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もうすぐ大学入試センター試験が始まり、本格的な入試シーズンに突入します。大学入試の中でも最難関といわれるのが医学部(医学科)ですが、その医学部の入学定員が過去最大の「広き門」となっていることをご存じでしょうか。
背景には深刻化する医師不足があるのですが、今後の医師不足をどうやって解消するのか。関係者らの思惑が交錯して、その解答を見つけるのはなかなか難しいようです。
大学全体の数は1990(平成2)年度に507校だったものが2011(同23)年度には780校に増加し、学生数も約213万3,000人から約289万3,000人へと増えています。これに対して医学部を持つ大学は、1979(昭和54)年に琉球大学に医学部が設置されて以降、79校のまま変わっていません。
それどころか81(昭和56)年度には全体で8,280人あった医学部入学定員は削減され、2007(平成19)年度には7,625人にまで減ってしまいました。医師の供給過剰を恐れた政府が、医師養成の抑制政策を取り続けてきたからです。しかし、最近になって地方を中心に医師不足が深刻化し、大きな社会問題となりました。
このため政府は抑制政策を見直し、2009(平成21)年度から医学部の入学定員を増やすことにしました。全体の入学定員は08(平成20)年度が7,793人(前年度比168人増)、09(同21)年度が8,486人(同693人増)、10(同22)年度が8,846人(同360人増)、11(同23)年度が8,923人(同77人増)と4年連続して増加しています。
今春の12(同24)年度入試でも5年連続増加、過去最多の記録更新をする「広き門」となることが確実です。
では、これで医師不足が解消に向かうかというと、まだまだ数が足りないというのが実情のようです。
そこで文部科学省は学識者らによる「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」を設け、医師不足解消に向けた医師養成の拡大方策の検討に着手しました。先に挙げた入学定員増の推移(外部のPDFにリンク)を見てもわかるように、2009(平成21)年度は600人以上、10(同22)年度も300人以上増えた入学定員増は、11(同23)年度には77人にとどまっています。
各大学の受け入れ能力が限界に近付いているからです。これを懸念して同検討会では、医学部の新設を認めるべきだという意見が多く出されました。一方、医学部には教員となる優秀な医師が多数必要となるため、新増設を認めると逆に一般社会の医師不足に拍車が掛かるという意見のほか、将来は医師が供給過剰になる可能性があるなど、反対意見も少なくありませんでした。報告書(素案)では結局、「医学部の新増設を認める」「現行医学部の定員増で対応する」という両論併記のまま結論を先送りました。
深刻な医師不足は、これまでの延長線上では「焼け石に水」の状態です。
大都市やその近郊に住んでいれば、「医師不足」など何処にあるのか?とでも思いたくなるようなこともあります。
街中には、病院・クリニックの宣伝が張られ、夜間診療も丁寧に行われています。
しかし、これが日本全国、いや首都圏の埼玉県や千葉県でも「医師不足」は、解決しないどころか進行する方向にベクトルが向いています。
もうすでに、既存の医学部の定員増では施設的、スタッフ的にも限界に達しつつあるようでもあります。
日本の医療を崩壊から再生に立て直すためには、絶対的医師不足を解決させることは大前提です。
しかし、問題なのは本当の意味で「医療再生」に踏み出してるのかといえば必ずしもしそうではないことです。
1) 医師養成のために国が責任を持っているのか否か・・・・。
既存の学部も新設される医学部も国が財政的に責任を果たすことになっていません。すでに、国公立の医学部はすべて「独立法人化」され、医学部と病院運営がセットにされ、独立採算制の下で医学教育、医学研究、診療をこなさなければなりません。
こうした中で、経営に「貢献」出来ない科や部門は、ともすれば縮小してゆくことが当たり前となってきつつあります。国立大学医学部長会議が医学部の新設に反対する理由のひとつがここにあるように思えます。
医学部のみならず、国公立大学の「独立行政法人化」は、根本から見直しを図るものでなければなりません。
2) 基礎医学部門の充実を
また、医学部は臨床だけではありません。
医学の進歩を支える基礎医学部門の充実が大切です。
現在の医療上の『医師不足』解消という近視眼的な見方だけでは、基礎医学部門の空洞化は避けられません。
3) 指導医師層の確保と待遇改善
現在の「医師不足」の下で医学部を新設すると、そこのスタッフを集めるために、指導層の「医師不足」が顕在化する可能性があります。
新臨床研修のなかで大学に残る若手医師が減りつつある中、医学部を支える人材確保が成功するか否問われています。
彼らの待遇改善へも本腰を入れなければなりません。
こうしてみると、医師養成数の増加を実現させるために国が政策的に行わなければならないことは、医師養成の意味と理念を確立すること、そして、それを裏付ける財政政策を明確にすることが求められています。
