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中村 哲 アフガンを語る==ますます混迷をきたすアフガン情勢==民衆を信じる中村先生の謙虚な姿勢に感動==

 歩み続ける人でありたい

 大国の「国益」という名のエゴに巻き込まれ続ける国 アフガニスタンイギリスやソ連の侵攻を受け

今また「対テロ戦争」と銘打った アメリカの侵攻を受け続けている

戦争で 内戦で 人と人とが殺戮しあう状況下で

時には化学兵器が使用され

対人地雷が敷かれ

クラスター爆弾で

多くの民衆が 疲弊し 傷付き殺戮されている 

子供たちの6人に1人が5歳以下で死亡するという

その多くは慢性的な下痢が原因だ

きれいな水さえあれば どれほどの子供達が助かっていただろうか

水不足により 不衛生な水を飲まざるを得ない人々のことを想う時

使い放題に水を使う 私の胸が痛む

 そのアフガンの民衆を「看過できない」と 一人の医師が立ち上がった

辺境の無医村集落をめぐり

ハンセン病で 人々に蔑まれる民を

赤痢に苦しむ民を

そして戦禍に苦しむ民を

放っておけないと

 社会の底辺を支えている貧しい人々と共にあって

井戸を掘り 灌漑用水を作りつづけ 常にいのちを見つめ続けた

中村医師は語った

人種や国籍 文化や風習や宗教の違いを

互いが認め合い 受け入れてゆく

自分の常識を相手に当てはめず

優劣や正邪 人を色分けをして決め付けない

そのことを アフガンの貧しき人々から学んだと

 民族を超えて 同じの人間として

常に 差別され 虐げられ続ける貧しき人々の目線に立った活動は

徹底した非暴力に貫かれていた

「人のいのちを粗末にしない」という姿勢と共に

 豊かな国 日本にあって

惰眠をむさぼり続ける私は 問いかけられた気がする

平和とは何か

生きるとは何か

人間とは何か と

拙くとも私たちもまた 自らを問い続け さまざまな人々と共に生きる道を

歩み続ける一人でありたいと願う

                   <佐々木光明>

527日、札幌で中村哲先生の講演会(主催;12.8戦禍を語り継ぐ会)が開催されました。

 前記した「詩」は、主催者が作ったもので、アフガンの現状と中村先生の様子を書き上げた「秀作」と考え引用いたしました。

 中村哲先生といえば、20数年前からアフガンで文字通り人道支援を続けられていることで知られています。

 開口一番、言われたことは、「アフガンを忘れないで!!」でした。

 世の中で様々な出来事が続く中で、ややもすれば忘れがちになる「アフガンの問題」を常に発信してゆこうという熱意が先生の言葉の端端から感じることができました。

実際、9.11を「口実」にアメリカを中心とする多国軍がアフガン侵攻を開始してから軍事的解決の見通しは全くなく、国家の再建事態が大変な困難に陥っています。

 それがオバマアメリカ大統領が現してもほとんど変化がなく、苦しめられているのは一般民衆、特に子供たちにそのしわ寄せがたまっていることも語っていました。

 現時点でも明確な解決の糸口は見えていません。

 そうした現状に対して語った中村先生のおはなし・・・・ 「アフガンのことはアフガンの人に任せるべき、それがどんなに時間がかかっても、紆余曲折があっても、彼らの力で・・・・」

 私の胸の中に残る言葉でした。

 

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きのう少年

(5月28日 北海道新聞 卓上四季)

朝、洗面台で鏡を見ると思い出す句がある。〈かのひとは昨日少年今日禿頭(とくとう)〉。10年前に死去した詩人・辻征夫(ゆきお)さんが書いた。「貨物船」という不思議な俳号を持つだけに、その作品は風変わりな響きがある

誠に、人の変ぼうは早い。かの首相は「きのう県外きょう辺野古」である。これを受けて日米共同声明が出され、政府方針を決めるという段階で、内閣が急にぎくしゃくとしてきた

〈その角を曲がって五月去らんとす 征夫〉。5月末をめどとして、辺野古に戻る角を曲がった鳩山さんと共に、社民党もここで曲がるのか、それとも連立を去ろうとするのか。昨日の顔と今日の顔を鏡の前で見比べて、こちらも正念場だ

政府は米軍訓練の全国分散を想定している。試みに、パソコンの地球儀ソフトで調べれば、普天間からの距離は、米領グアム島より、矢臼別演習場の方がいくらか遠かった。千歳基地とはほぼ同じ距離だ

道内もグアムも似たように遠いなら、訓練は自国領内でやればいい。この点だけみても、わざわざ道内に持ってくる必然性は薄いだろう。少なくとも、地元の懸念を押し切って進める話ではない

辻さんの句をもう一つ。〈少々は思案して跳ぶ蛙(かえる)かな〉。池や田んぼで跳ぶカエルも、いくらかは考えるポーズをみせる、という観察だ。目の前に見えた案にぴょんと飛びつくような「かのひと」は、どうだろう。

