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「なな」は、本名ではありません。 本名は全然ちがう名前です。
院生時代に、研究所で直接指導をしてくれたしゅう先生(仮名)が贈ってくれた、
ハムスターの女の子の名前です。
無類の動物好きの私、独り暮らしが長いのに
飼ったペットはななだけです。
本当はとってもとってもペットがほしかったのですが、
ペットと2人暮らしをしていて、その子に死なれた時の悲嘆を思うと、
恐ろしくて到底飼えなかったのです。
ところが、そんな気持ちはつゆ知らないしゅう先生が
きっと私が喜ぶだろうと、ペットショップで目が合ったハムスターを
思いつきで買って来てしまったのでした。
しかし一度会ってしまうと、その瞬間ななに心を奪われました。
「行ってきます」と「ただいま」のあいさつは当たり前。
休日、ショッピングに出かけて、自分のものは何も買わずに帰って来ても
ひまわりのタネやハムスターのおやつだけは、買って帰りました。
「ハムスターの飼い方」という本を読んだら、
「ハムスターはひとりが好きです。構うと却ってストレスになります」とあったため、
徹底して「見るだけ」でした。
ハムスター用のケージに、わらで編んだ鳥の巣を入れてあり、
そこが彼女のお気に入りの場でした。
ハムスターは大抵寝ていますので、
鳥の巣からのぞかせる、2cm足らずの寝顔を
いくらでも眺めてはうっとりとしていました。
本当はあのふわふわの毛に触れたいのですが、
ななが嫌がるのではかわいそう。
かわいさのあまり触れることもできず、
なんだか報われない恋をしているようで、たまらない気持ちでした(笑)。
そのうち、日中は離れていることが淋しくなって、
研究室の机の下にも、ハムスターのケージを買って置きました。
小さなバックに鳥の巣ごとななを入れ、自転車の前のかごに入れて、
研究所と自宅を往復する毎日でした。
かくして、ハムスターと一緒に通学する、立派な「ヘンな院生」になっていました・・・
ななが死んで、5年たちます。
でも、あれ以上かわいがることはできなかったと思うので、悔いはありません。
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以下、全て私見(というか偏見?)です。
結論から言うと、大学院に行ったことは、心から後悔しています。
得るものが全くなかったとは言いませんが、失ったものが大きすぎました。
医学部の大学院は4年間。
多くの大学では、数年臨床をやってから大学院に進む慣例になっています。
つまり、臨床医として最も伸び盛りの時期に、臨床を離れて研究をすることになります。
これは、特に外科系の医師にとっては、致命的です。
臨床好きの私は、元々研究がしたくて大学院に行ったわけではなく、
敬愛してやまない恩師井上先生(仮名)の強い勧めに逆らうことができなかったから、
といういきさつでした。
途中何度も辞めたいと言ったのですが、
私がいた大学院は、やくざの組事務所のように
一旦入ると、まずは辞めさせてくれませんでした。
研究で身を立てようとしている研究室の人たちにも、申し訳なかったと思います。
基礎研究の知識のない医学部卒は、卒論を書いた経験のある他学部卒の人と、
実力が全然違います。
また、研究がうまくいかなくても何とか生活していける我々と、
研究がうまくいかなければ失業しかねない研究者たちとでは、
研究に対する気迫が、明らかに違いました。
要するに我々は、研究の下働きをしながら論文を書かせてもらって、
数年でいなくなってしまう。
あれでは研究者が、医師という職業に敬意を払えなくなってしまうでしょう。
何よりも、根っから好きな臨床ができないことで、心荒みました。
一度しかない人生の、貴重な時間を損失しました。
後輩たちへ。
臨床医としてやっていくのであれば、大学院に行ってはいけません。
臨床医として、無為の時間を過ごさないように。
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大学の研究所で院生生活を送りました。
