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土曜日、日曜日を利用してアンチエイジング学会に久しぶりに参加した。
私が、入会した頃は、会員数は5000人にも満たなかったが今では7000人を超える会員数となった。
しかし、学会が認める専門医数は1700人あまり、指導士になると200人にも満たない。
もっとも、この系統の専門医をとることにどんな意義と価値があるのか見出せない方が多いのかもしれない。
今回の総会で、私が興味をいだいたのは、
アンチエイジングドックのゆくえである。
「究極の予防医学」と言われるアンチエイジングドックであるけれども、果たしてどれだけ普及し、どれだけの効果を発揮しているのか?
わたしも自分の病院で、学会のラインに沿ってアンチエイジングドックを設定したが、受診者はほとんどいない。
一般化されていない検査であること。
神経、骨、筋肉、ホルモン、血管の5項目について、実年齢と機能年齢を算出するわけであるが、信頼性の問題。
機能年齢をだしたところで、どのように対策を打つのか
運動の方法、食事の見直し、サプリメント処方、ホルモン補充などの対策はある。
しかし、これらはいずれも保険適応の治療ではないので、自費診療でコストもかかる。
また、コストがかかったとしても、これらの対策のみで果たして機能年齢アップにつながるのかどうか?
機能年齢がアップしたら、本当にその人の寿命が延びると言い切ってよいものなのか?
学会演者の先生の発表のなかには、リピーターのクライアントから、機能年齢がほとんど変化していないために、このドックを受けることの意義を問われたこともあったとか。
非常に重要な指摘だと思う。
正常被験者のデータをもとに、機能年齢などが定められているが、統計学的な数値にのみ信頼をおいて個人の寿命を語ってよいのかということである。
私の感想としては、「アンチエイジングドックは見直しの時期にきている」ことは間違いないということである。
従来のレントゲンや血液検査、高額な検査機器に重点をおいた方法だけでは、従来の人間ドックの方策とあまり変わりはなく、アンチエイジング的なすべてを語るには片手落ちである。
WHOを健康の定義の中は、
健康とは、完全に、身体、精神、及び社会的によい(安寧な)状態であること
をのべている。
つまり、従来のドックは個人の身体面にしか重きをおいていない。しかも、臓器別、パーツごとのドックである。
個人の精神的な部分や社会的な部分における健康についての観点が抜けている。
改定版で見送りとなった定義では
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
として、スピリチャルな面も追加されている。
そうなると、いまのドックだけでアンチエイジングのすべてを網羅し、語ることはかなり難しく、限界がある。
そこであらたな視点をいれてくれる伝統医療、さらには統合医療の観点が残されてくる。部分の健康をみるのではなく、全体的かつ相互のバランス感覚や環境への適応状態(人間関係もふくめ)なども重要な見方になる。
少なくとも身体面における健康長寿をまっとうするエイジングドックを全人的な観点、統合医療的な観点で再検討してゆくことが必要ではないだろうか
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我が家の算数嫌いな次男が、今日も学校で出された宿題に悩んでいる。
みると、分度器を使った問題である。
角度をはかる問題であるが、どうということのない問題である。
ところが、息子は、角度を測ることに対しての悩みというより、直角がなぜ90度であり、1回転すると360度になるのかその根本がわからないというのである。
1回転で360度というのはなぜそうなったのか?
というのである。
う~ん
思わずうなってしまう。
そう言われてみると、確かに不思議である。
なにげなく使っている数字であるけれども、由来など考えても見なかった。
我が家の子どもたちや妻までも巻き込んでいっしょに考えたが・・・わからない。
インターネットで調べようということになり、さっそく調べると、答えはあった。
しかし、はっきりしたことはわからないようである。
一番それらしいのは、古代エジプトでは、太陽が地球の周りを1周するのに360日とされていたので、というあたりの答えか?
結局、次男を納得させる答えは得られないままに終わった。
でも、それでよかったのかもしれない。
考えてみたら、日本の算数や数学の教育は1つこ答えを出すことに意味と価値を見出してきた。テストはそうしなければ点数もつけられない。
でも、人生は数学のように答えが1つなわけではない。
医学も同じであり、答えなどないに等しい。
プラセボ効果も一つの治療手段であるならば、何でも治療法になりうる可能性はある。しかし、それが万人に効果があるかどうかは、統計的手段によらなくてはわからない。
医療には、万能的な治療方法も必要であるが、同時に、より個別的な独自の治療法も存在しうる。
その治療法を見出すためにはまったく違う見方が要求される場合がある。
ときには、その人を癒すことの意味の根本を問うこともあるかもしれない。
そんなことを考えながら、次男の疑問について考えてみた。
しかし、次男は益々算数が嫌いになったようである。
算数の教え方も、いろいろなパターンで教えたほうがよさそうである。
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病院や医療に対するイメージは悪い。
病院にかからないことが、健康である証拠になっている場合もある。
よく、脳出血の患者さんで、「いままで病院などかかったことがなかった」ことを誇りに語ろうとする人がいる。
医療者は、そんなことだから脳出血になるのだと理解する。
でも、患者側としては、別にどこも悪くなかったし元気だったことが誇りになっている。
病気=病院という図式は成り立っているが、病気の予防=病院とはなりにくい。
予防は健診センターでするものだから。
これはどこの地域にいっても成り立つ図式である。しかし、田舎の病院や診療所はちがってもよいのではないか。
病気の予防としても、地域憩いの場、交流場としても、イベント場としてもよいではないだろうか?
リハビリ病院などは特にそういった地域ニーズに答えることは可能であり、地域の中にも溶け込める。
リハビリの一環として、畑や田んぼで採れたものを提供したり地域の農家などとと連携してゆけば、医療以外での交流も盛んになる。
ボランティアを病院内に自然といれることもできる。
機械的トレーニングに重きをおいたリハビリよりも、地域との交流に根ざしたリハビリや癒し・ヒーリングを重視したリハビリのほうが取り組む姿勢もかわる。
地域の素材をつかえば、薬重視の医療もすこしはその方向性を変えることができるかもしれない。
従前の医療からはなれたときにはもっとその姿をかえることができるかもしれない。
合成素材中心の都市部の医療から、田舎や地域の事情に根ざした自然素材の医療こそこれからの姿といえるかもしれない。
また、そこには健康増進や予防という意味合いも医療という言葉のなかに含めて考えることもできる。
自分自身の目指すものは徐々にその姿を現しつつある。
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