全く、責任ある政治家とは対極にある鳩山首相の無様な姿は、「・・・今日、禿頭」そのものではないでしょうか。

日本の国の総理大臣は、沖縄県民から拒否されている米軍・普天間基地の移設について、本来であれば、「県外・国外」の国民の声を背景にアメリカと交渉すべきなのです。

にもかかわらず、「辺野古新基地建設」というアメリカの方針を沖縄県民と日本国民に説得(押しつけ)様としているのです。 

これでは、鳩山首相がアメリカの手先・代理人・・・・いやいや「番頭」にまでなりさがってしまったかのようです。

そして、これまで閣内で頑張ってきた社民党の「県外・国外」の主張もアメリカ言いなりの鳩山首相の前では、すでに限界かもしれません。

さて、「飛ぶ前の蛙」を見習って、頭を冷静にして考えると・・・

何を急いで、「辺野古移設」を取り決めなければならないのでしょうか。

「普天間」をめぐって、日本国内がこれだけ意見が沸騰し、沖縄県民の心を充分斟酌するためには、「日米共同声明」やそれに向けての「閣議」など、もっと先延ばしにはできないものなのでしょうか。

「普天間問題」「在日米軍基地問題」「日米安保体制」などを参議院選挙の争点にして、国民の判断を仰ぐのが「憲政の常道」です。それからの判断でも遅くはないと思うのですが・・・・・。 

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元の辺野古

(5月25日 北海道新聞 卓上四季)

戦国武将の筒井順昭が(じゅんしょう)死の病に伏した。跡取りはまだ幼く、死が表ざたになれば敵に攻め込まれる。臨終の間際に言い残した。「葬儀は内密に行え。自分に似た貧しい僧がいるから、その者を身代わりでわが床に入れ、看病せよ」

僧は、床の中で厚遇された。その間に筒井家は代替わりを果たす。やがて死が公表された。僧は褒美と共に町に帰され、昔の暮らしに戻る。僧の名は木阿弥(もくあみ)、元のもくあみの故事だ

「最低でも県外」と鳩山首相が胸を張った普天間問題は、迷走の末に辺野古移設へ戻った。「断腸の思いで下した結論」と言っている。だが要するに、元のもくあみだろう

沖縄県民が怒るのは当然だ。沖縄戦の際、米軍の火炎放射器で左半身にやけどを負った女性(81)の話がきのうの朝刊に出ていた。「体に自由がきけば首相と刺し違えたいくらいだ」。悔し涙を流したそうだ。激しい憤りである

在日米軍は空、海軍も強力だ。海兵隊は強襲部隊で、抑止力と言えるのか専門家の間でも議論がある。首相は最近「海兵隊を含む抑止力を低下させてはならない」と学習して立場を転じたようなのだが、その詳細は国民に説明されていない

職を賭すとまで言った首相だ。「元の辺野古」では、木阿弥と同じく昔の暮らしに、つまり一国会議員に戻っては、と批判が出るのも理解できる。職を賭して、米国と交渉するべきであった。

今回の「普天間基地移設」問題での鳩山内閣の「迷走」、いや「逆走」は、「元の黙阿弥」では済まないものではないでしょうか。

確かに、鳩山首相個人にとっては、総理大臣を辞めて一国会議員のもどれは、それはそれで「元の黙阿弥」かもしれません。(以前、首相辞任時には、議員辞職すると言っていましたが・・・)

しかし、「最低県外・国外」と公約を掲げ、国民・県民に約束したことを元に戻しただではありません。

「公約破り」自体、大変な責任問題ですが、もっと注目しなければならないのは、「辺野古移設」が、いよいよ本格的に新たな「基地建設」としてのお墨付きを与えられる事になることです。

これまで、地元住民と沖縄県民、そして全国からの支援でこれまで何とか「辺野古基地建設」を阻止してきました。

昨年の「政権交代」で、「もしかしたら・・・県外に、国外に・・・」との淡い期待もかけられました。

しかし、今日の自体は、それまでの「辺野古移転」から一歩進んで「辺野古新基地建設」へと沖縄米軍基地のグレードアップがあることが明らかになりました。

アメリカはもとより、「辺野古移設」を推進してきた自公前政権には、願ったりかなったりです。

大変皮相な見方をすれば、自公政権でもできなかった「辺野古新基地建設」が鳩山政権で本格的なレールが敷かれつつあるのかもしれません。

ですから、沖縄住民の側からすれば、「元の木阿弥」どころではなく、さらに米軍基地・海兵隊問題が底深く組み込まれようとしているのです。

鳩山首相に残されている道は、沖縄や徳之島の人々を説得するのではなく、「普天間基地撤去」をアメリカに要求することではないでしょうか。

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普天間、辺野古移設を初表明=首相、県外守れず陳謝―名護市長反発
5月23日10時53分配信 時事通信
 鳩山由紀夫首相は23日、沖縄県を訪問し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題をめぐって仲井真弘多知事、稲嶺進名護市長ら関係者と相次いで会談した。首相は名護市辺野古周辺に移設する方針を初めて正式表明。米ヘリ部隊訓練などの基地機能を極力、県外に移す考えも伝え、「県外移設」の約束が果たせなかったことを陳謝した。これに対し、地元や連立与党の社民党は強く反発しており、移設実現は展望が開けない状況だ。
 
 首相が表明した移設先は、代替滑走路の建設地や工法などの詰めは残るものの、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に移す現行計画に沿った内容。昨年の衆院選での「県外移設」の約束をほごにし、現行計画に戻ったことで、首相の政治責任が厳しく問われそうだ。
 
 首相は知事との会談で「代替地は県内、辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った。断腸の思いで下した結論だ」と表明。「在日米軍の抑止力を低下させてはならない。県外に移設すると、海兵隊の機能を大幅に損なってしまう」と理解を求めた。
 
