なな
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2006/08 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

  • 大野事件の終焉:無罪確定
    • さんば12号 (09.05 11:56)
    • 中間管理職 (09.05 09:13)
    • なな (09.05 08:20)
    • なな (09.05 08:16)
    • なな (09.05 08:13)
    • なな (09.05 08:12)
    • なな (09.05 08:09)
    • なな (09.05 08:04)
    • Lily (09.04 21:02)
    • フェンタ (09.04 20:24)

新着トラックバック

2006.08.31 22:20 |  診療  |  医療事故  |  なな  | 推薦数 : 24

医療者の視点から見た、分娩時出血多量の1例

福島県立大野病院の事件も
横浜の堀病院の事件も、
分娩時出血多量による母体死亡が問題になっています。

幸いにして、分娩時失血死に直面したことはありませんが、
紙一重の恐ろしい経験をしたことがあります。

赤ちゃんが出るところまでは、非常に順調なお産でした。
少し出血量が多いので、早めに胎盤を出して止血した方がいいと判断し、
診察したら、胎盤は子宮の出口まで降りて来ていました。
いつもと同じ力で、軽く胎盤を引いたつもりでしたが、
子宮内反症になってしまいました。
これは、靴下を裏返しに脱いだ時のように、
子宮が裏返って、子宮内腔が表側になってしまう病態です。
簡単に元に戻せそうな気がするかもしれませんが、
分娩直後の子宮は、硬く収縮することによって止血しますので、
子宮を弛緩させないと、裏返った子宮を元に戻すことは困難です。
弛緩した一瞬を狙って、子宮を整復しなければなりません。
覚悟をして、薬剤を使って子宮を弛緩させました。
その瞬間、上腕の半分くらいまで妊婦さんの産道にがっ、と押し込んだところ、
幸運なことに、子宮は元に戻りました。
しかし、緩めた瞬間に、水道の蛇口をひねったようにざあっと出血します。

この時点で、日赤に輸血用の血液を依頼しました。

緩めた子宮を必死で収縮させました。
ところが、子宮が硬く収縮したら血は止まるはずなのに、
硬くなっても出血が続いています。
不運なことに、その産婦さんは妊娠中に20kg以上体重が増えており、
産道にもたっぷり脂肪がついてしまっているため、
出血点を視認しようとしても、脂肪が邪魔してなかなか見えません。
院内にいる医師は、私一人。
私がなんとかしなければ、どうにもなりません。

この時点で、大病院への搬送を依頼しました。

修羅場と化していたため、どうやって止血処置をしたかよく覚えていませんが、
子宮の出口がかなり裂けていて(頸管裂傷といいます)、
その付近の動脈が切れたために、拍動性の出血があって、
それを縫った覚えがあります。

動脈性の出血は何とか止血できたものの、
にじむような出血は、じわじわと続いています。
医師一人で、輸血用血液が未着の状態で、
それ以上の止血操作は却って危険と判断し、
圧迫止血に切り替えました。

そうしている間にも、産婦さんはみるみる蒼白になり、
血圧も下がってきました。
「この産婦さん、亡くなるかもしれない」。
そう、思いました。
人が一人、失血死する過程を、目の前で見ているかのようです。
全開で点滴しても、どんどん状態は悪くなり、
「気持悪い」と、あくびをしたり、嘔吐したりするようになりました。

ありったけの力で出血点を圧迫しながら、
瞬時に、いろんなことが頭に浮かびました。
・・・・・・・・・・・
もうだめ。
院長先生に、ご迷惑をおかけしちゃうな。
母は、私以上に嘆くかも。
ごめんなさい、Y先生(産科学を基礎から教えてくれた恩師です)、
先生より先に、廃業することになっちゃった……

産科医としての人生を諦めかけた瞬間、
日赤から血液が届きました。
そしてほぼ同時に、搬送用の救急車も到着。
止血用の鉗子を何本もつけたまま、
輸血をしながら、
産婦さんと、ご主人と一緒に
救急車に飛び乗りました。