医師養成制度改革は、決して医学部ひとつの問題ではなく、他学部も含めた日本の高等教育全体の問題であることまで言及することが必要ではないでしょうか。
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「池澤夏樹氏、原発を語る」==『戦争責任』の様に曖昧にしてはならない「原発推進責任」==文学者、科学者、医療従事者に課せられる「社会的責任」==
1月7日午後、札幌駅西側にある紀伊国屋書店札幌本店のインナーガーデンにて、池澤夏樹氏の原発に関する講演会が開かれました。
池澤氏のお話を聞くのは、現在札幌在住ですが、昨年、フランスのノーベル文学賞作家ル・クレジオ氏との対談以来でした。
どこかのホテルか講演会場ではなく、100人程度の小規模でしたのでもったいない気もしましたが、逆にまじかでゆっくりお話を聞くことができました。
主催は、札幌学院大学 市民メディアプロジェクトが精力的に行なっている「連続市民講座 原発災害以降のメディアのあり方を考える」でした。(これまでの講座内容はFacebookで「市民メディア」を検索してください)
池澤氏といえば、書斎に閉じこもるのではなく『行動する芥川賞作家』としての印象を強く持っています。
これまで、イラク戦争反対運動など国内外で環境問題や少数民族も含めた人権問題に関して人類の生存条件という切り口から発言してる印象がありました。
会場からのこれらの行動基準について質問がありましたが、彼曰く「特に決めてはいません・・・」でしたが、文学者として国際的にも相当な蓄積を感じられました。
さて、池澤氏の講演内容は、宇宙から解きほぐした「壮大」なものでした。
もちろん「脱原発」を講演の基軸にして話が進められました。
また、「核」「原子力」がそもそも人間が制御できないものであると規定し、そうしたものの生産・利用そのものが人類と自然環境への「無謀な挑戦」であることを解きほぐしてくれました。
それとの関係で、臓器移植や遺伝子組み換えなど医学と医療に関わることにも触れかけましたが、原発と言う本題から離れるため言及しませんでした。(いつか機会を持って臓器移植などについて池澤氏の見解をお聞きしたいものです)
『原発村』が社会から遊離して(社会の無関心が遊離させた側面も否定できず)ことが推進派の暴走を許しました。
原発のみならず、科学技術や医学・医療などいわゆる「専門分野」のほうから国民・市民に向かってその内容を解りやすく、丁寧に説明することの必要性を強調していました。
これこそ、科学技術に要求されている「社会性」ではないでしょうか。
私たちも心しなければならない、重要事項でした。これを池澤氏に置き換えると、『文学者の社会性」とでもいうのでしょうか。
池澤氏が続けている「社会的発言」の意味を理解できたような気がしました。
池澤氏がさらに語った論点のひとつは、原発推進派を単純に批判するだけでなく、社会システムに組み込まれている「原発推進」機構そのものへ迫る必要生でした。
また、「脱原発」派もこれまでの原子力発電に依拠してきたことに「反省」を促していました。
わたしは、その「反省」をする上で最も大切なことは、すこしでも『脱原発』の力になることではないかと考えながら聞いていました。
同時に、原発推進の責任を明確にする必要が、第二次世界大戦での『戦争責任』になぞらえて、「原発責任」を『戦争責任』と同様に曖昧にしてはならないことを感じました。
この『池澤講演』を通して、これから札幌在住の池澤夏樹氏の活躍が期待されます。
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【要旨】より
1. 2011年4月15日付首相官邸HP「チェルノブイリ事故との比較」の内容はすべて医学的に誤っている。
(ア) 19名のチェルノブイリ原発内被ばく後死亡者の死因が被ばくと関係なしと述べているが、急性白血病など悪性疾患で5名が亡くなっているのが事実。
(イ) 24万人の除染作業員と数百万人の周辺住民では6千人の甲状腺ガン以外に健康影響はないと断定しているが、WHOなどのごく控えめな見積もりでも、ガンによる超過死亡は今後4千人から9千人と考えられている事実を隠している。
(ウ) 放射線被ばくによって増える病気はガンだけではない。原爆被爆者において、ガン、心臓病、脳卒中など様々な病気のリスクが有意に増えることが分かるまでに40年から50年以上の追跡調査が必要だったのに、事故後わずか20年に満たない時点でチェルノブイリ事故の被ばく者の健康に影響がないと述べることは、原爆被ばくを受けた国の被ばく問題専門家の資格が問われる見過ごすことのできない誤りである。
(エ) 今後チェルノブイリ被爆者の追跡調査が継続されるにつれて、ガン、非ガン性疾患による超過死亡が数万人の単位で発生することが医学的に十分予測される。
2. 政府は、首相官邸HP「チェルノブイリ事故との比較」を削除し、チェルノブイリ事故と福島原発事故の健康影響に関する科学的証拠に基づいた情報を国民に提供すべきである。
