海惺が生まれてもう5日経ちました。日に日に顔が丸くなって可愛らしさも一入で、優々の乳の出もまずまずのようです。
ところで某、爺の名前で生まれようかと思いましたが、何時何処へ生まれたら良いかで悩んでいるところです。
ここは実録、爺の自伝的、ノンフィクション鍵小説風に発展するとしたら、趣向としては面白いのかな~?
・・・・ということで早速で恐れ入りますが、な、なんと某、水杜尤耶(爺)が生まれたのは、金沢の犀川大橋の袂にある雨宝院という寺でありまして、ご存知の方もあろうかと思いますが、室生犀星(金沢が生んだ三大文豪の一人)所縁の寺であります。
犀星は金沢裏千日町で生まれ、7日目に雨宝院住職の室生真乗の養子(正式縁組は7歳)照道として育てられましたが、僧侶の道には入らず文学の道を歩むことになりました。
真乗亡き後、この寺を引き継いだ爺の父、真尚の三男として某、水杜尤耶がこの雨宝院で産声を上げたことになります。(ちょっとややこしくって理解できない方もあろうかと思いますがお許し願います)
時代は太平洋戦争開戦の1週間前でありました。奇しくも犀星が金沢に帰郷して、隣のうどん屋、月見屋の二階に居たころで、なんとも犀星とは縁が深い話と言わなければなりません。
そんなこんなで、真乗と真尚、犀星と海惺、語路が合うということも妙といえば、可笑しな繋がりでなかったかと、爺(後の水杜尤耶)は一人ほくそえんでいるところです。
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8月11日午後9時25分、盆の15日が予定日だっったのですが、遂に世の中に出てまいりました。
もう少し余裕があったのですが、某の頭の発育が良過ぎたのか、これでは難産が予想されますので、やむなく出生の決意に至ったわけです。
優々の陣痛は最後には絶叫になり、頭が引っ掛かってなかなか出てこないというので、産科の未だ若い女医さんが、おっかなびっくりで、会陰切開、鉗子分娩を実施なされたようで、某の頭には暫く赤あざがついていたそうな。
目鼻立ちは麗しく、五体も満足で何よりでしたが、少し両親の生まれたときと同じで、髪の毛が薄めというのは仕方ないところかと思います。
この頃は、生まれる前から、エコー診断で、男ということが分かっていますから、看護師さんも特に男ということを宣言することもないようで、見舞いに来た両家の爺が言い出して、紙おむつを開けて、某の立派な一物拝見となるまで、優々ママも確認していなかったという、のんびりした時代になったものであります。
さて某の名前のことでありますが、今時は最終的には、インターネットのお名前相談(有料2700円)で、「海惺」という心の広い煌く人になることを願っての命名となったようであります。
先の20世紀が、物や銭といったものに価値を求めた時代であったのに対抗して、今世紀は心の時代となることが求められていることを思えば、誠に良い名前かと思われます。
某の尤耶という名前は、実質的にはお払い箱となりますので、最初からの想定内でありますから、このブログの中だけで存続していくことになります。
ところで某としては、この「海惺」と同じ次元で存在することになると、かなり複雑になることも予想されますので、此処は思い切って、爺の時代に遡り、流行のタイムスリップということで、爺の名前で出てみたいと考えているところです。
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