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広島大病院でSAHが見落とされていたことが問題になっています。
システム上の問題にはなっていますが、実際は、CTの読影は困難だったのかもしれません。2回も受診している経過を考えても、私が以前アップした歩いてくるSAHのパターンで、難治性で持続する頭痛のようです。CTの読影ミスだけを原因とするのは安易で、本来ならば病歴や他覚所見からもおかしいと思わなければいけなかったのかもしれません。
わたしの病院でも、かつてSAHの見落としがあったらしいことを聞きました。
初診で、頭痛を訴えるある患者さんに対してMRIを撮影。内科医師によって特に異常はないとされました。放射線科医師のダブルチェックまでうけましたが、同じく異常なし。しかし、後日、脳外科医によってMRIのFLAIR画像で、脳室内にわずかな出血性のニボーを形成していることが指摘されたそうです。患者さんは、数日後にSAHの再発をおこして、亡くなったとか。
放射線科でその画像が、保存されていたため私もみせてもらいましたが、T1画像やT2画像ではまったくわからずでした。FLAIR画像で側脳室の後角にわずかな高信号二ボーを形成しています。他に所見は、まったくありません。出血としては最近のものではないのですが、注意しないと見落とします。
コスト的には、MRIを初診ではさきにとったほうが良いので、なにが何でもMRをさきにやる施設が今でも多いと思います。しかし、脳の出血性疾患にはよく注意しないといけないので、病歴や臨床症状とでよく検討しておこなうべきと思います。
病気の診断は 検査やコストを中心に決めるのではなく、病歴と他覚所見を大切にすることを忘れてはいけないと今更ながらに思いました。
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薬の服用というのは、大切な情報なので、患者さんを診察するときのポイントになっていることは言うまでもない。さらに、その薬の副作用情報には常に気を配らなければいけないし、最近では、主作用が副作用を上回って情報が伝えられることもある。それはそれで問題かもしれないが、世の中は副作用に敏感になっている。
最近、12歳の男の子で急性の頸性斜頚およびジストニアを認めて当科に受診した症例があった。当院には小児科がないのであるが、小児外科や小児脳神経外科症例ならばときとして、外科や脳外科さらに整形外科が対応する場合がある。この症例も、斜頚があるので整形外科から、髄膜炎ではないかと紹介されてきた。
みると、確かに斜頚はあるがそれだけではなく手や足をねじるようなアテトーゼ様の運動もみられる。両親に聞くと、昨日までは普通だったという。
よくよく話を聞くと、2-3日前に近医で肺炎及び脱水の診断をうけて点滴治療をうけていたことがわかった。さらに、この症状が出現したのは、点滴治療をおこなってからおかしくなったのだという。そこで、近医の先生に連絡をいれて投与薬剤をきいたが、「ミノマイシンとホスミシンを点滴しただけ」ということだった。
肺炎や脱水はまちがいなそうであるが、髄膜炎でこうなるか、またはてんかんなのか?
本人はまったく頭痛、嘔気を訴えないので、髄膜炎はおかしい。会話もまったく普通なのである。
悩みに悩み、脳外科の扱いで入院させてもら致があかないので小児科の病院に連絡。小児科の先生に申し訳ないと思いつつ、それでも、肺炎があるからお願いした。
それから2時間後くらいに近医の先生より連絡あり、「実は、大切な情報がありました」とのこと。嘔気を訴えていたのでプリンペラン1A使い、それでもおさまらなかったのでもう1回使ったということである。可能性はあると思ったが、自分には経験がなかったので、情報としてうけとめるにとどめた。
それから、翌日になって、患者さんは入院となって、症状は消失したという情報をもらった。さらに、薬剤部経由で製薬会社から情報をもらい、同一症例の報告があることをしった。
フェノチアジン系薬剤やメトクロプラミドによるacute dystonic reactionということであった。投薬歴がわからないと、てんかんや髄膜炎、斜頚などの診断がついてしまうという。
この副作用は小児期に発症しやすく、1日量で0.5mg/kgを超える量で投与すると発症リスクが高まるという。
しかし、上記の基準を超えてかなりの量を投与してもまったく副作用症状のでない例もある。そのため、肝臓での解毒機構の違いにより症状の出やすい人と出にくい人がいるのではないかとされているようである。
発症頻度などは不明。
予後は、薬剤中止とともに48時間以内には軽快するようである。