松崎さんは、官邸文書が準拠しているという UNSCEAR (国連科学委員会)とWHO(世界保健機関)の報告書をもとに、官邸文書におけるチェルノブイリ除染作業者の被曝死やガンによる超過死亡数予測についての記述はこれらの報告書の内容を誤って伝えていると指摘しています。
また、放射性影響研究所による広島と長崎の原爆被害者を対象とした半世紀以上に渡る調査においては、白血病以外のガンと被曝の関係がわかるまでには30-40年かかっており、ガンの発病リスクが1シーベルトにつき50%増えることがわかったのは52年たってからでした。また心臓病や脳卒中が被曝によって増加するのがわかったのも、被曝から40年後だったということです。したがって被曝後20年しか経っていない時点でのチェルノブイリ被害研究自体も、被曝と病気の関係を結論づけるのは尚早と論じています。
また、放射線影響研究所の原爆被害者調査は「明らかなしきい線量(それ以下の線量では影響が見られない線量のこと)は観察されていない」としていることに言及し
原爆被爆の健康影響を検討してきた中心的研究所が、20mSvであろうと100mSvであろうと、その被曝に応じてガンリスクが増加だろうという見解を発表しているのに、官邸HPの「専門家」が「チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった」とか、「チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない」と被ばくの影響を完全に否定したことは、医学的に明白な間違いです。
わずかな被曝でもそれに見合った発ガンリスクの増加があるはずだとして対策を講ずるのが常識的なやり方です。
と述べています。
官邸の「専門家」集団は、放射線影響研究所の原爆被害調査が「しきい値論」を否定しているのに、チェルノブイリの被害を100ミリシーベルト、20ミリシーベルトといった「しきい値」で区切って被曝の影響を否定し、それを福島にも強引に適用し「福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない」としているのはあまりにも乱暴で非科学的な結論だということが松崎さんの論文でわかりました。
官邸資料の具体的な書き直し提案も含む貴重な資料や分析が詰まっておりますので、ぜひ全文をお読みになってください。コメントや質問等は上記の松崎さんのメールアドレスにお寄せください。この投稿のコメント欄にも投稿いただけます。
以下、5月26日、松崎医師から官邸に送ったメールです。
松崎医師が指摘するように、政府・首相官邸が繰り出す「安全宣言」がいかにいい加減なものであったか・・・・。
しかし、今では福島原発事故はすでにチェルノブイリを越える被害を見積もることを訴える学者もいます。
にもかかわらず、国民を欺く「安全」をいつまで続けようとするのか。
菅政権のいい加減さと同時に、日本の医学者の「科学者としての良心」が問われているのではないでしょうか。
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20ミリシーベルトの被曝量は、医療者従事者の50倍から160倍==文科省は20mSを直ちに撤回し、自然界の1mSへ転換すべき==放射線被曝は、疫学と個人被曝、内部被曝を総合判断が必要==
東日本大震災:福島第1原発事故 放射線基準の撤回、文科省に父母要請
東京電力福島第1原発事故で、学校の屋外活動を制限する放射線量を年間20ミリシーベルトとした文部科学省の基準は甘すぎるとして、福島県内の父母ら約650人が23日、東京・霞が関の文科省を訪れ、撤回を求める要請文を提出した。同省科学技術・学術政策局の渡辺格(いたる)次長は「最終的には1ミリシーベルトを目指して努力する」としたが、撤回の意思はないことを改めて示した。
父母らは小雨の中、文科省前で約2時間にわたって「子どもの安全は保障できるのか」「大人と子どもの影響は違う」などと訴えた。福島市飯野町の斎藤夕香さん(38)は「基準を巡っては学校現場でも判断できない状況が起きており、撤回してほしい」と話した。
文科省の基準は国際放射線防護委員会(ICRP)が原子力事故の収束段階で適用すべきだとして勧告した「年間許容量1~20ミリシーベルト」を根拠に決めたが、内閣参与の小佐古(こさこ)敏荘(としそう)・東京大教授(放射線安全学)が「大人と子どもの基準が同じなのは納得できない」と反発して辞任するなど混乱が続いている。【鈴木梢】
福島県民といわず、日本国民全体にかかわる重要問題です。
そもそも20ミリシーベルトの意味付けが根本から間違っています。
ICRPが勧告している「年間許容量1~20ミリシーベルト」は、安全の基準にならないことは最初から分かっているのです。
放射線被害の予防を考えると放射線量は「可能な限り少ないほど良し」としなければなりません。
しかも、福島原発の炉心溶融が次々と明らかになり、放射能汚染はますます悪化の一途をたどることが考えられるのです。
自然界の放射線量が1ミリシーベルト、医療機関における被曝線量の平均は、一人当たり、男性:0.35ミリシーベルト/年、女性:0.12ミリシーベルト/年です。
それから比べると20ミリシーベルトとは、医療従事者の50倍(女性では160倍)以上にもなるのです!!
