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阪神大震災がおこって、明日で12年目になるという。
そのころ私は、東京の池袋の近郊の妻とアパート暮らしをしていた。
阪神大震災が起こる7日前は、ちょうど長女が誕生したときでもあった。子供は無事問題なくうまれてよかったのだが、妻の子宮収縮が悪く、後出血がおこった。ヘモグロビン値が5.0くらいまで一気にさがったため妻の顔も蒼白状態。
子供の誕生が、午前2時30分頃、後出血で蒼白になり、ショックに近い状態になったのが午前8時ころだった。その日は、通常勤務があったので欠勤する覚悟をきめていたのだが、女性は強いもので、「私は大丈夫だから病院にいって」と小声でうわごとのように何度もいう。ほんとうに大丈夫なのか、担当の産科の先生から輸血の話があるのではないかとも思ったが、確かにその日は考えると欠勤もできなかったので、不安を感じながらも入院した病院の看護士にあいさつして、出勤した。
このときは私もまだ若かったので、妻のことが気になってしかたがなく、いろいろなマイナス思考が働く。このまま妻がさきにあの世にいってしまったら、幼子と私一人だけでいったいどうなるのだろうか?そんなことが頭の中をよぎったのである。
いてもたってもいられず、産科の主治医の先生に数回電話で「輸血しなくてよいのですか」といろいろ質問。質問というより、私の心の動揺をなぐさめてもらったといってよかった。
結論は、「心配ない」ということであった。主治医の先生は私の知り合いで先輩でもあり、信頼をおいていた。
それでも心配はつきなく、勤務が終わるのもおそかったのだが、夜間の特別許可をもらって面会し通い続けた。蒼白になった妻の顔をみながら、思わず涙がこみあげ、あのときほど妻のことを思い気遣ったときはなかった。
そんなおちつかないときに、今度は海外出張しなければいけないことに。妻のことが心配だったが、「私は大丈夫」という、しかも行かないわけにはいかなかったので、でかけることになった。阪神大震災は、ちょうど日本に帰国したときにおこった。成田空港では、その大地震の話題で騒然としており、多くの人々がTVモニターに釘づけになっていた。私も、帰国後はじめてその事実を知り、まっさきに妻のいる病院に電話をし、元気な声に胸をなでおろした。
結局、輸血することなく、点滴と子宮収縮剤でなんとかのりきったようだった。安易に輸血しなくて逆によかったのかもしれないと思い、産科の先生の冷静な判断に感謝した。妻はやせ衰え真っ白になった顔貌ではあったが、すっかり元気をとりもどしていた。うまれたての長女は、何事もなかったようにスヤスヤと妻の横で寝ていたのが印象的だった。
人生何ががおこるかわからない。
地震もそうだし、出産だって同様である。
被害にあわれた方のご冥福をお祈りします。
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