一般的には、発熱や脱水を起こしている小児への投与には注意したほうが良いようである。
知っていらっしゃる先生も多いのかもしれないが、良く使う薬なので注意したいと思った。
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私の母は、現在、卵巣がんにて闘病生活中である。といっても入院しているわけではないが、実家から2時間もある専門病院に定期的にフォローをうけている。
母方の家系は、おそろしいほどの癌家系である。母には本人を含めて5人の兄弟がいるが、母の兄はすでに肺がんで亡くなっている。弟は、直腸がんで亡くなり、5年前に母に卵巣がんがみつかり、手術治療と化学療法をおこなった。そして、母に妹が二人いるが、そのうちの1人に同じく卵巣がんが昨年みつかって 治療中である。兄弟のうち、1人だけが今のところ悪性腫瘍はなく元気でいらっしゃる。
母方の直系はどうかというと、母の母(祖母)は膀胱がんだった。父(祖父)は、肺がんだったという。曽祖父も、胃がんか何かだったと聞くので、おそらく母方の家系は癌家系である。私の従兄弟にあたる方々には、いまのところ悪性腫瘍がみつかったという情報はないので、いまのところは大丈夫のようである。
母は私に、「私の家系ががん家系だから、少なからずあなたにも遺伝しているかもしれない」と警告している。そんな話をときどきしていたのだが、そんななかで昨日、また入院治療をおこなうという連絡が母よりはいるのであった。
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前回は、実家の父のことを少しアップしたが、その続きである。
父もいまや、喜寿を超えて80近い年齢になってきた。それでも、自分と同じくらいの年齢の方が入所する療養型施設やら老人病院などの定期的な回診や診察をおこなっている。
90歳で現役の日野原先生に比べれば、まだまだ若いかもしれないが、ゴルフも月に1-2回、旅行にも年に1-2回いけるので十分な若さがある。地域の医師会では、一番の高齢者になっているらしい。
そんな父と話をすることはごく稀なのだが、ある日様子をうかがうため電話をいれたところ(いつも母と話をするのだが)、父が「是非話しをしたい」と言ってきた。
話の概略は、年齢97歳男性、老人病院に入所している方で、昨年12月頃に転倒し頭部を打撲。そのときはたいしたことがなく、その後も意識はしっかりしていて、会話もできて普通だった。ところが、今年の1月になって、頭痛の訴えと嘔気の訴えが多くなり、そのうち吐いて食事をとるのも困難になったという。父は、最初脳血管障害を疑ったらしいが、打撲もしているので、施設から1時間30分はかかる脳外科の病院に診察と検査を依頼。そこでは、何も異常がみられないということで施設に帰されたという。鎮痛剤などを処方されたらしいが、それでも症状はまったく良くならない。もう一度、同じ病院に検査を依頼したが、「CTでも異常ないしただの頭痛であるから検査の必要はない」と断わられたという。
患者は、97歳とはいえ、どうみてもいままでとは様子がおかしいので施設から2時間かかる別の病院に検査を依頼することにした。するとその病院からすぐに連絡がきて「慢性硬膜下血腫が両側にみられており、すぐに手術が必要です」といわれ、そのまま手術になったという。結局患者さんは、2週間くらいの入院ののち、もとにもどって帰ってきたということである。
そこで脳外科医である私に、「同じCTをとっていながら、一方が正常で、一方が異常だと指摘されるとはどういうことか?」と質問があった。そして、 最初に送った病院の医者の対応態度に怒りを感じたようで、「他院からの依頼には、たとえおかしいと思ったとしてもそれなりの丁重な対応をするように」という私へのメッセージであった。
最初にみてもらった病院も、脳外科としては名のある病院であるし、マスコミにも取り上げられたことのあるところである。その次に紹介したところも有名な脳外科病院である。
慢性硬膜下血腫は、急性期の出血所見を示さないため、時として両側にある場合には、正常と見間違えることがある。
大脳皮質の吸収値と血腫の吸収値がほとんど同じくらいになるためである。すると、血腫には見えないかもしれない。そのようなケースは、造影CTにすると、血腫被膜が増強されるので区別がつく。でも、97歳ならば年齢的な脳萎縮所見があるだろうし、たとえ両側にあっても脳溝が消失すればこれはおかしいと判断できるはずである。まともな脳外科専門医がみていたのならば、正直なところこのような見落としは恥ずかしいかもしれない。または、CTの性能の問題か?