こんな危険な基準を文部科学省は、いつまでもしがみついているのか・・・。
その中でも、子供や女性における被曝放射線量も考慮されなければならないのは当然です。
こうした状況の下では、一時も早く20ミリシーベルトを1ミリシーベルへと転換すべきです。
さて、今問題なのは、外的環境の屋外の放射線量なのですが、人体から見た被曝放射線量は、一体どうなのか・・・。
つまり、一人ひとりが受ける放射線量を個別に測定することも必要です。
私たち医療従事者がいつも測定されている「フイルムバッチ」などを住民にも携帯させて、人間の内外から被ばく線量を測定することが必須です。
しかし、それでも日々被曝を受けている「内部被曝」については、除外されています。
したがって、今必要なことは・・・・
1) 地域を疫学的に放射線量を測定すること。しかも、リアルタイムに住民が分かるように、天気予報と同じかそれ以上に丁寧に情報を公開することです。
2) 住民一人ひとりの被曝放射線量を測定、記録すること。
3) 内部被曝を測定できる方法を開発することと同時に、当面全身型の放射能測定器を書く学校や自治体に設置し、誰もがいつでも使用できるようにすることです。
こうして、放射線被曝の状態を住民に正確に情報公開することが大切ではないでしょうか。
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もっと「内部被曝」への認識を高めるべき!!==何の根拠もない「人体に影響なし」のコメント==後まで続く「内部被曝」の影響==
以下、小松梨津子さんを通して提供された矢ヶ崎克馬氏の見解を掲載致します。
昨日、再び、矢ケ崎先生から、メールがきました。小松は、福島県の友達が、県外に出られるようその動きをしていて、今日になったことをお詫びします。
既に,アメリカは、米独自調査で、80キロ圏内は出ろとアメリカ人に指令を出しました。
転載はOKです。矢ケ崎先生のメールも携帯電話もです。矢ケ崎先生は、琉球大学名誉教授で、元工学部長。著書に「隠された被曝」があり、原発労働者の労働災害の弁護団の一員として、科学的根拠を出している方です。劣化ウランについても三つの論文を発表しています。「劣化ウランは何故恐ろしいか」をJSA沖縄リーフレットで発表し、1995,年96年に米軍から1520発の劣化ウラン弾を落とされた沖縄に対して啓発して来た方です。常に国民の為に、自分の科学者としての信念を曲げない方です。この方の話に心を傾けて下さい。小松梨津子
福島原発放射能物質漏れ2 ー内部被曝を重視して対応を!―矢ヶ崎克馬 080-3187-5551 yagasaki888@yahoo.co.jp
内部被曝とは、放射性の埃(放射性降下物)を飲み込んだり吸い込んだりして、身体の中に放射性原子が入ってしまい、身体の中で放射線が発射されて被曝することです。
●広島・長崎の原爆投下後、アメリカは核戦略の要として「核兵器を通常兵器と同じに見せる」ために内部被曝を隠ぺいしました。その方法は総合的で科学的な装いを取り、戦後の被曝線量評価の体系を支配しました。隠ぺい方法は3種類の分野の「科学的」操作からなぁ j$^$9!# (B
●(1)広島・長崎の被爆現場の放射能による環境汚染を極端に過小評価しました(1986年線量評価システム:DS86)(これはインターネットで調べられる小松加筆)
●(2)被爆者の被害から内部被曝の指標を消し去りました(原爆傷害調査委員会:ABCC、放射線影響研究所(方影研))(これもインターネットで調べられる小松加筆)
●(3)上記二つのデータをもとに国際放射線防護委員会(ICRP)の被曝線量評価体系から内部被曝を排除しました。(このICRPがくせものです。小松加筆
●それは同時に、この基準により上記二つ(ICRP国際放射線防護委員会とABCC原爆傷害調査委員会のこと)が、科学の名を語って偽装操作を合理化し、放射線科学の現場から内部被曝を見えなくしたのです。
●困ったことは、このICRP基準はほとんど全世界の医療機関や原子力施設の線量基準となってしまっていることです。
●欧州放射線リスク委員会(ECRR・)(これは、正しい方です)の試算によれば、戦後6400万人もの人が内部被曝により命を落としています。これに対してICRPの基準だと犠牲者数は117万人に減少化できるのです。(これを変えていくことが本質的に大切です。カッコ内小松加筆)
●この差は、何故できるのか。それが、原爆、大気圏核実験、原発等の核施設から出る放射性埃による内部被曝です。
●このように内部被曝の隠ぺいは、「放射線被害を隠すことによって」核抑止論を維持可能のする市民的認識を獲得するために必須でした。
●同時に、内部被曝を認めると原発から漏れ出る放射性物質による犠牲者が多すぎて市民的コンセンサスが得られないのです。
< b>●原発維持にも内部被曝の隠ぺいは必要でした。
●原発は内部被曝を隠蔽してはじめて成り立ちうる商売なのです。安全神話を作った人々は一体いつまで内部被曝を隠ぺいし続けるのでしょう。(この人達がテレビに出ているのです。これを変えていくのも市民の力です。カッコ内小松加筆。)
●チェルノブイリ原発事故があった時、全世界に放射性埃がまき散らされました。
日本でも北日本に放射性物質が降り注ぎました。肥田舜太郎先生(ひだしゅんたろう)は、各県別のセシウム降下量と乳がん死亡者の調査をしました。10年後医学は随分と進歩しましたが、にもかかわらず、10年後の北日本各県の乳癌死亡数は、10万人当たり十数人の死亡増、北日本で婦人は、2000人以上の乳癌死亡増となりました。あくまでも乳癌あくまでも死亡数だけです。
これを全ての癌に敷衍すればいったいどれほどの人が命を失い病苦に苦しんだことでしょう?
