3月1日、札幌で、北海道保険医会主催で小松秀樹先生の講演会が開催されました。
医療事故調査制度をめぐり厚労省のしている(自民党案もほぼ同じ)第2次試案の持うつ危険性が明らかにされました。
小松先生の考え方と提案の骨子を資料から抜粋いたします。
1) 厚生労働省第二次試案は、患者と医療提供者の軋轢を大きくする。軋轢は、紛争になりやすい救急重症患者の診察を避けることにつながり、医療崩壊を決定的なものにする。
2) 第二次試案は、全体主義的統制医療をもたらし、医療の自律性を奪い、医療の進歩と国民への適切な医療の提供を阻む。
3) したがって、第二次試案には断乎反対する。
4) 何よりも、患者・家族の理解と納得を高めるように支援して、医療提供者との軋轢を小さくするための対策が求められる。
5) 医療問題は複雑であり、対策の結果が期待通りとは限らない。取り返しのつかない失敗を避けるためには、多段階で時間をかけて、関係者の認識の変化を確認しつつ、対応していくべきである。
以上が、小松先生の論旨のエッセンスであります。
今回の講演会で、私が特に感じたことは、小松先生の『理論』の基礎になっている「規範的予期類型」と「認知的予期類型」の側面から、現在の社会のあり方を見ることが重要であるということでした。
前者が古い過去の規範をもとに現在の事象に判断を下すのと対照的に後者が事象を発展的にとらえて当面の「正しさ」を確立し、しかし明日には新しい次の「正しさ」へと歩みを進めているのがわかります。
医学・医療を含めた科学が「認知的予期類型」の典型として、文字通り「日進・月歩」の発展をとげているのはいうまでもありません。
そうした医学と医療に対して、古い判断を基にした「規範的予期類型」の典型である法学が判断を下すことが大変困難なことがわかります。
それは、前記のまとめでも触れられている、検察と厚労官僚による「全体主義的医療統制」に道を開きます。
そして、その判断のもとに「医学と医療」の正否や「善悪」の判断が下されることになります。
こうなると、失敗や誤りから教訓を引き出し、新たな発展につなげるという科学の方法論自体が否定されてくるのです。まさに「全体主義的統制」が医療の中で始まろうとしているのです。
最近、目を通した面白い本があります。
講談社刊『保守問答』(中島岳志―西部 ススムの対談形式の著作)なかで、中島岳志氏が指摘している箇所があります。
ところで、「規範」をめぐって、日本の保守思想の系譜の中で、小林秀夫が「職人」と「芸術家」を比較しています。そこで、彼は真の「伝統」を獲得できるのは優れた「芸術家」のほうであると述べ、その理由は、「職人」は、材料に服従しているからだといっています。
P46 : 小林にとっての「伝統」は、規範に服従するのではなく、規範に抵抗する意思と行為によってこそ獲得されるものです。材料と規範を一旦否定した上で、それを新たに肯定しなおすことによってこそ「伝統」や「美」は獲得されるものだといいます。つまり、小林は新の伝統というものは再帰的存在であるといっているわけです。
引用している中島岳志氏が保守だとは思いませんが、日本の保守思想の中でさえも「規範」は否定されるべきもの位置づけられているのです。
否定されるべき「規範」を判断基準にすること自体が「科学」=「医学と医療」の進歩を阻害することが、哲学的にも語られているのかも知れません。
小松秀樹先生の提起している問題は、「医療事故」問題に止まらず、科学全般に哲学的にも重要な課題であるような気がしてなりません。
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私、地方に住んでおりますが自宅から車で15分のところまで、あの、医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」 医療の限界 の著者、小松秀樹先生が、わざわざ東京から講演をしにいらっしゃいました。感激ですo(...
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天国へのビザ 2008.03.03 13:56
コメント
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「規範的予期類型」と「認知的予期類型」については、私もなるほどと思いました。医療訴訟でとんでもない判決が出る理由がよくわかる気がしました。
>小松秀樹先生の提起している問題は、「医療事故」問題に止まらず、科学全般に哲学的にも重要な課題であるような気がしてなりません。
私も全く同じことを感じました。
コメントをありがとうございます。
私も大変勉強になりました。
また、それにもまして先生のブログでの“まとめ”も小松先生の講演を理解・記録する上で参考になります。
ありがとうございました。
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