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春なので、恋の話でも(笑)。
学生の時に片想いだった、マトバさん(仮名)。
もの静かで、男らしいところが、好きでした。
でも、指をくわえて見ていることしかできない私には、
告るなんて、夢のまた夢。
構内でマトバさんを見かければ、その日は一日幸せ、
声をかけられたら、向こう3日間は幸せ、という状態でした(笑)。
ところがある日、休日のドライブに誘われました。
もう、うれしくってうれしくって・・・
文字通り、地に足つかず、何もかも上の空で、舞い上がってしまいました。
まだ寒い、春の日のことです。
ドライブと言ったら、お弁当!
講義なんかそっちのけでメニューを考え、
前日から食材を仕込み、
当日の朝も、暗いうちから起きだして、せっせとお弁当を作りました。
アイロンをかけたきれいな花柄のナプキンに、丁寧に包んで、
後はマトバさんのお迎えを待つばかり、という時に、
急に不安になってきました。
おいしくなかったら、どうしよう。
マトバさんの嫌いなものが入ってたら、どうしよう。
今日は寒いし、お弁当より、あったかいもの食べたいかも・・・
結局、2つのお弁当は、ナプキンに包まれたまま
テーブルの上に置いて行かれました(涙)。
楽しい(上の空ですが)ドライブはあっと言う間に過ぎ、夜になりました。
岩場の海岸に、2人で出ると
ぬれた岩が滑るので、マトバさんが手を取ってくれます。
もう、身体中の血が踊って、口から心臓が出そうでした(笑)。
満天の星に、月明かり。
冷たさが少し和らいだ、潮風。
辺りに人影はなく、ただ波の打つ音だけが響いています。
ここで、それまであまりしゃべらなかったマトバさんが、口を開きました。
「ななって、付き合ってくれとはっきり言われないと、わからないタイプか?」
つないだ手から伝わってくる温かさが脳天に達して、完全にイカレていた私は、
なけなしの判断力を総動員して、返事を考えました。
(わからないタイプかどうか、って聞かれたんだから、
わからないタイプかどうか、答えればいいのよね?)
「はい、わからないタイプだと思います。」
「・・・・・・」
マトバさんは、何も言ってくれません。
(え、いけなかったのかな。
あ、そうか。私のことなんか、聞いたわけじゃないんだ。
女性一般のこと、答えればよかったんじゃない?) ←ヲイヲイヲイ
「あ、それとも、女性一般に関してですか?
大体女性って、そんなものだと思いますけれど」
・
・
・
あの時、ちがう返事をしていたら、
今ごろ、全然ちがった人生を歩んでいたかも知れません(涙)。
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代理母出産で出生した子の出生届けの不受理が、最高裁で確定し、
議論を呼んでいます。
地裁では不受理、高裁では受理となっていましたが、
最高裁では逆転して不受理となりました。
私見になりますが、問題点はあるものの、概ね最高裁の判決を支持しています。
高裁が受理を命じた理由は
血縁関係は明らかで、子の福祉にも叶い、公の秩序に反しない
この3つです。
血縁関係は明らかです。
ところが最高裁は、
現在の民法では、出産した女性がその子の母親であるから、
本件の子の母は、卵子提供者ではなく、代理母である、と言っています。
生物学的な事実よりも、法律を重んじたもので、
科学者でもある自分の立場からは、到底容認できるものではありません。
この点に関しては、大いに異議があります。
子の福祉に叶う、これもその通りです。
特別養子縁組という方法はありますが、
実子としての届出に上回る点は、ひとつもないでしょう。
問題は、「公の秩序に反しない」。
本当に、そうでしょうか。
妊娠・出産は、本来命がけのものです。
だから、お金で他人に妊娠・出産をさせるのは、
他人を健康と生命の危険に晒す行為でもあり、
臓器売買や、生命に値段をつけることに通じるものがあると思うのです。
これは、公の秩序に反すると思うのですが。
最高裁の判決は、法律が生殖医療の進歩に追いつけずに、
民法を杓子定規に当てはめただけのものですので、
その点では評価できません。
しかし、実は大きな危険を孕んでいる代理母制度を、
わが国では認めない、とする決定でもあります。
そう思うと、今回の判決は是だと思うのです。
ともあれ、生まれた双子ちゃんの幸せを祈ってやみません。
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いつか、つぶやきたいと思っていました。
