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100歳超す高齢者、新たに3人所在不明 東京
201083日 朝日新聞)
高齢者が長年所在不明になっていたことが東京都内で相次いで明らかになった問題で、八王子市で102歳、荒川区で108歳と103歳のいずれも男性3人の所在が確認できなくなっていることが3日、新たにわかった。 
 八王子市によると、同市の102歳の男性は8年前から所在がわからなくなっている。市は100歳を迎えた住民宅を訪問して記念品を贈っているが、2007年の8月末にこの男性が健在であることを確認しようとしたところ、民生委員から「いないのではないか」と連絡があった。
  同居していることになっている息子の妻(63)も「2002年ごろからいなくなっていて、どこにいるかわからない」などと話したという。08年8月に改めて職員が訪問したが、やはり所在はわからなかったという。
  荒川区に住民登録されている108歳と103歳の男性は、いずれも外国籍。2人とも、少なくともここ3年は連絡が取れていないという。いずれも住民票上では同居の家族がいるはずだが、家族にも連絡が取れない状態だという。
  同区は長寿の記念品を贈っているが、この2人については過去に贈った記録がないという。=========================================================大阪2児遺体事件 虐待通報、出動したが実態つかめず
201081 朝日新聞)
 大阪市西区のマンションで、母親による育児放棄の末、幼い姉弟が亡くなった事件。児童相談所(児相)は家庭訪問を繰り返したが、姉弟や母親に会えないまま悲劇を迎えた。対応に問題はなかったのか。
  厚生労働省の指針では、原則として児童相談所職員が虐待情報を受けてから、子どもの安全確認をするのは48時間以内とされている。この「48時間ルール」は守られたのか。 
 児童相談所の大阪市こども相談センターは3~5月に3回、同じ近隣住民から「子どもが泣いている」との通報を受け、職員が現場マンションに足を運んだ。通報を受けてから約10~約30時間後だった。
  最初の通報は3月30日午前9時半ごろ。「夜中の2時や3時に『ママー、ママー』と長時間叫んでいる。母親が子どもを置いて働きに出ているのではないか」。玄関のインターホンのスイッチが入った状態で、スピーカーから泣き声と母親を呼ぶ声が漏れてくるという。
  センターは西区役所にこの部屋で住民登録している人を照会。しかし、登録者はいなかった。センター職員は31日午後3時、インターホンを鳴らしたが応答はなかった。センターでは、不在の場合は違う時間帯に再訪問することにしており、4月1日午前10時、2日午後6時にもマンションを訪れたが、いずれもインターホンに反応はなかった。
  2回目と3回目の通報を受けた訪問でも、インターホンを鳴らしたが、応答はなかった。職員は手紙を残し、立ち去った。
  厚労省の指針は安全確認について「子どもを直接、目で確認することを基本とする」と定めている。また、通報者の情報だけで事実関係が分からない場合は「近隣などと密接な連絡をとるなど、情報収集に努める」としている。今回、職員は通報後48時間以内に現場に行った。だが、結局、子どもの安全を確認できず、近隣住民から情報を集めることもしなかった。 
 センターの市村好弘・相談支援課長は「近隣への聞き込みをすれば、通報された親と近所との関係が崩れてしまうことがある」と説明する。センターは保護者も子どもも特定できず、立ち入り調査など次のステップに進めなかった。「手詰まり」(市村課長)状態となり、通報や手紙への返答もなかったため5月18日の訪問が最後になった。
  関西学院大の才村純教授(児童福祉論)は「安全確認の努力は認めるが、甘かったと言われても仕方ない。児童虐待防止法にも『近隣住民の協力を得つつ安全確認をする』とある。住民に状況を聞けば、手がかりを得られたかもしれない。通報があったことを伏せて聞き込みをすることもできる。安全確認の方法を再検討する必要がある」と指摘する。===========================
 超高齢者の所在の確認も大阪2児遺体事件の幼児虐待発見も共通した問題が含まれていないでしょうか。
 超高齢者の確認は、実際上行政のほうからは正確になされてこなかったのが実態です。
 これまで、行政の側から一方的に「敬老のお祝い」などを届け、断られると正確な確認がないままに翌年に繰り越していたのでしょう。
 ここには、行政が高齢者に対面して「お祝いを届ける」という心のこもった対応からは程遠い姿が想像されてしまいます。
 一方、「2児遺体事件」は、育児放棄した母親の責任は問われなければならないと同時に、住民からの通報で5回も訪問しているにもかかわらず、虐待死を防ぐことはできませんでした。
 ここにも行政の側が、とことん虐待死を防ぐという姿勢の欠如を指摘せざるを得ません。
 もちろん、双方とも現場でそれらに対応する職員が圧倒的に不足している現状もあります。
 こうした、行政の「量と質」を早急に正さなければ、同様のことがこれからも頻発することが避けられません。
 同時に、家族や地域の中での「人間同士の絆」が急速に薄れているのがそれらの基礎にあることが危惧されます
 家族関係の崩壊で、「自分の親の消息や居所がわからない」「簡単に育児放棄に走る・・・それを家族の中での助け合いもできない」状態が顕在化しています。
 また、地域の崩壊で、「地域での人間同士の交流がなくなり」「隣の人の存在」さえ判らない、いや、わからなくても生活に支障をきたさないのが多くの地域の姿なのかもしれません。
 それにしても、行政の怠慢さと地域・家族の崩壊が急速に進んでいることに日本社会の危機の深刻さを感じてなりません。

