した幸恵の功績を伝える同館の建設に向けて、2002年から募金活動に取り組み、2500人以上の人々が協力した。木造2階建てで、神謡集の初版本やノート、日記、手紙など幸恵に関する資料約300点のうち約70点を展示しているほか、研修室も設けている。

 オープニングセレモニーは雨のため館内で行われた。館長を務める横山理事長が「銀のしずく(雨)が降る中でのオープンとなった。多くの方に支援していただき、ありがとうございます」とあいさつ。

 来賓の加藤忠・北海道アイヌ協会理事長が「多くの人が記念館を訪れ、幸恵が伝えたアイヌ民族文化を見てもらいたい」、小笠原春一・登別市長も「記念館は幸恵の品を展示するだけではなく、人々が理解し合える調和の場。この登別から発信していきたい」と祝辞を述べ、石橋秀規・胆振総合振興局長が、高橋はるみ知事のメッセージを読み上げた。

 横山理事長らがテープカットをして開館。訪れた人たちは、幸恵が両親にあてた書簡や小学校の卒業証書、金田一京助から送られてきた手紙といった約70点の展示品をじっくりと鑑賞し、「幸恵さんは美しい字を書く人」などと感想を口にしていた。

 横山館長は「来た人が憩える文化施設として継続していければ。幸恵を中心にしながら、アイヌ民族文化に関心を寄せるきっかけづくりをしたい」と話している。

 同館の開館時間は午前9時半~午後4時半(入館は午後4時まで)で、入館料は大人500円、高校生200円、小中学生100円、登別市内在住者250円。休館日は火曜日(10月から)と年末年始。電話・ファクスは0143・83局5666番。きょう20日は、登別市民の入館料が無料となる。
(有田太一郎)

 

北海道、日本の先住民族であるアイヌの民族文化を伝えようとして命尽きた知里幸恵さんについて、その業績や思いを後世に伝える事の重要さは、言い尽くすことはできません。

先日、9月17日に生誕の地である北海道登別市に「知里幸恵 銀のしずく記念館」がオープンしました。

それに向けて、作家の池澤夏樹氏が中心となり様々な分野から建設資金が集められ、このたび開館にこぎつけたとのことでした。

私は、当日所用のため参加できずにいたところ、建設呼びかけ人であり童話作家の加藤多一氏にさんに誘われて、念願の「記念館」を訪れることができました。 

その周囲は、現在宅地化が進んでいるとはいえ、周りの樹木など何となくアイヌの人々が生を受け、生活を営んだ「風」が吹いてくるようでした。

喧噪の札幌から車で小一時間ですが、せっかちな私を落ち着かせてくれる「風」があるような気がしてなりませんでした。

さて、様々な展示物を見て一番驚いたことは、その昔(明治時代)、函館に「土人学校」というアイヌの人々の通う実業学校の存在していたことでした。

江戸時代から明治にかけて、北海道開拓使の名のもとに屯田兵や移住者の手で開拓されてきた北海道。

しかし、そこには先住民族であるアイヌの人々が暮らしていた事実を以前は教えられず、「土人」という名で差別と同化政策が強行されてきたのです。

こうした歴史的事実を知させるだけでも「記念館」の存在価値は充分に余ることだと思いました。

同時に、知里幸恵さんの短い生涯の中で貫かれたアイヌとしての誇り、またアイヌそのもの存在を世に知らしめようとする努力にただただ脱帽の思いでした。

文字のなかったアイヌの伝承を発音を独学のローマ字で拾い、それに対して和訳を添えると言う仕事を明治時代にやりと遂げたのでした。

北海道在住のかたは是非一度、他の方は北海道旅行の際にでも「記念館」にお立ち寄り頂けると幸いです。http://ginsizuku.exblog.jp/

PS:

1)       登別駅前のプチレストラン「道」のカレーが美味しかったです。

2)       「記念館」友の会(会費,年二千円)に入りました。皆さんの参加されては如何でしょうか。

3)       そこで、高校で日本史を教わった林恒子先生にお会いした。全く偶然でした。

4)       帰りに、加藤多一さんが無農薬キャベツと絶景な長沼町の夕陽をおなかいっぱいごちそうしてくれました。      

感謝です!!!!