美保子さん(仮名)は、初産の妊婦さんです。
低位胎盤のため、妊娠30週を過ぎた頃から、安静目的でご入院されました。
週数がたつと、胎盤の位置が上がることもあるのですが、
美保子さんの胎盤は低いままでしたので、37週で帝王切開の予定でした。
帝王切開の前に、ご主人を交えて、手術に関する詳細な説明がなされました。
胎盤が子宮口に近いため、帝王切開が安全であること。
通常は、赤ちゃんが出た後に胎盤が出ると、
大きくなっていた子宮が急激に収縮することによって、胎盤剥離面の止血がなされるものが、
子宮口に近い部分は収縮しにくいので、大量出血の危険があること。
万が一止血困難な場合、輸血をしたり、子宮を取らなくてはならないケースがあること。
ご夫妻は、当然のことながら子宮温存を強く希望されました。
あとはその日を待つばかり、という頃、美保子さんは出血してしましました。
36週の低位胎盤は、ひと度出血し出すとまず止めることはできませんので、
緊急帝王切開です。
緊急opeと言っても、腰椎麻酔で意識はあるので、
緊張気味の美保子さんとおしゃべりしながら、和みムードで手術しました。
赤ちゃんが出るところまでは、非常に順調でした。
出血を少しでも抑えるため、切開した子宮筋層を粘膜鉗子で挟鉗し、
少しの間、胎盤が自然に剥れるのを待ちましたが、
剥離兆候がないので、臍帯を軽く引きました。
全く手ごたえがないし、待っていてもあまり意味はないので、
用手剥離を始めました。
ところが、胎盤付着面と子宮壁の間に手を入れたところ、
半分以上は剥れたのですが、
一部、硬くて指が入らないところがありました。
癒着胎盤です。
この時点で麻酔科の先生が、貯めていた自己血の輸血を始めました。
通常の胎盤剥離時より出血量が多いのは見た目で明らかですが、
剥離を完了しないことには止血できないと判断し、剥離を続行しました。
しかし、助手で入っていた後輩ドクターがやっても、やはり剥れません。
先の見通しも踏まえて判断し、全身麻酔に切り替わりました。
この間にも、湧き出るような出血が容赦なく続いています。
血の海のようになった術野を見て、子宮全摘が頭に浮かびました。
でも。
「先生、私、もう一人赤ちゃんほしい」
術前にそう言っていた美保子さんの表情も、同時に頭に浮かびます。
「子宮取ることなんて、まずありませんよね」
若いご主人の、ちょっと不安気な表情。
しかしこのままでは、止血は叶いません。
子宮内にガーゼを何枚も詰めて、助手のドクターに両手で子宮を握りしめてもらい、
私はope室の外で待つご主人に、ご説明に行きました。
子宮を取らないと、出血を止めることはできないでしょう、とお話したところ
ご主人はしばらく黙考されていました。
そして、
「先生、せめて本人に話してから取ることはできませんか」
ope室に戻ると、子宮を握りしめて圧迫している分には、出血は止まっています。
ここまでの出血量は、羊水込みで5000ml弱、
日赤にオーダーした輸血はまだ届いておらず、ope続行は危険です。
「いちかばちか」の判断でした。
ヨードホルムガーゼを1メートル以上、子宮内に詰めて、そのまま閉腹しました。
挿管したまま、しばらくope室で様子を見ていましたが、
外出血もなく、バイタルも安定しています。
眠れない一夜を病棟で過ごした後、
麻酔から醒めた美保子さんに、状況をお話しました。
美保子さんは、悲しみを露にしながらも
「目が醒めたら子宮がなくなってた、なんてことよりはずっといいですから」。
ご夫婦って、同じことを考えるのでしょうか。
その日、ガーゼの入ったままの子宮を摘出しました。
本来、誹りを免れない点だらけの手技です。
再出血のリスクはもちろんのこと、
感染のリスクも、血栓症のリスクもありました。
当然ガイドラインに載ってもいなければ、標準的とは言い難いやり方です。
かつ福島県では「禁忌」とされる、いちかばちかでやったことです。
結果が悪ければ、今の世の中なら業務上過失とされ、
私は犯罪者として扱われていたでしょう。
しかし現実には、後遺障害なく終わりました。
余分な負担は、麻酔を2回かけたという点くらいでしょうか。
何よりも段階を踏んだことに、ご本人とご主人が納得し、
感謝して下さいました。
でも、今の世の中では、同じことはできないかな……
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前期破水で入院された元美さん(仮名)は、2人目のお産です。
破水すると、ほどなく陣痛がくることが多いのですが、
元美さんの場合、一晩入院して、ようやく陣痛が始まりました。
