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2007.10.29 01:29 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 25

母体搬送の実際

妊婦さんを搬送する際に、搬送先が見つかりにくいことが問題になっています。

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http://mainichi.jp/select/science/news/20071026dde007040022000c.htm

 妊婦搬送:3回以上照会、667件 27回、3時間半も----消防庁06年調査 

 消防庁は26日、奈良県の妊婦が救急搬送中に死産した問題を受けて実施した妊婦救急搬送の実態調査結果を発表した。06年に全国の消防本部で出動した救急搬送3万4917件のうち、受け入れ病院が決まるまで3回以上の照会を必要としたのは667件で、このうち45件は10以上の医療機関に受け入れを断られていた。東京都では、かかりつけの医師がいない女性の搬送で、27回もの照会が行われ、通報から搬送まで3時間半を要したケースもあった。
 受け入れを3回以上断られた件数が全体に占める割合は、04年の0・9%から05年に1・3%、06年に1・9%と増加している。10以上の医療機関に受け入れを断られたのは北海道、茨城県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県、埼玉県、宮城県、千葉県で、首都圏など都市部で照会回数の多さが目立つ。
 一度も受け入れを断られずに病院に搬送したのは3万2249件だが、救急車が到着しながら、受け入れの照会のため現場で30分以上待機を強いられるケースも1012件に及んだ。受け入れを断られた理由は、機材やスタッフが整わないといった「処置困難」が26・6%、「手術・患者対応中」(17・2%)、「専門外」(11・7%)など。【与那嶺松一
郎】

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「母体搬送」という制度があります。

例えば、妊娠30週くらいで破水してしまった妊婦さんや、妊娠高血圧症候群が悪化して、

その病院では管理しきれないような場合、

より高次の医療機関に、妊婦さんを救急車で搬送する制度のことです。

病院から病院へ、多くの場合は産婦人科医が同乗して、救急車で移動します。

 

この母体搬送の必要性が生じた場合に、産婦人科医が取る行動を紹介します。

東京都には、母体搬送の受け入れ可否を掲示したネットワークがありますが、

リアルタイムの情報を反映していない場合がありますので、

電話をかける方が、確実です。 

 

まず、何件も電話をかけなければ搬送先が見つからない場合がほとんどですから、

外来や病棟など、予定していた業務を全てストップします。

そして外線電話の前に、メモ用紙と、搬送先の電話番号一覧を持って、座り込みます。

依頼先の病院に電話をかけても、まずはあちこちの部署に転送されますから、

待っている時間が長くなりますので、その間に、妊婦さんのそれまでの経過を記した紹介状を書きます。

電話をかけ、あちらの担当の産婦人科医に母体搬送の依頼である旨と、妊婦さんの状況を説明すると、

上級医師や、小児科・NICU、場合によってはope室に搬送依頼を受けていいかどうか、

確認する必要がありますので、

時間がかかりそうな場合は、一旦電話を切ります。

切ってから、折り返しの電話をもらえる時間が、またかなり長くなり、

15分くらいは、当たり前です。

その間に、他の病院を当るわけにはいきませんので、ひたすら待ちます。

そして、ようやくかかってきた折り返しの電話でも、

冒頭の新聞記事にあるが如く、

他の患者さんにかかり切りで人手がなかったり、手術に入っている最中だったり、

あるいは満床だったりで、受け入れられないと言われることが、よくあります。

受け入れ不能の返事をもらうと、最初に用意したメモ紙に問い合わせた病院名を書き連ねて行きます。 

 

このようにして断られ続けるのが普通です。

1件目で見つかることなど、まずありません。

3件目で見つかったら「ラッキー!」という感覚です。

仮に3件目で見つかったとしても、搬送先を探し始めてから、軽く30分以上経過しています。

タイミングが悪いと、10件目くらいでようやく見つかることもあります。

そうすると、どう見ても1時間は探し回っている計算です。

 

 以上が、産婦人科医から産婦人科医へ、搬送を依頼した場合の概要です。

婦さんのそれまでの経過を正確に把握して、専門家同士で端的に説明しても、

それでも、このくらいの件数と時間がかかるのが普通です。

 

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2007.10.27 16:26 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 8