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小林多喜二の元恋人、田口タキさん死去 102歳

20091212日 朝日新聞)

 「蟹工船」などで知られるプロレタリア文学作家・小林多喜二(1903~33)が愛し続けた女性として知られる田口タキさんが6月19日、横浜市の自宅で亡くなっていたことが分かった。多喜二ゆかりの北海道小樽市立小樽文学館にタキさんの親族から連絡があった。102歳で、老衰とみられる。

  多喜二は24年から6年間、当時の北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。市内の飲食店で働いていたタキさんと知り合い、自宅に住まわせたが、タキさんは自活の道を選んで27年、行方を告げずに小樽を去った。

  多喜二は代表作を発表して上京したが、治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕された。その後、33年にタキさんを訪ねたが会えず、再び逮捕されて築地署で拷問を受け、同年2月20日に死亡した。

 多喜二はタキさんに何通も手紙を書いており、「闇があるから光がある」という一節は有名だ。タキさんは多喜二に結婚を申し込まれたが、愛しながらも身をひいたとされ、戦後に別の男性と結婚した。

­­­­­­小説「蟹工船」で有名なプロレタリア作家、小林多喜二の愛した田口タキさんがひっそりとこの世を去りました。

享年103歳・・・・・まるで30歳で戦前の警察権力の拷問で不本意な死を強いられた多喜二の分まで生き抜いたかのようでした。

多喜二とタキさんの短くも、豊かないたわりあいは、多喜二をめぐる厳しい時代の中でも『人間多喜二』を理解するうえで大変貴重な事実を提示しています。

その内容は、最近岩波文庫から出された荻野富士夫編「小林多喜二の手紙」の中で明らかにされています。

【文庫】『小林多喜二の手紙』荻野富士夫編

2009.11.29  産経ニュース)

小林多喜の手紙』荻野富夫編(岩波文庫・987円) 大不況により貧困が急増した昨年、代表作『蟹工』がときならぬベストセラーとなり、改めて注目が集まるプロレタリア作小林多喜。友人や同志らにあてた獄中書簡を中心に、田口タキへの恋文など159通が収録されている

来年の213日(土)の午後、多喜二研究で活躍されているアメリカ・シカゴ大学教授のノーマ・フィールド氏が、札幌で講演されることになりました。

その時々の社会的課題を反映させて語るノーマ・フィールド先生が、「政権交代」後にもかかわらず、迷走気味の沖縄・普天間問題を絡めながら、どのように多喜二を登場させるのか今からワクワクしています・

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加藤和彦さんの「死」==「誰かのために」・・・を求めるのは、酷なことか?==人は、誰かのために生きるもの== 