いったん陣痛が始まると、経過は順調で、
数時間で分娩室に移動になりました。
分娩の体位を取って消毒した頃、ご家族が到着されました。
ご主人と、2歳半になるお兄ちゃんの一馬くん(仮名)の2人です。
ところがお兄ちゃん、近くまで来たのがわかるくらい、大泣き。
陣痛の合間の、元美さんのお話によると、
ママと離れて過ごしたのは、生まれて初めてだったそうです。
前の晩もご自宅で大泣きし、泣き疲れて眠るまで、パパがほとほと困ったのだとか(笑)。
お産が終わるまでお待ち頂いたのですが、
壁一枚隔てた向こうから、一馬くんの泣きじゃくる声が聞こえて来ます。
「ほんとにママが大好きなんですね~」と、
助産師も私も、ほのぼの。
玉のようなお嬢ちゃんが無事生まれたその途端、
疲労の残ったままの顔で、元美さんは、「息子、入れてもいいですか」。
産後の処置がまだなのですが、ご本人の希望なので、
一馬くんを分娩室に呼びました。
ママの顔を見るなり、一段と大泣きしながら駆け寄ってきた一馬くんは、
自分で分娩台に登ろうとするのですが、高くて登れません。
看護師に抱きかかえられて、元美さんの隣に横になると、
ぴたりと泣き止みました。
元美さんは、胎盤を出されたり、局所に麻酔や縫合されたりしているのに、
慈母のようなやさしい表情で、「一馬、えらかったね、ママいるからね、よしよし」と、
下半身とは全く別の、完全に子供を慈しむだけの、ママの顔になっています。
一方、赤ちゃんの清拭が終わったので、
ママに抱いてもらうために、一馬くんに分娩台から降りてもらおうとしたら、
再び火がついたように泣き出しました。
もう、到底引き離すことはできません。
かくして、元美さんの胸の上に赤ちゃん、右脇に一馬くん、
局所は縫合中、元美さんは慈母のような微笑み、という、不思議な光景。
母性の神々しさに、ただ圧倒されました。
さらに、所在なさ気に立ち尽くす、パパ(笑)。
溶けるような笑顔で元美さんと一馬くんに見とれる、若い看護師。
お産の前、泣きじゃくる一馬くんをあやそうとしてくれた、他の赤ちゃんのおばあちゃま。
普通の生活をしていたら見るはずもなかった、
こんな人間味あふれる光景に出会えること。
これも産科医の醍醐味と思うのです。
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お産の多い、S先生の病院に非常勤で勤務した日のことです。
朝から夕方までの外来の合間に、正常分娩3件、その後帝王切開が1件ありました。
「この敷地内は日本じゃありませんよね~、少子化関係ないですもんね~」
などと笑い合いながら、その後もさらにお産がありました。
S先生の病院は忙しく、当直に来る時はいつも徹夜覚悟で来ています。
その日も徹夜パターンでしたが、深夜、呼ばれないはずの自分の病院から呼ばれました。
聞くと緊急帝王切開ですが、
本来on callのドクターはお子さんが熱を出して、行けないとのこと。
諸般の事情から、私が行くしかありません。
当直中に抜けて行ってしまうなど、以前はとんでもないことでしたが、
最近はどこの病院も人員確保が厳しく、綱渡りの状態ですので、
お互い融通を利かせるしかなくなっています。
時刻は午前1時でしたが、恐縮しながらS先生を起こして事情を説明したところ、
快く行かせて下さいました。
無事お産になった後、今度はS先生の病院に戻りました。
タクシーを拾って行き先を告げると、
病院から出てきて、さらに他の病院に行こうとしているのを不思議に思われたのか、
「お仕事ですか?」と聞かれました。
へとへとで、言動の微調節ができなくなっていた私は、ストレートに
「そうです。こんな夜中に病院から病院へ向かう、疲弊した産婦人科医です。
すみません、横になってもいいですか」
と言うと
「いいよ。近くに来たら起こしたげるから」
お言葉に甘えて、タクシーの後部座席に横になり、2秒で気絶。
2,30分は眠ったでしょうか、S先生の病院の近くまで来たところで、
運転手さんが起こしてくれました。
そこから先は、細い一方通行の道になるので、
「近くですので、この辺で降ります」と言うと、
その年配の運転さんは
「何言ってるの、こんな夜中にちゃんと送らないわけいかないよ」と、
料金のメーターを切ってくれました。
ぼーっとした頭で、じんわりと感激していると
「よっぽど疲れているんだねえ。かわいそうになっちゃったよ」
ご自分も深夜に働く運転手さんのやさしい言葉に、思わずホロリ。
丁寧にお礼を言って降りようとすると、
「それにしても痩せてるね。しっかり食うんだよ」
もう、完全に参りました(笑).
