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昨日、リハビリ病院の実勤務を終了し、有給消化にはいった。多くの職員にとりあえず見送られ、おしまれながらの退職である。もっとも、この医師不足にあっては、どんな者もおしまれないはずはないのだが・・・。さらには、退職にあたって、「いなくなってよかった」などと言う職員はいないであろう。
(そこのところをたまに間違って理解している人もときにいる。自分は惜しまれながら退職したと・・・)
大学を退職し、次に病院を退職し、今回の退職をいれると3回目である。大学では20年勤務したが、その後は3年ごとの転職であり、やっと開業に落ち着いた。
一般的には、3年ごとに勤務地を変えるということは、本人に何か問題があった場合を想定する。体調不良、職場との人間関係、雇用条件のトラブルなど。
でも、自分の場合はあたかもそのような道(開業)が準備されていたかのように、ことが一気に進んだ。
その流れにのったわけであるが、不安がないわけではない。医療の現場は、経営を考えるならば厳しくなっている。
ポイントは、患者さんに選ばれる病院造りであろう。
あと1ヶ月、来週から本格的な準備期間にはいる。
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開業まで時間がないので急いで職員を募集し現在面接作業に入っている。
各部署の要となるスタッフはすでに決まっているので、あとは私や彼らをサポートしてくれそうなスタッフを選んでいる。
そのために私一人の目では偏るといけないので、数名のスタッフも関与して意見をうかがっている。
医療事務系の募集数は多いが、看護師や検査技師の募集は少ない。他にも数名のスタッフが必要であるが、目途がたっていない。
選ぶポイントをどこにするのかは大切である。
私が考えるところの理念や方針をしっかり理解していることも大切だが、気配りがどれだけできるかということも大切なポイントになる。一度の面接ですべてを知るには難しいが、ある程度の経験があれば一端を知る上で重要なポイントになる。
医療事務経験のない新卒の方はちょっと厳しいかも。
そんなことをいろいろ考えながら書類選考しつつ、面接を粛々とすすめている。
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医療と宗教は切っても切れない関係にある。
なぜならば、古代においてはシャーマンがヒーラーとしての重要な役割を演じていたからである。
キリスト教においても、人々を癒したイエスの役割は非常に大きく、宗教者としての役割以上にヒーラーとしての役割についても取り上げられている。
しかし、人々を癒したはずなのに、最期には弟子の裏ぎりにあい、十字架にかかることになる。たくさんの人々をいやしたはずなのに、彼の命を守ろうとした人は一人もいなかったし、その弟子にすら裏切られた。しかも、お金の力に負けて偉大なる師(イエス)を金で売ったのである。
イエス自身は、自分自身をヒーラーとしてはとらえてはいなかった。いろいろな治療を含めた奇跡の数々は、イエスのいうところの神につなげるための方便であった。また、それこそが人間本来の姿、その一つである健康をとりもどすための方法だったのかもしれない。
現在の私たちは、医療を自分の天職として考え、人々を癒すことにその中心ポイントをおいている。
自分たちのことよりも患者さんのために身を裂いている先生方は多い。
しかし、医療が自分たちの生活を確保するための方便になってしまったら・・・。
それは偽善の何者でもない。
真の癒しのポイントは何なのか?