「・・・・・私たちは、誰かのために何かをすることが出来ます。子供たちのため、愛する人のため、地域社会のため、それぞれの立場で出来ることは沢山あります。 しかし、それに躊躇しがちです。「面倒だ」という思いや、「照れくさい」という感情もあるでしょう。結局のところ自分のために考え、適当なところで妥協してしまいがちです。    ・・・・・・「誰かのために」。人は強くなれます。」 

これは、毎週、地元北海道新聞、月曜夕刊に掲載される、プロゴルファー鈴木規夫氏が掲載されている「ゴルフの心」と言うコラムの一部です。

 昨年、の日本シリーズJTカップでインドのジーブ・ミカル・シンが優勝したときのエピソードからの随想です。

 一方、一時代を創ったミュージシャンの加藤和彦氏が「もう音楽では、やることがなくなった・・・・」として、自らの命を絶って旅立ちました。

 数々の音楽シーンを残していった加藤氏ですが、その「死」の本当の理由は、いずれ明らかになるとして、静観するのがいいのかもしれません。

 ただ、音楽以外にも加藤氏の存在自体が「誰かのため」になっていたのも事実ではないでしょうか。

 あの音楽の世界で放った、彼のきらめくような才能を、「誰かのために」音楽以外の他の場面で発揮して貰うことを願っていたのは、酷だったにかもしれません。

 しかし、人は、濃度の差こそあれ、「誰かのために」生きることが人間の本質に備わる避けがたい一面ではないでしょうか。

 それにしても残念でなりません。

 加藤和彦さんへのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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麻生首相:学生集会で「金がねえなら結婚しない方がいい」

(毎日新聞824日)

 「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい。金がおれはない方じゃなかったけど、結婚遅かったから」。

麻生太郎首相は23日夜、東京都内で開かれた学生主催の集会で、少子化問題に関連してこう述べた。学生から、若者に結婚資金がなく、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか、と質問されたのに答えたものだが、不況下で就職難の若者らの気持ちを逆なでする発言とも受け取れる。

 首相は「(金が)あるからする、ないからしない、というもんでもない。人それぞれだと思う」としながらも、「ある程度生活していけるものがないと、やっぱり自信がない。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」と語った。

 首相の発言について河村建夫官房長官は24日の記者会見で「若者の就職対策を進めなきゃいかんという思いが表現として出たのではないか」と釈明した。【影山哲也】

首相の「結婚しない方がいい」発言を一斉批判=岡田氏「現実分かってない」-野党

 民主党の岡田克也幹事長は24日、麻生太郎首相が学生との対話集会で「金がないなら結婚しない方がいい」と発言したことについて、「現実が分かっていないんじゃないか。誰もが好きで所得が少ないわけではない」と批判した。松山市内で記者団の質問に答えた。
 

 共産党の志位和夫委員長も長野市での記者会見で、「心ない発言だ。もう政治家失格だ」と指摘。社民党の福島瑞穂党首も同市での会見で「金がない状況をつくったのは自公政治だ。あまりに無神経で人権感覚がなさ過ぎる」と強調した。 (2009/08/24 時事通信)================================= 

最早、救いようもないほど低劣な人物に成り下がってしまった麻生太郎氏・・・。

まるで「貧乏人は結婚するな」といわんばかりの論法ではないでしょうか。

まったく参考にならない自分自身の経験を持ち出して、貧困と格差に苦しむ若者の心を逆なでするような「言葉」です。

30日の総選挙の投票日を控えて、惨敗が予想される自民党の総裁とはいえ、ひとつひとつの発言に責任を伴うのは当然のことです。

政治家の失格どころか、ひとりの人間としても相当低劣な部類に入るのではないでしょうか。

しかも、今は総選挙の真っ只中、自民党の中からもブーイングが吹き出ても不思議ではありません。

しかし、そうした事態に、「内部批判」さえも出すことができない自民党のていたらく・・・・。

そうした自称政治家氏に日本の舵取りを任せるわけには行かないことは、多くの国民の共通認識になっているのが現状となっています。

ちょっと早計かもしれませんが・・・・・総選挙に敗北した後の自民党は、様々な側面からの自己総括さえもできずに四分五裂するかもしれません。

さよなら麻生太郎さん・・・・。 

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宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言

