==大戦後、今日まで続く「バルビーのやり方」==「グアンタナモ、テロ容疑者収容施設」からイラク「アブグレイブ刑務所」まで==
これは、第2次世界大戦中、<リヨンの虐殺者>として異名をはせた元ナチス・ドイツ親衛隊のクラウス・バルビーの特異な半生を描いた映画でしたhttp://www.teki-tomo.jp/
第1の人生は、ドイツ占領下のフランスで、レジスタンス活動やユダヤ人を迫害し、<リヨンの虐殺者(Bucher of Lyon)>の異名を持つ、ゲシュタポとして・・・・。
映画の冒頭は、リヨンの孤児院から子供たちを強制収容所におくり殺戮を行ったところから始まるように、彼の戦時下での冷徹な行動が映し出されています。
第2の人生は、戦後のヨーロッパでアメリカ陸軍情報部(CIC)のためにスパイ活動をしていたエージェント・バルビーとして・・・・。
大戦後、直ちに始まった(正確には大戦中から始まっていた)東西冷戦という歴史的状況の中で、当時のソ連の内実をアメリカ情報部よりも詳しいのもとして、アメリカの保護の下に、スパイとして暗躍していました。
第3の人生は、南米ボリビアにおいて、軍事政権を支援、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案したクラウス・アルトマンとして・・・・。
戦後、中南米を支配しょうとしていたアメリカが彼を南米大陸(ボリビア)に送り込み数々の軍事政権の顧問的役割として活用したのかもしれません。
特に、軍事政権への敵対者に対しては、容赦のない尋問が繰り返されましたが、そのやり方の手ほどきをしたのが、ナチス政権下でも活躍したバルビーでした。
1970年代、アジェンデ大統領によって作られた「チリ民主連合政府」をクーデターで転覆したピノチェト将軍のおこなった虐殺は、左翼のみならず一般自由人まで及びましたが、その中枢を指導下のもバルビー的なものとして告発していました。
その後のバルビーは、1983年に民政に移管されたボリビアから追放されフランス領ギアナでフランス当局に逮捕されました。
1987年、17に及ぶ<人道に対する罪>で終身刑を宣告されました。1991年、刑務所ナイン病院で、癌により死去しました。 映画は、ここで終了しますが・・・・・
その後も「バルビーの遺産」が今日も生きていることがあります。そのひとつは、アメリカが管理するグアンタナモのテロ容疑者収容施設。
ここでも尋問=拷問方法が、中南米でバルビーが伝授?した基本的な考えが受け継がれているそうです。(オバマ次期米大統領は、これを閉鎖することを宣言しています)
そして、イラク戦争の中であまりにも有名になった「アブグレイブ刑務所」。
ここは、単に在任を収容するのではなく、政治犯へ尋問=拷問をする施設として位置づけられたのも「バルビー的方法」として考えられるのかもしれません。
事実、アブグレイブ刑務所は、イラクの「グアンタナモ収容所」として尋問=拷問が繰り返されてきたのです。
これは、先日のNHKスペシャル<微笑みと虐待==証言 アブグレイブ刑務所>で特集されていました。http://www.nhk.or.jp/special/onair/081117.html
こうしてみると、第2に大戦が終わったとも、バルビーと「バルビー的方法」が軍事政権と戦争のあるところに未だに続けられているのを見ると、この映像記録は、バルビーの今日的な意味合いをあらためて認識させてくれました。
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