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手術のうまい先生とは、たくさんの症例をこなしてきた人であることはいうまでもありません。
でも同じ100例や1000例こなした人でも、違いは出てくるもので、経験が浅いように見えても数十例くらいこなしただけで、十分な経験者にまでなることは可能な方もいます。
そういう私は、手術を手がけることはなくなりましたが、かつて、指導側にまわったことのあるものとして、私が思っていたことや私なりの意見を少々披露してみたい思います。
性格など
1、 繊細な性格
手術をやるときには、始まりと終わりに必ずポイントがあり、最後まで気を緩めない姿勢が大切です。
そういった繊細な感覚や繊細な心構えこそが大きなミスをさけるポイントになります。
2、謙虚な態度
同じようにみえてもまったく同じ手術というものはありえません。でも、症例を重ねるとワンパターンのようにすべてを考えてしまう傾向が私たちの中にあります。それでよい場合もありますし、経験を積めば対処できる場合もあります。しかし、いつもそうだとはかぎりませんし、何が起こるかわからないのが手術です。そのためには、ワンパターンでみるのではなく、柔軟で謙虚な姿勢をもって見つめる視点、学ぶ視点が必要です。
おそらく、もっとも難しいところだと思います。
3、プライド
脳外科医ならば、脳をみるライセンスをもっているのは脳外科医である自分しかいないことに対する責任感です。
この手術で、自分の名があがるとか、学会に発表して誇ることができるとかいった意味でのプライドではありません。
4、正直さ
自分のやれることとやれないことの限界を知り、明らかにしてゆくことです。患者さんの前には、正直であるべきです。
5、タバコは吸わない人、粘り強さ
タバコを吸う外科医は ニコチン中毒になっていますので、手術中にイライラしたり、面倒なところをいいかげん済まそうとしたりすることがあります。
また、少々時間がかかっても粘り強く、根気強く取り組める姿勢も大切です。
手術のポイントになるところしかみない、入らない先生はちがうのかもしれませんが・・・。
6、小ぎれいな人
自分自身を汚くしているほど手術に適さないひとはいません。どんなに忙しくても自分の体だけはきれいにしておく習慣をつけないといけないと思います。身の回りもです。
7、欲望にまけない、自分の事情を優先しない
疲れて手術中に寝てしまう若い先生の姿を昔よくみました。ひどいと術者でありながらも気が緩むとそうなるようです。
わたしも終わるとフラフラになりながらオペ室をでた経験は何度もあります。でも、手術中に寝たことはまずありません(手術後はありますが)。
でも、おそらく、睡眠欲が一番抑えられない欲望だと思います。
他にも、欲望はありますが、自分の事情を優先してしまいがちな性格も、あとで失敗の原因となることが多いように思います。
8、運勢を落とさない
運の良い医者になるにはどうするか?
私はこの点よくよく考えるべきだと思います。
こうしたら良いというのは様々あると思うのでここではあげません。
これは手術以前の問題かもしれませんが、運が良いと下手な技術も運でよくなる場合がありますし、「怪我の功名」から思わぬ発展もありえます。
9、絶え間ない努力
もっとも大切なことです。ただ、残念なことに外科系は机上の学問的な努力だけではどうしようもならないことがあります。
手術VTRをみる、手術記録をみる、自分の手術を記録する
他から積極的に学んで応用する、いろいろな器械をつかってやってみる。模型をつくって練習してみるなどなど
外科医は机に座っているだけでは駄目で、アクティブに動かなければ駄目です。
10、右ききの医者、左右の連動
左ききの先生は、手術下手の人が多い印象をもちます。そうではない先生も多数いるのかもしれませんし、右ききの先生よりもうまい先生はいるのかもしれません。両手使いは意外とうまくならないので(右と左がうまく連動しない)最後にあげておきます。
おそらく、利き腕をしっかり定めたうえで手術にのぞんだほうがよいのだろうと思います。
以上、わたしのつたない経験から
ほかにも技術面などありますが、こころがまえとして。
これから、外科系にすすむ方の参考になれたら・・・。
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先月
「何か職員にむけて勉強会を開いてください」
という依頼が院内教育委員会よりあったので、