●アメリカでも追跡調査がなされてチェルノブイリの埃がアメリカに広く降り注いだ事がモニターされています。
感染症でストレスを持っている人に対しては、放射性降下物は即効的に免疫力を低下させ、命を奪います。最も低下しているエイズの患者さんは1986年の5月の死亡者は前年5月の死亡数の2倍でした。
健康であった人々は、どうであったか。というと、それは、若い人程感受性が高かったのです。25才―34才の年齢層は前年同月の20%増の死亡者を記録しています。
●福島原発の場合は放射性降下物が今後どれほどになるか分からない不気味な状況ですが、チェルノブイリ事故同様な被害がありうることを日本人は覚悟しなければなりません。
●テレビを見ていると、「専門家」の「直ちに人体に影響を与えることはない」という類の弁が続いています。
●科学的に率直な認識を語り、国民の判断を冷静に引き出すことが必要です。政府や「専門家」は、まやかしの安全発言を続けるのではなく、住民の健康管理に責任ある態度を示すべきです。 矢ヶ崎克馬 080-3187-5551 yagasaki888@yahoo.co.jp
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「放射線被害」は小線量「内部被曝」も重要です==各種「専門家」の一面的なコメント==我が国の原発政策の見直しも必要==
命を!
(北海道新聞 3月13日 卓上四季)
これは現実なのか。爆音とともに福島第1原発から白煙が上がる。原子炉内の核燃料棒は溶け、放射性物質がまき散らされた
▼大津波で破壊された街で、圧壊した家の中で、数知れぬ人たちが声を絞り出し、助けが来るのを待っている。持てる力をすべて振り絞ってもなお足りないもどかしさを痛感している私たちの上に、さらに過酷な試練がのしかかっている
▼次々と判明する惨状に、立て続けに起きる惨事に、心が押しつぶされそうになる。原発の周辺住民は目に見えない放射能の恐怖にさらされている。これは紛れもない現実なのだ
▼地震国の原発は巨大な揺れに耐えられるはずではなかったのか。北電泊原発を含め原発の耐震性が厳しく問われよう。エネルギー政策に、暮らし方に問題はなかったか。3・11の大震災は以前と以後で社会の在りようを変えていくかもしれない
▼日本列島の「胸部」にあたる岩手、宮城、福島の沿岸部の町や村は地盤沈下で水面下に沈んだ。著しいひずみの影響なのだろうか、「腰部」の長野や新潟も激しい揺れに襲われた。列島は相貌をゆがめ、悲鳴をあげている
▼医師だろうか。海の孤島のように取り残された病院屋上で白い布を必死に振っていた。足元に「HELP(助けて)」の文字。たじろいではいられない。各国から支援隊が駆けつけている。世界と力を合わせ、救わなければならぬ。命を!================
時間の経過とともに、福島第1原発の事故・被害が拡大しています。
すでに少なくない一般の人々にも「被爆」が及んでいます。
また、我が国初の『炉心溶融』まで起こってしまいました。
1号機に次いで3号機からの事故が報告されています。朝からTVから目を離せられない状況です。
政府や原子力保安院からの会見でも納得できるものではありません。
一方、TV出演しているさまざまな専門家諸氏の中には、首をかしげたくなるようか「意見」を述べることもありました。
1)「今回の「被爆」は、病院での胸部写真2~3枚撮った程度だから心配ない」というOO氏・・・・・。
確かに、被爆がワンショットであればそうかもしれませんが、空気中に浮遊する放射の物質に四六時中さらされているという日常生活実態を全く欠如した「数字遊び」のように思えました。(数字は、毎時間あたりで表されていましたが・・・)
2)「被爆」した放射の物質は、洗浄で除染することができる・・・・・。
そんな問題ではありません。直接被爆と同時に、さらに問題なのは、被爆以降体内に入り込む「内部被曝」ではないでしょうか。これから長期間体内に存在して遺伝子を傷つけ、癌など様々な疾病で人間の体を蝕んでゆくのが放射能傷害なのです。
「外部直接被曝」にせよ「内部間接被爆」にせよ、広島・長崎原爆被害からの教訓に踏まえたとは言えない「軽い専門家」が多いことにはショックでした。
3)「想定外」の事態です・・・・・。
ちょっと待って!!
