
大学自治の大切さなどを訴えた「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」集会
戦後間もない時期の思想弾圧に北大の学生らが抵抗した1950年のイールズ事件から60年を迎えた16日、札幌市北区の北大で市民向けの平和集会が開かれた。
「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」と題した集会には約230人が参加した。
当時の抗議活動で退学処分を受けた世話人会代表の高岡健次郎さん(78)=札幌市=は「事件は学問、思想の自由や大学自治を連合国軍総司令部(GHQ)の介入から守る闘いだった」と意義を強調した。
同じく退学処分を受けた梁田政方さん(82)=東京都=は「大学の公史には講演を妨害したとされているが、妨害はない。大学当局は認識を改めるべきだ」と記述の改善を訴えた。
この事件は、北大で「共産主義教授追放」の講演を行ったGHQの教育顧問W・C・イールズへの抗議活動で、学生10人が大学当局から退学や無期停学などの処分を受けたもので、全国のレッドパージに対する抗議運動の契機となった。
昨日、地元の札幌で、「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」が開催されました。
その内容も、1950年(60年前)の「学問の自由」を守ったイールズ闘争のみならず、60年の日米安保改定反対闘争(50年前)、70年の日米安保廃棄・学園闘争(40年前)など・・・そして、現在の「独立法人化」された大學での問題点などの報告がありました。
報告を聞いて、改めて理解できたこと・・・・。
1)「イールズ闘争」とは、当時の一部の北大生が単に騒いだのではなく、マッカーサー指導された「学問の自由」への侵害にたいして、学生だけでなく、当時の学長をはじめとして文字通り全学的「イールズ講演反対運動」であったこと。
2)その中で退学・停学処分された当時の学生のなかでも復学など「未処置」のままに人がいること。
3)北大125年の「歴史」の中でも、大學当局から不当な「小さい扱い」を受けていること。
4)当時、「退学処分」された学生のその後の誠実な人生が生々しく語られたこと。などが印象的でした。
また、60年安保闘争に関わった当時の北大教養学部学生自治会委員長 森谷尚行氏が「60年安保と今日の課題」を報告。
1) 60年に改定された「日米安保条約」が、実は密約に基づいた「偽の条約」であったこと、そして仮に「安保賛成」でも二国間の条約としては全くその形をなしていないことが指摘されました。
2) その延長線上にある、今の沖縄「普天間基地問題」からしても、「60年安保」の今日的意義も強調されていました。
その後、学生の進歩的な闘いに驚いた政府・文部省からの大學介入が、大學での学生生活や研究条件、大學の管理体制に深刻な矛盾を作り出しました。
そのため、東大医学部、学生退学処分に端を発した、学園民主化運動が瞬く間に全国へ拡がり、70年を中心に「学園紛争」として多くの大學で闘われました。
しかし、ここでも政府・文部省(現文科省)からの介入が凄まじく、学生の自治活動は、勢いを失い、現在では北大であっても「学生自治会」は、崩壊したのも同然なのです。
こうした中で、国立大学の「独立行政化」が施行され、70年代とは全く水準の異なる大學の管理運営強化が図られているのが現状との報告もありました。
大學事務局長は、文科省からの「派遣人事」、しかも大學の理事も兼任し、強大な権限を大學運営に差し込んでいます。
また、大學予算の削減に続く削減、予算の「選択と集中」により「役に立つ?」人材と部署にはゆとりある予算、そうでない部門には予算の締め付け・・・。
学生の奨学金問題や就職活動の「早期化」は、大学生に、「学び、育つ」機会を奪う結果となっています。
叉、大學院生が増加して、在学生の三分の一に及び、「ポスドク」問題がますます深刻になっている実態も語られました。
こうしてみると、本来の「大學の使命」をはたすために、学問と大學のあり方を歴史に遡り、改めて提起してくれたのが今回の「集会」では、なかったでしょうか。
内容の濃い、一日でした。
準備され方、また遠路参加されこれまでの生き様も含めて語ってくれた諸氏に心から感謝です。
そして、参加し発言していた北大文学部の学生に期待をこめて・・・・。
北大「イールズ事件」から58年 「民主、反戦、自由」に青春 (2008/06/10 北海道新聞)
