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年末はあわただしく終了したが、やっと1月1日になって休めるようになった。
例年ならば、はやばやと休みがとれていたが、今年は、年末ぎりぎりまで仕事をした。
1月5日から業務再開。
それまで、十分に力を貯えておこうと思っていたが。
しかし、家にいたらいたでやることは多い。
落ち着くまで、まだまだかかりそうである。
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クリニックに閉じこもった診療だけではなく、週1回居宅型の介護施設とグループホームに往診にゆくことになった。
都市部での外来診療だけでは地域にむけての発信も限られてしまうし、経営的にも厳しい。
施設の往診をいれると診療の幅が広がるとともに経営にもプラスになる。
開業しながら、簡単な病棟管理をするような雰囲気になるので、時間外や夜間のコールなどもありうる。
でもそうそう急変はあることではないが、その場合には出向くこともある。
しかし、クリニックの直営施設ではないので、やむ得ないときは救急病院に行ってもらう。
そんな事情があるので、ときどき救病院側から、嘱託医が不在であることに苦言を言ってくることもあるようだ。
クリニック直営の病棟ではない、施設は患者さんにとっては自宅に等しいのだ。そんな事情も理解してくれないときにはちょっと淋しさも感じる。
経営も落ち着かず、休みもなかなかとれない。
疲れやすさも以前に比べると大きくなった。
安定した経営になるには、今は3年はかかると忘年会の席で先輩医師にいわれた。
3年ですむのだろうか。
開業3ヶ月、みちはまだ長い。
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医療と宗教は切っても切れない関係にある。
なぜならば、古代においてはシャーマンがヒーラーとしての重要な役割を演じていたからである。
キリスト教においても、人々を癒したイエスの役割は非常に大きく、宗教者としての役割以上にヒーラーとしての役割についても取り上げられている。
しかし、人々を癒したはずなのに、最期には弟子の裏ぎりにあい、十字架にかかることになる。たくさんの人々をいやしたはずなのに、彼の命を守ろうとした人は一人もいなかったし、その弟子にすら裏切られた。しかも、お金の力に負けて偉大なる師(イエス)を金で売ったのである。
イエス自身は、自分自身をヒーラーとしてはとらえてはいなかった。いろいろな治療を含めた奇跡の数々は、イエスのいうところの神につなげるための方便であった。また、それこそが人間本来の姿、その一つである健康をとりもどすための方法だったのかもしれない。
現在の私たちは、医療を自分の天職として考え、人々を癒すことにその中心ポイントをおいている。
自分たちのことよりも患者さんのために身を裂いている先生方は多い。
しかし、医療が自分たちの生活を確保するための方便になってしまったら・・・。
それは偽善の何者でもない。
真の癒しのポイントは何なのか?
人を癒すことの意味、治療することの意味をもっと考えなければいけないと思う。
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妻が数日間不在の出来事である。
学校から午後早々に帰ってきた小学生の三男が、宿題を終わらせたあとに居間のソファの上で昼寝をしてしまった。
そのあと次男が帰ってきたが、次男が昼寝をしていることを確認。ぐっすりねているので、とくに起こさないで放置。
その後、高校生の長女がたまたま早く帰宅。
三男が寝ていることを確認。
部屋は、扇風機とクーラーがついていて、とくに、暑くはなかったという。
夕方、食事の時間になったので三男を起こすとどうも様子がおかしい。
起きたのだけれども、ボーっとしている。
しかも、ものすごい汗をかいていて、体も熱い。
ちょうど、帰宅途中であった私のところに、長女から連絡が入り、三男の様子がおかしいという。
起きるには起きたのだけれど、「恐い」と言って泣いて長女にしがみついている状態だと。
帰宅途中だったので、すぐに自宅にゆくと、熱は38.5度。
汗をかいているが体があつい。
部屋はそれほど暑くないか、むしろ涼しいくらい。
「喉が痛い」「恐い」というので、水分摂取(スポーツドリンク)と抗生剤をとりあえず内服させる。保冷剤をちょっと体にあて、部屋は涼しかったので、そのままにして様子をみた。
どうも、熱中症だった様子。
食欲はなかったが水分摂取は十分おこなえる状況であった。
上気道炎などの感染症も考えたが、水分をとって3-4時間くらいでほとんど回復。食欲もでてくる。念のため翌日まで様子をみたが、発熱みられず、上気道炎の症状もなく元気である。日曜日だったので学校は休みで、自宅療養。
外に遊びにゆけないストレスが三男にあったが、そこは納得させた。
原因はソファにうつぶせで寝ていたことで、ソファは通気性がわるかったので三男の体に熱がこもったものと思われる。
連日の暑さの中、クーラーも効かせているし、水分も自分から摂りにいってるのでまさか我が家で熱中症がおきるとは思っていなかった。
熱中症は寝ているときや動いていないときが危ないと言われるが、その環境をチェックしたうえで気をつけたいものである。
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我が家の算数嫌いな次男が、今日も学校で出された宿題に悩んでいる。
みると、分度器を使った問題である。
角度をはかる問題であるが、どうということのない問題である。
ところが、息子は、角度を測ることに対しての悩みというより、直角がなぜ90度であり、1回転すると360度になるのかその根本がわからないというのである。
1回転で360度というのはなぜそうなったのか?