「リハビリの話はよく聞くだろうから、統合医療のはなしでもどうですか・」ときりだしてみたところ、
「OK」の返事をいただいた。
約1ヶ月かけてパワーポイントをつかったプレゼンテーションの資料を作成した。
「こんなこと話してもよいだろうか?」などと考えながら、EBMがほとんどないような代替補完治療を中心に話をまとめた。
EBMを持ち出せば、代替補完医療(CAM)のほとんどにエビデンスは持ち合わせていない。
「でも、患者さん一人一人には、それぞれの物語があり、その人個人がもつ自然治癒力を引き出せるのなら、代替補完医療も取り入れた治療も決して悪いとはいえないだろう」というNBMという考え方を結論として、話をしめくくった。
「では、日常診療ではどのように実践し、役立てているのか」
そんな質問があったので、乏しい経験を語らせてもらった。
私の実家の母親のガンの疼痛コントロールや抗がん剤の副作用緩和の話を、アロマセラピーやバッチフラワー高濃度ビタミンC療法、そして、食餌療法(玄米菜食)などを利用して奏効したと。
かけだしなので、説得力のある話は難しかった。
でも、CAMを利用する原点は患者さんのためであり、患者自身が信じて選ぶ道でもある。治療を通じて患者自身そして医者にも何かの気づきがあるかもしれないのである。
医療者は傍らにいるナビゲーターにすぎないが、治療を共有してゆかなければいけない存在として重要である。
統合医療を通じて学んだことを自分なりにレビューする時間であった。
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いままで、「家庭の大切さ」を主張してきた。
「核家族がだめで大家族がよい」という観点もあった。
それを裏づけるのは、戦前の家族のほとんどが大家族であったことや、我々が生まれた頃は、まだ大家族が主流をしめていた時代だから。
しかし、大家族になればなったで問題点はある。
「少年犯罪データベース」
上記のHPにあるように、戦前の少年犯罪は家族殺人などが多かったことを公開している。
最初は衝撃的ではあったが、思い起こせば昔の人はいろいろなことに良くも悪くもルーズだったかもしれないと思わされた。
そして、昔の家族関係が必ずしも理想とはいえないことやその問題点も浮き彫りにされている(ルーズだったことの良し悪しやモンスターペアレントもいたことなど)。
しかし、だからといって希薄な家族関係や核家族化でよいのか?
家族形態の問題なのか?
時代背景や社会背景とのかかわりは?
孤独で生きれば何も問題は起こらないのか?
それでは家族の役割とは何なのか?
一つの例からすべてを論じる専門家の意見ではなく、客観的な分析が必要に思う。
しかし、「これが理想の家族だ」とか「家庭だよ」というものがないので難しいところである。
これが理想的な人間だ、人物だというのがないのと同じかもしれない。
そう言いながら、私の家庭の例をあげれば、4人の子どもを見ていて兄弟がたくさんいればよいと必ずしもいえない。
多くても、親がどのように関わったかが大切と最近実感。
家族の形態や構成も重要ですが、人間関係の基本がここにあるとしたならば、いいかげんな関係でよいともいえない。
介護の場面で、協力的な家庭を例にみるならば、互いが互いを信頼しあっている、または、尊敬しているという関係をみることができる。
介護のみならず、一般的な病気でも同じである。
よい事例を集めて検討してみるのも、方法かもしれない。
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家庭が大切であること、私なりの立場で強調させてもらった。
もう一例の経験から、あらためて強調したい。
94歳の女性が、最近脳梗塞で入院してきた。
一人暮らしで身寄りのない人であったが、遠い親戚のかたの援助で老健施設に入所。
そこに住みついて何年かになる方である。高齢者で軽い脳梗塞にかかった既往もあり、軽い認知症を伴っている。その方が、ある日突然、話をしなくなった、食事も食べなくなった。介助歩行が可能なのに、それもできなくなったということで救急病院受診。ところが「食事も食べるし問題ない」といわれて、点滴1本おこなって帰された。施設で様子をみていたが、変わらないばかりかむしろ次第におかしいということで当院にきた。頭部CTの結果、診断は脳梗塞である。
回復期リハビリがメインの当院ではあるが、身寄りがなく、積極的な治療も希望しないということで、入院して様子をみることになった。
