“レーザーレーサー”と“サメ肌水着”==問われル競技の公平性==国際水連(FINA)の出番==
競技スポーツと“用具(マテリアル)”の関連は複雑です。水泳に限らず、多くのスポーツでは、使用される“用具“によってそのパフォーマンスの成果は大きく変わってきます。
逆に言うと、“用具”の開発でパフォーマンスの技術そのものが変化・発展してきます。
スキーやスケートは言うに及ばず、陸上競技のスパイク、野球のグラブやバット、テニスやゴルフの用具などは、私達も良く経験するところです。
今回問題になっているSPEEDO社による“レーザーレーサー”水着に対しては、記録出現に惑わされず、冷静に考える事が大切ではないでしょうか。
“レーザーレーサー”水着には、二つの特徴があります。ひとつは、体を締め付ける事により体の凹凸や筋肉、皮膚の振動を減らし水の抵抗が少ない姿勢を保つ機能を高めてあります。
これは、最近流行している“スポーツアンダーウエア”と共通しているところがあります。
これらは、筋肉を体外からサポートし、また筋肉疲労を減少させる働きのあることが表面筋電図なども駆使した実験をもとに作成されています。
もう一つの特徴は、胸や臀部などの出っぱった部位にポリウレタン製のパネルを配置していることです。
これが、北島康介選手が言う「体の浮く感じ」を導き出しているものと思われます。現在の水泳競技に使用するには大きな疑問を感じるところです。
前者の「筋肉サポート」はすでに多くの他の種目で認められているのですが、後者の「浮く水着」については、その基準自体が不明朗なのです。
200年シドニー五輪で使用された「サメ肌水着」は、その時生まれた15個の金メダルのうち13個の金メダル獲得選手に使用されていました。
しかし、五輪が終わってまもなくその水着は使用禁止となりました. こうした経過を見ると、開催まで短時間に迫った北京五輪では、“レーザーレーサー”水着の使用を禁止して、国際水連(FINA)のもとでそれが競技水泳での使用が妥当なものか否か検証すべきではないでしょうか。
単に記録をあらそう競技水泳としてだけでなく、オリンピックはメダルをあらそうと言う特別な側面のある大会です。参加するすべての選手が公平な条件で戦うことが、フェアープレーの最低条件となるからです。
ここでは、国際水連(FINA)の公明正大なフェアープレーが試されています。
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道内の地域医療に携わる人材の育成を目指し、道教委は、北大と札幌医大、旭川医大の三大学と「連携協力協定」を五月下旬に締結する。医学部受験を支援する道教委の「医進類型指定校」事業に三大学が協力し、指定校の高校生らに対し、各大学の医師や現役医大生が指導をしたり、医学生体験に協力する。
道教委は本年度から函館中部や北見北斗、釧路湖陵など地方都市の道立高九校を医進類型指定校とし、教員を一-二人追加配置。英語、数学、理科の授業増や少人数指導を行っている。
さらに、医学部受験へのやる気を引き出すため《1》医療機関や医大の見学や医師による講演、出前講座《2》医学実験など医学生体験や現役医学部生による受験指導など三泊四日のメディカルキャンプ-などを計画。医学部を持つ道内三国公立大に協力を要請していた。
大学側はこれまでも単発的な医師の出前講座などは行ってきたが、「医学生にも協力を求めるなど医大側の長期、包括的な協力が必要」(道教委)なため、連携協力協定を結ぶことにした。
五月下旬に予定する調印式には、吉田洋一道教育長のほか札医大と旭医大の両学長、北大医学部長が参加する方向で調整している。
北海道では、本年度から医学部受験を支援する道教委の「医進類型指定校」事業が動き出しています。
札幌以外の地方都市の9カ所の道立高校を選抜して、「医進類型指定校」とし、医学部受験・合格のために、教員を増員したり、特別授業を組むと言うものです。
私は、こうしたやり方に「異議あり!!」なのです。
1) 何故、医師というひとつの職業のために、公立高校が特別体制をとるのでしょうか。明らかに、他分野の職業からすれば特別扱いではないでしょうか、。少なくとも社会の共通した「常識」としてあるべき「どんな職業にも貴賎はない」をまず、学校教育で実践すべきなのです。