というのである。
う~ん
思わずうなってしまう。
そう言われてみると、確かに不思議である。
なにげなく使っている数字であるけれども、由来など考えても見なかった。
我が家の子どもたちや妻までも巻き込んでいっしょに考えたが・・・わからない。
インターネットで調べようということになり、さっそく調べると、答えはあった。
しかし、はっきりしたことはわからないようである。
一番それらしいのは、古代エジプトでは、太陽が地球の周りを1周するのに360日とされていたので、というあたりの答えか?
結局、次男を納得させる答えは得られないままに終わった。
でも、それでよかったのかもしれない。
考えてみたら、日本の算数や数学の教育は1つこ答えを出すことに意味と価値を見出してきた。テストはそうしなければ点数もつけられない。
でも、人生は数学のように答えが1つなわけではない。
医学も同じであり、答えなどないに等しい。
プラセボ効果も一つの治療手段であるならば、何でも治療法になりうる可能性はある。しかし、それが万人に効果があるかどうかは、統計的手段によらなくてはわからない。
医療には、万能的な治療方法も必要であるが、同時に、より個別的な独自の治療法も存在しうる。
その治療法を見出すためにはまったく違う見方が要求される場合がある。
ときには、その人を癒すことの意味の根本を問うこともあるかもしれない。
そんなことを考えながら、次男の疑問について考えてみた。
しかし、次男は益々算数が嫌いになったようである。
算数の教え方も、いろいろなパターンで教えたほうがよさそうである。
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病院や医療に対するイメージは悪い。
病院にかからないことが、健康である証拠になっている場合もある。
よく、脳出血の患者さんで、「いままで病院などかかったことがなかった」ことを誇りに語ろうとする人がいる。
医療者は、そんなことだから脳出血になるのだと理解する。
でも、患者側としては、別にどこも悪くなかったし元気だったことが誇りになっている。
病気=病院という図式は成り立っているが、病気の予防=病院とはなりにくい。
予防は健診センターでするものだから。
これはどこの地域にいっても成り立つ図式である。しかし、田舎の病院や診療所はちがってもよいのではないか。
病気の予防としても、地域憩いの場、交流場としても、イベント場としてもよいではないだろうか?
リハビリ病院などは特にそういった地域ニーズに答えることは可能であり、地域の中にも溶け込める。
リハビリの一環として、畑や田んぼで採れたものを提供したり地域の農家などとと連携してゆけば、医療以外での交流も盛んになる。
ボランティアを病院内に自然といれることもできる。
機械的トレーニングに重きをおいたリハビリよりも、地域との交流に根ざしたリハビリや癒し・ヒーリングを重視したリハビリのほうが取り組む姿勢もかわる。
地域の素材をつかえば、薬重視の医療もすこしはその方向性を変えることができるかもしれない。
従前の医療からはなれたときにはもっとその姿をかえることができるかもしれない。
合成素材中心の都市部の医療から、田舎や地域の事情に根ざした自然素材の医療こそこれからの姿といえるかもしれない。
また、そこには健康増進や予防という意味合いも医療という言葉のなかに含めて考えることもできる。
自分自身の目指すものは徐々にその姿を現しつつある。
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明日はわが身を感じながら過ごす毎日。
そして、同時に日ごろどれだけ恵まれた生活をしていたのかを本当に感じる毎日となった。
店頭にゆけばあふれんばかりの食事や食べ物があり、まずこまることはなかった。
その中から好きなものを好きなだけ食べられる毎日。
部屋には、冬は暖房、夏はクーラーで快適。
時には、冬なのに汗びっしょり、夏なのに風邪をひいたり。
夜は、24時間電気は使い放題、電気はあってあたりまえの毎日。
水もあたりまえのように好きなだけ飲むことが可能な毎日。
そんなあたりまえと思われたことが、実は当たり前ではなかったのだ。
生きるに必要な最低限の生活は与えられてあたりまえではなく、むしろ、なくなってしまうことのほうが十分ありえることであると知った。
この震災を通じて、今の生活が今後もずっと変わらず続けられる保障はないのである。
いつなくなってしまうかもしれないものばかりである。
そんなことを考えると、すべてがありがたい。
感謝である。
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今年の7月からTVが完全に地上デジタル化するという。
我が家も、3年前くらいに導入し、アナログ放送はほとんど観なくなってしまった。
映像があまりにもちがうからである。
しかし、ブラウン管TVだったので、昨年液晶TVに変えてさらに映像が美しくなった。
さらに子供のゲーム機などもつなげてしまい、インターネットにまでつなげてしまったので、汎用性は高まった。
・・・
便利ではあるけれど、何か釈然とこない。
必要な情報は、携帯やインターネットで得ることはできる。
新聞もある。
最近のTVは、質の高い番組は少ない。
バラエティー関連が多すぎる、映画もDVDを借りればみれる。
スポーツ番組は、以前よりは少ない。
ニュース報道は、制作側の意図や語るキャスターの思想が反映されすぎて、客観的な判断が不可能に近い。
とくに医療関連報道については、誤解をまねく報道が未だに多く、医療者側をたたいたほうがニュース性はある。
そうするとインターネットで、報道の裏側を探ったほうが逆に役に立つこともある。または、現場での生の声を拾うことも可能な場合がある。
TVの役割は大きい。
しかし、その報道姿勢や垂れ流す側の倫理姿勢も問われる。
TVが生活の中に必要なものなのかどうか?