発症してから推定5日目の入院であるが、ベットで寝ている時間がほとんどで、覚醒も悪く耳も聞こえないので、反応もわるい。家族に連絡とったが、直接つながりがないことや、その方も体が不自由で当院には来れないということに・・・。施設の方が、かわりにわれわれの話を聞いて、家族に伝えるかたちとなった。
食事は、経口的に食べていたが、入院5日目くらいから口に溜め込んで食べなくなり、しかも誤嚥の可能性もでてきたため禁食とした。
状態的には、経管栄養の適応と考え、将来を見込んで胃瘻の造設を施設の方に提案。
しかし、「家族は承諾しないだろう」と反応がわるい。
遠い親戚である老健施設の入所費用や今回の入院による費用もかさんでしまっていることから、予想通り胃瘻拒否。施設にもどして、そのままみてほしいという要求である。
施設では点滴はできない、経管栄養もできないので、施設にはもどせない。
しかたがないので、老健施設に関係する近くの開業医の先生が、自分のクリニックに入院させて様子をみることになった。
このような事情をかかえた方は、決して少なくはないと思われ、今後の医療を考えてゆくうえでの大きな課題であるといえる。一歩間違えれば、老健施設で食べるのものも与えないで安楽死させる(餓死)選択肢も出てきそうである。
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当院に入院していた頭部外傷(びまん性脳損傷と脳挫傷)で高次脳機能障害および精神障害のあった患者さんが1年ぶりに外来に戻ってきた。
70歳の男性で、脚立に登って植木の手入れをしている最中に転落。
救急車で運ばれたときは、次第に意識レベルが低下してゆき、JCS100のレベル。
右側頭葉の脳挫傷と右肋骨骨折などあり。しかも、持病として、大動脈弁狭窄症まであった。
保存的加療で、意識は一桁までもどった。
幸いにも四肢の麻痺はなかったが、胸水の貯留やら肺炎の合併などあり、嚥下障害などもあったがおちついたので当院に受傷1ヶ月後リハビリ目的入院。
高次脳機能障害および精神障害があり、家人がいなくなると病棟中に大声をあげてさけぶ(気管切開していたが)、看護師や療法士には暴言をはく、ときには暴力にいたることもあって院内ではたいへんだった。
妻がついていると比較的おちついているので、泊りがけでついてもらうようにした。
それから少しづつではあるが、落ち着くようにはなった。奥さんは、たいへんだったとは思うが、非常に献身的な方であった。
嚥下障害といっても痰を出したりするのはうまくできていたが、食事を与えると食物であると認識できないようで吐き出してしまう。
そこで経菅栄養を選択せざるをえない状況だった。
胃瘻を急性期の病院に依頼したが、「こんな精神状態ではリスキーである」とされて断られてしまった。
したがって経鼻胃菅を留置することになり、たびたび自分で抜いてしまうために看護師は苦労していた。
面談では記憶障害や精神障害はあまりよくならないだろうという話をした。食事も、口からは今は難しいと話をした。
帰宅または精神科施設の入所を家族と考えたが、妻は、帰宅を頑として主張。
長男家族はたいへんだからやめたほうがよいと主張。
いざこざはあったが、試験外泊を繰り返し自宅に帰るとかなり落ち着くというので、自宅退院とした。
通院は難しいので、自宅近くの開業医さんに往診を依頼。
訪問看護などの各種サービスをいれることにして、受傷6ヶ月くらいで退院。
今回、開業医の先生から、久しぶりに検査して欲しいという依頼で来院した。
話をするとほとんど普通の方にもどり、みられていた精神症状は消失していた。
食事は、経口的にOK
視野障害はあるが歩行可能。
記憶障害も日常生活には困らない程度になったようである。
予想に反して良くなっていたので私としても驚きであった。
妻の献身的な介護がすばらしかったのだと思うが、他にも同居する息子夫婦と小さな孫も同居しており、自分の親の介護に協力的である。
このような恵まれた家庭環境が功を奏したのだと思う。
高齢化社会に必要なのは、家族の力である。
家族の力がなければ、介護難民となる高齢者は増える。
医療費もかかってくる。
政府は、日本の伝統的な家族制度を見直して欲しいと思う。
そのためにはどうのようなことが必要なのか?
果たして核家族化が理想なのか、夫婦別姓でもいいのか?家族の絆を強固にするためにはどうしていたらよいのか?
家族の絆を崩壊させるような民法改正は是非やめて欲しいものである。
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