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大学病院で約1年間の研修を終えた後、初めて勤務した病院は、3次救急病院でした。
3次救急病院は、重症で緊急性を要する患者さんが、次々と運ばれてくる病院です。
救急車が同時に3台くらい到着したり、
患者さんの乗ったストレッチャーに内科の先生が馬乗りになって、
心臓マッサージをしながら運ばれ来たり、
その横では整外の先生が、むき出しになった膝の骨にジャブジャブと生食をかけながら
「すみません、ope室に連絡して下さい」と叫んでいたり。
産婦人科にも、大変な患者さんが毎日のように運ばれて来ました。
麻酔科の当直はいるし、小児科のNICUもしっかりしていましたので、
その地域の「最後の砦」の病院でした。
忙しいし、常に緊迫した状況でしたが
「何でも受ける」ということに、誇りと使命感を持っていました。
しかし慣れて来ると、同時にちょっとくたびれて来ました。
本当に重症な患者さんばかりではなく、中には本来救急病院ではなくてもいい患者さんもいます。
近所の慎重な開業医の先生から
「妊婦さんで、何日も便が出ていないそうです。念のため入院させてもらえませんか」とか
「悪阻で入院を希望しているんですけれど、うちは入院設備がないのでお願いします」とか。
そのうち応対も事務的になり、果ては少々高飛車になっていたと思います。
他の先生方は皆、産婦人科医として大先輩なのに、
強い立場を勘違いしていました。
今思い返すと、恥ずかしい限りです。
数年後、大学病院に戻り、「外勤」といって医局の関連病院に非常勤で勤務するようになります。
外勤で、個人病院に当直に行った時のことです。
順調だったお産が、突然暗転します。
赤ちゃんは無事に出たのですが、出血が全然止まりません。
水道の蛇口をひねったみたいにジャージャー出て、
通常の止血法では止血が得られません。
日赤に輸血をオーダーしましたが、到着までの間に、この産婦さん、亡くなるかも知れない。
院内にいる医者は、私一人。
一人では、この病院では、救命は不可能と判断し、搬送を依頼しました。
私は止血にかかり切りですので、横でナースが片っ端から電話していますが、
休日の夕方とあって、搬送先が中々見つかりません。
ようやく決まったのは7件目か8件目、同じ医局の先輩が産婦人科部長を勤めている病院でした。
輸血パックをいくつか持って、救急車の中でも止血を続けながら、移動しました。
産婦さんは、助かりました。
数日後、搬送を受けてくれた部長先生にお礼のメールを送ると、
お返事が返って来ました。
「一人で必死の思いをしている時、医者が大勢いるのを見ただけでも安心したでしょう。
いつかなな先生が搬送を受ける側になった時は”It's my turn.”(今度は私の番だ)、
アメリカ人がよく使う言葉です」
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あれから数年、今、私は搬送を受ける側にいます。
It's my turn.
いつも、そう思っています。
そして、ほとんどの現場医師たちもみな、同じ気持ちです。