人を癒すことの意味、治療することの意味をもっと考えなければいけないと思う。
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妻が数日間不在の出来事である。
学校から午後早々に帰ってきた小学生の三男が、宿題を終わらせたあとに居間のソファの上で昼寝をしてしまった。
そのあと次男が帰ってきたが、次男が昼寝をしていることを確認。ぐっすりねているので、とくに起こさないで放置。
その後、高校生の長女がたまたま早く帰宅。
三男が寝ていることを確認。
部屋は、扇風機とクーラーがついていて、とくに、暑くはなかったという。
夕方、食事の時間になったので三男を起こすとどうも様子がおかしい。
起きたのだけれども、ボーっとしている。
しかも、ものすごい汗をかいていて、体も熱い。
ちょうど、帰宅途中であった私のところに、長女から連絡が入り、三男の様子がおかしいという。
起きるには起きたのだけれど、「恐い」と言って泣いて長女にしがみついている状態だと。
帰宅途中だったので、すぐに自宅にゆくと、熱は38.5度。
汗をかいているが体があつい。
部屋はそれほど暑くないか、むしろ涼しいくらい。
「喉が痛い」「恐い」というので、水分摂取(スポーツドリンク)と抗生剤をとりあえず内服させる。保冷剤をちょっと体にあて、部屋は涼しかったので、そのままにして様子をみた。
どうも、熱中症だった様子。
食欲はなかったが水分摂取は十分おこなえる状況であった。
上気道炎などの感染症も考えたが、水分をとって3-4時間くらいでほとんど回復。食欲もでてくる。念のため翌日まで様子をみたが、発熱みられず、上気道炎の症状もなく元気である。日曜日だったので学校は休みで、自宅療養。
外に遊びにゆけないストレスが三男にあったが、そこは納得させた。
原因はソファにうつぶせで寝ていたことで、ソファは通気性がわるかったので三男の体に熱がこもったものと思われる。
連日の暑さの中、クーラーも効かせているし、水分も自分から摂りにいってるのでまさか我が家で熱中症がおきるとは思っていなかった。
熱中症は寝ているときや動いていないときが危ないと言われるが、その環境をチェックしたうえで気をつけたいものである。
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東洋医学、鍼灸をはじめとする、様々な代替補完療法を学ぶにつけて非常に重要なツールとなるのが手であることがわかる。
まず手は、診断ツールとして使える。
脈診や圧痛点などの触知、ヒーリングポイントの触知。
手で感じる様々なアナログ情報は膨大であり、それをもとに病態診断をする。
次に、そのままヒーリングツールとして利用する。
とくにヒーリングツールとして使う場合は、暖かくやわらかい心地よい手をつくりあげなければいけない。
また、 コミュニケーション手段としても利用できるので、手が治療家の声の代わりをすることがある。
脳外科医であるころは、術者や助手の手の動きをみて、何をどう判断し、何を行おうとしているのかを知ることができた。マスクで通らない声も、手の動きによって推測することができた。
実に様々な手の使いようがある。
しかし、現代医療は、そんな手の重要性をあまり主張しない。手をつかった様々な診断と治療を書いた医学教科書も存在しない?
ただ、鍼灸師さんが読む本には当然のごとく書いている。
医師も、診断と治療のできる手をつくらなければいけない。
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明日はわが身を感じながら過ごす毎日。
そして、同時に日ごろどれだけ恵まれた生活をしていたのかを本当に感じる毎日となった。
店頭にゆけばあふれんばかりの食事や食べ物があり、まずこまることはなかった。
その中から好きなものを好きなだけ食べられる毎日。
部屋には、冬は暖房、夏はクーラーで快適。
時には、冬なのに汗びっしょり、夏なのに風邪をひいたり。
夜は、24時間電気は使い放題、電気はあってあたりまえの毎日。
水もあたりまえのように好きなだけ飲むことが可能な毎日。
そんなあたりまえと思われたことが、実は当たり前ではなかったのだ。
生きるに必要な最低限の生活は与えられてあたりまえではなく、むしろ、なくなってしまうことのほうが十分ありえることであると知った。
この震災を通じて、今の生活が今後もずっと変わらず続けられる保障はないのである。
いつなくなってしまうかもしれないものばかりである。
そんなことを考えると、すべてがありがたい。
感謝である。
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医療にはもっと多角的かつ自由にものをみる視点があってもいいではないか
最近の私の視点である。
保険診療という制約や現代西洋医学という制約。または、科学的根拠という制約がはいると治療に携わるにあたって多くの壁にぶち当たることになる。
CTがないから、頭の中はわからない。
データがないので、この治療は使えないなど、現代医療は選択肢をどんどんせばめており、この病気にはこの治療しかないという傾向をさらに強めている。
例えば、くも膜下出血も出血源の処置をしなければ何もできないというのににている。
がん患者さんもやるべき治療法がなくなると、保存的治療という自然治癒にまかせるレベルにはいる。
でも自然治癒のメカニズムについての研究はほとんどなされていないのが現状のため、医療者側の介入はなくなる。あえてやるならば、緩和ケアとなる。
もしそれらの制約がなくなれば、どんな治療法があるのか?