 また、首相は「米軍の訓練をできる限り県外に移し、沖縄の負担軽減と危険性除去の実を上げることが大事だ」とし、27日の全国知事会議で協力要請すると強調。「『できる限り県外』という私自身の言葉を守れなかったこと、県民に混乱を招いたことを心からおわびする」と陳謝した。
 
 これに対し、仲井真知事は「衆院選以来、『県外・国外』という県民の熱い思いが高まっていて、落差が非常に大きい」と強い不満を表明。「時間をかけて説明と納得のいく解決策を出してもらうしかない」と求めた。稲嶺市長は「辺野古への移設は市民、県民の思いを裏切ることで、極めて残念で怒りを禁じ得ない。(移設の)実現可能性はゼロに近い」と断じた。==================
お詫びなんかですむ話ではありません。
 本日、鳩山首相が沖縄を訪れて話したことです。
 その席で仲井真知事が何度も口にした言葉が耳に残っています。
 「普天間問題」に関する政府の見解について「マスコミの皆さんからの・・・・」というくだりです。
 これまでのアメリカとの交渉過程も含めて、ほとんど「沖縄無視」のスタンスであっただろうことがTVのライブ画像を観ながら感じていました。
 さて、「県外・国外移設」という前言を翻して「沖縄県内」しかも『辺野古付近』などと曖昧ない方で、問題の本質をごまかそうとしているようでした。
 今回の「普天間移設問題」で、沖縄の人々と多くの国民の『米軍基地』に対する意識は明確に変わったのではないでしょうか。
 これまでは、長らく続いた自公政権が、「基地と経済振興」なる「甘言」で、沖縄県民を否応なしに、「基地容認」の「多数派」を作り出していました。(そうなるように、沖縄経済を本気になって立て直すことはしていない)しかし、今回は違う!!!!
 もう、基地依存経済という「甘言」には惑わされないという沖縄県民の強い意志がひしひしと感じられてなりません。
 こういう県民の気持ちに寄り添うのであれば、とってつけたような「海兵隊=抑止力」などという屁理屈などを並べずに、「普天間基地撤去」という県民・国民要求を掲げて正々堂々とアメリカと交渉を開始すべきなのです。
 そうであれば、「普天間基地移設」どころか新たな「辺野古新基地建設」などというアメリカからの要求を退けることはできません。
 アメリカの本当の狙いは、沖縄における米軍基地の再編強化にあるのですから!!!
 そういう意味で、本日の「鳩山訪沖」が、新たな「屈辱の日」とならないように、沖縄県民と日本国民の意思と行動が試されているのかも知れません。

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ALS患者入院中もヘルパー派遣可能に 厚労省方針

2010518日 朝日新聞)

 

 厚生労働省は、全身の筋肉がまひする難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者が、家族の負担を軽くするために短期入院した場合、入院先に介護保険のヘルパーを派遣できるよう通知を見直す方針を決めた。

 重度のALS患者は、わずかに筋力の残った部分を動かし文字盤を使って会話するなどする。患者の特性を熟知したヘルパーが食事介助などの介護をする必要がある。

  現在の保険診療のルールでは、入院患者の看護はその病院の看護師が実施することになっていて、入院中はヘルパーを利用できない。ALS患者が短期間入院する場合、看護師との意思疎通が難しく、患者の不安が大きいと問題になっていた。

 特定の地域に限って規制を緩和する構造改革特区の検討を進めようと、佐賀県から提案があり、厚労省は全国的な対応が必要と判断した。(月舘彩子)

こうしたヘルパーさんの病院への「出向」は、ALSだけに限ったことではありません。

今日のように、障害者医療が一定の進歩を見せ、在宅医療が進む中で、患者さんを介護する人との意思疎通は大変重要な事です。

叉、入院する前の在宅医療の期間でお互いの意思疎通が深まっていることが多いのです。

建前論としては、入院医療下では、看護師さんがその周りの介護も担当することになりますが、実際にはなかなか困難なことが多いのではないでしょうか。

さて、その対象になるのは、私の経験するところでは、ALSの他にこのような処置が必要なのは、脳性麻痺による入院医療が上げられます。

今日、脳性麻痺で施設入所している人々が、生活の自立、職業の自立をめざして、積極的に自活の道を歩み始めています。

その支えになるのが24時間ヘルパー制度であることはすでに一般化しています。

しかし、いつまでも在宅とは行かない現状も出てきています。

例えば、障害者の高齢化問題、突発的な外傷、或いは悪性腫瘍や慢性疾患などの内部障害による入院も増加しています。

そんな時、全面的にとは行かないまでも、入院療養に部分的にでもヘルパー継続ができれば少なからずの障害者の方々が助かるかもしれません。

厚労省の英断に期待しています。

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知事、非常事態宣言で呼びかけ

 20100519日 朝日新聞)

 非常事態宣言では、発生地域内では一般住民にも不要の外出は控えることを要請。発生地域外でも多くの人が集まるイベントや大会は「可能な限り延期すること」とした。ただ、宣言は法律に基づくものではなく「お願いレベルの段階」(東国原知事)という。

口蹄疫(こう・てい・えき)の感染疑い・確定例が県内1市4町に拡大した18日、東国原英夫知事は非常事態を宣言した。発生地域とその周辺では、農家以外の人にも不要不急の外出を控えることを要請。地域外の一般車両にも消毒ポイントでの消毒を呼びかけるなど、県全体で畜産への打撃に危機感を持ち、自主的に防疫に取り組んでもらうことを目的としている。