実際のCTがみれないのは残念であるが、注意が必要だ。また、紹介医経由の患者さんの対応にも、たとえ紹介医が高齢者の方であったとしても注意が必要である。
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私の実家は、北海道の道南、人口5000の小さな村である。父は、その地で、40年以上も町の中の唯一の病院としてその使命をまっとうしてきた。以前は、もう一件開業医がいらしたが、跡継ぎがいないため閉院となった。そんな父の病院も10年前に私の弟が受け継ぐことになり、現在、弟がその病院の院長として、父が理事長として病院を運営している。私の北海道の田舎は、人口5000から10000人の町がほとんどで、合併するという話もあるようだが、病院の数は極端に少ない。しかし、田舎では車が良い交通手段になっているので、1時間や2時間くらいの病院間の移動は問題になっていないようである。脳血管障害や心血管障害患者さんは、1時間ないし2時間はかかる札幌などの都市部の病院に転送しているようである。周辺の町や村はおおよそ1町村に1人または2人の医師がいる。
隣の町には、総合病院はあるが、反対側の村には、小さな村立病院がある。そこの院長は単身赴任で都会から赴任しているため、対応は悪いという。そこは、かつて一時的に無医村にもなり、私の父が往診対応したこともあるらしい。ある意味、医者には恵まれない地域のようである。
そのまた隣町にも一件の病院をかかえているが、単身赴任の先生が対応しているという。そちらの病院は問題ないようである。
こんな周辺の現実をみると、親子2代にわたって病院をしっかりうけついで維持しているのは、非常に珍しいようである。
そのため田舎の地域医療に貢献したことが功労となり、3年前には叙勲の栄誉を父はいただいている。
「石の上にも三年」ではないが、今でも医者には不人気のめだたない田舎で子育てと医療をコツコツと努力して行なってきたその姿は、尊敬に値するものだと感じる。
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昨日、我が家の小学校2年の長男の授業参観があるということで、学校にでかけることになった。幸い金曜日は研究日なので、めったにないことである。また、授業の内容が「性教育」とあったので、いったい何をやるのか興味をひいた。
ちなみに「小学校2年生に性教育など必要なのか」というのが、私のスタンスである。
長男が何年何組なのかそれすらもわからず、どこに教室があるのかもわからなかったので、家内もいっしょに同行してくれた。そして、6年になる長女の参観もしたいということで、家内はそちらにむかった。
がやがやと騒がしい雰囲気のなかの教室内に入る。父兄のかたは、10人にもみたいない。父親らしきかたも1人いたが、ほとんどは母親である。
導入は、いろいろな動物のなかで、へそをもっているものとへそをもっていない種類のものを分けさせるところから授業がはじまる。次に、なぜへそがないのか?へそはどういう役目を果たしてきたのか?という疑問にゆく。その例として人間をみてみようということになり、おかあさんの体の中で、胎児はどうなっているのかという話がある。胎児、生まれたての赤ちゃんはどのくらいの重さなのかとかどうなっているのか?人形で説明。その人形を子供たちに抱っこさせたりしてみる。その胎児も、約1mmくらいの卵から誕生し、10ヶ月でこんなに大きくなるのだという話である。
話の概略は、このようであり、教科書もあるが、「性教育」という言葉が適切なのかどうか疑問を感じる内容である。
いずれにしても、マスコミで一時話題になった過激さはなく、あたりさわりのない内容だったと感じた。
ただこのような内容を、わざわざ時間をさいて話す必要があるのか?という疑問がわく。小学校の理科や生物学の中で話すと何も違和感なく聞けるのではないかとも思う。
学校のやることに文句はつけたくないが、このようなこと以外に授業時間を割いて欲しいというのが、最終的な私の感想である。
ほかに、感じたことは、話をするときのルールがまだできあがっていないことに違和感を感じた。先生が説明しているときに、いきなり質問やら生徒の個人的なことなど話の腰をおるような発言が時々とびかうのである。先生が注意することもあるが、ときには担任補佐の先生が、その生徒のところにいって話を聞いたりしていた。2年生だからこれでよいのか?でも子供たちは、自分のことを先生にもっと訴えたいのかもしれない。数人の生徒が、そんな雰囲気をもっていた。しかし、先生や皆の前で発言するときは手をあげて話す決まりをつけなければ、収拾のつかないことにもなりかねない危険もかんじた。