次回計画している「記念館」行は、何に逢えるのか今から楽しみです。

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児童文学作家 後藤竜二さん 逝く==家族で読んだ「後藤作品」==心から御冥福を祈ります==

美唄出身 児童文学作家後藤竜二さん死去 67歳 

07/06 07:04 北海道新聞)

 美唄市出身の児童文学作家、後藤竜二(ごとう・りゅうじ、本名・後藤隆二)さんが3日午後4時、脳内出血で死去した。67歳。自宅は東京都中野区中野。葬儀は家族で済ませた。喪主は妻亮子(りょうこ)さん。

 1962年に美唄東高校を卒業し、早大文学部に入学。66年、「天使で大地はいっぱいだ」が講談社児童文学新人賞佳作となり、児童文学の世界に入る。「12歳たちの伝説」「りんごの花」「故郷」など著書多数。2007年には、「おかあさん、げんきですか。」で第12回日本絵本賞(全国学校図書館協議会など主催)の大賞と読者賞をダブル受賞した。日本児童文学者協会会員。全国児童文学同人誌連絡会「季節風」代表。

少なからずいる北海道ゆかりの作家の中で、児童文学者として活躍されていた後藤竜二さんが急逝されました。

最近、彼の初期の作品の部類に入るのかもしれない「小O(こまる)の旗」を読んだばかりでした。

幕末の南部藩に起きた百姓一揆に題材をとったダイナミックな農漁民のお話でした。 

彼の書き下ろした数々の作品に一番お世話になったのは、私の3人の子供たちだったに違いありません。

我が家では、読書好きの長女に始まり、次女から長男へと受け継がれて7~8年家の中の書棚にあったのです。

昨年も札幌の道立文学館での「後藤竜二講演」が開催されたましたが、多忙を理由に参加できなかったのが悔やまれてなりません。

一度は、じかにお目にかかってお話を聞きたかった・・・そう思い続けていた作家だったのです。

未だ、他界するには早すぎる年齢ですが、彼が残した作品の数々を書庫から引き出して、次代を担う孫たちの目に触れさせてあげたい気持ちでいっぱいです。

心からご冥福を祈ります。  

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[多][文]歴史は眠らない「[新]沖縄・日本400年」

チャンネル: 9ch : NHK教育
放送日時: 6月29日(火) 22:25-22:50
Gコード: 5555610[詳細]

 ◇歴史は眠らない◇

さまざまな苦しみを抱える沖縄の400年の歴史を、東大大学院教授の小森陽一氏と共にたどる4回シリーズ。

1回目は「"琉球"と"日本"の激突」を送る。大航海時代の到来で、明との貿易ルートが犯され始めた琉球王国は、経済的に薩摩に依存せざるを得なくなっていた。

琉球国王の尚寧は島津氏の介入に対し、宗主国の明との関係を保つことが王国の存立意義と見なして明との同盟強化を画策し、密使を送るなどの外交戦略を展開。

しかし、島津氏による武力制圧を招き、尚寧は江戸に連行された。幕府の威を借りた島津氏は琉球の検地などを強行し、王国の自主性を否定する起請文を突き付けた。

その後、幕府は明との貿易拠点として利用するため、表向き琉球に対し日本風俗の禁止を行うなど異国扱いしながら、薩摩を通じて幕藩体制に組み込んでいった。

 