 宣言は、現状について「懸命の防疫措置を講じてきたが拡大を止めることができない状況」だと分析。隣県や九州、全国に感染が拡大する可能性が否定できない事態だと訴えている。

 東国原知事は「これ以上拡散させないよう、県民に広く認識してもらうためのお願い」としており、宣言では「生活に多大な影響を及ぼす措置のため、事態の深刻さを受け止めて、理解と協力をお願いしたい」としている

宮崎県に端を発した「口蹄疫」感染・・・・これはもう、宮崎県だけの問題ではなく、九州から全国へ波及する問題になっています。

しかし、これに対する政府の対応は充分とは言えません。

感染が牛や豚に限定されているわけではなく、牛・豚感染が及ぼす影響は、畜産業種だけに限らず、その地域社会の「存亡」に関わる重大問題です。

対処とその後の対応次第では、関係地域が再起不能の状態になるかもしれません。

「生活第一」を標榜する鳩山内閣が国家としての責任を持って事態の収拾を成功させ、今後の予防体制を構築する先頭に立つことが求められています。

そんな中で・・・・東国原知事が記者会見で「切れ?」かかりました。

東国原知事「寝てない!けんか売ってんのか!」 大荒れ記者会見2010.5.18 産経ニュース)

感染拡大が続く口蹄(こうてい)疫に対し18日、非常事態宣言を発した宮崎県。「このままでは県の畜産が壊滅する」と宣言では危機感を鮮明に出した。

一方、会見した東国原英夫知事は、連日の拡大防止などへの対応に疲労困憊(こんぱい)の様子。今後の対応を迫る報道陣に対し、「けんかを売ってるのか」と声を荒らげ、退席しようとする一幕もあった。 

非常事態宣言は「懸命の防疫措置を講じてきたが、拡大が止まらない」として、消毒を徹底することや県民に対し不要不急の外出を控えることを記した。 

会見で東国原知事は、殺処分かワクチン接種かなど今後の防疫体制について「検討します」との言葉を繰り返した。

 しかし記者から、知事の判断ではないかと問われると、徐々にヒートアップ。最後には「我々は一生懸命やっているんです。毎日寝ずに」と怒鳴り、机をがんと叩いて「以上です」と会見を打ち切ろうとした。

 制止する報道陣に対し、「けんか売ってるのはそっちだ」と声を張り上げたが、職員らに促されて再び、会見の席に着いた。

 国の支援策などについて聞かれると、ようやく落ち着きをみせ、最後には「速やかに一歩踏み込んだ対策を出したい」と話した。
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こんな時に、東国原宮崎県知事が「切れている」場合じゃありません。

口蹄疫への政府の対応が遅れているのは、重々承知していますが、宮崎県の責任者を自認している東国原氏が、記者会見で「切れる?」姿はいただけません。

最初の口蹄疫の発症を家畜衛生研究所が最初に疑っていれば・・・・、

そして、それが県の統括さきである宮崎県家畜改良事業団に報告されていれば・・・、もっと有効な対策がしかれていた可能性がありました。

それらを指導しているのが宮崎県であることは、知事も良く理解している事ではないでしょうか。

県の最高責任者(彼は、「法的に」と拘っていましたが・・・)である知事が、不眠不休でこの対策に当たるのは、至極当然ではないでしょうか。

私たちも含めて、自らに責任のある緊急の「課題」に対して、「眠らないで、会議を設定し、一時も早く有効な対策を立て、実行に移す」のは、一般社会では当たり前に事です。

以前の東国原知事であれば、もっと誠実に、人の話に耳を傾けたのだろうと思いますが・・・・。

それができないほど、喫緊なのか、それとも「偉い知事さん」になりつつ階段をのぼっているのか・・・・。

どちらにしても、冷静な態度と判断が求められているのです。  

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学問守る闘いだった 北大イールズ事件60年

10/05/17 北海道新聞)

 

大学自治の大切さなどを訴えた「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」集会

 

 戦後間もない時期の思想弾圧に北大の学生らが抵抗した1950年のイールズ事件から60年を迎えた16日、札幌市北区の北大で市民向けの平和集会が開かれた。

 

 「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」と題した集会には約230人が参加した。

 

 当時の抗議活動で退学処分を受けた世話人会代表の高岡健次郎さん(78)=札幌市=は「事件は学問、思想の自由や大学自治を連合国軍総司令部(GHQ)の介入から守る闘いだった」と意義を強調した。

 

 同じく退学処分を受けた梁田政方さん(82)=東京都=は「大学の公史には講演を妨害したとされているが、妨害はない。大学当局は認識を改めるべきだ」と記述の改善を訴えた。  

 

この事件は、北大で「共産主義教授追放」の講演を行ったGHQの教育顧問W・C・イールズへの抗議活動で、学生10人が大学当局から退学や無期停学などの処分を受けたもので、全国のレッドパージに対する抗議運動の契機となった。

 

昨日、地元の札幌で、「北大の自由・自治・反戦・平和の歴史を考える」が開催されました。

 

その内容も、1950年(60年前)の「学問の自由」を守ったイールズ闘争のみならず、60年の日米安保改定反対闘争(50年前)、70年の日米安保廃棄・学園闘争(40年前)など・・・そして、現在の「独立法人化」された大學での問題点などの報告がありました。

 