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医者になってから、怒り心頭に達したことが、3回あります。
1回目は、医者ではなく医学生時代、解剖学実習の時です。
解剖学実習では、ご本人とご家族のご厚意で献体して下さったご遺体を解剖します。
学生4人1組のクループで、1人のご遺体での実習でした。
同じグループの中に、秀才を気取った男子学生がいました。
よく勉強していましたが、解剖がスムーズに進まないと、不満を口にするタイプです。
確かに、皮下脂肪の多いご遺体だと、メスがすぐに切れなくなるので、
やりにくい面はありました。
ずーっとブツブツ言っているので、うるさいな~と思うものの
自分の手先に夢中で、あまり気にしていませんでした。
が。
「全く、何考えてんだ、このご遺体は」
と、尖った接子の先で、ご遺体をぶつっと刺したのです。
見た瞬間、一気に涙があふれました。
怒るとか、許せないとか、そういうことではなく、
ただ、太めの静脈を切った時のように、ぶわっと涙があふれ返ったのです。
帽子にマスクですので、誰にも気づかれることはありませんでしたが、
女子更衣室に駆け込んで、しばらく涙を流していました。
怒り心頭に達した瞬間でした。
2回目は、大学病院に勤務していた時のことです。
大学病院は、診療機関であると同時に、教育機関でもあり、研究機関でもあります。
私のいた大学病院は、その中でも特に研究に力を入れている病院でした。
ところが私は臨床ばかりに力を入れ、研究には貢献できていなかったため、
たまにちらりちらりと小言を言われていました(気にしていませんでしたが)。
産婦人科外来に来た患者さんは、それぞれの研究テーマ別の専門外来にかかってもらって、
専門的な治療を受けると同時に、研究に協力して頂くこともあります。
その一方で、どの専門外来に行ってもらえばいいのか、
判断に迷う患者さんもいらっしゃいます。
多くの場合、「何となく調子が悪い」「更年期なのか、気分の変調がある」など、
治療のポイントがつかみにくい患者さんです。
元々女性のメンタル・ケアに興味のあった私は、
そういう患者さんを集めて、時間をかけてお話することを始めました。
これが思ったより好評で、患者さんは喜んで下さるし、
他の先生方も、専門外の上、つかみにくい患者さんを任せられると、
人気は上々でした。
ある日、医局の指導的立場にある先生とお話している時のことです。
「そういえば、なな先生のところに、不定愁訴の患者が集まっているらしいね。
ま、研究にならない患者を診ることないよ」
頭が真っ白になりました。
研究に、ならない、患者は、診ることない、だと??
