なな
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2007/05 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

2007.05.31 19:05 |  研究  |  生活 / くらし  |  なな  | 推薦数 : 6

大学院について(1)

大学の研究所で院生生活を送りました。

いわゆる秀才とはこういうものか、と目からうろこが落ちる毎日でした(笑)。

大半は正常な人ですが、みんなとても個性的でした。

 

ペットの亀を、部屋で放し飼いにしている人。

シャンプーがないからと食器洗いで洗髪して、皮膚病になった人。

何故か部屋で敷布団を紛失したという人。

髪の毛に、ゆうべ枕にしたという新聞紙の一部をつけたまま研究所に来る人。

 

ある日のことです。

24,5歳の男子学生Oくんから、薬品瓶を目の前に突き出されました。

僕には開けられないので、開けて下さい、というのです。

私は、女性です。

見た目力が強そうかというと、全くその逆です。

びっくりして、

「えっ、そんな、Oくんに開けられないもの、私に開けられるわけがないじゃない」

と言うと、平然と

「僕は力がありませんから」。

ジャムの瓶のふたでも開かなくて困ろうものなら、

オレがオレがと兄たちが瓶を奪い合うような家庭で育った私には、

男性観が変わるような衝撃でした。

 

それでも、普通の若い男性らしいところもありました。

ある日、前日の合コンでかわいい女の子と意気投合したのに、

携帯番号を聞きそこなった、と嘆いていたMくん。

みんながいろんなアイディアを出して、Mくんをなぐさめます。

昨日の合コンは○○女子大で、僕の彼女がいる大学だから、調べてやるよ。

僕が、幹事だった女の子に聞いてやろうか。

いや、それはわざと教えなかったんだろうから、脈がない、あきらめろ。

ちなみに私のアドバイスは

「そんなの、適当にかけていればそのうち本人にかかるんじゃない」。

真面目に考えて下さい~~~~と苦情を受けました(笑)。

 

それなりに、楽しい日々でした。

固定リンク | コメント (4) | トラックバック (1)

2007.05.26 08:34 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  なな  | 推薦数 : 17

身近なところでも

医学生時代の話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほとんどの人が、一人暮らしでした。
当時はまだ女子学生が少なかったこともあり、結束が固く、みんな仲良しでした。
お互いのアパートに行き来するのも日常茶飯事で、
同学年の女子学生はほぼ全員、お互いのアパートを知っていたと思います。

ある日の夜。
そろそろ寝ようかという時間に、玄関のチャイムが鳴りました。
誰かが突然遊びにくることも珍しくありませんでしたが、
それにしてもちょっと遅い時間です。
ドアの覗き穴から訪問者を見るのですが、顔を伏せていてわかりません。
「だれ?」 と聞くと、しばらく間があって
「・・・ななちゃん、ごめん、こんな時間に」
同級生のみっちゃん(仮名)でした。
泣いている目の上は、紫色に腫れあがり、
抜けた髪の毛が何本か、服についています。
よく見ると、寒いのに素足で、
上掛けの裾から、パジャマのズボンがのぞいています。
「どうしたの・・・?」
聞くと同時に、はっとしました。
同級生の彼氏Aと一緒に住んでいるみっちゃんは、
普段からAの暴力に悩んでいました。
明るいみっちゃんは、笑いながら 
「昨日は壁に頭を打つけられちゃって〜 」 なんて言っていましたが、
かなりみんなで心配していました。
今日は相当派手にやられて、とうとう逃げてきたというわけです。

とにかく、みっちゃんをアパートに入れました。
お風呂を湧かして、
あったかいご飯を食べさせて、
2人で一緒に寝ました。

翌朝、みっちゃんをアパートまで送る時、
「みっちゃん、警察に行く?」
聞いてみましたが、
「ううん、いいの。」

暴力は、一度始まるとエスカレートします。
繰り返し暴力を振るわれていると、被害者の認知機能が歪んでしまい、
「自分は暴力を振るわれても仕方がない人間なのではないか」
という、間違った認識をするようになってしまいます。
加害者は、ひとしきり暴力を振るうと我に返り。
一転して平謝りします。
その後しばらく蜜月期が続き、
そのうちまた緊張が高まって、暴力を振るいます。
そして再び平謝りされると、
被害者は加害者を捨てることができないのです。
いわゆる「暴力のサイクル」というものですが、
今思うとみっちゃんの場合も、まさにこのようなDVの典型でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから10余年。
先日、大学の同窓会名簿が送られて来ました。
みっちゃんの苗字が暴力男Aの苗字になっているのを見て、
名簿を床に落としそうになりました。