生命と性と人間とを思う

「生命や性、人間とは」ということに思いを馳せると、

思い出すエピソードがあります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

その患者さんは、妊娠15週くらいで、羊水検査をご希望されていらっしゃいました。

羊水検査とは、胎児の染色体異常の検査であり、出生前検査のひとつです。

母体のお腹に長い注射針を刺して、赤ちゃんのすぐそばまで針を進めて羊水を採取するものですので、

破水や流産などのリスクを伴います。

また、この検査で、例えばダウン症のような赤ちゃんの染色体異常が見つかった場合は

ご両親に対する慎重なカウンセリングが必要になります。

ですので、とても気軽にできる検査ではありません。

 

当時私が勤務していた病院では、外来で羊水検査をしていました。

お母さんのお腹をよく消毒して、滅菌したエコーをあててお腹の中をみて、

赤ちゃんと胎盤の位置、羊水の量を確認します。

注射針を刺す位置を決めて、局所麻酔をして、

赤ちゃんや胎盤に刺さないよう、慎重に針を刺します。

ところが、「痛っ!!」

妊婦さんが、針を刺した時に飛び上がってしまいました。

びっくりして手を止め、針を抜きます。

すぐに赤ちゃんを確認しましたが、幸いにして赤ちゃんは元気に動いていました。

「よかった・・・」

と、こちらは安堵のため息をつきますが、

どうも妊婦さんの様子が変です。

 

別室でよくよくお話をお聞きすると、

非常に言いにくそうに、事情を話してくれました。

赤ちゃんを流産させたくて、検査を受けたのだと言うのです。

検査の時に飛び上がることによって、流産につながれば、と思ったのだと。

新婚ですぐに赤ちゃんを授かって、さぞ幸せにお過ごしなのだろうと思っていましたが、

実はご主人の子ではないのだ、と。

妊娠を喜ぶご主人やご両親には、到底打ち明けることはできず、

悩んだ末、このような方法を取ってしまったのだそうです・・・

 

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生命と、性と、人間と。

思いを馳せ、夢ふくらむことのある一方で、

到底扱い得ない、無力感を感じることもあります。

これも、産婦人科の仕事の一部です。

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2007.10.26 17:17 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 6

妊娠可能な日は何故1日だけなのか

日頃、不妊患者さんたちと向き合っていると、思うことがあります。

何故、妊娠可能な日は、ひと月のうち1日しかないのでしょうか。

また、精子は毎日1億個くらい作られるのに対して、

卵子は、胎児の時に500万個くらい作られて、後は減る一方で

新しく作られることはありません。

子孫の産生、という観点から考えても、

女性側・卵子側のしくみは、なんとも不合理にてきているように感じます。

もし女性も毎日妊娠可能であったら、不妊に悩む患者さんは激減するのではないか。

そんなことを考えます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

20世紀初頭のお話です。

オランダやベルギーはカソリックの国なので、人工妊娠中絶は許されておらず、

子供がほしくない場合は、禁欲以外に方法はありませんでした。

同じ頃、ドイツの学者が、排卵日や受胎期を推定する学説を説き、

この学説に従って、ひと月のうちの限られた数日だけ避妊すればよい、という禁欲法が

急激に広まりました。

ヨーロッパのみならず、アメリカ、インド、オーストラリアにまで広がります。

しかし、カソリックの牧師さんたちは、この禁欲法は意識的には明らかに避妊である、と

宗教上の立場から、大反対します。

一方の産婦人科学者たちも、決して譲ろうとしません。

1年近く激論が続いた後、この論争の決着はローマ法王庁に持ち込まれます。

「器具や薬品を用いず、神の定めた人間の身体の法則に従うことは、

決して神の意思には反しない。

もし神がこれを嫌うとするならば、神は何故人間に不妊期を与えたのだろうか」

これが、ローマ法王の判決でした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

人間が、種の保存・子孫の産生のためだけにできていないということを

再認識するお話です。

産婦人科医をしていると、

生命や性、あるいは人間について、思いを馳せることがあります。

これも、産婦人科医の特権と思っています。

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2007.10.15 19:40 |   |  なな  | 推薦数 : 14

