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2007.05.14 21:02 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 9

産婦人科に混入するまで

<医者になった理由>

・・・というより、「医学部を選んだ理由」と言った方が適切です。

医者になりたかったのではなく、医学が面白そうだったからなのです。

子供の頃から、理科の時間の「からだのしくみ」が好きでした。

自宅あった、「ひみつシリーズ:からだのひみつ」という科学マンガがお気に入りで、

ぼろぼろになるまで読みました。

人のためになりたいとか、手に職を持ちたいと思ったわけではありませんでした。

今でも「好き」という気持ちが全ての原動力という点は、変わっていません。


 

<産婦人科を選んだ理由>

行きたい科が、3つありました。

生化学、心療内科、産婦人科です。


1 生化学

医学部に入った理由の延長線上で、単に生命現象に興味があったからでした。

本当は生理学の方がよかったのですが、

生理学教室では、犬を使った実験をしていました。

実験前に一緒に散歩をして、おしっこをさせてから、麻酔をかけていました。

これが私には無理でした。

生化学で使うのは大腸菌でしたので、これなら私にも殺せました。


2 心療内科

実家の本棚に、「心療内科入門」という、古びた本があります。

九州大学で、日本初の心療内科を標榜した当時に、

初代教授・池見酉次郎先生がお書きになった本です。

中学生だった私が買ったものです。

プラセボの話に、心から感動したのを覚えています。


3 産婦人科

独特の、神聖で明るいオーラに心惹かれました。

しかし、最終的に産婦人科に混入したのは、かなり適当な理由です。

進路を決める際に、最初に相談に行ったのが、産婦人科の教授室だったからです。

「ななくん、それは君、産婦人科がいいに決まっているよ。医局長と話しておいで。

(ガチャ。おもむろに受話器をあげ、ダイヤル)

 あ、もしもし、陣内ですけれど(教授の仮名)、入局希望の学生が○月○日に行くから、

よろしく(ガチャ)」

え、先生、私、まだ、あの・・・という私の声は、

陣内先生のお耳には、届いていませんでした。

いえ、それとも届いていたのに、届いていないふりをなさったのかも知れませんが。


かくして産婦人科医としての人生の出発の日、陣内先生にご挨拶に行きました。

「ななくん。医局には、私の娘もいる。私自身が所属し、自分の娘もいる医局に

 これはと思う人材以外を入れたりはしない。どうか頑張ってくれたまえ」


今、こうしてくるくると働きまわっている私を見て、

一番喜んでいらっしゃるのは、陣内先生かも知れません。


でも、本当はもっとなりたかったものがあります。

ピアノの先生です。



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2007.02.12 17:24 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 39

恩師井上先生の辞表

「疲れちゃってね・・・」

それが、辞表提出の理由だそうです。

産婦人科医としての育ての親である、敬愛する、井上先生(仮名)。
50代半ば、大病院の産婦人科部長です。
妊婦さんにとてもやさしい、お産の大好きな井上先生は、
ご自分の担当の妊婦さんのお産には、ほとんど立ち会っていらっしゃいました。
「お産の時、来て下さいますか?」と言われると、
必ずカルテに「入院時呼んで下さい」と書く私のスタイルは
井上先生から譲り受けたものです。
また、比類なくタフな先生で、
遷延した分娩を徹夜で診つづけて、
翌朝から外来と5時間のopeをこなしても
「さあ、飲みに行こうか」なんてことも、しょっちゅうでした。
井上先生の口から「疲れた」という言葉が出るのは、
一度も聞いたことがありません。

井上先生のロマンは「分娩死」。
頑張って頑張って、ようやく自然分娩になったお産を見届けて、
「よかったね、おめでとう!」と言って
分娩室の片隅で死ねたら最高だね、と言っていたのに。

ですが、私が井上先生のもとにいた頃と今とでは、
産科医療を取り巻く環境は、激変しました。
訴訟の的になりやすい小児科は、萎縮的・防衛的医療にならざるを得ませんので
井上先生のお考えにそぐわなくても、産科も萎縮医療にならざるを得ません。
患者さんの権利意識増大に伴って、要求もクレームも増えました。
頑張って自然分娩になっても、あまり喜ばれなくなってしまいました。
分娩費踏み倒しも増えています。
大学医局の人手不足も甚だしく、非常勤医派遣が打ち切られたそうです。
また、新生児死亡があった時には、警察が介入して来ました。