固定リンク | コメント (41) | トラックバック (2)

大学医局同期の沖田先生(仮名)から、以下のようなメールが来ました。

沖田先生は、基幹病院の産婦人科勤務医です。

私がブログを書いていることすら話していなかったのに、

ある日突然、「あれ、ななちゃんのブログ?」と言って来た、驚愕のお方です。

(注:「なな」には私の本名が入ります)

本人の許可をもらったので、公開します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

当直中、開業医さんから夜中に電話がありました。

「順調に進行していたお産だけれど、赤ちゃんの心音が時々下がるので帝王切開にしたい。

しかし院長が不在なので、帝王切開ができない。

ついては貴院で帝王切開してくれないか」 という内容でした。

うちの病棟はその日すでに早剥(常位胎盤早期剥離)の緊急帝王切開も受けていて、

その患者さんの術後経過がもうひとつでした。

NICUも満床で、誰か調子の比較的よい赤ちゃんをGCUに移さないと入院は受けられません。

すなわち、「絶対に受けられないというわけではないが・・・」という状況でした。

救急車で来ても小一時間はかかる距離です。うちよりも近くに総合病院もあります。

うちに送ってもらって、それから帝王切開にしていたら、かなり遅くなってしまいます。

NICUの先生が常々

「胎児適応の帝王切開は時間が勝負なので、母体に問題がなければ、搬送元でオペしてもらう方が助かる。

児に問題があれば新生児搬送で構わない」

とおっしゃっていたのを思い出し、on callだった当科の副部長にも電話で相談した上で、

その旨と、「母児の状態が不良であればもう一度ご連絡下さい」と返事しました。

 

断られた病院側(多分バイトの医師でしょう)は、助産師相手にオペすればいいのに、

あちこち電話しまくった挙句、他県の病院でやっと搬送を受けてもらい帝王切開になりましたが、

結構時間がかかったせいなのか、新生児はNICU管理となりました。

入院後の経過は良好のようですが、

帝王切開が決定してからの対応に対して、家族が開業医の院長先生に抗議したらしく、

院長先生は当院が断ったのが悪いと言って、産婦人科部長に抗議してきました。

院長が不在でバックアップがいないような病院で当直するなら

一人で助産師相手に帝王切開する(開業医ではよくやるよね)か、

それが無理なら近隣のほかの開業医を確保して、緊急帝王切開に対応できるようにしておくのが

お産を取り扱う開業医の最低限の責任だと思います。

それができないなら、分娩を取り止めるべきだと思います。

なのに帝王切開に対応できなかった自分たちの責任は棚に挙げて、

搬送を断った病院に責任をなすりつけようというのはいかがなものか、と思いませんか。

他のスタッフも、同じような意見でした。

 

ところが、当科の部長だけは違いました。

「この件で当院スタッフは正しいことをしたと言い切れるのか?!

責任を取ろうとせずにたらい回しにしただけじゃないか!

これからはどういう理由であっても母体搬送は受けるようにしなさい!」とのたまいました。

そうは言っても、NICUが空いていない場合は現実的には搬送受け入れできないですし、

母体ベッドだって確保できないこともあります。

麻酔科やオペ室の問題でオペがすぐにできないこともありうる。

しかし、しかしです。 部長に言わせれば

「そんな問題は誰かが何とかしようと工夫したら何とかなるものだ。 すぐに諦めないで、全力を尽くすのだ!