2) 15才の高校入学段階で、「将来の医師」を決める事はいかがなものでしょうか。今でも、「将来、医師になりたい」という希望する子供たちは大勢います。しかし、それは、あくまでも希望であって、ある特別な枠内にそうした生徒を押し込んでしまい、そうすることによって、「希望」から「強制」になる可能性はないのでしょうか。あくまでも高校入学段階では、かずある「希望」のひとつとすべきでしょう。
3) 同じ高校内での「医進特別扱い」により、「歪んだエリート意識」が育ってゆかないかと言うのも危惧されます。逆に、当初は他分野にいる優秀な生徒に医師への道を狭めることにもなります。私が、望む「若手医師」への第一の希望は、一般常識をわきまえた人、「医師」である前に、他者の痛みを共有できる人間なのです。
4) こうした方法をとると、自ずと「受験競争に拍車」をかけることになります。「医進類型指定校」に入学するためには、それなりの準備が必要です。つまり「指定校」へ入学しやすい中学校が選ばれてきます。これは、明らかに「受験戦争」の先鋭化を誘発するものです。
5) さらに危惧されるのが、医学部入試における「地域枠」との連動です。来年度の旭川医科大学の「地域枠」は、50%を超えるとも言われています。もし、そのほとんどが「医進類型指定校」出身学生だとすると、「地域枠合格」者は、高校時代の成績や行動が合否に影響するかもしれません。
6) 「大学好みの学生」が入学試験も受けずに推薦だけで、しかも北海道という官制の敷いたレールに乗った学生が作り出されてくるのです。入学後は、留年しないように、国家試験に必ず合格するように叱咤激励されながらの学生生活が待っています。これでは、「大学医学部」と言うよりは、「医学専門学校」のたぐいに落とし込められるのかもしれません。(考え過ぎか??)
7) しかも、「地域枠推薦入学」の条件は、卒後の研修先を大学の指定する研修病院に限るという「誓約書」記入の上となると、卒後の進路まで制限されてくる可能性があります。もし、それに違反すると・・・・出身高校への「地域枠推薦入学」へのペナルティーも囁かれている始末です。
8)さて、そもそも地方の医師不足対策からこうした「医進類型指定校」制度が実施されるのであれば、根本的な対策は、医療費削減政策をやめ、全国に医学部定員を大幅に増加させる政策が王道ではないでしょうか。
9)最後に、地方の高校をターゲットにした「医進類型指定校」制度と「地域枠推薦入学」のドッキングは、実は、政府・厚労省、文科省の作ったシナリオのような気がしてなりません。過疎医療に悶え苦しむ北海道を実験場に、政府・文科省の描く医師を作り出す医育機関を作り出そうとしているように思えます。ちょうど、夕張が過疎の自治体の実験的崩壊を経験したようにです。
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「事故調第3次試案」に対して、多方面から異議が唱えられています。
今回は、法律の専門家である河上和雄弁護士が、インタビューに答えて問題点を明快に指摘していました。
弁護士(医療と法律研究協会副協会長)・河上和雄氏に聞く 警察はあくまで医療事故を独自に調査“事故調”第三次試案に異議、厚労省の権限強化にすぎず 橋本佳子(m3.com編集長)
先週、厚生労働省は医療事故の原因究明などを行う第三者機関の創設に向けた「第三次試案」をまとめた。医療関係者が注目している第三者機関と刑事手続について、同試案では「新たな仕組みでは、警察・検察が専門的な調査を尊重する仕組みになる」と強調する。だが、東京地検特捜部長・最高検公判部長を歴任し、現在は弁護士の河上和雄氏は、「これは法律を無視したものであり、到底受け入れられない」と問題視する。(2008年4月7日にインタビュー)
――最も医師が懸念しているのは、医療安全調査委員会と刑事手続の関係ですが、この点について問題があると。
