侍脳外科医
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「19年ぶりの声」「はじめての声」

3日まえに新しいメーリングリスト(ML)に参加した。メンバーもまだ10人足らずである。昨夜、そのMLのメンバーの1人の眼科の先生(女性)から個人宛にメールが届いた。差出人の名前も勤務先も記憶はない。MLのそのかたの自己紹介をよむと 九州、関西、関東、東海と勤務を異動して、都市部と地方、国立・私立・個人病院と複数の医局を経験されているようである。

メールの内容は大変懐かしい
ものであった。私は最北の大学の出身の脳外科医であるが、研修医2年目の昭和63年秋から半年間、南の旧帝大神経内科で研修している。大変有意義で楽しい半年間であった。初めての南の都会で なれない職場、不安な気持ちで生活は始まったが同僚に恵まれた。見ためは外科系とも思える1年先輩の神経内科医の先生がリーダーシップをとって、よく 食事に連れて行ってもらった。メールの主はその先生の同級生で大学院生として神経生理におられた先生であった。彼女は神経生理でおそらくVEP
Visual evoked potentials:視覚誘発電位)の 研究をしていたかと思う。被験者となって検査を受けた記憶がある。私も神経内科研修の半年間のうち、誘発脳電位、脳波、筋電図と神経生理の研修も週1-2 日受けており、個人的にも大変かわいがって頂き(自分だけそう思っているかも?)、神経内科の同僚の先生と一緒にふぐを食べに門司までいったこともあっ た。

すぐにメールの返事で自分の近況なりを伝えた。Re Reメールがすぐ届く、今年の年末から中国瀋陽の病院で勤務とのコト、そして彼女の携帯番号も添えられていた。早速、電話を手に取った。19年前の面影を思い浮かべて「19年ぶりの声」を聞いた。話も弾む、19年前の20歳代半ばに戻ったようだ電話を切った後、40歳代半ばの自分に戻った。浦島太郎の気分であった。

そんなBlog記事を書いているとき携帯が鳴った見知らぬ電話番号、恐る恐る電話を取った。「はじめての声」である。名前を聞いて、「あっ」思わず「いつもお世話に、、、はじめまして」と答えてしまった。写真の顔と声の「ギャップ」が少しあった。でも、初めてとは思えずぺらぺらとおしゃべりをした。電話の主はこの「5人の脳外科医」を一緒にやっている脳外科医であった。彼は海外から帰国して今月から私が19年前にいた思い出の都市で働きはじめているのだ。

昨夜は「19年ぶりの声」今夜は
「はじめての声」の都市、

不思議なキモチ



昭和63年ヒット曲 乾杯 長渕 剛
Kanpai

http://www.youtube.com/watch?v=_SDLWML8quA

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