勿体ないことこの上ない引退ですが、
地方病院では、産科医の自殺者が出ていることを思うと、
思い切ってお辞めになったことを、英断と考えるべきかも知れません。

「お辞めになったら、何をして過ごすんですか?」とお聞きしたら、
「映画でも観ようかな・・・」という返事が返って来ました。

50代半ばの男性が、長年勤めて来た職を辞するということ。
ベテラン産婦人科医が、burn outするということ。
敬愛する、大切な師匠が、この道からいなくなること。

言葉が見つかりません。

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2006.11.04 22:32 |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 8

スタッフに感謝。

うちの病院の看護師さん・助産師さんたちは、いけています。

 

看護師さんたち。

あんまりナース・ステーションにいません。

一体どこに行っちゃったんだろう、と不慣れな頃は探し回ったのですが、

患者さんたちのベッドサイドに行くと、まず見つかります。

丁寧に清拭していたり、時間をかけて足腰のマッサージをしていたり、

話し込んでいたりするのです。

さらに、勤務交代の時間になって引継ぎが終わると、

その丁寧な看護の内容をつぶさにカルテに記載するので、

みんななかなか帰りません。

一生懸命働けば働くほど大変になるのに、一生懸命働いています。

誰か一人、私のお嫁さんになってくれ(笑)。

 

助産師さんたち。

ずっと切迫早産で入院していた妊婦さんが、臨月に入って無事お産されました。

切迫早産は、ただ「お腹がはる」 というだけで基本的には健康な若い女性が

長期の入院安静をせざるを得ないものですので、

ご本人にとっては、大変なストレスだったと思います。

元気な赤ちゃんを抱いて退院するその日、私のところにあいさつに来てくれました。

笑顔でお礼を言ってくれていたところへ担当助産師がくると、

産婦さんは途端に目をうるませました。

感極まって、涙したのでしょう。

助産師が、如何に産婦さんをしっかりと支えていたかが伝わってくる、

心温まるエピソードでした。

 

このような職場は、往々にしてトップが優れているものです。

うちの師長。

不妊治療に通っている、とても手のかかる患者さんがいます。

元々デリケートな上、数回の流産を含む非常に辛い体験をされている方で、

メンタル・ケアに充分な時間を割く必要のある方です。

外来に来ると、毎回30分、1時間と話し込んで行かれます。

大学病院でこの患者さんを診ていた時のこと。

師長に渋い顔で

「なな先生、あの人、うちでお産するの?」 と聞かれました。

「多分うちでは産まないと思いますけれど」 と返事をすると、

大学病院の師長は、「そう、よかった」と、晴れ晴れとした笑顔を浮かべました。

手がかかるから看れないということでしょう。

一方、うちの師長は

「なな先生、あの人、うちで産んでくれるかな?」

「多分そうすると思いますけれど、どうしてですか?」

「だって、うちでなら看れるでしょう」

です。

 

ちなみに、ope室の師長もいけてます。

結果として赤ちゃんを救えなかった超緊急帝王切開の後、

ope室の床にへたり込んだ私の頭を、そっとなでてくれるような人です。

 

 

この好環境を思うと、まだまだ頑張れそうです。

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2006.09.24 15:01 |  診療  |  仕事 / 職場  |  医療事故  |  なな  | 推薦数 : 13

産婦人科医の、うたかたの寝言

先週も金・土・日・月、

今週も金・土・日・月と、4日連続当直です(本当なんです)。

元々ワーカー・ホーリック気味の私、

土曜も日曜も朝も昼も夜もお産を取っている自分も、悪くないと思っています。

 

とは言え、こんな生活を続けていると、

思考が現実と乖離してくることがあります。

  ・

  ・

  ・

もし私が、医療事故→業務上過失致傷・致死で逮捕→懲役刑にされたら、

刑務所に入ることになるわけだけれど、

そうしたらいっそ、デパートの紙袋作りなんかじゃなくて、

最近不足して困っている、産科医の仕事をやらせてもらえないかな。

名づけて「刑務所内産院」。

まさに24時間体制で産院が可能!