産婦さんは助かりました。

全てが終わって、自宅へ向かう電車に乗るための、駅のホームで。
電車に、乗れませんでした。
ベンチに腰を下ろして、少しの間、呆然としていました。

「こわかった……」

不意に、涙が出て来ました。
いったん出だすと、次から次から涙が落ちてきました。
周囲には大勢人がいるのに。
でも辺りにはばかることもできず、
声だけかみ殺して、たださめざめと、泣き続けました。

医療者の視点から見た、分娩時出血多量の1例です。


固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)

2006.08.29 03:06 |  医療制度 / 行政  |  なな  | 推薦数 : 3

内診は、誰がするべきか

看護師による内診が、問題になっているようです。

 

厚労省からは、看護師による内診は控えるように、という通達が出されています。

これに対し、日本産婦人科学会等から、この通達を撤回してほしいという意思表示がなされていました。

今回の事件は、そのはざ間で明るみに出たものです。

 

この「内診」について。

要するに、触診です。

子宮口の開き具合や児頭の下降度などを、触診によって、分娩進行を評価するものです。

ですので、同時に同じ妊婦さんを診察しても、

診察する人によって、多少所見が違ってくることは、ままあります。

 

研修医だった頃、医局旅行の余興の企画案を練っている時のこと。

「内診大会はどうでしょう」と言ってみたことがあります。

大学病院には、内診所見を会得するために作られた、子宮口と児頭を形どった模型があるのです。

この模型を使って、観客には正解がわかるようにカーテンで仕切って、

医局のえらい先生方に、診察して内診所見を言って頂いて、

どの程度正解できるかで盛り上がってしまおう、という企画です。

 

ところが、これは先輩ドクターに却下されました。

曰く、「全然違ったら、シャレにならないだろ」。

 

内診は、誰がするべきか。 

妊婦さんも、産科医療に携わる人たちも、

みんなが幸せになる形で、問題が解決されますよう。

固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.08.25 22:11 |  生活 / くらし  |  なな  | 推薦数 : 2

子供に返る時間

夏休み、実家に帰ってきました。

 

普段は「先生」と呼ばれ、他人から頼られる存在です。

どんなに疲れていても、プロですから、患者さんには笑顔で接します。

緊急時には、瞬時に、冷静に的確な判断をして、次々と指示を出さないといけません。

後輩ドクターには指導力を発揮し、上級ドクターの片腕でなくてはなりません。

患者さんが亡くなった時、死を悼んでも、泣いてはいけません。

お産の時、羊水を顔面に浴びても、返り血で胸が真っ赤に染まっても、動じません。

患者さんの家族としてやくざが来ても、毅然と対応するのが仕事です。

 

独り暮らしなので、うちに帰っても

誰も「お疲れさま」なんて言ってくれません。

 

なので、たまに実家に帰った時には、思いっきり子供に返ることを、許してもらっています。

母の手料理をおなかいっぱい食べて、

あったかいお風呂にゆっくり浸かって、

ふかふかのお布団でぐっすり眠って。

今回は花火までやっちゃいました(笑)。

 

産婦人科独身女医の独り言です、失礼。 

 

固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.08.22 04:26 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  なな  | 推薦数 : 7

産婦人科撤退の経験

医局が、勤務先の病院を撤退する旨を知ったのは、撤退の10ヶ月前でした。

本当は1年前の時点で決まっていて、その病院の部長先生はご存知だったのですが、すぐには知らされませんでした。

「撤退と聞いた時、僕もがっくり来ました。先生に言うと、先生もやる気をなくしてしまうのでは、と思って、すぐには言えませんでした」

とおっしゃっていました。

部長先生は、赴任されるまでほとんどされてなかった手術を多数こなし、

一躍その地方の中核病院に仕立て上げた先生です。

 

私も、長期間勤務する予定で赴任したはずでした。

大学医局を出る時、敬愛する講師のK先生に

「部長を支えて、しっかりやって来るんだよ」と励まされ、

希望と使命感を持って、喜んで赴任しました。

それまでやっていなかった術式を導入し、

器具の選定から、業者の比較選択までしました。

一人一人の患者さんに時間をかけて診察することを主眼にした、新しい外来を開設して、

多くの患者さんを診て来ました。

それらを、全部あきらめなくてはならなくなりました。

 