20081120 18:55 発信地:東京

 

 1120 AFP】(一部更新)アニメ映画監督の大家、宮崎駿(Hayao Miyazaki)氏(67)が20日に行われた記者会見で、麻生太郎(Taro Aso)首相が度々自らの漫画好きを強調することに苦言を呈した。

 保守派のベテラン政治家である麻生首相はイメージを和らげようと機会のあるごとに「オタク」文化を理解する人物として自分を打ち出している。

 しかし、都内の日本外国特派員協会(FCCJ)で行われた記者会見で、麻生氏がアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることを首相が宣伝する必要はないという考えを示した。

 麻生氏は9月の就任後、最初の街頭演説に、漫画本を中心とするサブカルチャーの中心地である東京・秋葉原を選び、漫画を称賛して、就任後は読む時間が少ないと嘆いた。

■子どもに「1本だけ忘れられない映画を持つ幸せを」

 また宮崎監督は、現代の子どもたちがテレビやビデオゲーム、Eメールといったバーチャルな世界に囲まれていることに危ぐし、景気を刺激するために橋や道路を建設するよりも、日本は子どもにとって適切な環境を作り出すべきだと考えを述べたうえで、自らに触れ「わたしたちのやっている仕事で子どもから力を奪っているとしたら、大きな矛盾を感じるが、1本だけ忘れられない映画を持つというのは子どもにとって幸せな体験だと信じ、今後もこの仕事を続けていきたい」と語った。

 さらに「世界の問題は多民族にあるという考え方が、ナショナリズムの根幹にある」と述べて、ナショナリズムから日本が自らを解放するようにと訴えた。「自分が愛する街、愛する国が世界にとって良くないものになる可能性をいつも持っているということを、この前の戦争の結果から忘れてはならないと思う」

今では、一国の首相として、その知性と能力と政治信条から、野党は勿論、自民党内部からも批判の声が上がっている麻生首相。

 「漫画おたく」を自認している麻生首相が、あの宮崎駿監督から苦言を寄せられていました。

 アニメを国際的な評価にまで高め、重要な文化・芸術の分野として確立してきた宮崎駿氏からの見解ですからこれ以上の重みのある指摘はありません。

 「漢字の読めない総理大臣」として子供からも揶揄されたり、一国の指導者としての知的水準が疑われる、あるいは、自らの立場をわきまえることができない人物として「定着」した感のある麻生氏です。

 この国の難関を乗り切るために、解散・総選挙で国民に自らの「信」を問うべきだはないでしょうか・・・・それが彼に残された最後の「花道?」かもしれません。 

勿論その結果が「敗北」となってもです!! 

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井上ひさし氏作「シャンハイムーン」 劇団新劇場上演 あすから 11/13 北海道新聞

 優れた戯曲を上演している札幌の劇団新劇場が十四-十六日、井上ひさし氏の「シャンハイムーン」を札幌市こどもの劇場やまびこ座(東区北二七東一五)で上演する。  作品は昭和初期の上海を舞台に、当時の政府から弾圧され、潜伏生活を送っていた中国の文豪、魯迅と、彼を助け出そうとする日本人たちを描く。井上氏は一九九一年、この作品で第二十七回谷崎潤一郎賞を受けた。  新劇場は近年、戦争など昭和史をテーマにした作品を重点的に上演している。演出の多海本(たみもと)泰男さん(72)は、「この作品はコメディーなので、笑いに包んで反戦を訴えたい。特に学校で詳しく近代史を習わなかった若者に、歴史を知ってほしい」と話している。
  十四日午後六時半、十五日午後一時半と六時半、十六日午後一時半。一般二千円、中高生前売り千円(当日千二百円)、小学生五百円。問い合わせは新劇場(電)784・9908へ(夜間のみ)。(松本悌一)

 先週、14日(金)の夕方、自宅近くの札幌市子供劇場で井上ひさし氏作「シャンハイムーン」が地元劇団の劇団新劇場が公演していました。http://home.att.ne.jp/sun/singeki/index.html