それに、自分が健診で診た妊婦さんは、全員自分でお産がとれるわけで、

これぞ産科医のロマンというもの(笑)。

さらに、既に捕まっちゃっているんだから、もう捕まりようがないわけで、

萎縮医療にならず、存分に腕をふるえるかも。

そうそう、他の科のドクターもいっぱいいるはず。

タクシーの運転手さんが、運転の機会が多ければ多い程、交通事故が多くなるのと同じで、

医者も臨床経験が多ければ多い程、事故→逮捕の確率も上がるわけだから、

きっと自分と同じ「臨床大好きドクター」が、各科勢ぞろいすることだろう。

そうすると産院じゃなくて、「刑務所内総合病院」のがいいわね。

被刑事罰医者同士の連帯感も相俟って、院内のムードは和気あいあい、

他科コンサルトは超スムーズ。

ん~、いいかも。

シャバでも土曜も日曜も朝も昼も夜もお産、

塀の中でも土曜も日曜も朝も昼も夜もお産・・・

 ・

 ・ 

 ・

産婦人科医の、うたかたの寝言です。

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2006.09.05 20:41 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 20

撤退直前の日々について

医局関連病院から撤退した時のことを、以前つぶやきました。
そこでは短く「人員削減後は、地獄でした」とだけ書きましたが、
今日は「地獄」の具体的な様子を記しておきたいと思います。

その地方の中核病院でしたので、あらゆる産婦人科患者さんが来ました。
妊婦さんはもちろん、婦人科癌、不妊症、更年期障害、子宮筋腫や卵巣のう腫、生理不順。
残された産婦人科医は、私を入れて2人です。

病棟では、癌患者さんが毎日4,5人ずつ化学治療をしていましたので、
朝出勤すると、まず抗癌剤の準備から始まります。
抗癌剤の入ったびんを2、30本、
一人でバキバキと、ひたすらビニールを破り箱を開け、キャップを取ります。
そして、量を決して間違わないように、慎重に薬を調合します。
これだけで、朝6時半~7時半くらいまでかかります。

この前後に、入院患者さんたちの、前の晩の様子を把握し、
必要な薬や検査などの指示を出します。
それから、約1時間かけてベッドサイドを回ります。
患者さんたちは、私が行くのを待ち構えています(これが嬉しいのですが)。
痛みはないか、眠れたか、気分不快はないか、お腹は張らないか、など、
主として前の晩の様子を聞きます。
もちろんそれだけではなく、胸の内やご家庭の事情を口にされることもありますので、
長くなりそうな場合は、後でゆっくり話をする約束をします。

それから、点滴を刺したり、退院診察をしたり、創の消毒をしたりします。

外来は9時からですが、間に合わなくなることもありました。
午前の外来に、医者一人あたり大体50人前後の患者さんが来ます。
一生懸命やっても、患者さんは3時間待ち、なんてことも日常茶飯事でした。
患者さんたちも、よく辛抱して下さったと思います。
午前の外来が終わるのが14時くらい。
運が良ければ、お昼ご飯を食べることができます。

午後は、手術か外来です。
手術の場合、短い手術だと2,3件、長い手術だと1件ですが、
いずれにしても終わるのは早くて19時前後。
この後、患者さんの状態が落ち着くのを待ちながら、手術記録を書きます。

外来の場合は、午後の枠には時間がかかる患者さんを集中させていましたので、
人数は少しでも、重い話が多く、終わる頃にはぐったりでした。

消灯の前にも、ベッドサイドを回ります。
その日一日の様子を聞くのが目的です。
でも、手術が長くかかると、夜の回診はできないこともありました。

さらにその後、入退院サマリー、入院予定の患者さんの治療計画、治療方針の検討などをし、終わるのは早くて22時。

スムーズに行けばこんな感じですが、当然そうは行きません。
例えばお産があると、2人のうちどちらかが行かないとなりません。
その間、外来はストップ、ope中でもストップ、ということもありました。
ですので、お産はなるべく夜間にあるといいのに、と思うようになりました。
しかし夜間にお産があると、当然その分眠れませんので、身体はつらいのですが。

病院のすぐそばに住んでいました。
帰っても、夜間お産や急患があると、呼び返されます。
また、病院に出向かなくて済むようなことでも
電話は頻繁にかかってきますので、その度に起こされます。
次第に家に帰るのが億劫になってしまって、病院で寝泊りするようになりました。
その方がむしろ、身体が楽なのです。
ちなみに時間外手当もなければ、何本電話がかかってきても、給料には反映されません。