 報告を聞いて、改めて理解できたこと・・・・。

1)「イールズ闘争」とは、当時の一部の北大生が単に騒いだのではなく、マッカーサー指導された「学問の自由」への侵害にたいして、学生だけでなく、当時の学長をはじめとして文字通り全学的「イールズ講演反対運動」であったこと。

 

 2)その中で退学・停学処分された当時の学生のなかでも復学など「未処置」のままに人がいること。

 

3)北大125年の「歴史」の中でも、大學当局から不当な「小さい扱い」を受けていること。

 

4)当時、「退学処分」された学生のその後の誠実な人生が生々しく語られたこと。などが印象的でした。

 

また、60年安保闘争に関わった当時の北大教養学部学生自治会委員長 森谷尚行氏が「60年安保と今日の課題」を報告。

   60年に改定された「日米安保条約」が、実は密約に基づいた「偽の条約」であったこと、そして仮に「安保賛成」でも二国間の条約としては全くその形をなしていないことが指摘されました。 

2)  その延長線上にある、今の沖縄「普天間基地問題」からしても、「60年安保」の今日的意義も強調されていました。

 

 その後、学生の進歩的な闘いに驚いた政府・文部省からの大學介入が、大學での学生生活や研究条件、大學の管理体制に深刻な矛盾を作り出しました。

 

 そのため、東大医学部、学生退学処分に端を発した、学園民主化運動が瞬く間に全国へ拡がり、70年を中心に「学園紛争」として多くの大學で闘われました。

 

 しかし、ここでも政府・文部省(現文科省)からの介入が凄まじく、学生の自治活動は、勢いを失い、現在では北大であっても「学生自治会」は、崩壊したのも同然なのです。

 

 こうした中で、国立大学の「独立行政化」が施行され、70年代とは全く水準の異なる大學の管理運営強化が図られているのが現状との報告もありました。

 

 大學事務局長は、文科省からの「派遣人事」、しかも大學の理事も兼任し、強大な権限を大學運営に差し込んでいます。

 

 また、大學予算の削減に続く削減、予算の「選択と集中」により「役に立つ?」人材と部署にはゆとりある予算、そうでない部門には予算の締め付け・・・。

 

 学生の奨学金問題や就職活動の「早期化」は、大学生に、「学び、育つ」機会を奪う結果となっています。

 

  叉、大學院生が増加して、在学生の三分の一に及び、「ポスドク」問題がますます深刻になっている実態も語られました。

 

 こうしてみると、本来の「大學の使命」をはたすために、学問と大學のあり方を歴史に遡り、改めて提起してくれたのが今回の「集会」では、なかったでしょうか。

 

 内容の濃い、一日でした。

 

 準備され方、また遠路参加されこれまでの生き様も含めて語ってくれた諸氏に心から感謝です。

 

 そして、参加し発言していた北大文学部の学生に期待をこめて・・・・。

 

 

北大「イールズ事件」から58年 「民主、反戦、自由」に青春 (2008/06/10 北海道新聞)

 連合国軍総司令部(GHQ)の教育顧問W・C・イールズが、北大で行った「共産主義教授追放」の講演会をきっかけに、抗議運動が広がった「イールズ事件」から今年で五十八年。運動を支えた男女三十人が六日、事件後初めて、母校に集まった。「民主、反戦、自由」に青春を燃やした元北大生たちは、五十八年目の「同窓会」に何を思うのか。(佐藤千歳)
 

「共産主義教授」追放演説に抗議 元学生 母校で初の同窓会
 「運動に、いささかでもかかわった人であれば、その程度、以後の歩みのいかんを問わず、あの純粋な日々を共にしたことがあるという一点で、誰でも等しく迎える」-。
 

 六日の集まりに向け、仲間に送られた呼びかけ文書である。中野徹三さん(77)=札幌市中央区=や、桂川良伸さん(76)=同北区=ら、道内在住の七人がまとめた。
 

 イールズ事件後、仲間たちは、別々の道を歩いた。高校教師、弁護士、日本共産党の元幹部もいれば、自民党の元国会議員もいた。今回、札幌に集まった三十人は、「イールズ事件に怒り、立ち上がった」というその一点だけで結びつく。
 

 鬼籍に入った仲間も多い。つえをついて、病気をおして、札幌に集まった仲間を見渡しながら、元教師の森谷長能さん=札幌市厚別区=は「ひどい青春だったけど、新しい時代をつくる希望があった。当時の思いは、今も私たちの中に残っている」とうなずいた。
 

 ひどい青春-。「深刻な食糧不足で、昼時には海藻でつくっためんを求める学生の長い列が食堂前にできた」。事件当時、北海道学生自治会連合会(道学連)委員長だった梁田政方さん(80)=札幌出身=は、現在のクラーク会館のあたりを指さす。
 

 事件の十カ月前には、北大を視察に訪れた文部大臣に学生らが石炭不足を直訴、乱闘騒ぎになった「高瀬文相事件」が起きた。
 それでも、全浩天(チョンホチョン)さん(76)=函館出身=は、「食うや食わずでも、三度の飯よりイールズ闘争に関心があった」と話す。
 イールズの講演会から一カ月あまり過ぎた六月下旬。講演を妨害したとして、梁田さんら十人の処分が発表された。すぐ、反対運動が、道内の鉄道労組や炭鉱労組に広がった。

