| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
第一子を死産された妊婦さん・あかりさん(仮名)が、
無事2人目の赤ちゃんをお産されました。
様々な局面を乗り越えての、新しい生命の誕生でした。
第一子のお産のことを、思い出します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日は、休日でした。
たまたま病棟に来ていたら、
妊娠31週の妊婦さんが、出血と腹痛でご来院されました。
見た瞬間わかる、常位胎盤早期剥離でした。
多量の出血があり、お腹はガチガチで、
胎児心拍は、今にも止まりそうな速度になっていました。
来院からわずか17分で児娩出という、超緊急帝王切開でしたが、
赤ちゃんを出した時には、既に心拍が無くなっていました。
震える手で手術を終え、外で待っているご主人にお話しをしに向かうと、
誰もいない待合室で、
赤ちゃんを胸に抱いて、頬を寄せ、
男泣きに泣き崩れるご主人の姿がありました。
死産・流産を体験された妊婦さんには、慎重な心のケアが必要です。
まずは、赤ちゃんを失ったという身を切られるような現実を
受け入れる作業から始めなければなりません。
また、心配する身内や医療従事者から言われがちな
「早く忘れられるといいね」という言葉に、深く傷つきます。
亡くなった赤ちゃんを、忘れられない大切な存在として、
尊重していく必要があります。
赤ちゃんの亡骸は、あかりさんの入院する個室に、
何日か一緒にいました。
あかりさんに抱かれ、ご主人にかわいがられ、
着替えやオムツ交換をしていました。
私も、回診に行くと、りょうちゃんと名づけられたその赤ちゃんに、
まずは呼びかけることから始めました。
「喪の過程」という言葉があります。
大切な人を失った時に、その人を失ったという事実を受け入れるために必要な心的段階のことです。
例えばお葬式は、喪の過程を踏むための儀式です。
それまで健診の度に撮ってきた、赤ちゃんのエコー写真が何枚もあります。
少し落ちついたところで、赤ちゃんの写真をアルバムにする作業をしました。
「りょうちゃんのことを思いながら、メッセージをあちこちに入れて、
あかりさんが作れる限りの、最高のアルバムを作りましょう」
小さな花や哺乳びんのイラストをあちこちに入れ、吹きだしのメッセージを書き入れます。
「この日は、パパも一緒にエコーを見ました」
「”体重がペースオーバーです”とママが言われていても、りょうちゃんはお腹の中で暴れてました」
あかりさんの喪の過程は、アルバム作りと、メッセージを綴ることでした。
最初は、なかなか泣くこと=悲しみの表出をしてくれないので心配していましたが、
あかりさんの叔母様が
「今は、泣くべき時でしょう?!」と言って下さったそうです。
周囲からのサポートもまた、なくてはならない大切なものでした。
悲しみの急性期が過ぎると、今度はあかりさんの頭を
「何故、あんなことになったのだろう」という思いが占拠します。
知的なあかりさんは、原因を考えようと、あらゆる本を読みあさりました。
外来に、産婦人科の専門書を持って来ては、
研修医顔負けの質問を、バンバン聞いて来ます。
しかし、常位胎盤早期剥離は、元々原因不明のものがほとんどですし、
あかりさんの場合もそうでした。
それ故、見つからない原因を探して、
「胎児手術をすれば、りょうは助かったのでしょうか」
という方向に行ってしまうこともありました。
こんな時、我々医療者は、決して正しい知識を教えようとしてはなりません。
「胎児手術をすれば、助かったかも知れない」
そう思わずにはいられないあかりさんを、そのまま受け止めるのが望ましいケアです。
このようなケアはなかなか難しいのですが、
優秀なうちのスタッフたちは皆、きちんとこのあたりを心得ていました。
真の意味であかりさんが立ち直るのは、
いつまでも不可能なのかも知れません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2人目の妊娠が発覚してからも、
あかりさんは、度々押しつぶされそうになる不安に、勝ちました。
いえ、勝ってなかったかも知れません。
負けた状態に耐えながら、長期入院をしたまま
あかりさんの心は、お産の日まで持ちこたえてくれました。