枯れ葉剤

(北海道新聞11月11日 卓上四季)

しばらくベトナムと周辺を歩いてきた。戦争中に米軍がまいた枯れ葉剤の影響とされる奇形の赤ちゃんが、今も生まれていることは驚きだった。リハビリや治療を受ける子供たちを、ホーチミン市の病院に訪ねた 

優しくされているからだろう、子供たちは人なつっこい。だっこして、握手して、と5歳くらいの子が駆け寄ってきた。ひざから下は、足がない。左右の手とも、指が2本だけだ。小さな三日月のようなその手を握る。柔らかく温かだった

この病棟には学齢前くらいの子供が集まる。手足の一部が欠けた子が多い。眼球がない子、皮膚の異常で手や顔がうろこのようになった子もいる。父母や祖父母が枯れ葉剤を浴びた

日本では被害者として「ベトちゃん・ドクちゃん」の兄弟が知られている。結合した下半身の分離手術に成功したのがこの病院だ。成長したドクさんにお会いした。その双子の赤ちゃんの元気な様子も見せてもらった

だがベトナムで、ドクさんは特別な存在ではない。米軍は補給路や拠点をつぶすため、ダイオキシンを含む枯れ葉剤を大量に投下した。その被害者は400万人にのぼるとベトナム側はみる。この地で、戦争は終わっていない

ベトナム戦争の最中、沖縄が米軍の前進基地とされていた。あの戦争を「日米同盟」が支えた。いま普天間飛行場の移設問題を考える際、ひとつの視角ともなろう。

私も、10月に2週間ばかりベトナムへ障害者・児の調査活動に行ってきました。

その中でも枯葉剤による被害児に接することができました。

現在の問題は、枯葉剤の第三世代問題です

第一世代はベトナム戦争の当事者世代、第二世代はその子供たち(ドクさんはこの世代に当たります)、そして、第二世代の子供として生まれてくるのが問題になる第三世代なのです。

 一見して健康な第二世代のカップル間に枯葉剤被害と思われる障害児(第三世代)が誕生してしまうのです。

その中の一部とはいえ、生まれてきた障害児をめぐり、離婚して母子家庭に成ってしまった例や、その障害児を捨て子として育児放棄する例もありました。

そうした子供たちを養育しているキリスト教関係の施設では、診断が不可能な子供たちが、サークルベットの中で横たわっているのを見るにつけ、胸の締め付けられる思いがしました。

ベトナム戦争時に大量に散布されたダイオキシン被害は、歴史上初めての経験でありこれからの広がりや疾患の予後など、未知の部分が大半です。

これは、ちょうど広島・長崎の原爆被害や、様々な核汚染、水俣病などの公害被害とも同じような観点からも見る必要があるのです。

しかし、ダイオキシンを散布したアメリカ当局やそれを製造した化学会社は、国際裁判の中でもその責任を認めようとはしていません。

一方では、米・化学会社は、枯葉剤被害を受けた米軍のベトナム帰還兵には保障をしている「二重基準」を採用しているのにです!!

ベトナムの戦闘は、30年前に終了しているにもかかわらず、ベトナム戦争は、未だ終了してはいないのです。

この枯葉剤被害が解決しないり・・・・。 

そして、2009年の日本・沖縄の実・・・・

当時、アメリカのベトナム戦争を支えたのは、日米同盟下の日本でありました。

沖縄の米軍基地から北爆の戦闘機や爆撃機た飛び立ち、あの獰猛な海兵隊の出撃基地として沖縄が存分の役割を果たしていました。

それが30年の以上も続く、沖縄嘉手納・普天間基地・・・・。

アメリカは、そんな軍事関係に予算を費やすよりも、海兵隊解散・基地撤去、そして、ベトナムへの枯葉剤被害者への補償やベトナムへの社会的・医学的サポートへ本腰を入れるべきではないでしょうか。 

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