大学の先輩で元演劇部の黒川一郎名誉教授の誘われて、その小さな「劇場」へ行ってみました。

井上ひさしさんの独特の軽妙でコミカルな戯曲でもありながら、魯迅の革命生活の一面を描いていました。

特に、魯迅~朱安~許広平の関係、内山寛造夫妻の献身的な人柄と行動、そして善意に満ちた須藤五百三医師のヒューマニズムなど、たぶんに今日的な内容でもありました。

特に、舞台の最終版、須藤医師のせりふ「医師は、病人を待つのではなく、見つけに行くものだ」といって、上海の運河に浮かぶぼろ船にうずくまる人々へ巡回診療に飛び出してゆく場面が印象的でした。

あの軍靴が闊歩する時代での「良心的医療活動」の存在に勇気づけられた一夜でした。

 勿論、帰りには中華料理で乾杯でした。
  2005.9.18 『シャンハイ ムーン』    井上ひさし  集英社

 中秋の名月の今日は、その題に月が出てくる話を。 『シャンハイ ムーン』は戦時中の上海での魯迅とその周辺の人々を描いた戯曲。

 蒋介石の国民党に狙われた魯迅は、上海の地下に潜んで文筆活動を続けていた。彼の地下潜伏活動を支えていたのは、彼の妻と上海に住む日本人たちだった。                                                             

 

魯迅は中国に侵略しようともくろむ日本という国を心底憎みながら、一方では日本人を心から愛していた。そして、日本人の中にも、魯迅に心酔する人々が多かった。この作品は、そういった魯迅夫婦と彼を取り囲む日本人たちの心温まるつながりを描いている。

 

 

潜伏生活で窮地に追い込まれた魯迅は、歯痛に悩まされており、その治療のために使った麻酔(笑気ガス)の服用で幻覚を見る。幻覚で見えるのは、魯迅が常日ごろから常に「すまない」と思い続けている人々。心の中でやましさを覚えている人々である。魯迅は、そのやましさのために、慢性の自殺願望があるのだというのだ。

 その人物誤認と自殺願望を取り除くために、医者須藤が提案した方法は、魯迅の深層心理をついた、優しさにあふれるものだった。

  魯迅を取り巻く人々は、何よりも魯迅の健康回復のために(彼の身体は、ぼろぼろな状態だった)、ちゃんとした歯の治療を受けさせようと日本に亡命することを勧める。

 しかし、敵国である日本に亡命することに異議を唱える許広平と、ちゃんとした治療は日本でしか出来ない、魯迅の才能を生かしておくためには何より身体を丈夫にしなければならないと強く日本行きを勧める日本人たちの主張はなかなか一致しない。

 魯迅自身もその思いは許広平の考えを是としながらも、「小説を書くためには健康でなくてはならない」という日本人たちの言葉に反論できない。 そして、極度の精神的緊張から、魯迅は失語症になってしまう。

 

 いつ崩壊してもおかしくないようなぎりぎりの精神状態の魯迅。彼に、なんとしてでも生き続けてほしいと願う人々の献身的な援助。そして、魯迅は、ついに、どこにも逃げることなく上海で文を書き続けることを決意する。                            

暗い戦争の時期に、文章の力で民衆を支え変えていこうと活動を続けた魯迅。その魯迅を支え続けた日本人たちがいたということは、とてもうれしいことである。

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 ノーベル賞作家の大江健三郎といえば、言葉を大切にして、多少難解な言い回しと印象を持たれる方もいるかと思います。 

今回、新潮社から出版された単行本『大江健三郎 作家自身を語る(¥1800)は、そうした印象を感じさせないものでありました。 読売新聞社、文芸担当記者の尾崎真理子さんとのインタヴィユー形式で構成されている内容は、割合、平易で内容も理解しやすい構成になっています。

