| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
| 31 |
共同通信社の記事からです。
<判断遅れ仮死状態で出産 北大病院で医療事故>
北海道大学病院は5日、出産の際に胎児が低酸素状態になっている可能性があったのに帝王切開をする判断が遅れ、仮死状態で生まれる医療事故があったと発表した。同病院は新生児の母親や家族に経過を説明し謝罪した。
北大病院によると、9月に入院した道内の40代女性の出産時に、胎児の心拍数が少なくなるなどの異常が見られた。しかし、担当した産科の医師らはすぐに帝王切開を選択せず、胎児の頭を引っ張って取り出す方法を試みた。このため出産が遅れ胎児は自発呼吸ができない状態で出生、現在も人工呼吸器をつける重篤な状態が続いているという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全く同じ体験をしたことがあります。
「ここまで来ているのだから、出るだろう」
「今から緊急帝王切開にしても、赤ちゃんが出るまで1時間近くかかってしまう」
そんな考えで、何とか下から出そうと頑張ってしまいました。
更に、NST(胎児心拍のモニター)は、心拍数の変動を表す曲線が描かれると同時に、
心拍の音そのものが聞こえます。
分娩室でこれを聞いていると、希望的観測も入ってしまうのか、
怒責の後、児心音が回復してくる度に、つい「よし、大丈夫」と思ってしまったのでした。
結果として、その赤ちゃん・裕ちゃん(仮名)は、新生児仮死で出生しました。
帝王切開で生まれた裕ちゃんは、産声を上げることができず、ぐったりしていました。
挿管され、NICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送されました。
入院中は、産婦さんの部屋に毎日訪室し、創の消毒をしました。
訪室を拒否されなかっただけ、まだよかったかも知れません。
しかし、針の蓆にいるような時間でした。
病院内も、針の蓆でした。
病棟では助産師さん、看護師さんたちが、気を遣って接してくれるのがわかります。
医局に行くと、私が姿を見せるまでは雑談していた先生方が、
ぴたっと話をやめる気配を感じることもありました。
院長先生や病院管理職の方が事務的に接して下さることに、却って救われる気持ちでした。
病院の弁護士さんと面談し、詳細を話さなくてはなりませんでした。
心身ともに消耗する時間でした。
今でも、裕ちゃんのことを考えない日は、ありません。
ちょっと水の中にもぐっただけでも、すぐ苦しくなりますよね。
それを思うと、脳に障害が残るかもしれないような低酸素状態って、
どんなに苦しいでしょう・・・
元気に育った裕ちゃんの姿を具体的に想像しながら
裕ちゃんは元気になる、裕ちゃんは元気になる、裕ちゃんは元気になる、と
毎日3回、言霊を信じて、言葉にせずにはいられませんでした。
院長先生、病院管理職、当事者の医師数名と、裕ちゃんのご家族との面談がありました。
大変冷静で良識的なご家族ですが、当然のことながらお怒りでした。
「言い訳するんじゃねえ! 殴ってやろうか!」
産婦さんのお舅さんに、他のドクターがそう怒鳴られた時は
心臓が縮む思いでした。
それ以降しばらくは、分娩台の前に立つと、あの時のフラッシュバックが起きて、
平静ではいられなくなってしまいました。
このお産で、赤ちゃんの心音が落ちたら・・・
恐怖としか言いようのない感覚でした。
怖いと、本当に手が震えたり、心臓がドキドキしたり、手先が冷たくなったりするのですね。
夜、ベッドに横になって目をつむると、
帝王切開を決めてから手術室に向かうまでの、苦しそうな心音や、
娩出した時にぐったりしていた裕ちゃんの姿が頭に浮かんで
はっとすることがしばしばでした。
もうだめだ、と思いました。
医局に辞意を表明する前に、
まず、産婦人科医療を一から教えて下さった、敬愛してやまないI先生に、
ことの顛末と自分の気持ちを伝えました。
I先生に大反対されても、気持ちは変わりませんでしたが、
それまでは数ヶ月に1回程度しかお話をしなかったI先生が
毎日のように遠距離電話を下さって、ただ「元気か」とだけ聞いて下さることに心打たれて、
結局今日まで来ました。
裕ちゃんの予後は、まだわかりません。
しかし、裕ちゃんのご家族から、喜びの瞬間と楽しい成長の期間を奪ってしまいました。
既に、償いきれるものではありません。