死産(2) 医療者にもたらしたもの

あかりさんの死産は、医療現場にいくつかのものをもたらし、

いくつかのものを浮き彫りにしました。

 

来院から17分後に児娩出、という帝王切開は

恐らく全国レベルで最速記録を争える速さです。

休日なのに、偶然他の手術が終わった直後でope室の人手があったこともありますが、

何よりも、病棟スタッフたちの迅速で的確な判断が、この速さを可能にしました。

来院したあかりさんを診察した瞬間に、ope室と小児科に連絡をしたのですが、

私が振り返った時には、あかりさんは点滴、導尿、剃毛が済んだ状態で

ストレッチャーに横になって、すぐにope室に向える状態になっていました。

あの判断力と手際は賞賛に値しますので、

病院の看護部長室に、その旨説明に行ったところ、

看護部長から、賞賛の通達が来たそうです。

病棟全体の士気を上げるのに、大きくプラスに働きました。

 

この日は、他に産科当直医がいたのですが、

分娩直後の難しい処置中で、手術に入るのは厳しい状況でした。

手術室に居合わせた外科の先生に入って頂く方が早いと判断し、

外科の先生と2人で帝王切開をしました。

私の勤務する病院は、都市部にあります。

都市部の産婦人科でさえ、外科の先生と帝王切開をすることがある、という一例になりました。

 

非常に恐ろしい帝王切開でした。

一秒でも遅れたら、次の鼓動で赤ちゃんの心臓が止まるかも知れない、という極度の緊張は

一度味わった者でないと、理解できないかも知れません。

そのような帝王切開に立ち会った麻酔科医、ope室ナース2名、小児科医、私に対する報酬は

ゼロ円です。

 

opeが終わり、病棟に戻っていくあかりさんを見送った後、

ope室の床にへたり込みました。

術衣のまま、帽子とマスクのまま、床の上で、動けなくなりました。

この日、たまたま当番だったope室の師長が、

床にへたり込んだ私の頭をそっとなでてくれたのを

今でも覚えています。

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2007.10.13 21:21 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 12

死産(1) ケアについて

第一子を死産された妊婦さん・あかりさん(仮名)が、

無事2人目の赤ちゃんをお産されました。

様々な局面を乗り越えての、新しい生命の誕生でした。

 

第一子のお産のことを、思い出します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

その日は、休日でした。

たまたま病棟に来ていたら、

妊娠31週の妊婦さんが、出血と腹痛でご来院されました。

見た瞬間わかる、常位胎盤早期剥離でした。

多量の出血があり、お腹はガチガチで、

胎児心拍は、今にも止まりそうな速度になっていました。

 

来院からわずか17分で児娩出という、超緊急帝王切開でしたが、

赤ちゃんを出した時には、既に心拍が無くなっていました。

 

震える手で手術を終え、外で待っているご主人にお話しをしに向かうと、

誰もいない待合室で、

赤ちゃんを胸に抱いて、頬を寄せ、

男泣きに泣き崩れるご主人の姿がありました。

 

死産・流産を体験された妊婦さんには、慎重な心のケアが必要です。

まずは、赤ちゃんを失ったという身を切られるような現実を

受け入れる作業から始めなければなりません。

また、心配する身内や医療従事者から言われがちな

「早く忘れられるといいね」という言葉に、深く傷つきます。

亡くなった赤ちゃんを、忘れられない大切な存在として、

尊重していく必要があります。

 

赤ちゃんの亡骸は、あかりさんの入院する個室に、

何日か一緒にいました。

あかりさんに抱かれ、ご主人にかわいがられ、

着替えやオムツ交換をしていました。

私も、回診に行くと、りょうちゃんと名づけられたその赤ちゃんに、

まずは呼びかけることから始めました。

 

「喪の過程」という言葉があります。

大切な人を失った時に、その人を失ったという事実を受け入れるために必要な心的段階のことです。

例えばお葬式は、喪の過程を踏むための儀式です。

 

