「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」(加藤周一)

20091210日(木)朝日新聞 天声人語) 

〈まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている〉の書き出しで、司馬遼太郎作「坂の上の雲」は始まる。その小さな国の開化に、琉球王国は呑(の)み込まれていった。いわゆる琉球処分で沖縄県になってから、今年で130年になる

▼明治政府が琉球にこだわった大きな理由は「国防」だった。唱歌の「蛍の光」はかつて4番まであり、千島の奥も沖縄も、八洲(やしま)の内の守りなり……と歌われたそうだ。先の戦争では本土を守る「捨て石」にされ、戦争が終わると「太平洋の要石(かなめいし)」になった。基地の島である

戦後、本土は憲法9条に守られる。しかし沖縄には異なる時間が流れてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、さらにはイラク戦争。基地を通じて戦争にかかわってきた。三つの世紀をまたぐ歴史の先に、いまの普天間飛行場問題がある

▼米側との「返還」の合意からすでに13年がたつ。県内移設を突きつけられた当時の大田知事は、「この狭い沖縄の、どこにそんな場所があるのか」と憤った。島の多くの人々の思いでもあっただろう

▼ラテン語の諺(ことわざ)に「平和を望むなら戦争を準備せよ」とあるそうだ。顧みれば本土は、自らの平和のために、戦後もずっと沖縄に「戦争の準備」の場であることを強いてきたのではなかったか

「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」。これは評論家の故・加藤周一さんが切り返した言葉である。沖縄の歴史と現実を沖縄だけのものとせず、考えを巡らせたい。考えの一つ一つが、ひいては「平和の準備」につながっていく。

沖縄普天間基地問題が、頂点へ向けて動き出そうとしています。

こうした時点にあたり、『沖縄』そのものを、歴史の中からとらえ返すことがますます重要になっています。

日本の「本土の平和」のために、薩摩・島津藩の時代から犠牲を強いられて生きたのが「沖縄」でした。

もうこれ以上、どうして沖縄と沖縄の人々に、無理強いを行うのか・・・・・。130年前、否20年前の「平和な沖縄」を取り戻すために、全ての日本国民は沖縄を自分の課題として声を上げるべきです、「沖縄から米軍は出て行け」と・・・・。

その中で、今次の普天間基地移設問題を、沖縄から米軍基地撤去を実現するためのスタートラインとすることが大切です。

「政権交代」を実現した国民の力で、辺野古移設を確認した「日米合意」を白紙に戻し、基地の国外移設(グアム移転が現実的か・・・)を主張すべきなのが、鳩山政権のとるべき道ではないでしょうか。

基地のない沖縄を実現するまで、日本の戦後は続きます。

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「戦場でワルツを」 (イスラエル・独ほか)

美しく悪魔的な記憶 

 

20091127  読売新聞)

 

 戦争についての映画を撮るために、兵士にインタビューする。彼らの証言で戦場の様子を再現した映画は、真に迫っているかもしれないが、あくまで、記憶の再現にとどまる。ドキュメンタリーのようだが、戦争そのものの記録ではない。アリ・フォルマン監督は、アニメーションの手法を導入することで、そうした記憶の問題に迫った。

 本作の主人公は、1982年のレバノン侵攻に従軍した映画監督のアリ。彼には、戦争の記憶がない。唯一、脳裏によみがえってきたのは、照明弾が光る夜、ベイルートの海に全裸で漂っているイメージだけだ。アリは、記憶を求めて戦友を訪ねる。

 アリは、フォルマン監督自身の姿である。イスラエル人のフォルマン監督が、従軍の記憶を失い、実際に戦友たちをスタジオに呼んでインタビューした。その記録映像をアニメーション化し、証言に基づく戦場のイメージを加えて完成させたのだ。

  元兵士たちが語る記憶は複雑多様だ。すさんだ兵士の心を包み込むかのように、水中から現れる巨大な裸の女、ワルツを踊るかのように機関銃を乱射する兵士。彼らの恐怖や不安と結びついた記憶は、夢のように美しく悪魔的だ。いかにも、アニメーション映像にふさわしいイメージといえる。

 次第にアリの記憶も輪郭を形作っていくが、大勢のパレスチナ難民が犠牲になったサブラ・シャティーラの虐殺の記憶は失われたまま。映画の後半では、虐殺の記憶をたどるアリの旅が描かれるが、両親のアウシュビッツ体験がかせになっていたことが分かる。アウシュビッツでは被害者だったのに、レバノンでは加害者に転じた経験が、トラウマのように記憶をゆがませていたということだろう。

  真実に近づくにつれ、美しかったアニメーションが、次第に戦争の実写映像に近づいていく。そして、ラスト、限りなく真実に近い記憶にたどりついたかにみえた瞬間、まったく異質の記録映像が挿入される。これこそが真実だと突きつけられたようで、その衝撃は大きい。せめて悪夢にとどめておきたかったことが、現実としてせりあがってくるのだから。

 アニメとドキュメンタリーの対比が理にかないすぎている点もあるが、戦争を題材に、記憶と記録という映画の本質を問う意欲作である。1時間30分。シネスイッチ銀座。(近藤孝)

 

 

先に結論を言います・・・・・・これは、アニメ映画ではなく、正真正銘のドキメンタリー映画だと言うことです。

消えた戦争の記憶を取り戻すと言う形をとりながら、1982年にレバノンへ侵攻したイスラエル軍が行った蛮行を告発しているのです。

 映画は、3000人のパレスチナ難民が犠牲となったサブラとシャティーラ地区での大量虐殺へ向かって記憶が取り戻されて、衝撃のエンディングへと繋がってゆきます。

 

 しかもこの映画が、レバノンへ侵略したイスラエルに住むアリ・フォルマン氏により作られたことです。 

 パレスチナに占領を続けるイスラエルが、それ自身の国民から占領と虐殺の告発を受けているのです。

 これは、先日紹介した、イスラエル帰還兵によるパレスチナ占領の告発と兵士自身の人間崩壊を描いた土井敏邦監督作「沈黙を破る」と双璧をなす作品です。 

 イラクやアフガン戦争からの帰還兵による「冬の兵士」活動が、アメリカで広がりを見せ、戦争に実態とその結果として起こる「人間破壊」・・・・。 

 戦争は、侵略する側にも多大な被害をもたらしていることを「冬の兵士」が教えてくれています。 

 2008年カンヌ国際映画祭で上映されて話題をさらい、あの「おくりびと」と本年度米国アカデミー賞外国語映画賞を競ったことは有名な話です。 

 「おくりびと」で主演した本木雅弘氏をして、「本来、『戦場でワルツを』の方が賞に値する映画です」と言わしめたものです。

 

2008年12月10日付け日経新聞で美術家の森村泰昌氏がREViEWを書いています。

「・・・・・本作の最後がアニメでないと言う点だけは言っておきたい。この個所こそが最も重要な場面だからである。映画をこの結末へ至らせるための長い布石として、あえてアニメ表現が用いられている、という点は強調されていいと思う。 

「戦場でワルツを」は、アニメだから面白いのではない。アニメによってスタートし、最後にアニメが裏切られる仕組みがすばらしいのである。これは、まったくもってアニメ映画ではない。」 

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