 「田舎から出てきた私が、初めて政治に目覚めたのがイールズ闘争。大学の枠を超えて集まって、学問の自由と自治を訴えた。イールズ闘争は私たちの学校でした」
 だが、学生の処分は、覆らなかった。
 

 翌一九五一年、サンフランシスコ講和条約締結。西側陣営に組み込まれた日本は、再軍備を行い、経済復興の道を進んだ。イールズ事件は、「暗い谷間」とされる七年の占領時代とともに、忘れられようとしている。
 

 「世の中はひっくり返せなかったけど、自分の中では何かが変わった」。理学部自治委員だった和気和民さん(80)=札幌市中央区=が言う。「新憲法はできたけど、それだけでは自由も平和も守れない。自分で考えて行動するのが基本だと考えるきっかけが、イールズ闘争だった」
 

 六日午前。雨にぬれた新緑がつややかに輝く北大構内を、三十人でそぞろ歩いた。
 イールズの講演会当日、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・イールズ」のビラが一面に張られたという正門から中央講堂への道。
 

 「ナマズ問答だっけ? 傑作だったな」と誰かが言うと、「ナマズじゃなくてウナギ」と笑いながら歩く。イールズと北大の教授が行った公開討論のことだ。「ウナギ」問答は、イールズの名前と、英語でウナギを意味する「イール」をかけたしゃれ。
 

 公開討論でイールズは、「ソ連では将来、2+2=5になると言われている。共産主義下では、数学すら真理たり得ない」と断じた。これに理学部の宮原将平教授(当時)が「2+2=5がソ連の数学なら、原爆も飛行機もできない。米国は、ソ連の侵略の心配がなくなるから、日本に軍事基地を置く必要もない」と切りかえし、満座の学生から大拍手が起きた。
 

 結城千草さん(76)=さいたま市=は、北大の女子学生二期生。入学後まもなく、問答を聞いた。「イールズは何言ってるのかよく分からなかったけど、みんなで集まって面白くって。懐かしいわね」。目を輝かせた。
 

 イールズが講演した中央講堂も、抗議する学生がつめかけた大学本部も、今はない。散策を終え、三十人は大学本部の跡地に近いレストランに集まった。

 「イールズ闘争は、まだ終わっていない。現在、戦争放棄を柱とした憲法九条の改定に焦点が置かれている。イールズ闘争にみられる北大の民主の伝統は、今の世の中で必ずや必要になる」。事件で退学処分となり、労働運動に身を投じた梁田氏があいさつした。
 

 解散の時間。「都ぞ弥生を歌おう」。誰からともなく声が上がる。三十人は、体を支え合いながら肩を組み、輪になった。他の客を気遣い、抑えた声で歌い出す。

都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴遊(うたげ)の莚(むしろ)
夢こそ一時青き繁みに
燃えなん我胸想(おもい)を載せて 「二年先か、三年先か分からない。でも、必ずまた、新しいアイデアを携えて、会いましょう」。会の準備中、脳出血で倒れた中野徹三さんが言った。
 何度も何度も握手をして、三十人の元学生たちは、それぞれの道に散っていった。

<イールズ事件>
 全国の大学を回り、共産主義教授追放の演説を行っていた連合国軍総司令部民間情報教育局顧問のW・C・イールズが、1950年5月15・16日、北大で講演会を挙行。
 16日は学生らと懇談を予定していたが、イールズが質問を許さずに講演を続けたため、学生らが猛反発し、講演会は中止。学生らは全学大会を開き、イールズ声明の完全拒否や占領軍の即時撤退を決議した。

 

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自殺率「生活保護」2.5倍、失職→困窮→孤立「負の連鎖」

2010513   提供:読売新聞

  昨年1045人 全体平均と比べ若者の自殺傾向が強まり、「失業」や「生活苦」を理由にした自殺者も昨年、急増したことが明らかになった警察庁の自殺統計(13日公表)。

 厚生労働省の調査では、全国の生活保護受給者のうち、昨年自殺した人は1045人で、10万人あたりの自殺率は平均の約2・5倍に上る。失職をきっかけに経済的困窮を招き、それが社会からの孤立を生むという負の連鎖。生活保護の受給に負い目を感じるというケースもあり、年々増加する受給者を精神面でどう支援するのかが課題として浮上している。

 さいたま市岩槻区。築30年近い2Kのアパートで、生活保護を受けながら一人暮らしをする男性(64)は毎晩、布団に入るたびに「生きているのが申し訳ない」という思いにさいなまれ、眠れない日が続く。

 家庭用品のメーカーで営業職に就いていた男性が会社を辞めたのは30歳の時。妻との離婚がきっかけだった。その後、派遣の仕事を転々としていたが、昨年2月に“派遣切り”に遭って職とともに住居も失った。日雇いの仕事をしながら、サウナでの仮眠や野宿を繰り返す日々。「このまま野垂れ死ぬくらいなら……」と考え、今年2月、神奈川県内の公園に足を運んだ。

 公園の木にロープをくくりつけていると、野犬に追い立てられ、突然、恐怖心がわき起こった。それから支援団体を訪ね、3月からは生活保護で住まいと生活のめどだけは立った。しかし今度は、生活保護を受けていることで自己嫌悪に陥り、また「自殺」の2文字が頭をよぎるようになった。 「周りからさげすまれているようにも感じる。自分が生きている理由が見つからない」。男性はそう言って目を潤ませた。