沖縄の苦難の根源は/29日から「歴史は眠らない」
NHK教育
400年の歴史さかのぽり探る/語り手は小森陽-さん

 NHK教育の「歴史は眠らない」(火、後10:25)は29日から4回シリーズで「沖縄・日本400年」を放送します。

普天間基地問題に代表されるように、沖縄はさまざまな苦しみを抱えています。その苦しみの根源、沖縄の人々の思いを、400年の歴史をさかのぼって探っていきます。

語り手は小森陽一東京大学大学院教授。

 江戸時代、幕府の威を借りた薩摩藩が武力によって琉球王国を攻略したことから、今に続く琉球(沖縄)の関係は始まります。薩摩は琉球を明との交流の道具として利用しようとする一方、「異国扱いしながら江戸上がり」を強要するなど、幕藩体制に組み込んでいきます。

 明治になって、日本は、清に服属し薩摩にもしたがっていた琉球の「処分」を開始します。1875年、一方的に王国の解体、沖縄県の設置を通告。琉球は必死の抵抗を試みますが、武力を背景にした威圧により首里城を明け渡し、王朝は滅亡します。

 沖縄の人々を同化しようとした無理が戦争の中であらわになります。太平洋戦争末期の沖縄戦で、県民の意識は、日本軍への期待から、絶望的な幻滅に変わっていきます。

 戦後は米軍の直接統治のもと軍事要塞(ようさい)化がすすめられます。県民のたたかいの中、本土復帰が勝ち取られますが、日本政府の思惑で、米軍基地はほとんど残ったままでした。

 番組は、沖縄が苦難の歴史を背負うにいたった出発点と、どのように受け継がれてきたのかを、日本とのかかわりでみていきます。========================= 

これまで、「貧困問題」など社会的にも重要な課題を歴史的に掘り下げてきたこの番組が、今回は「普天間問題」でゆれる沖縄を扱います。

様々な「案内人」がその人の考え(個性)で問題を掘り下げるのも興味深いところです。

今回は、日本近代文学史を専門としながら、憲法「九条の会」事務局長を務める『行動する文学研究者」の小森陽一氏の登場なのですから番組の展開が楽しみです。

沖縄といえば、最近は普天間など「基地問題」がローズアップされますが・・・ここは一度、「原点」に立ち返る意味でも沖縄の歴史を振り返ることは意義のあることではないでしょうか。

先ずは、400年前「島津の侵攻」から学びが始まります・・・・・。

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再び、加藤周一について==「精神の自由」を追い続ける『知の巨人』==ぶれない思想家として“幽霊”と語る==

「精神の自由」を追い続ける『知の巨人』

去る2008125日、多くの人々から惜しまれて「知の巨人」と言われ続けられた加藤周一先生が、、他界されました。享年89歳でした。

 その生涯を通して語られてきた様々な事象とその根源についての考察は、その量と質において、右に出るものはいなく、遠い未来は別にして、近い将来でも輩出は困難かもしれません

 文学を通して日本の歴史を解明した名著「日本文学史序」をはじめ、文明や芸術、社会と政治など国境を越えて論評を続けられました。

 ETV特集【20081214日(日)NHK教育】で放映された、加藤周一 1968年を語る ~「言葉と戦車」ふたたび~1968年の「プラハの春」を題材にした言論と民主主義への貴重な記録とも言うべきものです。

 文学を始めとする芸術全般、文明、社会、政治と、幅広い視点から日本について語り続けてきた加藤周一先生。

 こうしたことが、2005年日本整形外科学会の特別講演で、大江健三郎氏が加藤先生をして『現代における最高の知識人』と言わしめる理由があるのだと思います。

   59日に札幌で加藤周一DVD “しかしそれだけではない 幽霊が語る” の上映会が開催されました。当日、2回の上映とも満席で、市民の関心の深さと「加藤ファン」の根強さを示しています。

この講演会について、430日に北海道新聞「卓上四季」を引用いたします・

 一昨年、89歳で亡くなった評論家の加藤周一さんが生前の講演で老人と学生の同盟を唱えていた。「学生と老人が結託すれば日本の社会は危機を脱することができる」と。キーワードは「精神の自由」だ

▼日本人の人生には2度、自由の山があるという。1度目は組織に束縛されない学生時代、そして2度目が老人時代。学生時代に自由を謳歌(おうか)した若者も卒業してサラリーマンや役人になると一転して「黙る」。集団の圧力が強い日本社会の特質だと指摘した