「想定外」発言が多すぎます。「想定外」などと言わないで、それを「想定内」とするのが専門家の役割ではないでしょうか。
こうしてみると、我が国の「原子力発電計画」は、安全面から見ても根本的な見直しが迫られるかもしれません。
もちろん、犠牲者に哀悼を示し、「ともに助け合おう」と私の心にしみいる呼びかけてくれる専門家も少なくありませんでした。
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アメリカ型「DRG/PPS」近づく?日本型「DPC/PDPS」==「出来高払い」から「定額医療制度」への大きな転換が始まる気配==日本の医療制度の劣化過程を見る思いです==
DPCの包括評価、「継続的・病院ごと」の補正を見直しへ
DPC評価分科会(分科会長=西岡清・横浜市立みなと赤十字病院名誉院長)は12月16日、調整係数により過去の報酬水準を継続的に反映させることで、DPC対象病院の包括部分を補正する従来の仕組みを見直すことで合意した。
一方、調整係数が担う役割のうち、「DPC制度への参加のインセンティブ」については、何らかの形で存続させる方向で一致した。こうした役割をどのような形で引き継ぐかは今後、検討する。西岡分科会長が、年明けに中医協に報告する。
調整係数をめぐっては、今年度以降の診療報酬改定で段階的に廃止されることが決まっている。厚生労働省はこの日の分科会で、「前年度並み収入確保」の機能を廃止する一方、DPC制度への参加を促す役割に関しては存続させる必要があるとの認識を示した。
調整係数は、診断群分類の包括評価による診療報酬が、改定前年の医療費実績と同じになるよう、DPC対象病院ごとに設定する仕組み。DPC制度を円滑に運営する観点から導入されたが、個別のDPC対象病院ごとに、診療報酬改定のたびに継続して設定されるため、DPCに参加する時点での出来高による報酬水準がいつまでも維持されることになる。新たな補正の仕組みは今後、議論する。
厚労省保険局の迫井正深・医療課企画官は、こうした弊害をなくすには、個別のDPC対象病院に着目しない形などに切り替える必要があるとの考えを示した。
■算定制度の呼称は「DPC/PDPS」に
DPC評価分科会ではまた、「診断群分類に基づく1日当たり定額報酬算定制度」として用いる場合の呼称として、「DPC/PDPS」を用いることでも合意した。患者分類としての診断群分類を指す場合には、従来の「DPC」を使用する。
DPCの呼称には、定額報酬算定制度を指す場合と、患者分類を指す場合とが混在し、両者の使い分けを明確にすべきだとの指摘があった。厚労省によると、「DPC」という呼称は本来、後者の意味で作られたという。
これまでのDPCは、調整係数という「ブラックボックス」を駆使して、各病院の過去の報酬水準を「保障」し、全国の多くの病院を「DPC制度」下に吸収してきました。
こうしたやり方は、ある意味病院経営にとって「前年度の報酬」を確保できるアメとして働き、経営の安定を望む人々に受け入れられてきたのです。
当初から、DPCは「定額診療への一里塚」として如何に多くの医療機関、特に急性期医療機関を取り込むかが厚労省・財務省の思惑でした。
こうして、医療費削減を狙う厚労省・財務省ととりあえずの「経営の安定」を願う病院経営者が合体してきたのが日本型定額医療制度であるDPCではなかったでしょうか。
しかし、ここにきてその「調整係数」はずしが課題に挙がり、『必ずしも過去の報酬を保障するものでない』という路線に徐々に軌道修正するとのことです。
いや、「軌道修正」ではなく本来の「出来高払いから低額医療」というそもそもの狙いに向けて「順調」?に厚労省路線が進んでいると見ることができるのではないでしょうか。
これまで、日本のDPCは、アメリカのDRGとは異なると言って、定額医療制度導入への拒否反応を和らげてきました。
しかし、「診断群分類に基づく1日当たり定額報酬算定制度」を「DPC/PDPS」と呼称する事により、アメリカ型の「DRG/PPS」に近ずく気がしてなりません。
中途半端な「定額医療」であるDPCで多くの医療機関を取り込んでおきながら、その見通しがつくと、「完全定額医療制度」へと限りなく近づけているのです。
その結果、国民医療費の増減の主導権を政府・厚労省・財務省が完全に握ることになるのです。
まさに、とりあえずの「経営安定」をエサにされてDPC制度にどっぷりつかりつかった後に、「梯子」をはずされて、「完全定額医療制度」へと追い立てられる日本の医療制度の劣化過程を見せつけられているようでなりません。