厚生労働省の医療安全調査委員会(以下、調査委員会)の議論自体には、法務省も警察庁も関与はしていますが、十分に詰め切れていません。第三次試案では、調査委員会がまず医療事故の調査を一括して行い、故意などの事例は警察に通知し、そこから捜査が始まるという仕組みを想定していますが、果たして警察や検察は了解しているのでしょうか。
こうした仕組みを作るためには、刑事訴訟法の改正が必要ですが、第三次試案では触れることができなかったのでしょう。刑事訴訟法上では、警察や検察が捜査権を持つと定めています。第三次試案では、調査委員会の通知がないと捜査ができないような書き方をしていますが、これは法律を無視するものであり、到底受け入れられないでしょう。
――第三次試案では、「別紙3」という形で刑事手続との関係を補足説明しています。「捜査機関は謙抑的に対応する」「刑事手続については、委員会の専門的な判断を尊重しつつ対応」などと書かれています。
謙抑的に対応するのは当たり前の話です。また、警察・検察が捜査を進めるにしても、調査委員会の意見を尊重することは考えられます。ただそれは、どれほど信頼できる組織を作るかにかかっています。これまでは医師同士のかばい合いなども見られたわけです。本当に信頼できる権威のある組織を早急に作ることができれば、いずれは厚労省が考えたように、警察・検察がその調査結果を尊重する時期が来るかもしれません。さもなければ、全然相手にしないことになります。
――調査委員会の調査結果が信頼できる意見であるかどうかは、実績の積み重ねで判断するのでしょうか。
そうだと思います。ただし、それまでの間に、医師や医療者が何らかの問題を起こすと、捜査機関はそれを放置していいのかということになります。結局、捜査機関は独自に動くわけです。
さらに第三次試案では、遺族が告訴した場合にも、「警察は、調査委員会の専門的な判断を尊重し、調査結果や委員会からの通知の有無を十分に踏まえて対応することが考えられる」としていますが、「考えられる」だけであって、「考えられない」場合もあるわけです。
要するに前述のように、厚労省は警察や検察と議論はしたのでしょうが、それが第三次試案に全然入ってきていないのです。
――それはどの辺りから読み取れるのでしょうか。もう少し教えてください。
この第三次試案は、医師の故意や過失に基づいて、患者の死亡もしくはそれに近い医療事故が起きた場合に、厚労省は「今後の医学の発展のために」という大義名分を掲げて死因の調査を行うというものです。しかし、故意などを犯した医師について、その責任を追及する姿勢が全然ありません。「俺たちに任せろ、われわれの調査結果を見て、俺たちが言ったことだけを捜査しろ」という書き方をしていますが、前述の通り、刑事訴訟法を改正しない限り、それはあり得ません。
――第三次試案では冒頭に「調査委員会は、責任追及を目的としたものではない」と掲げています。
それは当然の話です。厚労省には、責任追及、つまり刑事罰や民事罰を課す権限がないからです。法体系を変えない限り、あり得ないことを、あり得るように書いているのは、非常にミスリードさせるものではないでしょうか。
行政処分にしても、「現在、医師法等に基づく処分の大部分は、刑事処分が確定した後に、刑事処分の量刑を参考に実施されているが、委員会の調査による速やかな原因究明により、医療事故については、医療の安全の向上を目的とし、刑事処分の有無や量刑にかかわらず、医療機関に対する医療安全に関する改善命令等が必要に応じて行われることとなる。行政処分は、刑事処分が確定した後に、刑事処分の量刑を参考に実施されているが」とあります(別紙3)。
厚労省は行政処分の独自の権限があるにもかかわらず、今まで実施してこなかったこと自体をまず問題視すべきです。調査委員会を作ったからといって、厚労省が新たにできるようになるのでしょうか。
――刑事処分はどう適用すべきだとお考えですか。
医師や医療関係者から刑事罰から解放して、医学の発展のために医療事故の原因究明などを行う。そういう考え方を進めていくと、医師や医療関係者が何をしようと、犯罪にはならないことになります。しかし、それでは世論の支持は受けられません。特に医療過誤で家族を亡くした遺族にとっては納得できないわけで、あり得ないことです。