産婦人科医が10人弱勤務する病院でしたが、

まずは人数を2人に減らされました。

でも、仕事量はそのままでしたので、

人員削減後は、地獄でした。

 

一番辛かったのは、途中まで診た妊婦さんたちに

転院してもらうしかなかったことです。

健診の日、一人一人の妊婦さんに事情を説明することを、

ひと月半くらい続けました。

「えっ・・・?!」と絶句して、 呆然と出て行かれる人。

どうしてもここでお産したい、と涙を流す人。

先生もご無念でしょう、どうかお身体を大切に、と目を真っ赤にしながら励ましてくれる人。

後で家族を連れて、抗議に来る人。

無責任です、と罵られたこともありました。

 

こちら側も、やりきれない思いでした。 

励ましながら不妊治療をした末、妊娠された方もいました。

心の不調を抱えたまま妊娠をし、泣きながらかけてくる夜中の電話を繰り返しながら、なんとかお産近くまでやってきた妊婦さんもいました。

度重なる病気の発作に苦しみ、一時は妊娠を中断しようかと思った妊婦さんもいました。

 どの妊婦さんも全員、よその病院に任せざるを得ませんでした。

「断腸の思い」という言葉がありますが、まさにそんな心境です。

医者があれだけ辛いのだから、患者さんの方は、どれだけ辛かったことでしょう。

 

あんな思いは、二度としたくありません。

固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1)

2006.08.19 05:15 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なな  | 推薦数 : 36

「お産の時、来て下さいますか?」

産婦人科医にとっては、殺し文句です。

 

健診のたびに顔を合わせて、おなじみになった妊婦さんに、

つぶらな瞳に、ちょっと不安の色を浮かべてこれを言われると、

ついうなづいてしまいます(笑)。

そうすると妊婦さんは、ほっとした表情になって

「よかった~!」と、喜んで下さいます。

 

カルテに、目立つように「入院時連絡下さい」と書いておくと、

その妊婦さんが陣痛や破水で入院すると、

助産師さんたちも心得ていて、休日でも夜中でも、連絡をくれます。

 

「お産は、担当医が立ち会う」。

理想的です。

出産は、一人の女性が生涯に1回か2回しか経験しない、わが子の誕生の瞬間です。

初めて顔を見る当直医に立ち会われるよりは、顔見知りの医師がいた方が、

いい記憶になるし、何より安心でしょう。

 

でも。

お産は、いつ始まるかわかりません。

妊娠37週から41週くらいまでの5週間、いつ病院に呼ばれてもいい状態で、日常生活を送っていないとなりません。

病院から1時間以上かかるところには行けないし、

携帯電話の電波が届かないといけないので、地下には行けないし、

お酒も飲めません。

誰かと食事をしていても「ひょっとしたら、病院に呼ばれるかも。呼ばれたらごめんね」と言いながら食事をし、

実際呼ばれて、相手を置いて行ってしまう、なんてことを繰り返していると、

誰も一緒に食事をしてくれなくなります(泣)。

つまり、1人の妊婦さんと、お産に立ち会う約束をするだけで5週間拘束されることになります。

これを、10人の妊婦さんと約束すると、どういうことになるか・・・

さらに、地方病院あたりで、年間数百件のお産を一人で抱えていらっしゃる一人医長の先生の生活は、一体・・・

 

それでも、お産の後

「先生が来て下さってよかった」となどと言われると、

懲りずに、次の妊婦さんのお産にも、駆けつけてしまう。

 

いつまでこういうの、続けられるかな・・・

 

固定リンク | コメント (6) | トラックバック (2)

2006.08.13 16:27 |  その他(一般)  |  なな  | 推薦数 : 13

忘れられない患者さん(1)

恭子さん(仮名)。
還暦を越える、婦人科癌の患者さんです。
ひと昔前、癌は死に至る病でしたが、癌治療の発達の結果、
今は癌との共存が可能な時代になって来ました。
恭子さんの癌は、手術で完全に病巣を切除できた上に、
抗癌剤が効きやすいタイプでしたので、
癌とは言え、長期予後が充分に期待できる状態でした。