そもそも、搬送依頼を断って何かあった場合は、断った病院にも賠償責任が生じる可能性があるのだから

よほど正当な理由がない限りは受けないといけないのだ。」

とのことでした。

副部長が

「そんなことを言っても、現場のスタッフにそこまで強制したら疲弊しきってしまって却って危険です。

そもそも周辺開業医が辞めているせいで、当院の分娩数は今年は1000件を超えそうな勢いで、

かつ帝王切開率が30%近い現状なのに、

これ以上母体搬送例を全例受け入れてしまったら、皆がもちません。

小児科だって、何とかギリギリのところで頑張ってもらっているのに、何でも受けるなんて言えません」

と諌めましたが、部長からは

「全例受け入れ。NICUに確認するまでもない」

というお達しが出たままです。

副部長からは

「現実的には全例受け入れは無理だから今まで通りの方針でいい。

断るべきは断って構いません。何があってもこちらで対応します」

という指示が別に出ているので、現場の混乱は最小限に収まっていますが、

今後はどうなるか、きな臭い状況です。

当院が「うちが断ったら他に行き場がない」という病院だったら意地でも受けざるを得ないかと思いますが、

近隣には他にも通常の搬送くらいは受けられる病院が2つあります。

それにスタッフが揃わないという理由で帝王切開にできない産婦人科開業医なんて

非常識としか言いようがないと思う。

そんなところの尻拭いまでしないといけないんじゃ、やってられません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

部長先生と、その他の先生方との温度差は、明らかです。

部長先生の理想も、理解できないではありません。

しかしこのままでは、「産婦人科医、全員辞職」なんていうことになり兼ねません。

かと言って、どうやったらこの温度差を縮めることができるでしょう。

「ななちゃん、どう思う?」と結んでありましたが・・・

 

どう思う、って、どう思う、って、う~ん

沖田くん、やられる前に、逃げて~~!

固定リンク | コメント (29) | トラックバック (1)

2007.05.20 08:28 |  診療  |  生活 / くらし  |  なな  | 推薦数 : 15

当直明けの朝

当直明けの朝。
外は快晴です。
ん〜、気持ちいい。
ふと見ると、朝食のメニューはサンドイッチ。
外で食べない手はありません。

サンドイッチと牛乳を持って、病院の庭に出ました。
五月の緑が、徹夜明けの目にしみます。

少し食べたところで、白い犬が寄って来ました。
首輪をしていますが、毛が汚れています。
家出中の犬かな?
犬は全く警戒した様子もなく、私の横におすわりをして、
期待を込めた目でじっとこちらを見ながら、しっぽを振っています。
「食べる?」と聞くと、一段としっぽを振ったように見えました。

食べ終わったら行っちゃうだろうと思っていましたが、
犬好きは犬が知るのか、
今度は甘えた声を出しています。
「遊ぶ〜?」
白衣一枚だめにする覚悟で、
犬と、おいかけっこ&プロレス!

我を忘れて犬とじゃれていると、
突然、小さな女の子から、声をかけられました。
「ワンちゃん、どっか悪いの?」
一瞬「え?」と思いましたが、はっと気づきました。
白衣の人の前で、犬がお腹を見せていたので、
お医者さんが犬の診察をしていると思われたのでしょう(笑)

病院にいながら、お医者さんであることを忘れた瞬間でした。

固定リンク | コメント (33) | トラックバック (0)

2007.05.15 23:11 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  なな  | 推薦数 : 47

内診禁止の現場から

看護師による内診禁止が再通達されて、1ヶ月がたちます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その晩は、お産が続けて3件ありました。
分娩室には、分娩台が2台あります。
1台では、産後2時間たたない褥婦さんが休んでいらっしゃって、
もう1台では、他の産婦さんが無事お産され、会陰縫合をしている、その時。
陣痛室にいる、分娩進行中の産婦さんから、ナース・コールです。
「何か、出ているんですけれど……」
ナースが陣痛室に向かって約5秒後、悲鳴に近い声が響きました。
「先生!!  早く!」
縫合を中断して飛んで行くと、既に赤ちゃんの頭が出ていました。
一瞬息をのみましたが、落ち着き払ったふりをして
「あらあら。じゃ、ここでお産しましょうね」
と、すぐに手袋を換えて、床上で赤ちゃんを娩出しようとしました。
しかし、全然出ません。
肩甲難産です。
赤ちゃんは首が絞まって、顔がみるみる紫色になってきます。
産婦さんは仰向けになっていますが、背中側に赤ちゃんを引っぱらないと、出ません。
座位にすると、膝が下向きになるので不利だし、
横向きだと充分足が開きません。
そこで、産婦さんの背中の下に、丸めた毛布をねじこんで、
無理やり骨盤高位にしました。
ナースに産婦さんの両膝を押し上げてもらい、私はありったけの力で赤ちゃんを引きながら
恥骨の真上を押しました。
それでも全然肩が出ないので、一旦手を放して、大きく深呼吸しました。
院長先生はご不在ですので、院内にいる医者は私1人、ナースは2人です。
気を取り直して、もう一度、渾身の力を込めて引くと、
何とか赤ちゃんが出ました。
疎血のため、躯幹は蒼白、顔は暗紫色で、ぐったりとしています。
「お願い、泣いて!」
赤ちゃんの背中や足底を思いっきりこすりながら、
「挿管」の2文字が頭に浮かびましたが、
赤ちゃんは泣いてくれました。

