死を身近に感じないとき、それだけで人は幸せかもしれない。いざ直面して、動転する。〈昨日まで人のことかと思いしが/おれが死ぬのか/これはたまらん〉。江戸の狂歌師・太田蜀山人(しょくさんじん)の辞世の歌とも伝わる
▼自分や家族が死ぬ際、選択があり得る。臓器が別の誰かを救うなら、その役に立とう-。身の内にともした命の火が、こうしてリレーされる。提供の機会を増やすための臓器移植法改正案(A案)が衆院で可決された
▼移植をすれば助かる命が、いま失われている。救える命は救いたい、と思う方は多いだろう。その先に脳死という難問が待っている。現行法は、臓器提供する時に限って脳死を人の死と位置づけている。改正A案では、脳死を一律に人の死だとした
▼脳死状態でもぬくもりはある。子供だと、その容体が長く続くことがある。髪が伸び、体も大きくなる。親にとっては、それが子供の「人生」だ。死とは受け入れにくい。こうした立場から、A案への反対論も根強い
▼衆院の採決では、棄権の共産党以外は、各党が個人の判断で投票した。国民の間で議論が煮詰まっていない表れでもあろう。衆院での審議はわずか9時間、唐突な印象は抜きがたい
臓器提供の15歳以上の年齢制限を撤廃する臓器移植法改正案(A案)は、野党の有志議員が提出した「子ども脳死臨調」設置を柱とする対案とともに、26日午前の参院本会議で趣旨説明が行われ、審議入りした。
A案は脳死を一律に人の死と位置づけ、本人の生前の拒否がなければ家族同意で臓器提供が可能になる。対案は現行法の枠組みを維持した上で、施行後1年をめどに、子ども脳死臨調で15歳未満の脳死判定基準や虐待児からの臓器摘出防止策などを検討する。両法案とも過半数獲得のめどは立っておらず、成立前に衆院が解散されれば廃案となる。
人間の死、ましてや子供の死の定義を法律で決定するために、前回の衆議院での取り組みほど、性急なものはありませんでした。
その中では、「虐待児問題」や発達過程にある小児の「生命力への可能性」などが十分議論されている訳ではありませんでした。
にもかかわらず、このまま「A案」で強行しょうとすると、今後様々な否定的な事態が予想され、移植医療そのものの発展を阻害するような気がしてなりません。
国際的な移植臓器の不足により、「イスタンブール宣言」http://www.asas.or.jp/jst/pdf/istanblu_summit200806.pdfに基づく移植医療が求められる今日、わが国の国民の多くが納得できるような「国民合意」の形成が重要です。
本来、臓器提供や移植への「国民合意」を作るために働くべき国会が、拙劣にも多数決で「子供の死」を決めかけているのが現時点です。
今回、参議院で野党有志による「子供脳死臨調」設置が提案されたことは、一見「遠回り」の様な印象を持たれる人がいるかもしれません。
しかし、国民合意を促進するための「子供脳死臨調」設置は、これからのわが国における移植医療の発展にとっては、むしろ重要なことではないでしょうか。
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