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大学自治の大切さなどを訴えた「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」集会
戦後間もない時期の思想弾圧に北大の学生らが抵抗した1950年のイールズ事件から60年を迎えた16日、札幌市北区の北大で市民向けの平和集会が開かれた。
「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」と題した集会には約230人が参加した。
当時の抗議活動で退学処分を受けた世話人会代表の高岡健次郎さん(78)=札幌市=は「事件は学問、思想の自由や大学自治を連合国軍総司令部(GHQ)の介入から守る闘いだった」と意義を強調した。
同じく退学処分を受けた梁田政方さん(82)=東京都=は「大学の公史には講演を妨害したとされているが、妨害はない。大学当局は認識を改めるべきだ」と記述の改善を訴えた。
この事件は、北大で「共産主義教授追放」の講演を行ったGHQの教育顧問W・C・イールズへの抗議活動で、学生10人が大学当局から退学や無期停学などの処分を受けたもので、全国のレッドパージに対する抗議運動の契機となった。
昨日、地元の札幌で、「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」が開催されました。
その内容も、1950年(60年前)の「学問の自由」を守ったイールズ闘争のみならず、60年の日米安保改定反対闘争(50年前)、70年の日米安保廃棄・学園闘争(40年前)など・・・そして、現在の「独立法人化」された大學での問題点などの報告がありました。
報告を聞いて、改めて理解できたこと・・・・。
1)「イールズ闘争」とは、当時の一部の北大生が単に騒いだのではなく、マッカーサー指導された「学問の自由」への侵害にたいして、学生だけでなく、当時の学長をはじめとして文字通り全学的「イールズ講演反対運動」であったこと。
2)その中で退学・停学処分された当時の学生のなかでも復学など「未処置」のままに人がいること。
3)北大125年の「歴史」の中でも、大學当局から不当な「小さい扱い」を受けていること。
4)当時、「退学処分」された学生のその後の誠実な人生が生々しく語られたこと。などが印象的でした。
また、60年安保闘争に関わった当時の北大教養学部学生自治会委員長 森谷尚行氏が「60年安保と今日の課題」を報告。
1) 60年に改定された「日米安保条約」が、実は密約に基づいた「偽の条約」であったこと、そして仮に「安保賛成」でも二国間の条約としては全くその形をなしていないことが指摘されました。
2) その延長線上にある、今の沖縄「普天間基地問題」からしても、「60年安保」の今日的意義も強調されていました。
その後、学生の進歩的な闘いに驚いた政府・文部省からの大學介入が、大學での学生生活や研究条件、大學の管理体制に深刻な矛盾を作り出しました。
そのため、東大医学部、学生退学処分に端を発した、学園民主化運動が瞬く間に全国へ拡がり、70年を中心に「学園紛争」として多くの大學で闘われました。
しかし、ここでも政府・文部省(現文科省)からの介入が凄まじく、学生の自治活動は、勢いを失い、現在では北大であっても「学生自治会」は、崩壊したのも同然なのです。
こうした中で、国立大学の「独立行政化」が施行され、70年代とは全く水準の異なる大學の管理運営強化が図られているのが現状との報告もありました。
大學事務局長は、文科省からの「派遣人事」、しかも大學の理事も兼任し、強大な権限を大學運営に差し込んでいます。
また、大學予算の削減に続く削減、予算の「選択と集中」により「役に立つ?」人材と部署にはゆとりある予算、そうでない部門には予算の締め付け・・・。
学生の奨学金問題や就職活動の「早期化」は、大学生に、「学び、育つ」機会を奪う結果となっています。
叉、大學院生が増加して、在学生の三分の一に及び、「ポスドク」問題がますます深刻になっている実態も語られました。
こうしてみると、本来の「大學の使命」をはたすために、学問と大學のあり方を歴史に遡り、改めて提起してくれたのが今回の「集会」では、なかったでしょうか。
内容の濃い、一日でした。
準備され方、また遠路参加されこれまでの生き様も含めて語ってくれた諸氏に心から感謝です。
そして、参加し発言していた北大文学部の学生に期待をこめて・・・・。
北大「イールズ事件」から58年 「民主、反戦、自由」に青春 (2008/06/10 北海道新聞)