半年間、途中までお産がありましたし、癌患者さんが常時入院していましたので、
いつ病院に呼ばれるかわからない毎日でした。
ですので、病院から1時間以上かかるところには行けません。
一人暮らしですし、その地方に友達がいるわけでもありませんので、
気分転換などあり得ず、またその時間も気力もありませんでした。

日ごとに疲労が蓄積し、ベットに横たわると、身体とベットの接触面から、
力が吸い取られるような感覚がするようになってきました。
お腹がすいても、コンビニに行くのすらだるく、
食事を取らずに眠ってしまうこともしょっちゅうでした。
車の運転中、右折待ちの車線で居眠りをしてしまった時は
「産婦人科医やめますか、それとも人間やめますか」
という言葉が、頭を過りました(苦笑)。

肉体的にも大変でしたが、撤退することに関して各方面から様々なことを言われますので、
精神的にも辛い日々でした。

ある日、医局長から電話がかかってきました。
「で、そっちは大丈夫か」と言うので
「ダメです」と即答したのですが、返事は
「・・・・・。」
いいんですよ先生、医局だって人が足りなくて、大変なんでしょう?

朝、私がベッドサイドに行くのを楽しみにしてくれている患者さんたちに支えられて、
なんとか持った、という感じです。
撤退の日を迎えるのが先か、私が壊れるのが先か、と思っていましたが、
撤退する日が、寸での差で先に来ました。

今も日本のあちこちに、あの時の私たちと同じような産婦人科医がいます。


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2006.08.19 05:15 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 40

「お産の時、来て下さいますか?」

産婦人科医にとっては、殺し文句です。

 

健診のたびに顔を合わせて、おなじみになった妊婦さんに、

つぶらな瞳に、ちょっと不安の色を浮かべてこれを言われると、

ついうなづいてしまいます(笑)。

そうすると妊婦さんは、ほっとした表情になって

「よかった~!」と、喜んで下さいます。

 

カルテに、目立つように「入院時連絡下さい」と書いておくと、

その妊婦さんが陣痛や破水で入院すると、

助産師さんたちも心得ていて、休日でも夜中でも、連絡をくれます。

 

「お産は、担当医が立ち会う」。

理想的です。

出産は、一人の女性が生涯に1回か2回しか経験しない、わが子の誕生の瞬間です。

初めて顔を見る当直医に立ち会われるよりは、顔見知りの医師がいた方が、

いい記憶になるし、何より安心でしょう。

 

でも。

お産は、いつ始まるかわかりません。

妊娠37週から41週くらいまでの5週間、いつ病院に呼ばれてもいい状態で、日常生活を送っていないとなりません。

病院から1時間以上かかるところには行けないし、

携帯電話の電波が届かないといけないので、地下には行けないし、

お酒も飲めません。

誰かと食事をしていても「ひょっとしたら、病院に呼ばれるかも。呼ばれたらごめんね」と言いながら食事をし、

実際呼ばれて、相手を置いて行ってしまう、なんてことを繰り返していると、

誰も一緒に食事をしてくれなくなります(泣)。

つまり、1人の妊婦さんと、お産に立ち会う約束をするだけで5週間拘束されることになります。

これを、10人の妊婦さんと約束すると、どういうことになるか・・・

さらに、地方病院あたりで、年間数百件のお産を一人で抱えていらっしゃる一人医長の先生の生活は、一体・・・

 

それでも、お産の後

「先生が来て下さってよかった」となどと言われると、

懲りずに、次の妊婦さんのお産にも、駆けつけてしまう。

 

いつまでこういうの、続けられるかな・・・

 

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2006.07.15 03:22 |  仕事 / 職場  |  その他(一般)  |  なな  | 推薦数 : 15

ブログデビュー♪

あこがれのブログ実現。

一度、やってみたかったんです(笑)。

 

医局人事にのっかって、

あまり深く考えずに過ごしている産婦人科勤務医です。

それでも産婦人科医不足の波がじんわりと押し寄せてきているのは、感じていて、

少しづつ外勤当直に呼ばれる回数が増えてきました。

気がついたら週3,4日当直しています。

 

10年前はぺいぺいだったからきつかったけれど、

どっぷり臨床づけになっている生活が、それなりに気に入っていました。

今は今で、「生涯この道でやっていこう」という専門分野を持つことができて、

これまた楽しい。

さて、10年後はどうなっているのかな・・・

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