厚労省が医学的な観点から調査などを行い、医療事故を客観的に評価して、医療の透明性を確保する、それは結構なことです。しかし、刑事責任や民事責任を追及するのは別の話で、厚労省の仕事ではありません。
――それでは先生は第三次試案をどう見ているのでしょうか。
厚労省が医師の立場に立つことは必要でしょう。それはいいのですが、医師の立場に立ち、刑事罰や民事罰から医師をできるだけ遠ざける、調査委員会が一手に引き受けるという形で厚労省の権限を強化する方向性を出したのが第三次試案だと思っています。それも法律を無視して、厚労省の力が及ばない警察・検察に対して、調査委員会の言うことを聞かなければならいないとしています。
第三次試案の「おわりに」の部分に、「本制度の確実かつ円滑な実施には、医療関係者の主体的かつ積極的な関与が不可欠となる」とあります。この試案は、関係省庁の権限を奪う内容なのですから、「厚生労働省の広い視野からの検討と、関係省庁との十分な連絡が必要」と書くべきです。けれども、こうした観点が欠如しています。
――そのほか、第三次試案の問題点があればお教えください。
遺族のことにほとんど言及していないのも問題です。例えば、「解剖や診療経過の評価を通じて事故の原因を究明し、再発防止に役立てていく仕組みが必要である」とあります。医師と遺族が全く異なる話をすることは多々あります。医学的に調査するならば、医師の一方的な言い分だけはなく、遺族からも話を聞くべきでしょう。
そのほか、医療事故の届け出範囲を明確化するとありますが、果たして明確化できるのでしょうか。さらに、死亡事故ばかりを想定しているのですが、身体障害を伴う事故も当然考えなくてはいけないのではないでしょうか。(異状死の届け出を定めた)医師法第21条を中心に考えているから、このような案になったのだと思います。
――現行制度についてお伺いします。「医療に詳しくない警察が捜査する」などと問題視する声が多いのも事実です。
確かに医師法第21条の届け出先は、警察の刑事課にしているので、初めから「犯罪か」という見方をせざるを得ない現在の仕組みは問題だと思います。いきなり「犯罪だ、捜査だ」というのではなく、届け出に客観性を持たせるために、犯罪捜査を目的としない組織がまず受ける。そして警察は、調査委員会の意見を参考にしたり、警察が独自に抱えている医師の意見、さらには遺族の意見などを幅広く聞いて、捜査に入るか否かを決めるといった仕組みがいいのではないでしょうか。
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大学院の博士課程を修了してくる人は、年間約16000人です。しかし、なんらかの形で就職出来るのは、ほぼ半数といわれています。
その他の「博士」は、「高学歴難民」と言われ、場合によっては専門学校の時間講師で生活費を稼がざるを得ない状態になってしまいます。
一方で、研究者をめざして短期契約の非常勤研究員「ポストドクター」(ポスドク)や大学の非常勤講師についてもその後の将来は保障されていません。
文科省の調査によるとポスドク(15000人)の4割は社会保険に加入していません。
また、大学の非常勤講師を専業にする人(25000人)の4割が年収250万円以下で、社会保険の加入は1割以下です。
こうした、不安定のままの「博士」が大幅に生み出された背景には、国の科学技術政策がありました。
1990年代に大学院の倍増計画を推し進めながら、大学教員の枠を抑制してきた結果なのです。
独立法人化させられた国立大学は、大学の運営交付金を一律に1%カットされたり、人件費の5%削減が押しつけられてきました。
そもそも我が国の高等教育費はGDP比0.5%で、OECD加盟国(30ヶ国)中、最下位なのです。
さて、日本の臨床医学の発展にも黄色信号が灯りつつあります。
勤務医・開業医がこれ以上過酷な労働条件に置かれると、日常診療の中での臨床医学の研究にも時間をかけることができなくなって当たり前です。
このように、『高学歴難民』問題と、医師の過酷な労働条件は、科学や医学研究の発展という側面から共通するところがあります。