連合国軍総司令部(GHQ)の教育顧問W・C・イールズが、北大で行った「共産主義教授追放」の講演会をきっかけに、抗議運動が広がった「イールズ事件」から今年で五十八年。運動を支えた男女三十人が六日、事件後初めて、母校に集まった。「民主、反戦、自由」に青春を燃やした元北大生たちは、五十八年目の「同窓会」に何を思うのか。(佐藤千歳)
「共産主義教授」追放演説に抗議 元学生 母校で初の“同窓会”
「運動に、いささかでもかかわった人であれば、その程度、以後の歩みのいかんを問わず、あの純粋な日々を共にしたことがあるという一点で、誰でも等しく迎える」-。
六日の集まりに向け、仲間に送られた呼びかけ文書である。中野徹三さん(77)=札幌市中央区=や、桂川良伸さん(76)=同北区=ら、道内在住の七人がまとめた。
イールズ事件後、仲間たちは、別々の道を歩いた。高校教師、弁護士、日本共産党の元幹部もいれば、自民党の元国会議員もいた。今回、札幌に集まった三十人は、「イールズ事件に怒り、立ち上がった」というその一点だけで結びつく。
鬼籍に入った仲間も多い。つえをついて、病気をおして、札幌に集まった仲間を見渡しながら、元教師の森谷長能さん=札幌市厚別区=は「ひどい青春だったけど、新しい時代をつくる希望があった。当時の思いは、今も私たちの中に残っている」とうなずいた。
ひどい青春-。「深刻な食糧不足で、昼時には海藻でつくっためんを求める学生の長い列が食堂前にできた」。事件当時、北海道学生自治会連合会(道学連)委員長だった梁田政方さん(80)=札幌出身=は、現在のクラーク会館のあたりを指さす。
事件の十カ月前には、北大を視察に訪れた文部大臣に学生らが石炭不足を直訴、乱闘騒ぎになった「高瀬文相事件」が起きた。
それでも、全浩天(チョンホチョン)さん(76)=函館出身=は、「食うや食わずでも、三度の飯よりイールズ闘争に関心があった」と話す。
イールズの講演会から一カ月あまり過ぎた六月下旬。講演を妨害したとして、梁田さんら十人の処分が発表された。すぐ、反対運動が、道内の鉄道労組や炭鉱労組に広がった。
「田舎から出てきた私が、初めて政治に目覚めたのがイールズ闘争。大学の枠を超えて集まって、学問の自由と自治を訴えた。イールズ闘争は私たちの学校でした」
だが、学生の処分は、覆らなかった。
翌一九五一年、サンフランシスコ講和条約締結。西側陣営に組み込まれた日本は、再軍備を行い、経済復興の道を進んだ。イールズ事件は、「暗い谷間」とされる七年の占領時代とともに、忘れられようとしている。
「世の中はひっくり返せなかったけど、自分の中では何かが変わった」。理学部自治委員だった和気和民さん(80)=札幌市中央区=が言う。「新憲法はできたけど、それだけでは自由も平和も守れない。自分で考えて行動するのが基本だと考えるきっかけが、イールズ闘争だった」
六日午前。雨にぬれた新緑がつややかに輝く北大構内を、三十人でそぞろ歩いた。
イールズの講演会当日、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・イールズ」のビラが一面に張られたという正門から中央講堂への道。
「ナマズ問答だっけ? 傑作だったな」と誰かが言うと、「ナマズじゃなくてウナギ」と笑いながら歩く。イールズと北大の教授が行った公開討論のことだ。「ウナギ」問答は、イールズの名前と、英語でウナギを意味する「イール」をかけたしゃれ。
公開討論でイールズは、「ソ連では将来、2+2=5になると言われている。共産主義下では、数学すら真理たり得ない」と断じた。これに理学部の宮原将平教授(当時)が「2+2=5がソ連の数学なら、原爆も飛行機もできない。米国は、ソ連の侵略の心配がなくなるから、日本に軍事基地を置く必要もない」と切りかえし、満座の学生から大拍手が起きた。
結城千草さん(76)=さいたま市=は、北大の女子学生二期生。入学後まもなく、問答を聞いた。「イールズは何言ってるのかよく分からなかったけど、みんなで集まって面白くって。懐かしいわね」。目を輝かせた。
イールズが講演した中央講堂も、抗議する学生がつめかけた大学本部も、今はない。散策を終え、三十人は大学本部の跡地に近いレストランに集まった。
「イールズ闘争は、まだ終わっていない。現在、戦争放棄を柱とした憲法九条の改定に焦点が置かれている。イールズ闘争にみられる北大の民主の伝統は、今の世の中で必ずや必要になる」。事件で退学処分となり、労働運動に身を投じた梁田氏があいさつした。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (139)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く