第一啼泣まで、3分かかっていいます。
それでも幸いにして、赤ちゃんはすぐに元気になってくれました。
しかし産婦さんには、一生の記念になるはずのお産なのに、
怖い思いをさせてしまいました。
当然産婦さんも私も、羊水まみれ・血まみれ・胎便まみれ。
分娩台にいた褥婦さんは、会陰縫合を中断したまま、お待たせしてしまいました。
ベッドはマットレスごと廃棄です。

私は2件の分娩にかかりきりでした。
ナースは2人ともベテランで、本当は内診ができます。
ナースが内診していれば、
分娩の進行が予想外に早いことを察知していれば、
同じ肩甲難産でもせめて分娩台の上であれば、
あんな修羅場にはならなかったはずです。

この産院では、厚遇で助産師を募集していますが、
ほとんど助産師のいない産院に入れば、大変な負担がかかることは目に見えていますので、
なかなか応募がありません。
言うまでもなく、産婦人科医も足りません。
では、分娩取り扱い、中止しますか?
そうしたら、年間800件のお産が宙に浮くことになります。

為政者に聞きたい。
何故、何の代替措置もないまま、看護師による内診を禁止したのですか。
現場の私たちに、どうしろと言うのですか。
あの赤ちゃんに何かあったら、私たちを罰するのでしょうが、
それで本当に再発が予防できるのですか。

固定リンク | コメント (36) | トラックバック (3)

2007.05.14 21:02 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 9

産婦人科に混入するまで

<医者になった理由>

・・・というより、「医学部を選んだ理由」と言った方が適切です。

医者になりたかったのではなく、医学が面白そうだったからなのです。

子供の頃から、理科の時間の「からだのしくみ」が好きでした。

自宅あった、「ひみつシリーズ:からだのひみつ」という科学マンガがお気に入りで、

ぼろぼろになるまで読みました。

人のためになりたいとか、手に職を持ちたいと思ったわけではありませんでした。

今でも「好き」という気持ちが全ての原動力という点は、変わっていません。


 

<産婦人科を選んだ理由>

行きたい科が、3つありました。

生化学、心療内科、産婦人科です。


1 生化学

医学部に入った理由の延長線上で、単に生命現象に興味があったからでした。

本当は生理学の方がよかったのですが、

生理学教室では、犬を使った実験をしていました。

実験前に一緒に散歩をして、おしっこをさせてから、麻酔をかけていました。

これが私には無理でした。

生化学で使うのは大腸菌でしたので、これなら私にも殺せました。


2 心療内科

実家の本棚に、「心療内科入門」という、古びた本があります。

九州大学で、日本初の心療内科を標榜した当時に、

初代教授・池見酉次郎先生がお書きになった本です。

中学生だった私が買ったものです。

プラセボの話に、心から感動したのを覚えています。


3 産婦人科

独特の、神聖で明るいオーラに心惹かれました。

しかし、最終的に産婦人科に混入したのは、かなり適当な理由です。

進路を決める際に、最初に相談に行ったのが、産婦人科の教授室だったからです。

「ななくん、それは君、産婦人科がいいに決まっているよ。医局長と話しておいで。

(ガチャ。おもむろに受話器をあげ、ダイヤル)