その根本には、医療や社会保障、教育や科学研究へ十分な予算を配置しない我が国の政治のあり方が反映しているのではないでしょうか。
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昨日、原爆関連のNKHのふたつの番組を観ました。ともに、核廃絶と平和への思いを確かなものにする、内容の深いものでした。
『吉永小百合・言葉で平和を紡ぎたい』は、以前から続けられてきた吉永さんの「原爆詩の朗読」をその出発点から紹介してくれました。
吉永さんが、出演した映画「ひめゆりの塔」で受けた感慨とその時点での不消化が、原爆と平和問題への関わりを動機づけた事も分かりました。
その後の、TVドラマ「夢千代日記」も吉永さんを原爆問題へ近づけたとのことでした。
吉永さんが、「朗読」を継続する中で、それに参加した若者が吉永さんの影響を受けて、今度は、自分の心で、さらに若い人々や子供達に、原爆と平和の心を伝えていく姿に深く胸を打たれました。
6月に東京で行われた朗読会で、野坂昭如作の戦争童話「ウミガメと少年」への挑戦は、これからの『吉永平和朗読会』が原爆から平和問題へとさらに新しい段階に発展してゆく可能性を感じました。
もう一つは、「原爆のせいじゃなかとですか」です。小学2年生で長崎市の隣町で被爆した森内実さん(70才)が、肝炎や癌に苦しみながら「原爆症認定訴訟」に立ち上がっている事を伝えてました。
番組は、その森内さんの思いと行動を軸に、原爆被害のなかでも今まであまり解明されていなかった『入市被爆者』と『残留放射能』のへの警告を発していました。
長崎大学医学部、病理学教室関根教授や放射線生物学教室の鈴木準教授が、生体被爆の実態と体内被曝が起こす染色体異常のメカニズムを分かりやすく解説してくれました。先生方の地道な研究に頭の下がる思いでした。
しかし、国の原爆症認定基準は、「DS86」(Dosimetoric System 1986)と言う米国ネバダ州での核実験の際の土壌内放射線量のみを基準にしているもので、実際の被爆とは、彼離れていることも告発していました。
さて、国は原爆訴訟で6回続けて敗訴しています。
7月末に出された、熊本地裁の判決にも、昨日(8月9日)、控訴の手続きをとりました。
安倍首相は、今年の広島・長崎で「原爆症基準を見直す。被爆者対策を充実させる」などと語っています。
もし、そうだとするならば、6つの地裁判決を受け入れ、控訴を取り下げるべきではないでしょうか。
昨日の、熊本地裁での国の控訴は、安倍首相の「二枚舌」のなせる技です。
これらの番組は、必ず再放送があります、お見逃しの方は、是非ご覧下さい。
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6月19日、朝日新聞の文化欄に書かれている「定義集」で大江健三郎さんが「アマチュア知識人の大切さ」について述べています。
正確を期すために、少し長くなりますがそのまま引用いたします。
「ロシア・ポーランド文学の研究で世界的な友人から東大教養学部の学生の、文学部へ進学する数がじり貧なので、どのような志望を抱いてフランス文学科に入ったか話してもらいたい、と依頼がありました。
私は、高校2年で読んだ本の著者の教室へ行こう、と希望しただけなので、強いて言えば「知識人になるたに」めだった、という講演をしたのです。(記録は『すばる』8月号)、先生や友人の話に熱中して、寄せられた質問に答える時間をなくしました。
遅ればせながら、その幾つかに答えます。
1,あなたは、老年ですがどんな年金をうけていますか? と言う時事的なトピックのものから。
同業者に文化功労者や芸術院会員の、また同級生に大学教授を勤め上げて、年金を受けている人はいますが、私はありません。
長男の「心身障害者扶養年金」へ240回払い込みましたが、石原都政が制度を廃止したので私らの死後彼にも年金はあたりません。
2,大学の理学部他での専門研究を発展させて、その成果をあげ、政府・企業に『取り込まれる』立場にもなった専門家たちに、あなたは冷淡な様でしたが、この国に(世界にさえ)経済的発展をもたらしたのは、彼らではありませんか?