それまで健診の度に撮ってきた、赤ちゃんのエコー写真が何枚もあります。

少し落ちついたところで、赤ちゃんの写真をアルバムにする作業をしました。

「りょうちゃんのことを思いながら、メッセージをあちこちに入れて、

 あかりさんが作れる限りの、最高のアルバムを作りましょう」

小さな花や哺乳びんのイラストをあちこちに入れ、吹きだしのメッセージを書き入れます。

「この日は、パパも一緒にエコーを見ました」

「”体重がペースオーバーです”とママが言われていても、りょうちゃんはお腹の中で暴れてました」

あかりさんの喪の過程は、アルバム作りと、メッセージを綴ることでした。

 

最初は、なかなか泣くこと=悲しみの表出をしてくれないので心配していましたが、

あかりさんの叔母様が

「今は、泣くべき時でしょう?!」と言って下さったそうです。

周囲からのサポートもまた、なくてはならない大切なものでした。

 

悲しみの急性期が過ぎると、今度はあかりさんの頭を

「何故、あんなことになったのだろう」という思いが占拠します。

知的なあかりさんは、原因を考えようと、あらゆる本を読みあさりました。

外来に、産婦人科の専門書を持って来ては、

研修医顔負けの質問を、バンバン聞いて来ます。

しかし、常位胎盤早期剥離は、元々原因不明のものがほとんどですし、

あかりさんの場合もそうでした。

それ故、見つからない原因を探して、

「胎児手術をすれば、りょうは助かったのでしょうか」

という方向に行ってしまうこともありました。

 こんな時、我々医療者は、決して正しい知識を教えようとしてはなりません。

「胎児手術をすれば、助かったかも知れない」

そう思わずにはいられないあかりさんを、そのまま受け止めるのが望ましいケアです。

このようなケアはなかなか難しいのですが、

優秀なうちのスタッフたちは皆、きちんとこのあたりを心得ていました。

 

真の意味であかりさんが立ち直るのは、

いつまでも不可能なのかも知れません。

 

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2人目の妊娠が発覚してからも、

あかりさんは、度々押しつぶされそうになる不安に、勝ちました。

いえ、勝ってなかったかも知れません。

負けた状態に耐えながら、長期入院をしたまま

あかりさんの心は、お産の日まで持ちこたえてくれました。

 

 

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2007.10.09 17:50 |  診療  |  生活 / くらし  |  なな  | 推薦数 : 7

産婦人科医の特権

10年前、中学校からの友達・奈美のお産に立ち会いました。

卒後ずっと交流があったわけではないのですが、

奈美の妊娠中、たまたま私が彼女の家の近くの病院に勤務していて、

偶然の再会を果たした縁でした。

 

陣痛の最中、夜通しご主人と2人で奈美を励まし続けました。

大丈夫だよ、と静かにささやく、いいご主人、

心配かけまいと、無理やり笑顔で応える奈美。

産婦人科部長室では、大丈夫ですから、と言っても

いやほら、ななのお友達のお産だし、僕も参加したいし、と

恩師井上先生が待機して下さっていました。

 

無事に産まれたのは、元気な女の子です。

お産の後は、後産が残らないことを確認するため、

上腕の中ほどまで子宮の中に手を入れます。

この時、お産で疲労した顔に、奈美が微笑を刻みながら言いました。

「これでもう、ななに恥ずかしいことなんて、何にもなくなっちゃったね」

 

そんな思い出深いお産でしたが、

この時産まれた女の子・真樹ちゃんは

独身で子供のいない私にとっては、大切な宝ものです。

もう、かわいくって仕方ありません(笑)。

毎年、真樹ちゃんのお誕生日に、プレゼントを贈っています。

花模様とかハート柄とか、ピンクとかキラキラしたものとか、

女の子らしい、夢のあるプレゼントを選ぶのに、こちらがうきうきしています。

去年は服を贈ったのですが、選ぶ時に店員さんに向かって

「私が取り上げた、友達の子のプレゼントなんですよ~」と言ったりして、

完全に親バカ丸出しです(笑)。

 

プレゼントを贈ると、お礼のメッセージを送ってくれます。

乳児の頃は、奈美が真樹ちゃんの写真を撮って、送ってくれました。

3歳くらいになると、真樹ちゃんがクレヨンでお手紙を書いてくれるようになります。

最近は、学校のことや習い事のことを書いたお手紙をくれるようになりました。

実は、新生児の頃からの写真と2人からのメッセージを、全て保存してあります。

ご両親の愛情をたっぷり注がれて育っている真樹ちゃんですが、

彼女が大人になったら、

真樹ちゃんは、こんなに愛されて育ったのよ、と

知らせてあげたいと思っています。

 