 あ、もしもし、陣内ですけれど(教授の仮名)、入局希望の学生が○月○日に行くから、

よろしく(ガチャ)」

え、先生、私、まだ、あの・・・という私の声は、

陣内先生のお耳には、届いていませんでした。

いえ、それとも届いていたのに、届いていないふりをなさったのかも知れませんが。


かくして産婦人科医としての人生の出発の日、陣内先生にご挨拶に行きました。

「ななくん。医局には、私の娘もいる。私自身が所属し、自分の娘もいる医局に

 これはと思う人材以外を入れたりはしない。どうか頑張ってくれたまえ」


今、こうしてくるくると働きまわっている私を見て、

一番喜んでいらっしゃるのは、陣内先生かも知れません。


でも、本当はもっとなりたかったものがあります。

ピアノの先生です。



固定リンク | コメント (27) | トラックバック (0)

2007.05.12 21:42 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 12

この手を放さないで

 

週1回、1人の患者さんに1時間くらいかけてお話をする

「カウンセリング外来」を開いています。

心身相関、つまり心と身体の関係に重点を置いた治療をする外来です。

4時間で4人と、なんとも悠長な外来ですが、

元々自分のやりたかった医療を、この外来で実現しています。


 

その外来の10代の患者さん、千秋さん(仮名)は、

初診時は、お母様とお姉様に抱きかかえられるようにして、いらっしゃいました。

摂食障害のため、極度に痩せています。

普通に歩けるのですが、受診に抵抗があるようです。

まず、3人とも診察室にお通ししました。

お母様とお姉様が代わる代わるお話するのですが、

千秋さんご本人はうつむいたままで、何もしゃべってくれません。

お母様のお話では、それまでもいくつか病院に行ったのですが、

どこに行っても、全くしゃべらないし、治療も続かなかったのだそうです。

その日は、とうとう何もお話できませんでした。


 

どうしたら千秋さんに心を開いてもらえるだろう?

考えた末、

「コミュニケーションは、言葉だけではない」。

そこに考えが至りました。

小児科外来から箱庭を借りてきて、一緒に作りました。

摂食障害の患者さんは、

触れられることによってボディー・イメージのゆがみに気づくことがありますので、

機会を見て、診察を兼ねて身体に触れました。

また、「何か温かいイメージ」を視覚に訴えるために

病棟にある新生児室に、一緒に赤ちゃんを見に行きました。

その間、もちろん話しかけるのですが、新生児や動物に愛情を持って話しかけるのと同じように、

ただ語りかけるだけです。


 

次はどんな手を使おうか、と考えることと、

千秋さんと触れ合い、千秋さんの反応を見るのを、私自身が楽しみ始めた頃、

千秋さんは、口を開いてくれました。


 

それを機に、少しずつ食べられるようになってきましたが、

経過中、過食に転化し、どんどん体重が増えて来ました。

拒食と過食は、ほとんどの場合ワンセットですので、あり得る話なのですが、

本人にとっては、「太ること」はとてつもない恐怖です。


 

ある日、デスクワークのために遅くまで病院にいて、そろそろ日付けが変わろうかとしている時、

鳴らないはずの院内PHSが鳴りました。

救急外来に、千秋さんが来ているというのです。

怪我や病気ではなく、ただ「なな先生いませんか」と言っているとのこと。


 

救急部に飛んでいくと、千秋さんがポツンと一人で、うつむいて座っていました。

千秋さん、と声をかけると、目には申し訳なさそうな表情。

手首に、つけたばかりのリストカットの跡があります。

一瞬言葉を失いましたが、いつもの通りの言葉をかけました。

「よく、来てくれましたね」。


 

泣きじゃくる千秋さんが落ち着いてから、ご自宅に電話しました。

お母様のお話によると、千秋さんは、体重が増え始めてから

学校も行かずに、お部屋に引きこもっているのだそうです。

2週間に1度の私の外来以外には、外に出ることもなかったとのこと。


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

本来、私の手に負える症例ではありません。

しかし、専門医受診を勧めても、お母様も千秋さんも、承諾して下さいませんでした。


 

「私の手でいいから、どうか放さないで」。

そう祈ると同時に、

「では、私に何ができるのか」。

答えが見つかりません。


 


 


 


 

固定リンク | コメント (38) | トラックバック (3)