 まず、目次だけを紹介しておきます。「作家生活五十年を目前にして」

「伊丹十三との出会い」

「渡辺一夫先生との交流」

「芥川賞のころ」

「『個人的な体験』刊行当時の評」

「故郷 の中学にて」

「『同時代ゲーム』をいま読み返す」

「女性が主役となった八〇年代」

「父という存在」「一九八七年 分水嶺となった年」

「ノーベル文学賞受賞の夜」

「自爆テロについて」

「大江健三郎、106の質問に立ち向かう」などです。 

大江さんの著作に関して、「ヒロシマノート」「個人的な体験」「万延元年のフットボール」「同時代ゲーム」など、それ以降の書籍についても、それらを表現した時代状況や大江さんの考えをわかりやすく丁寧に語ってくれています。

 最後にある「大江健三郎、106の質問に立ち向かう」では、大江さんの誠実な人柄を感じさせる回答がなされ、思わず笑みがこぼれてしまいました。 

これから、大江さんの著作に接しようとする方、以前からすでに大江さんをご存じの方、現在までの大江さんを理解する上で、お薦めの一冊だと思いました。

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 「パッチギ」=“頭突き” “突き破る” “乗り越える”  

井筒和幸監督作品の「パッチギ」を観劇し、そこに流れてくる「イムジン河」を何度も聴きました。 パッチギとは、ハングル語で「頭突き」とのこと。

劇中で主人公の1人は、立ち回りで相手に何度も「頭突き」を食らわしていました。 

パッチギとは、別の意味で“突き破る”“乗り越える”という意味もあるそうです。

 物語は、京都で生きる在日朝鮮人の若者の恋愛と喧嘩騒ぎを軸に、日本と朝鮮の間に横たわる溝を若者の純粋さと行動力で“乗り越え”ようとする痛快さ溢れるものでした。 

そして、そのバックに「フォーククルセイダーズ」の名曲とともに流れる「イムジン河」の音色と歌詞は、朝鮮半島の美しさと厳しい現実を問題提起しているようでした。 

一時は、「放送禁止」にまでなったのが、この「イムジン河」でした。

 私が、小学生の頃、近くに在日の方々の住まいがありました。

そこでは、相当過酷な生活を強いられていたのを何となく記憶しています。しかし、当時から、子供どうし、一緒によく遊び、今でも仲の良い友人の仲間です。

  今日では、北朝鮮による「日本人拉致問題」や「核問題」・「ミサイル問題」など、映画で描かれていた1968年とは、比較にならないほどの難問が日朝両国の間に横たわっています。