私の週1回の当直をTVを観ない日にしているが、支障をきたすことはない。むしろ、簡単な本1冊読めるので、非常に心豊かになった気分になる。
私の知り合いのドクターで、TVを観ない生活をしている人がいる。世間の情報にやや疎くなるようだが、必要な情報はネットや新聞、職場(職場にもTVはない)などで得ている様子。
なんら問題ないという。
逆に多くの自分のやりたい時間がつくれて充実しているという。
マスコミの地デジ化促進運動に必ずしものる必要はない。
アナログ放送が終わるのをきっかけに
「TVを見ない日をつくる」そんな運動も必要ではないのだろうか。
「ノー テレビ デイ」または「ノー テレビ ウィーク」
しいては、「イヤー」でもよいだろう。
おそらく、TVを中心とするマスコミが絶対やらない運動である。
自分の人生に変化をもたらすよいきっかけにもなる。
アナログ放送が終わるのでデジタル対応TVやチューナーに変えることを考える前に、ちょっと検討してもよいのではないだろうか。
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昨年11月我が家の末っ子の幼稚園発表会があった。
幼稚園との付き合いも末っ子で最後であるから、この発表会は是非見に行きたかった。
この日は、平日であったので、有給休暇をとってまでも観にゆこうと思っていた。
ところが、休暇をとる日を間違えてしまいその日はリハーサル日ということだった。
しかたがなく、本番はあきらめてプロが撮影したDVD映像でその模様をみることになった。そのDVDが先週届いた。
この発表会の目玉は、年長さんが自分が大きくなったら何になるのかを演じるところにある。
DVDで末っ子の登場するところだけみてみると、うちの子を含めて3人の子が「お医者さんになる」と表明。
しかも、末っ子は
「僕は大きくなったらお父さんのようなかっこいいお医者さんになります」と表明。
まわりからは「オッー」という歓声。
観ていて思わず目頭があつくなってしまう。
でも、その場にいればちょっと恥ずかしかったかも・・・
今まで上の息子娘は誰一人として医療者になることを表明していない。
勤務医である父親の後姿をあまりにも見せてこなかったからかもしれない。悲惨な勤務医の姿しか見せられなかったからかもしれない。
でも、末っ子が生まれてから「ふじの国」に定着し、やっと居場所を見つけつつある。
そんな自分自身の変化が子どもの姿にあらわれたのだろうと思う。
今年はいい年にしたい。
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今年もよろしくお願いします。
「ふじのくに」に移動して7年目
こちらに転職して、早くも3年目に突入しようとしています。
リハビリ医としての仕事も3年目になります。
しかし、年末にも宣言したように、今年は、統合医療医としての出発元年にしたいと考えています。
「いったい何をやろうというの?」と問われると答えにつまるところもあります。
患者中心の各種治療のコーディネーターとしての役割は当然おこなうつもりです。
つぎに必要なのが、自分としては、いったいどんなことが提供できるのかというところが大きな課題です。
いまのところ漢方や鍼灸などの東洋医学的アプローチを用いた方法が、一般的かもしれません。
わたしが、今注目しているのは、食事と運動や日常生活に関する養生医療的アプローチです。
患者さんの体質や生活習慣にあったものをどれだけ養生医療として、またはセルフケアとして提供できるかということです。
そのためには、私自身まだまだ勉強不足です。
日常の実践や患者さんをみながら実学の中で学んでゆくべく出発してゆくつもりです。
ことしは、このブログも少しずつ変化あるものにしてゆきたいと思います。
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