連合国軍総司令部(GHQ)の教育顧問W・C・イールズが、北大で行った「共産主義教授追放」の講演会をきっかけに、抗議運動が広がった「イールズ事件」から今年で五十八年。運動を支えた男女三十人が六日、事件後初めて、母校に集まった。「民主、反戦、自由」に青春を燃やした元北大生たちは、五十八年目の「同窓会」に何を思うのか。(佐藤千歳)
「共産主義教授」追放演説に抗議 元学生 母校で初の“同窓会”
「運動に、いささかでもかかわった人であれば、その程度、以後の歩みのいかんを問わず、あの純粋な日々を共にしたことがあるという一点で、誰でも等しく迎える」-。
六日の集まりに向け、仲間に送られた呼びかけ文書である。中野徹三さん(77)=札幌市中央区=や、桂川良伸さん(76)=同北区=ら、道内在住の七人がまとめた。
イールズ事件後、仲間たちは、別々の道を歩いた。高校教師、弁護士、日本共産党の元幹部もいれば、自民党の元国会議員もいた。今回、札幌に集まった三十人は、「イールズ事件に怒り、立ち上がった」というその一点だけで結びつく。
鬼籍に入った仲間も多い。つえをついて、病気をおして、札幌に集まった仲間を見渡しながら、元教師の森谷長能さん=札幌市厚別区=は「ひどい青春だったけど、新しい時代をつくる希望があった。当時の思いは、今も私たちの中に残っている」とうなずいた。
ひどい青春-。「深刻な食糧不足で、昼時には海藻でつくっためんを求める学生の長い列が食堂前にできた」。事件当時、北海道学生自治会連合会(道学連)委員長だった梁田政方さん(80)=札幌出身=は、現在のクラーク会館のあたりを指さす。
事件の十カ月前には、北大を視察に訪れた文部大臣に学生らが石炭不足を直訴、乱闘騒ぎになった「高瀬文相事件」が起きた。
それでも、全浩天(チョンホチョン)さん(76)=函館出身=は、「食うや食わずでも、三度の飯よりイールズ闘争に関心があった」と話す。
イールズの講演会から一カ月あまり過ぎた六月下旬。講演を妨害したとして、梁田さんら十人の処分が発表された。すぐ、反対運動が、道内の鉄道労組や炭鉱労組に広がった。
「田舎から出てきた私が、初めて政治に目覚めたのがイールズ闘争。大学の枠を超えて集まって、学問の自由と自治を訴えた。イールズ闘争は私たちの学校でした」
だが、学生の処分は、覆らなかった。
翌一九五一年、サンフランシスコ講和条約締結。西側陣営に組み込まれた日本は、再軍備を行い、経済復興の道を進んだ。イールズ事件は、「暗い谷間」とされる七年の占領時代とともに、忘れられようとしている。
「世の中はひっくり返せなかったけど、自分の中では何かが変わった」。理学部自治委員だった和気和民さん(80)=札幌市中央区=が言う。「新憲法はできたけど、それだけでは自由も平和も守れない。自分で考えて行動するのが基本だと考えるきっかけが、イールズ闘争だった」
六日午前。雨にぬれた新緑がつややかに輝く北大構内を、三十人でそぞろ歩いた。
イールズの講演会当日、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・イールズ」のビラが一面に張られたという正門から中央講堂への道。
「ナマズ問答だっけ? 傑作だったな」と誰かが言うと、「ナマズじゃなくてウナギ」と笑いながら歩く。イールズと北大の教授が行った公開討論のことだ。「ウナギ」問答は、イールズの名前と、英語でウナギを意味する「イール」をかけたしゃれ。
公開討論でイールズは、「ソ連では将来、2+2=5になると言われている。共産主義下では、数学すら真理たり得ない」と断じた。これに理学部の宮原将平教授(当時)が「2+2=5がソ連の数学なら、原爆も飛行機もできない。米国は、ソ連の侵略の心配がなくなるから、日本に軍事基地を置く必要もない」と切りかえし、満座の学生から大拍手が起きた。
結城千草さん(76)=さいたま市=は、北大の女子学生二期生。入学後まもなく、問答を聞いた。「イールズは何言ってるのかよく分からなかったけど、みんなで集まって面白くって。懐かしいわね」。目を輝かせた。
イールズが講演した中央講堂も、抗議する学生がつめかけた大学本部も、今はない。散策を終え、三十人は大学本部の跡地に近いレストランに集まった。
「イールズ闘争は、まだ終わっていない。現在、戦争放棄を柱とした憲法九条の改定に焦点が置かれている。イールズ闘争にみられる北大の民主の伝統は、今の世の中で必ずや必要になる」。事件で退学処分となり、労働運動に身を投じた梁田氏があいさつした。
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