術後の体力回復を待って、術後化学療法を予定していた、その日の朝のことです。
恭子さんは、関節の病気のため、転倒しやすい状態でした。
慎重な方で、いつも杖をついて歩いてらしたのですが、
その日は何故か杖を持たずに洗面所に行かれたらしいのです。
いつものように、病棟の患者さんたちのベッドサイドを回っていると、
廊下から只ならぬ大声が聞こえてきました。
驚いて病室を飛び出すと、恭子さんが倒れています。
恭子さんは、転んで首の骨でも痛めたら大変なことになるはず!
「恭子さんっっ!」と声をかけると、転んだショックで少し反応が鈍くなっていますが、
意識ははっきりしています。
心臓や脳はひとまず大丈夫そうなことを確認して、大至急で整形外科の先生を呼びました。
慌ただしく様々な検査と治療がなされる最中、
恭子さんが、今にも消え入りそうな声で言った言葉です。
「先生、ごめんなさい、せっかくここまで治して頂いたのに・・・」

恭子さんは、頚椎脱臼でした。
首から下の神経が全て麻痺してしまうものです。
意識は清明、思考も人柄も会話もそのままで、
ただ、首から下が、全く動かなくなってしまいました。
関節の病気と20年近くお付き合いしていた恭子さんですので、
転んだらどういうことになるかは、ご存知だったはず。
それなのに、転んでしまったその時、恐怖や不安、混乱を訴えるでなく、
真っ先に言った言葉が、上記の言葉でした。
あんな状況で、真っ先に他人のことを思いやるなんて・・・!!

2ヶ月近いリハビリ期間を経て、恭子さんはご退院することになりました。
訪室すると、恭子さんはいつものように穏やかな笑みを浮かべていらっしゃいます。
恭子さんの、あまりのお見事さ、お人柄の素晴らしさに、心底感動すると同時に、
病気の理不尽さ、我々医師の無力さが、くやしくてくやしくてたまらず、
患者さんの前では自ら禁じていた涙が、こらえられませんでした。
あの時の、あの言葉は、忘れられません、
人として、女性の先輩として、尊敬致します、とだけ、何とかお伝えすることができました。
恭子さんも、恭子さんのご主人も、涙を流されていました。

婦人科癌の治療は中断せざるを得ませんでしたが、
やさしいご家族に囲まれて、穏やかにお過ごしだと聞きました。
恭子さんとご家族の幸せを、祈らずにはいられません。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.11 23:20 |  診療  |  医療事故  |  なな  | 推薦数 : 18

お産が大好きな産婦人科医です

m3.com掲示板に書いたものを、ほぼそのままコピーしました。

私は、お産が大好きな一産婦人科医です。
お産が好きだから、産婦人科に進みました。
お産には、他の場にはない、神聖さと明るさがあります。
研修医の頃は、ひとつでも多くの分娩に立会いたい一心で、
病院にひと月平均25泊しましたが、全く苦になりませんでした。
医師になって十余年たつ今でも、分娩が終わると
産婦さんに祝辞とともに最敬礼しています。
安全性はもちろんのこと、会陰縫合の美しさを追求し、
自分の手にかかった分娩は最高のものたれという矜持を持って、
お産に臨んでいます。
気持ちは「医師」というより、「こだわりの職人」です。

でも。
最近は、できればお産はやりたくない、というのが正直なところです。
怖いからです。
いくら誇りと愛着を持って分娩に臨んでも、
ひと度悪い結果になってしまうと、
こだわりや真心が無に帰すだけでなく、
それまで自分が培ってきた全てが、奪われてしまうからです。

こんな世の中になってしまったのは、何が悪いのでしょうね。

固定リンク | コメント (10) | トラックバック (0)

2006.08.08 01:29 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  なな  | 推薦数 : 12

消えた1日

当直明けの、日曜の朝。

外は真夏の快晴。

久しぶりのfree day、うちに引きこもって

のんびりと冬物を虫干しして(今さら^ ^)片付けたり、

たまり続けた本を整理したりしようか、と

食材をたっぷり買って、帰りました。

うちに着いて、遅めの朝食をとったのが、午前11時。

眠くなったので、少し昼寝をしてから片付ければいい、と思い

横になりました。

 

・・・目が覚めたら、あたりは真っ暗。

しかも、静か。

はっ?! ここはどこ? 今はいつ??