今年も、真樹ちゃんのお誕生日が近づいてきました。

まだひと月近くあるのに、もうそわそわし出している私。

こういうのを「何バカ」と言うのでしょうね(笑)。

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2007.10.05 07:51 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 12

妊婦さんとHIV

妊娠初期の血液検査で、HIVが陽性になることがあります。

一次検査で陽性になったことで、即HIV感染を意味するわけではありません。

1000人に3人くらいは「疑陽性」、つまり感染していないのに「陽性」となります。

さらにこのうち95%の方は、二次検査で陰性であることが判明します。

仮にHIV感染があっても、正しい治療をすればエイズ発症を予防できますし、

帝王切開にすれば、赤ちゃんに感染する可能性は0.5%と低率です。

以前は「死に至る病」だったエイズですが、

治療法の発展により、慢性疾患としての管理が可能になりました。

 

しかし、妊婦さんがHIV感染を知った時の心的負担は、依然として甚大です。

場合によっては、家庭も崩壊しかねません。

そんな厳しい体験をされた女性から、お手紙を頂戴しました。

「同じ体験をした人の、少しでも役に立ちたい」とのご意思から

私にお話し下さったそうです。

ご本人からのメッセージをお伝えします。

 

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まず最初に心配したことは「赤ちゃんはどうなるの?」でした。

拠点病院の先生は、丁寧に説明して下さったので、ちょっとほっとしましたが、

妊娠中はとにかく不安で不安でたまりませんでした。

自分がHIVに感染しているだけでもショックでしたが、

赤ちゃんにうつるかも知れない、と思うと、気が変になりそうでした。

赤ちゃんのために、自分ができることが何もないことに苦しみました。

私にできたのは、ただきちんと薬をのむことだけでした。

泣かない日は一日もありませんでした。

 

主人は最初に感染がわかった時、ひと言目に「産もうね」と言ってくれました。

検査は私だけ陽性、主人は陰性です。

相談して、感染のことは双方の両親にも話さないことにしました。

 

お産は帝王切開でした。

入院中は、感染を隠すために、すごい数の嘘をつきました。

助産師さんやカウンセラーの先生が、親身なって教えてくれました。

帝王切開になったのは、逆子だからということにしたし、

赤ちゃんにシロップをあげるのは、ミルクに足りない栄養をあげていることにしました。

いろんな嘘をつきながら、

何でこんなことになってしまったんだろう、何がいけなかったんだろう、と

悩みました。

本当だったら、赤ちゃんが生まれて、幸せいっぱいのはずの時なのに。

 

一番つらかったのは、母乳をあげられないことでした。

母乳が出ないからということにして、

おっぱいマッサージを教わるふりまでしました。

感染のことを知らない身内、特に主人の両親は、

いろんなことを言ってきたり、

「これをするとおっぱいが出る」というものを勧めたりしてきました。

でも、ひたすら耐えるしかありませんでした。

私だって、母乳をあげられるものならあげたいのに!!

 

子供は定期的に血液検査をしていますが、幸いなことに、全て陰性です。

でも半年過ぎるまでは、もし感染していたら、と思うと地獄でした。

いくら感染率が低いといっても、ゼロではありませんから。

 

子供のためにも、支えてくれた主人のためにも、

早く死ぬわけにはいきません。   (一部略)

 

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こちらは、拠点病院に勤務する医師から聞いた話です。

やはりHIVの二次検査が陽性だった妊婦さんがいらっしゃいました。

この方は、ご主人との間に修復できない亀裂が入ってしまい、

離婚、中絶という非常に悲しい体験をなさいました。

しかし、自分と同じ苦しみを味わう人を一人でも減らしたい、

感染の拡大を一人でも減らしたい、とお考えになり、

思い切って過去のパートナーたちに連絡して、検査を勧めました。

その結果、2人の感染者が見つかりました。

この女性の勇気によって、2人のひとの早期治療と

感染拡大の予防ができたそうです。

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