そういう人たちにも、また自立して陽の当たらぬ場所で力をつくしていられる専門家たちにも、私は、敬意を持っています。
国や大学が専門家の要請に資金を投ずるのにも賛成です。
私が強調したのは、エドワード・サイードの意見ですが、最先端から地道なものまで、専門の研究と日々の実績を重ねた後、社会の現状と進み行きに憂慮する者として、それぞれの専門から踏み出して協働する人たち(アマチュアとしての知識人)の大切さです。
かれらは実力と勇気をそなえた批判者で、時に政府・企業とも対立します。
私は、原爆被害者の医療に長年従事され、欧米でもよく知られている、核廃絶の理論家の老医師の方に、憲法「九条の会」の集まりで偶然お会いした感銘を忘れません。
・・・・・・・(中略)・・・・・・・
教育基本法が改訂された時、この勢いに乗って、政府・企業に「取り込まれる」タイプの専門家たちが(かならずしも教育の専門家でなくとも)強い声を発し始めるはず、と思いました。
そこで私は子供のための薄い本の一冊に、教育のアマチュアであることを自覚した上での、批判的な呼びかけを書き込もうと思っています。」
これと同じような事が、2年前の日本整形外科学会総会の記念講演でお話された、大江さんの言葉の中にありました。
出席された多くの整形外科の諸先生に、「自分の専門以外に、つまり医学・医療と言う専門分野以外でも、社会参加すべきではありませんか?」と語ってくれました。
恥ずかしくも、初めて直接、聴いた大江さんの講演と言う気持の高揚もあり、私の胸に深く刻まれた言葉でした。
「本当の知識人とは何か。それは、アマチュアになって社会参加することである」と・・・・
そうしたアマチュアになることのできる自信は、今の自分にはありませんが、少しでもそれに近づくことができるように努力したいと思っています。
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5月28日3時7分配信 毎日新聞
人口1000人当たりの日本の医師数が、2020年には経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中最下位に転落する恐れがあることが、近藤克則・日本福祉大教授(社会疫学)の試算で分かった。より下位の韓国など3カ国の増加率が日本を大きく上回るためだ。日本各地で深刻化する医師不足について、国は「医師の地域偏在が原因で、全体としては足りている」との姿勢だが、国際水準から懸け離れた医師数の少なさが浮かんだ。 OECDによると、診療に従事する03年の日本の医師数(診療医師数)は人口1000人あたり2人。OECD平均の2.9人に遠く及ばず、加盟国中27位の少なさで、▽韓国1.6人▽メキシコ1.5人▽トルコ1.4人――の3カ国を上回っているにすぎない。 一方、診療医師数の年平均増加率(90~03年)はメキシコ3.2%、トルコ3.5%、韓国は5.5%に達する。日本は1.26%と大幅に低く、OECD各国中でも最低レベルにとどまる。各国とも医療の高度化や高齢化に対応して医師数を伸ばしているが、日本は「医師が過剰になる」として、養成数を抑制する政策を続けているためだ。 近藤教授は、現状の増加率が続くと仮定し、人口1000人あたりの診療医師数の変化を試算した。09年に韓国に抜かれ、19年にメキシコ、20年にはトルコにも抜かれるとの結果になった。30年には韓国6.79人、メキシコ3.51人、トルコ3.54人になるが、日本は2.80人で、20年以上たっても現在のOECD平均にすら届かない。 近藤教授は「OECDは『医療費を低く抑えると、医療の質の低下を招き、人材確保も困難になる』と指摘している。政府は医療費を抑えるため、医師数を抑え続けてきたが、もう限界だ。少ない医師数でやれるというなら、根拠や戦略を示すべきだ」と批判している。【鯨岡秀紀】 日本の将来の医師数について、近藤克則日本福祉大学教授からの「予測値」が出されました。 これまで、OECD 30国中の人口比医師数の比較で「日本は、下位に位置している・・・」等と行って来ました。 しかし、これからは、「日本の医師数は、最下位になる可能性が大です」と言わなければなりません。 時間の経過とともに、我が国の「医師不足」は、厳しい断崖絶壁に立たされてしまったのです。 この原因は、勿論、政府・厚労省が立脚している「医師過剰論」と彼らが推進している「医療費抑制政策」であることは、誰の目から見ても明らかです。 ただ、厚労省の「口には出さないもくろみ」は、将来の「病床削減」の結果として「医師は充足する」という事ではないでしょうか。 OECD 30国中の人口比医師数が、最下位に落ちもうとしている今、政府・厚労省は、「医師偏在論」から脱却し、「医師数抑制を決めた、閣議決定」を一日も早く撤回すべきです。 |
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