いわゆる秀才とはこういうものか、と目からうろこが落ちる毎日でした(笑)。
大半は正常な人ですが、みんなとても個性的でした。
ペットの亀を、部屋で放し飼いにしている人。
シャンプーがないからと食器洗いで洗髪して、皮膚病になった人。
何故か部屋で敷布団を紛失したという人。
髪の毛に、ゆうべ枕にしたという新聞紙の一部をつけたまま研究所に来る人。
ある日のことです。
24,5歳の男子学生Oくんから、薬品瓶を目の前に突き出されました。
僕には開けられないので、開けて下さい、というのです。
私は、女性です。
見た目力が強そうかというと、全くその逆です。
びっくりして、
「えっ、そんな、Oくんに開けられないもの、私に開けられるわけがないじゃない」
と言うと、平然と
「僕は力がありませんから」。
ジャムの瓶のふたでも開かなくて困ろうものなら、
オレがオレがと兄たちが瓶を奪い合うような家庭で育った私には、
男性観が変わるような衝撃でした。
それでも、普通の若い男性らしいところもありました。
ある日、前日の合コンでかわいい女の子と意気投合したのに、
携帯番号を聞きそこなった、と嘆いていたMくん。
みんながいろんなアイディアを出して、Mくんをなぐさめます。
昨日の合コンは○○女子大で、僕の彼女がいる大学だから、調べてやるよ。
僕が、幹事だった女の子に聞いてやろうか。
いや、それはわざと教えなかったんだろうから、脈がない、あきらめろ。
ちなみに私のアドバイスは
「そんなの、適当にかけていればそのうち本人にかかるんじゃない」。
真面目に考えて下さい~~~~と苦情を受けました(笑)。
それなりに、楽しい日々でした。
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先日、Women’s health(女性健康学)の勉強会に出席してきました。
その日の課題は「女性に対する暴力」です。
DV(ドメスティック・バイオレンス)や性暴力に関しての研究は、我が国は非常に立ち遅れており、
この分野に関しては、諸外国の研究なしでは成り立たないのが現状です。
この日は、海外からこの分野の権威の先生がお見えになっていました。
「” Shitsuke”, Japanese traditional domestic violence is・・・」
のっけからこんな言葉が飛び出して、驚きました。
もちろんJokeで言ったことですが、国際学会の会長を務めるような先生の言葉です。
「躾の一環としてやったこと」
「愛の鞭だった」
子供を虐待し、大怪我をさせたり、ひどい場合は命を奪ったりした親の、常套句です。
ですが、躾であろうが何であろうが、
「とにかく体罰は一切だめ」というのが、心理の世界の常識です。
子供は親との関係から、様々な情動や人間関係の基本を身につけます。
他人に対する愛情の基本は、親から注がれる愛情から学びます。
なので、親からたっぷりと愛情を注がれると、他人にたっぷりと愛情を注げるようになります。
主従関係や上下関係の基本も、親との係わり合いから身につけます。
子供にとって親は、「支配者」であり「目上の人」です。
子供が目下の者や自分より弱い者と接する時も、
親との係わり合いがそのまま鋳型になるのです。
「目下の者が自分の言うことを聞かない場合は殴る」ということを刷り込まれてしまったら、
子供は親のやり方しか知りませんので、「言うことを聞かない弱者は殴る」ようになってしまいます。
「そんなことを言ったって、動物並みにものの善悪がわからない年齢であれば、
言うことを聞かない場合は痛い思いをさせるしかないでしょう」
そんな反論も出ていましたが、その先生は柔らかな笑顔で、こうおっしゃっていました。
「今、言うことをきかせることが、その子にとって最良のことですか」。
もちろん、現実はなかなかうまく行かないでしょう。
親に殴られた子供が、必ず暴力をふるう人間に育つわけでもありません。
ですが、昨年、路上生活者が数人の若者に殴り殺されるという痛ましい事件がありましたが、
犯人は全員、親から暴力をふるわれた子だったそうです。
暴力は、連鎖します。
人を殴る子に育てたくなければ、親が子供を殴ってはいけないのではないでしょうか。