いろいろな民間の治療法を読みあさると実に数多くの療法があるのに気づくわけである。
現代医療は、実に狭い範囲内や考え方のなかで、それを実現するために多くの技術と金をかけながら進歩してきていることがわかる。
民間治療には良いものやあやしいものもある。
本当は良いのに、使い方を間違ってあやしくなるものもある。
ホメオパシーなどがその良い例である。
長年にわたって販売されてきた、「ダーセン」という治療薬も販売中止になった。
神経外科や内科でよく使われた脳代謝賦活剤もずっと以前に消えてしまった代表である。
EBMのレベルでみれば、ホメオパシーと変わらないEBMレベルであるともいわれる。
医療者の考え方や見方の根本が問われている。
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病気のことを知っているようで実はもっとも知っていないのが医師ではないのかと考えることがよくある。
患者には、「あれはだめ、これはだめ」というコメントをするのに、自分のことにはすごく無頓着である。
人にはやるなと言いながら、実は自分では平気でやっていたりする。
例えば、「禁酒、禁煙」。
禁煙できても禁酒できない医師は多い。
しかも、医師は酒好きが多い。
そんな医者でも、自分が病気になると極度のマイナス思考に陥る。患者に脅しに近いムンテラをすることも手伝ってか、最悪のことを考える習慣があるからである。
私も入院治療体験時には、マイナス思考の塊であった。
でも結局、何もマイナス的なことは起こらなかった。
思い悩んでいた時間はいったい何だったのだろうか?
病気になった意味は?
これからどんな生き方をしたらよいのか?
医者は、医学の文献で勉強するのみならず、自分の生き方に対してもっと考えなければいけない。
以外とその答えは、目の前の病める患者さんの中に答えがあるのだと思う。
そして、病気を単に治せばそれで医師の仕事は終わりではない。
仕事もお金も充実して、悠々自適に普通に生活すればよいわけでもない。
問われるのは、どのように生きているのかという姿そのものだと思う。
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今年も、いろいろなことがありました。
脳外科医から リハビリ医として新しい出発をしたつもりでいましたが、単にそれだけではものたりず、統合医療の世界に踏み込みました。
いろいろなセミナーやカンファランスに最低月1回は顔をだし、東洋伝統医学(漢方)も勉強し、もう一度自分自身の医療に対する取り組み姿勢を考え直す機会をもちました。
医療の基本的な考え方、哲学を勉強し、いよいよ実践スタートさせる準備期間に突入しました。
来年は、今年とは違った年にしたいものです。
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当院に勤務していた内科常勤の先生が、突如退職した。
その先生が受け持っていた患者さんの振り分けと新たな患者の入院により、受け持ち患者さんは、プラス10となった。
30人だったのが、一気に40人以上に増えた。
多少の余裕をもって仕事をこなせていたが、2年前の勤務状態にもどってきた。
なぜ、突如退職することになったのかは、詳細は私もわからない。病院の方針に不満があったとも聞く・・・。
常勤募集をかけているが、いまだ良い情報はない。
静岡県東部の片田舎までわざわざやってくる人はそういないだろう。
でも静岡県は、県知事も主張する霊峰富士を中心とした「ふじの国」である。
この東部は「ふじの国」というに、たいへんふさわしい場所である。
そんな場所で医療を展開するということは重要な意味をもつのではないかと常々思っている。
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