・・・もう二度と大学病院なんか戻りません。
3回目は、福島県立大野病院、加藤克彦先生の不当逮捕事件です。
逮捕から1年以上たちましたが、全く怒りはおさまりません。
何がそんなに腹ただしいのか。
ひと言では言えませんが、多くの普通の医者たちの良心を、
踏みにじる行為だからでしょう。
来週、第3回公判があります。
第1回、第2回公判と、検察官の言動に、怒りは増幅する一方です。
加藤先生とは全く面識もなく、福島県にはまるで無縁の、一人の産婦人科医の中に、
たぎるような怒りがあることを、
福島県警も、検察も、知る由はありませんが。
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医療にまつわる話題に関しては
暗い話ばかり、こと欠かない日々が続いています。
大阪の国循で、ICUの先生方が、全員お辞めになるとは……
私自身も、いつまでこんな状態が続けられるか、わかりません。
でも、続けている限り、こんな日々もあったことを
留めておきたいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
研修医として、初めて癌患者さんに接した頃のことです。
担当したのは、30代の若い患者さん、千代子さんでした。
受け持った時には、既に病状が進行しており、
癌に対する積極的な治療はしておらず、「緩和ケア」と言って、
痛みや苦しみを和らげることを主眼とした治療のみをしていました。
ご家族は毎日お見舞いにいらっしゃるのですが、
お嬢ちゃんが小さいこともあり、あまり長時間ベッドサイドに居られないようでした。
自らの余命をご存知の患者さんは、絶望的な心細さと、常に隣り合わせです。
当然のことながら千代子さんも、いつも寂しがっていらっしゃいました。
新米研修医だった私には、どうすることもできませんが、
寂しがる千代子さんのそばにいることだけは、できました。
そばにいると、千代子さんが喜んで下さるので、
とにかくいつも千代子さんいる、あの2人部屋にいました。
千代子さんが何の癌だったか、どうしても思い出せませんが、
千代子さんのご家族と、ペットの名前、食べ物の好き嫌い、好きな曲、
病院の近くの喫茶店のお気に入りメニュー、得意なお料理、好きなお花は
全て思い出せます。
リンパ浮腫のため、両足が非常に浮腫んでいましたので、
毎日1時間くらいかけてマッサージしながら、おしゃべりしていました。
「気持ちいい」と言われては、得意な気分になったものです。
歩けなくなった千代子さんが「どうしでも外に出たい」と言った時には、
車椅子で病院の庭までお連れして、2人で銀杏の葉とぎんなんを拾ったこともありました。
癌性腹膜炎のため、ほとんどものが食べられなくなってしまいましたが、
眠っていることが多くなった千代子さんに、アイスクリームを食べたいと言われて、
こっそり買いに行って、一口だけ食べさせてしまったこともあります。
コマねずみのように働き回らなくてはならない研修医が時間を取れるのは、主として夜ですので、
一日の仕事が終わった夜になって、ゆっくりと千代子さんのお部屋に行くのが、日課になっていました。
次第に意思の疎通ができなくなってきましたが、それでも夜2,3時間は一緒に過ごしました。
ある寒い朝、千代子さんは眠るように亡くなりました。
医者になって初めて経験する、患者さんの死でした。
受け持ち患者さんが一人亡くなっても、いつもと同じ日常業務をこなさなくてはなりません。
千代子さんを見送ったその日も、病棟処置にopeに、一日中動き回りました。
学会の下準備まで手伝って、仕事が終わったのは、午前0時過ぎ。
千代子さんに下顎呼吸が見られるようになってから、ずっと付き添っていたため
かなり頭がボーっとしていた私は、つい朝のことを忘れて、
千代子さんの部屋にふらりと入ってしまいました。
空っぽになったベットをみて、はっと気づきました。
千代子さん、もういないんだ・・・
いつものように、ベッドサイドのパイプ椅子に腰かけました。
大きめの窓から、光々とした月明かりが差し込んでいます。
不意に、ドア側にあるもうひとつのベッドから、声がかかりました。
「先生、寂しいですね・・・」
千代子さんと闘病生活を共にした、同室の、節子さんです。
50代半ばの物静かな患者さんですが、
そういえば、どなたかお見舞いに来ているのを見かけたこともなければ、
節子さんの担当医も、あまりベッドサイドに侍るタイプではなく、
いつも一人で、ひっそりとベッドにいらっしゃいました。
私自身も、自分の担当患者さんばかりに夢中になって、
節子さんとは、朝晩の挨拶をする程度でした。
同室の患者さんが亡くなり、運ばれて行くのを見て、
どんなお気持ちだったでしょう。
「先生、寂しいですね・・・」
私の働きぶりを見て下さっていただけでなく、それまでの非礼を赦し、
さらに、千代子さんを失った悲しみを共有して下さる、懐の深さ。
あのひと言に、人として、医者としての基本的な思い遣りを、
教えて頂いたと思っています。