▼しかし定年後に自由を取り戻し、再び語り始める。なるほどと合点した。「実はあのとき」と証言した外務省OBの日米密約暴露など、加藤さんの見立てを地でいくようで愉快だ

▼この講演は2006年12月に、東大駒場キャンパスで行われた。当時、安倍晋三首相が憲法改正を掲げていた。「愛国心」重視の改正教育基本法を成立させ、防衛庁を「省」に格上げしたころだ

▼「戦前回帰」の風潮への危機感だろう。集まった学生を前に、日本社会を動かす力は老人と学生の手中にあると口調に熱がこもった。政権交代で政治の風景は変わったが、その警鐘を記憶したい

▼加藤さんを追ったドキュメンタリー映画の上映会が5月9日、札幌市の共済ホールで開かれる。加藤さんが呼び掛け人の一人だった「九条の会」の小森陽一事務局長が思い出を語る。若者からお年寄りまでどうぞ。

  また、戦前・戦後の時代の激変の中で、反戦・平和思想を持ち続けた加藤先生と運命の共通性を感じた鎌倉3代将軍源実朝、母校・東京大学での神田盾夫氏や後に大江健三郎が師事した渡辺一夫氏からの思想と教えを丁寧に語っています。

 そして、私たちの心を捉えるのは、学徒出陣で戦地に向かい若い命を落とした医学部での友人、中西哲吉氏へ対する想いです。

 若くしてあの戦争で生命を落とさざるを得なかった中西氏の無念の思いが加藤先生を通して語らせているというくだりでは、胸にこみ上げてくる感情を抑えることができませんでした。

 2005年、加藤先生は、大江氏らとともに「九条の会」を立ち上げ、彼にとっては生涯で唯一となる「運動」に立ち上がりました。

この運動を「権力闘争ではなく、時の権力に平和憲法を守らせることにより平和の維持・発展させるもの」との位置づけたことは、思想信条の違いを乗り越えて多くの善意の国民の心に火をつけ、今日も燎原のように燃え広がる基礎になりました。

  一方、加藤先生は、20067月、札幌で開催された「医療九条の会・北海道」結成記念講演会に出席され、私たちに2度とない語りの場を提供してくれたのはつい先日のようです。

 それにあたり私は、麻酔科医師とともに東京世田谷にある加藤先生の自宅と札幌の間を送迎方々同行する機会を持つことができました。

 その行程の中、飛行機や車内でも「老人と学生」論や小泉・安倍政権の危険性、欧米文化やアメリカと北海道の共通性など言葉を選びながら様々な視点から教えてくれました。 

 しかも、それがあの「知の巨人」というよりは、相手が理解できるように、あくまでも優しく丁寧な語り口なのでした。

こうした中に、「思想家加藤周一」と同時に、時代と人間を見つめ続ける「人間加藤周一」をつくづく感じることができました。  

 他界されたとはいえ、数限りなく残された加藤周一先生の思想と言葉を“決して意見が変わることのない”幽霊として、私たちの周りにあるということを確認せざるを得ません。 

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“知の巨人、加藤周一”が語る「老人と学生」論==今日の日本を変える力への視点==小森陽一氏が札幌“菊水カフェ”へ登場==

「老人と学生」

(4月30日北海道新聞 卓上四季)

一昨年、89歳で亡くなった評論家の加藤周一さんが生前の講演で老人と学生の同盟を唱えていた。「学生と老人が結託すれば日本の社会は危機を脱することができる」と。キーワードは「精神の自由」だ

日本人の人生には2度、自由の山があるという。1度目は組織に束縛されない学生時代、そして2度目が老人時代。学生時代に自由を謳歌(おうか)した若者も卒業してサラリーマンや役人になると一転して「黙る」。集団の圧力が強い日本社会の特質だと指摘した