 生活保護受給世帯が、昨年12月に130万7445世帯(速報値)と過去最高を更新する中、厚労省は今年初めて、生活保護を受給中に自殺した人を過去3年さかのぼって調査した。それによると、2007年に全国で577人だった自殺者は08年は843人、昨年は1045人と年々増加しており、生活保護受給者10万人当たりの自殺者は昨年で62・4人と、全体平均の約2・5倍。このうち671人が精神疾患を抱えており、813人が一人暮らしだった。

 生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとポット」(さいたま市)は昨年、311人の困窮者を支援し、その大半が生活保護を受給した。このうち17%の53人が30歳代以下の若者で、前年から2・5ポイント増えた。しかし、保護から脱したのは1-2割程度で、30歳代の男性が就職できないことを苦に自殺したほか、誰にもみとられなかった孤独死が3人いた。藤田孝典代表理事は「生活保護で一時的に生活はできても社会的に孤立してしまっている。生活保護は正当な権利で恥じる必要はないが、まじめな人ほど『なぜ仕事に就けないのか』と思い悩むケースが多い。

一人暮らしの受給者が増えており、就労以外の社会的居場所をどう作っていくかを考えていかなくてはいけない」と指摘する。自殺対策 自治体で差 政府の「自殺対策緊急戦略チーム」は昨年11月、「自殺対策100日プラン」を策定し、失業者や生活困窮者の自殺防止を目的に、年末と年度末に全国のハローワークに相談窓口を開設するなどの対策に取り組んできた。

その結果、昨年9月以降の自殺者は今年4月まで8か月連続で前年同期から減少。今年も年間で最も自殺者が多い3月が、過去3年間で最少の2898人(暫定値)にとどまった。しかし、4月までの自殺者は1万309人(同)で、なお年間3万人超のペース。

  同戦略チームのメンバーでNPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」代表の清水康之さんは「政府の対策の直接的効果というより、社会の関心の高まりが背景にあるのではないか。まだ自治体によって取り組みに差があり、今後はそれぞれの地域で実態に即した対策を進めるべきだ」と指摘する。

毎日の診療を続けていて、最近気になるのが「生活保護」家庭の多いことです。

その中でも、以前は母子家庭にその頻度が高かったのですが、今では、青壮年男子も「普通?」に医療保護の資格で病院を受診してくることが多くなっています。

その背景には、経済不況や社会的孤立のなかで、経済的破綻をきたし一時的にせよ「生活保護」で生活を立て直すことになっているのだろうと考えられます。

しかし、立て直すと言っても、立て直す場となる「社会」が経済不況の真っ直中にあり、ましてや精神的にも社会的疎外を感じているとそう簡単には、「社会復帰」や「労働復帰」が容易でないことが想像されます。

もう一つ特徴的なのは、「独居老人世帯」の多いことです。

脊椎圧迫骨折で来院される方の多い中で、ご家族が一緒であれば何とか活路を見いだすにしても、全くのひとり暮らしでは、入院・入所を検討するのですが、安静・保存療法のための病床確保が難しいのです。

結局、在宅医療で「治療」を行うのですが、なかなか思うようにはいきません。

そのうち、病院と連絡が取れなくなり、無理に駆けつけて、遮二無二ドアを開けたときには、息絶えていたと言う実話があったのもつい3か月前でした。

病院も含め地域で、もう少しそれぞれの独居の人々と繋がりがとれていれば・・・・と言う反省と後悔が未だに脳裏から離れることはありません。

こうした、経済不況や「地域社会崩壊」が、困難を抱える人々から自己の存在価値と生きる力を失わせ、最悪「自殺」の道へ進ませる・・・・。

根本的には、社会の有り様を変革すると言うことになるのですが、そうしている間にも「自殺願望」の人が増え続けている現状からすると、「とりあえずの処置」も必要です。

私には、今すぐ大それた事は出来ませんが、せめて患者さんの話を親身になって良く聞いて、「妙案」はでないかしれませんが、一緒に解決策を考えてみょうと思います。

すぐにできるのだから・・・・。

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自殺の原因、「失業」65%増 「生活苦」も目立つ 警察庁09年まとめ

2010/5/13 日経新聞)

 警察庁は13日、12年連続で3万人超となった昨年の自殺者の動機や年齢などをまとめた結果を発表した。特定できた原因・動機では、「失業」が65.3%増の1071人、「生活苦」が34.3%増の1731人となるなど、長引く景気低迷の影響で「経済・生活問題」を理由とするケースが大きく増えた。人口に占める自殺者の割合は50代が最も高かった一方、20代と30代では過去最高を更新した。

 自殺者は2008年秋のリーマン・ショック直後に増加し、09年も高い水準が続いた。同年の年間自殺者数は3万2845人で、前年比1.8%増。1月公表の暫定値より92人増えた。男性が同2.8%増の2万3472人(全体の71.5%)となったのに対し、女性は同0.5%減の9373人(全体の28.5%)。

 このうち、全国の警察の調べで原因・動機が特定できた2万4400人余りについて、1人につき3項目までまとめたところ、最も多かったのは前年と同様に「健康問題」で、延べ1万5867人(前年比4.7%増)に達した。

 健康問題の内訳では、うつ病が6949人(同7.1%増)。全年代を通じて最も多く、3060代ではいずれも1200人以上に達した。

 「経済・生活問題」(延べ8377人)の内訳では、事業不振や就職失敗などを背景とした生活苦や失業が大幅増となる一方、多重債務は5.9%減った。「勤務問題」(延べ2528人)では、仕事の失敗や職場環境の変化などが目立った。