枕元においた携帯を見たら、

「8月7日(月) 午前1時54分」。

ぎゃ~~~っ! じゅ、15時間眠っちゃったってこと??

せっかくの真夏の休日があ・・・(泣)

 

5月11回、6月10回、7月13回。

当直の回数です。

これが産婦人科医の現実です。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.06 05:30 |  その他(一般)  |  なな  | 推薦数 : 4

ある不眠の患者さん

60歳の女性・加奈子さん(仮名)が、不眠を主訴に受診されました。

常にだるく、疲れやすさもあり、更年期障害ではないかとお思いになって、

婦人科の中の、心身外来の方にいらっしゃいました。

 

更年期障害は、閉経前後における女性ホルモンの急激な減少によって起こると言われてています。

ですので、この方のように閉経して10年位経過してから出現したものは、

女性ホルモンが原因ではないことが考えられます。

 

初回の診療は、まず症状をよく聴くことに終始しました。

患者さんとのよい診療関係の基礎をつくり、次回以降の、患者さんのパーソナリティにより踏み込んだ診療につなげることが、

初回診療の目的です。

 

3回目くらいの診療で出た話です。

加奈子さんは、2人のお子さんは既に独立され、

引退したご主人と2人暮らしです。

ところが、ご主人は顔の一部に癌ができてしまい、骨の一部を取らざるを得ず、

そのため、硬いものが食べられなくなってしまったのだそうです。

ご主人の手術後約1年、加奈子さんはご主人のために

ミキサー食(ミキサーで流動食状にしたもの)を作り続け、

加奈子さん自身も、ご主人と一緒にミキサー食を食べつづけている、というのです。

曰く、

「本当はとんかつでも食べたいのですが、主人の手前、申し訳なくて食べられないし・・・」

 

不眠の原因は、明らかです。

ご主人思いで、真面目な加奈子さんは

やさしいがために、一人で苦しい症状に耐えていらしたのでしょう。

 

カウンセリングは、人生相談ではなく、アドバイスをする場でもありません。

受容的、共感的に話を聴いて、患者さんご本人の「気づき」を促すことが目的です。

丁寧にカウンセリングしながら、薬の力も借りて、徐々に症状が消失し、

約8ヵ月後、加奈子さんは終診になりました。

 

やさしい人の方が、生きにくい世の中になっているように思えてなりません。

 

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.02 21:50 |   |  なな  | 推薦数 : 6

良産

お産は、大変です。
まず、陣痛に耐えるのが大変。
陣痛が来ていても、子宮口が全部あいていないうちにいきんでしまうと
子宮口が裂けてしまうので、いきみたいのを逃すのが大変。
そして子宮口が全部開いても、ゆっくりしか進まないのに、
痛みに耐えながら全力でいきむのが大変。
よく、マタニティ雑誌あたりに「快適なお産」なんていう記事があるけれど、
あんなの嘘ウソ嘘。
数学の参考書に「楽しい微分積分」、
社会の教科書に「わかりやすい哲学」とか、書いてあるのと同じで、
微分積分は楽しくないから「楽しい」と書いてあるのだし、
哲学はさっぱりわからないから「わかりやすい」と書いてあるのです。

そこで、「安産」という言葉について。
これ、誰が考えた言葉なのでしょうね。
スムーズにお産が進んだ産婦さんに「安産ですね」と言っても、
ご本人が納得されることは、まずありません。
痛みに耐え、汗まみれになった顔に、ちらと笑顔を刻む程度です。
つまり、当事者にとっては、ちっとも「安らか」じゃないのです。

では、「良産」でどうでしょう。
分娩室で、産婦さん、助産師さんと、編み出した言葉です。
お産は決して安らかではないので、「安」産とは言わない。
でも、良いお産というのは、歴然として存在する。
そこで「良産」としてみたのですが。

試行錯誤は、続きます。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)