 日朝両国が、諸問題のへの誠実な姿勢と立場を確立し、一日も早く平和で思い遣りのある両国関係を築きたいものです。 

それこそ、両国間の難問を“突き破り” “乗り越える”、つまり、パッチギする必要性を感じさせられました。 

また、こうした深刻な問題を、ある意味コミカルに、かる~く描いて人々を感動させる、井筒和幸監督に拍手です。

 今、その続編「パッチギ、Love&Peaceが劇場で上映されています。

 私は、週末に映画館へ足を運ぼうと思います、いつものようにシニア夫婦割引(二人で2000円)を利用して・・・・。 

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靖国合祀、旧厚生省が積極関与…国会図書館が資料公開

 靖国神社への戦没者合祀(ごうし)を巡り、当時の厚生省が合祀対象者の決定に、積極的に関与していたことが、28日、国立国会図書館が公表した「新編 靖国神社問題資料集」で明らかになった。
同省は戦犯などの合祀について、神社側と頻繁に協議を重ね、見解を述べていた。同省が合祀対象者の決定に果たした役割がわかる資料は初めて。
 A級戦犯が合祀された9年前の1969年に、同省が神社側の合祀の意向を把握していたことを示す資料もあった。
研究者は「国と神社側が協力しながら合祀者を決めたことが分かる貴重な資料」と話している。
 同図書館では、靖国神社参拝問題に関連し、調査や資料提供の依頼が増えたため、昨年から関連資料の収集を行っていた。資料集には、靖国神社が所蔵する非公開資料や、厚生省と神社側との協議内容など、計808資料、約1200ページにわたり収録されている。
 資料によると、1956年、当時の厚生省が、戦没者の靖国神社合祀について、「3年間で完了するよう協力する」という要綱案を作成。同年以降、同省と神社の協議が断続的に開かれ、合祀基準を詳しく決めていった。
協議は神社の社務所に、厚生省側が出向いて行われた。
 58年4月の第4回会合では、同省側が「戦犯者はB級以下で個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないように入れてはいかが」と提案。
同年9月の第7回会合でも同省側が、戦犯について「要するに職務上犠牲になった者あるいは事実に反した訴因によるもの」とし、「(だれが合祀に)不適格という事は出来ない」と合祀に積極的な姿勢を見せ、「まず外地刑死者(BC級戦犯)を目立たない範囲で(合祀することで)了承して欲しい」と、具体的に提案していた。
 また、A級戦犯の合祀を巡り、靖国神社が69年1月、同省と会合した内容の資料があることが分かった。神社側が作成した資料には「A級(12名)」が「合祀可」と記載され、「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」と別記がある。
実際に合祀されたのは78年10月で、同省がその9年前に、神社側の合祀の意向を把握していたことが明らかになった。
 旧厚生省が66年2月、靖国神社に対し「合祀を保留されていた戦犯関係死没者」として、A級戦犯を含む名票を靖国神社に送ったことはこれまで判明していたが、その後実際にA級戦犯が合祀されるまでの間、どのような経緯があったかは分かっていなかった。
 厚生労働省社会・援護局では「66年に名票を出した後に、事務処理のための打ち合わせがあったのかもしれないが、旧厚生省の記録は残っておらず、確認できない」としている。
200732930  読売新聞)
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また、戦中・戦後の歴史のひとつが明るみに出てきました。

終戦で一度は、清算されたはずの国家神道であったのもとにあった「靖国神社」が、戦後も国民の知らないところで脈々と生きていたのです。

今日の「靖国問題」は、ここにも大きな要因があります。

ここまで明らかになったのですから、いよいよ「政教分離」の原則にのっとって「靖国参拝」にも、公式にけじめをつけるべきです。

高橋哲哉東大教授のコメントを聴きたいのですが・・・・。

 

 

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安倍首相は「ごまかし」と批判、ワシントンポスト社説で

20070325日(朝日新聞)

 
米紙ワシントン・ポストは24日付で「安倍晋三のダブル・トーク(ごまかし)」と題する社説を載せ、拉致問題に熱心な安倍首相が従軍慰安婦問題には目をつぶっていると批判した。
首相に「拉致問題で国際的な支援を求めるなら、彼は日本の犯した罪の責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきだ」と求めている。
 
同紙は、6者協議で拉致問題の進展を最重要課題とする日本政府の姿勢について「この一本調子の政策は、国内で落ち込む支持の回復のため拉致被害者を利用する安倍首相によって、高い道義性を持つ問題として描かれている」と皮肉った。
拉致問題については「平壌の妨害に文句を言う権利がある」としながら「第2次大戦中に数万人の女性を拉致し、強姦(ごうかん)し、性の奴隷としたことへの日本の責任を軽くしようとしているのは、奇妙で不快だ」と批判した。
 
さらに政府が16日に決定した答弁書は、93年の河野官房長官談話を「弱めるものだ」と指摘し、歴史的な記録は「北朝鮮が日本の市民を拉致した証拠に劣らず説得力がある」と主張。
首相が河野談話を後退させることは「民主主義大国の指導者として不名誉なことだ。
日本政府の直接の関与を否定すれば、北朝鮮に拉致問題の回答を求める正当性を高めると考えているかもしれないが、それは逆だ」としている

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「ダブルトーク」とは「二枚舌」とも言われます。

安倍首相の国会答弁や記者会見では、一方で「強制には、広義と狭義がある」といいながら他方では「河野の談話を継承する」といっています。

「強制の広義・狭義」発言では、明らかに『河野談話』を後退させるなります。

もし、『河野談話』に依拠してゆくのであれば、「強制の広義・狭義」発言を取り下げるべきですし、昨日の「下村発言」へは、厳しい態度が必要では無いでしょうか。

それにしても、「北朝鮮拉致問題」での日本の人権問題での正当性に傷をつけることが心配です。

安倍首相は、「従軍慰安婦問題」は過去の事、「拉致問題は現在進行形」の事と、ここでも「言葉の操り?」で人権問題の歴史的本質を曖昧化しょうとしています。 

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