| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | ||||
| 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
| 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
| 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)
ある日の外来受付終了後の12時過ぎに、80代の男性が食欲不振と認知症状を主訴に来院した。この日は午後から手術予定で、大学の医師による神経内科外来があったので、内心、「神経内科か精神科、あるいは内科にお願いしてもいいのでは」と思いながら行ってみると、CTには予想通りの萎縮した脳があったが、左頭頂部に開頭手術の跡があった。
同じく80代で、認知症状があり、かつ難聴の妻の耳元で、何度も大声で尋ねた。「この人、昔頭の手術してますね」老婆はしばらくうつろな目をしていたが、急にはっと思い出したように答えた。
「この人ね、50年前屋根から落ちて大怪我して、この病院に運ばれたんですよ。死ぬところだったんです。そしたらね、医大から教授先生がこられてね、手術してくださったんですよ。」(原文は当地の方言)娘さんは50代なので当時は5歳前後のはずで、尋ねてみても、「さあ、昔大怪我したことくらいしかわかりません」という。
50年前というと昭和32年前後、当然カルテなどの情報はない。他からの情報をあつめて推測すると、この患者は、当時30代で、屋根から落ちて頭部を受傷した。当院に搬送されたということだが、当時脳神経外科はなく、院長は外科で、当時の大学の外科教授(脳神経外科も診療されていたようである)と親しかったという。当時より院長は、当地での脳神経外科診療体制の確立を熱望しており、この外科教授にときどき来院していただいていたという。
どういう状況であったかを想像してみた。CTのない時代、まして高速道路もない。医大から当地までは約100km, 現在は高速道路があるが、車を飛ばしても一時間程度かかる。私が研究会などで大学にいて、代診の医師から急性硬膜外血腫の緊急手術で呼ばれたときもあるが、現代でも法定速度で車を運転すると一時間、(法定速度を若干超えて)飛ばしたとしても30-40分である。一般の国道だと、約2時間かかる。代診医師に家族への説明、手術申し込み、麻酔科医への全身麻酔依頼、術前検査、輸血申し込みなどを行っていただき、入室するころに到着できるかどうか、である。先に開頭を始めていてもらう場合もありうる。初診医が院長であったとしても、当時であれば臨床診断とレントゲン、腰椎穿刺程度であろう。(気脳写や血管撮影まではできなかったであろうと推測される)しかし、今retrospectiveにいろいろな要素をあわせて考えても、驚嘆に値することである。また開頭セットもないはずであるから、線鋸で開頭したのであろうし、その他の器具もどの程度揃っていたか不明である。また脳神経外科の手術などほとんど施行されていなかったのであるから、手術室のナースがこの術式に慣れていたとは到底思えない。常勤の麻酔科医もいなかったはずで、この院長が助手を行いつつ麻酔をかけたものと思われる。
もちろん、結果論として保存的加療が可能な範囲だった、とか、たまたま教授が近く(あるいは当院)にいた、とかいうことは想像できる。しかし、現在に照らし合わせても、種々の幸運と当時の医師たちの努力で、この患者を50年以上も生かすことができたのであろう。同様の症例にもう1例遭遇した。当院の勤務は2度目であるが、前回の勤務時には1例も見なかったし、当院に勤務した他の医師たちからもこういう症例に遭遇した話は聞かなかった。何か不思議な「縁」を感じた。
当院は何度か脳神経外科撤退が検討された。医師不足、大学の方針と当地域住民、医師会、当院各部署の脳神経外科への認識や脳卒中救急体制への見識の乖離もあったと思われるし、これは現在でも感じるときはある。意識障害を伴う他科の疾患で最初にconsultされるのは一人体制の当科で、精神科、神経内科の常勤医不在に伴い、それらの疾患もすべて当科にconsultされ、非常勤医師が来院するまで当科で対応せざるを得ないことも多い。放射線科医もいるのだが、院内でオーダーされたすべての頭部CT,MRIの読影は脳外科がやらなければならなくなった。このために真にわれわれが脳神経外科としての仕事をしなければならないとき、たとえばmajor surgeryの最中や、重症頭部外傷の処置中に、当直医師で対応可能な軽症疾患の診察を強要されたこともあった。またそれを「いままでそうだったから当然」と考えており、私の意見が通らない、ということもあった。(現在はやや改善されたが)
部長が相次いで辞職し、一人体制に縮小され、先に打診を受けた医師たちに拒否された後に、私が着任した。「救急車で隣の市の病院にすぐ転送すれば、ここにはなくてもいい」と考えられることも事実であるし、施設集約化も重要であろう。住民の中にも、最初から当院をスルーして大病院に行く傾向はあり、両隣の市にある総合病院や県庁所在地の脳神経外科単科病院、大学病院に行く人もいる。こういった状況で、犠牲にせざるを得ないものもあり、苦しみながらも、当院で脳神経外科を続けていくことを(現在)選んでいるのは、この症例に遭遇して当時の医師たちの努力にinspireされたことも理由の一つである。
HERO/Mr.Chilren
固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)