2007.05.05 14:41 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 18

左手の力をゆるめて

 4月から、当直を減らしてもらいました。

今のペースを続けるのは、さすがに無理かな、と思ったからでした

(・・・と言っても、4月は9回当直でしたが)。

総理大臣がいなくても、日本の国は回ります。

でも、自分の健康管理は、自分にしかできない。

そう考えて、思い切って踏み切ったことでした。



心に余裕ができました。


10ヶ月ぶりに美容院に行ってトリートメントをして、髪につやが戻りました。

気持ちも前向きになります。


仕事が終わって白衣から私服に着替える時にいつも感じていた億劫さが、なくなりました。


ゴム手袋アレルギーでぼろぼろだった手が少し治って、

少なくとも血がにじまなくなりました。


化石化した包丁とまな板を取り出して、久しぶりにお料理をしました。


以前から花が好きでしたが、久しぶりに買って帰って、部屋じゅうに飾りました。


ずっとやりたいと思っていた、他の先生方のブログにお邪魔することができました。

共感できる記事の数々に、心が洗われました。


来週は、海に行く約束をしました。



自分では平気だったつもりの過重勤務が、いかに余裕を奪っていたのか、

今になってようやく気づきました。

我々医療者は、心身共に健康でないと、いい医療が提供できません。

大いに反省。


苦しくなったら、左手の力だけでもゆるめてみるといいかも知れません。



固定リンク | コメント (47) | トラックバック (2)

2007.05.03 11:59 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 10

おだてりゃ医者も・・・

私の病院で、もうすぐ臍帯血バンクへの献血がスタートします。

臍帯血は、血液疾患の患者さんへの骨髄移植とほぼ同じ治療に使うことができます。
骨髄移植はドナーに負担がかかりますが、
臍帯血は、お産が終わればいらなくなる胎盤と臍帯から採血するだけで済み、
そして誰かの生命を救うことのできる、画期的なものです。
手間はかかってしまいますが、
忙しいこのご時世に、敢えて導入に踏み切ったことには、理由があります。

非常勤医として週1回勤務している、S先生の産院へ行った時のことです。
S先生が「これはなな先生のものですよ」と、封筒を渡して下さいました。
どうやら金一封です。
先日お産された産婦さんのご主人からとのことですが、
たまたま当たった当直医である私に何故?と不思議に思っていると、
S先生が説明して下さいました。

S先生の産院は忙しく、当直に行くとまずは完全に徹夜になります。
しかしS先生は、私が大学院生時代、無給だった頃に
優先的に当直に呼んで下さり、経済的に支えて下さった恩師です。
また、開業医であるS先生は、患者さんへの接遇にとても気を配る先生ですので
私自身も、どんなに忙しい当直の時でも、心して丁寧に接するようにしていました。
そうすることが、S先生への恩返しになると思っていました。

その産婦さんのお産は、真夜中でした。
臍帯血バンクへの献血を申し出て下さっていた方です。
ご主人とご主人のご両親が、分娩室の外で初めての赤ちゃんをお待ちになっていました。
無事にお産になり、臍帯血の貯血が終わって、
ご家族全員がお揃いになったところを見計らって、口を開きました。
いつも通りに、お産へのお祝いの言葉を述べた後、
「今回は臍帯血バンクへの献血にご協力下さって、ありがとうございました。
 ママのご好意で、この子は、生まれると同時に誰かの命を救ったことになりますね」。
敢えてご家族がお揃いになってからこの言葉を言ったのは
患者さんへの接遇に気を配るS先生の産院だからこその、パフォーマンスでもありました。

ところが産婦さんのご主人が、
自分の両親の前で奥様が褒められたことに、感激したのだそうです。
それで下さった、金一封でした。
一緒に添えられていたお姑さんからのお手紙には
「孫の一生のスタートを飾るお言葉を、ありがとうございました」
と綴られていました。
これにはS先生も喜んで下さって、そのまま私に下さったという流れです。
さらに喜んだ私ですが、しかし到底使えるお金ではなく、
考えた末、こんなふうに育ちましたという報告も兼ねて、母に渡しました。
私よりさらに感激屋の母にも、到底使うことはできず、
結局、母の母(つまり祖母)の仏前に上がったままになっているようです(笑)。

臍帯血をめぐるこんな心の連鎖が、臍帯血バンクへの導入までつながったというわけです。
私の大好きな、春野ことり先生のブログhttp://blog.m3.com/Visa/20070502/1
「おだてりゃ医者も木に登る」とありましたが、まさにその通り。
木に登っちゃった医者の、一例です。

固定リンク | コメント (18) | トラックバック (0)