しかし定年後に自由を取り戻し、再び語り始める。なるほどと合点した。「実はあのとき」と証言した外務省OBの日米密約暴露など、加藤さんの見立てを地でいくようで愉快だ

この講演は2006年12月に、東大駒場キャンパスで行われた。当時、安倍晋三首相が憲法改正を掲げていた。「愛国心」重視の改正教育基本法を成立させ、防衛庁を「省」に格上げしたころだ

「戦前回帰」の風潮への危機感だろう。集まった学生を前に、日本社会を動かす力は老人と学生の手中にあると口調に熱がこもった。政権交代で政治の風景は変わったが、その警鐘を記憶したい

加藤さんを追ったドキュメンタリー映画の上映会が5月9日、札幌市の共済ホールで開かれる。加藤さんが呼び掛け人の一人だった「九条の会」の小森陽一事務局長が思い出を語る。若者からお年寄りまでどうぞ。

 

 昨日、19年来共に働いた女性医師氏の送別会が開かれました。

 彼女が述べた「別れのあいさつ」で、学生時代から思い悩み、心の隅に住み着いていた『学生時代からの課題』に立ち向かう気持ちが語られました。

 これから東京へ戻り、「残る人生、くいのないように・・・」と年老いた母親のそばにいながら社会への発信を続けるとのことでした。

 医学部へ入学する前に法学部を終了している彼女は、差別のない社会を目指して、HIV問題や冤罪問題などに取り組んで行くと語っていました。

 そうした人の心を射抜く正論の話を聞きながら、ビールに始まった宴会は、焼酎から日本酒へといつもより私の酒量もアップし、翌朝は久しぶりの「二日酔い」となりました。

 そんな頭のがんがんする今朝、いつものように北海道新聞の「卓上四季」に眼をやると加藤周一先生に関するお話が載っていたのです。

 加藤周一先生といえば、「知の巨人」、「現代日本の最高の知識人」(大江健三郎氏談)として、あまりにも有名な知識人です。 

20067月に札幌で開かれた「医療九条の会・北海道」の結成記念講演会に出席された加藤先生が、講演会の中でも語った「老人と学生」論を世田谷のご自宅までお送り同行した中でも強調されていたのをつい先日のように思い出されます。

 59日に札幌で加藤周一DVD “しかしそれだけではない 幽霊が語る” の上映会が開催されます。

戦後の日本を代表する知識人として発言を続けた加藤周一が最後に残したメッセージを、彼自身の歩みとともに構成したドキュメンタリー。

 文学を始めとする芸術全般、文明、社会、政治と、幅広い視点から日本について語り続けてきた加藤周一。

200812月にこの世を去った彼が最後に試みたのは“決して意見が変わることのない”幽霊たちとの対話だった。

戦時中に、自らの運命との共通性を感じた源実朝、自由な言論が失われた中でも意見を曲げることのなかった神田盾夫、渡辺一夫といった恩師たち、そして、学徒出陣で戦地に向かい若い命を落とした友人。

彼らに語りかける加藤の言葉の中から、日本の今と未来が浮かび上がる。若い世代への期待を語った講演と生前最後のインタビュー(2008年8月)も収録。 

加藤周一の言葉に示唆を与えられてきたすべての人だけでなく、加藤周一という人物をこれから知ろうとする人にとっても、最良の出発点となる貴重な映像作品。http://www.ghibli.jp/kato/

 

  4年前、加藤先生のお話を直接耳にした札幌市民の期待には熱いものがあるのです。先日行われた試写会でも舞い医の盛況でした。

 その9日の上映会へ向けて、54日に札幌ジュンク堂やなにわ書房内のカフェで小森陽一氏の語りが開催されます。

その間を縫って、私が仕事をしている札幌市白石区にある“菊水カフェ”の開店にあわせて菊水立ち寄ってくれることになっています。

 高齢者が多い札幌菊水に住む人々と病院に働く若い医療人がいくらかでも諸課題への視点が共有できればこの上ない喜びなのです。 

今年も楽しい連休になりそうです。

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