 人口10万人当たりの「自殺率」は、20代は24.1人(0.8人増)で2年連続増加、30代は26.2人(0.1人増)で3年連続増加。ともに統計のある1978年以降で最も高くなった。年代別で自殺率が最も高かったのは50代の38.5人。未成年と70代はいずれも前年を下回った。

我が国の「自殺者」が増加し続けています。

2008年のリーマンショック以後の「経済不況」以降、追い打ちをかけるように自殺に走る、否、自殺に追い込まれる人が増えているのが実態ではないでしょうか。

先日過ごした「大阪、釜が崎・愛隣地区」では、炊き出ししているボランティアの方から、今日の特徴として、失業による生活困難者の増加を教えられました。

そして、3万人をこえる「自殺者」の周りには、その何倍もの「自殺予備軍」が控えていることも知っておかなければなりません。

総体的には、国と自治体の責任で社会保障などのセーフティネットの構築・強化が急がれます。

振り返ると、新自由主義による小泉構造改革路線が国家と社会を与えたマイナスの影響は計り知れないところまできています。

その傷痕があまりにも深いが故に、「政権交代」による修復効果は未だ日の目を見ないのが実状です。

同時に、景気の回復が遅れに遅れていることも、国民、特に不安定雇用の人々にとっては、先の見えない不安をかき立てているのではないでしょうか。

来る参議院選挙に向けて、「沖縄普天間基地」問題ともに、生活・労働問題や社会保障問題も取り上げてほしいものです。

叉、不幸にして自殺に追い込まれそうになっている人々に対する支援の輪をもっともっと広げる必要があります。

すでに「命の電話」などで、涙ぐましい努力されている自治体・団体や個人には心から尊敬の気持ちを抱くものです。

同時に、われわれ一市民でも何かお手伝いできることがあればと思っています。

自殺は、当人にとって最も無念な事ではありますが、一方では残された遺族の心の傷も深いのですから・・・・・。  

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日医連:民主公認の新人を推薦 自民現職は支援に格下げ

2010511日 毎日新聞

 

 日本医師会(日医)の政治団体「日本医師連盟」は11日、東京都内で執行委員会を開き、今夏の参院選比例代表で、民主党公認で出馬予定の新人、安藤高夫氏(51)の推薦を決めた。すでに決めていた自民党現職の西島英利氏(62)への推薦は取り消し、支援に格下げした。「親民主派」の原中勝征・日医新会長の判断で方針転換した。長年の支持政党だった自民党以外の候補を推薦するのは初めてで、参院選に大きな影響を与えそうだ。【鈴木直】

 

 各都道府県医師連盟からは10日までに安藤、西島両氏のほか、みんなの党の元衆院議員、清水鴻一郎氏(64)の推薦があった。執行委員会では最終決定を委員長一任とし、原中氏が最終判断を下した。原中氏は執行委員会後の記者会見で「規約上、推薦候補は1人。

日医の思いを実現するためには政権政党との関係を考えないといけない」と述べ、安藤氏推薦の理由を説明した。

 安藤氏推薦の決定に民主党の石井一選挙対策委員長は首相官邸で記者団に「政権与党と日医の関係がスムーズでなければ国民の健康は守れない」と歓迎の意向を示した。

 民主党側の狙いは、日医から自民党側に人とカネが流れるルートを遮断すること。当初は両氏とも推薦しないよう原中氏側に求めていた。しかし、両氏とも推薦しない場合、日医連としての存在感が薄れる懸念があった。また、関係者によれば、約20の地方組織が西島氏を推しており、これを撤回すれば組織内にしこりが残るのは必至。

このため、地方組織の判断で西島氏の応援も認めることで安藤氏の推薦を確保した格好だ。 ただ、会見に同席した藤川謙二常任執行委員は「中央の考えも踏まえて活動していただけるようになると思う」と述べ、安藤氏への支持の広がりに期待感を示した。

 これに対し、西島氏は毎日新聞の取材に「全国に支援を呼び掛け、応援してくれる仲間を増やしていきたい」と出馬の意思に変わりないことを強調した。

 事実上、地方組織を奪い合う構図だが、日医の集票力は年々、落ちており、07年には推薦候補が1人でも落選している。ある参院自民党幹部は「相当、厳しくなった」ともらした。

日医に新執行部が誕生して、「日医政治部」である「日医連」の動向が注目されていました。

出された結論は、民主推薦、自民現職とみんなの党は支援となりました。

ここに至っても、やはり日医として、つまり「組織としての推薦」路線からは脱却できないのかもしれません。

日医の要求=国民の医療改善を実現するために、どのように政治に関わるべきなのか・・・・こうした「そもそも論」「原理・原則」を抜きにしているところが最も問題なのではないでしょうか。

民主党であれ、自民党であれ、共産党であれ、どの政党と政治勢力が、我々の要求と共通しているのか・・・・・ここが最も大切なのです。

従って、日医と「日医連」本部のとるべき方策は、我々会員の要求を集約し、それをもとに日医の基本要求を各政党に提示することが第一なのです。

そして、それに基づいて各会員がどの政党・候補を支持・推薦・応援するのかをまかせるようにすべきではないでしょうか。

そうすれば、日医は、末端会員からのエネルギーも相当発揮できるような組織に生まれ変わることができると思いますが、如何でしょうか!!! 

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