それから、最後に、相変わらず廊下で参観している父兄たちは、知り合い同士なのか私語でうるさい。廊下だから聞こえないようだけれども、父兄にもルールを課すべきだろう。
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この季節になると、脳血管障害、とくに脳梗塞になって救急車で搬送されて来る患者さんが多い。
ほとんどの方は、あまり病院にまじめに通っていなかった方やかつて脳梗塞を発症したかたである。また、残念ながら開業医の先生方がフォローしていた方などもときに来院する。
私は、せめて自分のところに通院してくる患者さんだけは、予防してあげたいと、薬だけではなく、血圧や生活習慣の注意など話をしている。なかには、その話にうんざりするかたもいれば、できないとしてやらないながらも通院しているかたもいる。でも、ほとんどの患者さんは、朝と晩の1日2回の血圧測定をちゃんとやってくださっているし、薬も飲んでくださっている。
血圧も、130~140台を目標に厳密にコントロールしているつもりだが、中にはほとんど不可能に近いかたもいる。いつかはこの方は、脳卒中になるのではないかと心配しながらみるが、大丈夫である。
ところが、先日、思わぬ患者さんが脳出血ではこばれてきた。私の外来に通院していたおばあさんで、血圧から血液検査まで良好にコントロールされていた。ただ、右中大脳動脈狭窄と無症候性脳梗塞があったので、アスピリンを内服していた。血圧は、120-130台で80歳近いかたであり、本人も「もうすこし長生きしたい」とおしゃっていた。
そのかたが、食事中に卒倒し、そのまま昏睡状態になった。私が見たときは、意識レベル300である。家族が言うにはあっという間の出来事であったらしい。頭部CTでは左頭頂葉を中心とする脳葉型の巨大な出血で、アミロイドアンギオパチーによる出血と思われた。アスピリンの内服もしているので、出血が出血を呼んだ可能性もある。
手術治療の選択もあったが、家族にはそのことを説明し、年齢的なことや臨床症状があまりにも悪いので内科や外科治療をほどこしても厳しいだろうと話した。脳圧降下剤の投与などおこなったが、ほどなく自発呼吸も停止し人工呼吸器に完全と依存するようになり、脳死に近い状態となった。
去年までの元気だった姿をみていたので、まさかこうなるとは思わなかった。ご家族も悔しそうであったが、年齢も考えればと肩をおとしていた。
血圧や血液検査、そして、内服だけではまだまだ不十分である。当院の非力なMRIなら、ことさら難しい。なんとかしたいものである。
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阪神大震災がおこって、明日で12年目になるという。
そのころ私は、東京の池袋の近郊の妻とアパート暮らしをしていた。
阪神大震災が起こる7日前は、ちょうど長女が誕生したときでもあった。子供は無事問題なくうまれてよかったのだが、妻の子宮収縮が悪く、後出血がおこった。ヘモグロビン値が5.0くらいまで一気にさがったため妻の顔も蒼白状態。
子供の誕生が、午前2時30分頃、後出血で蒼白になり、ショックに近い状態になったのが午前8時ころだった。その日は、通常勤務があったので欠勤する覚悟をきめていたのだが、女性は強いもので、「私は大丈夫だから病院にいって」と小声でうわごとのように何度もいう。ほんとうに大丈夫なのか、担当の産科の先生から輸血の話があるのではないかとも思ったが、確かにその日は考えると欠勤もできなかったので、不安を感じながらも入院した病院の看護士にあいさつして、出勤した。
このときは私もまだ若かったので、妻のことが気になってしかたがなく、いろいろなマイナス思考が働く。このまま妻がさきにあの世にいってしまったら、幼子と私一人だけでいったいどうなるのだろうか?そんなことが頭の中をよぎったのである。
いてもたってもいられず、産科の主治医の先生に数回電話で「輸血しなくてよいのですか」といろいろ質問。質問というより、私の心の動揺をなぐさめてもらったといってよかった。
結論は、「心配ない」ということであった。主治医の先生は私の知り合いで先輩でもあり、信頼をおいていた。
それでも心配はつきなく、勤務が終わるのもおそかったのだが、夜間の特別許可をもらって面会し通い続けた。蒼白になった妻の顔をみながら、思わず涙がこみあげ、あのときほど妻のことを思い気遣ったときはなかった。
そんなおちつかないときに、今度は海外出張しなければいけないことに。妻のことが心配だったが、「私は大丈夫」という、しかも行かないわけにはいかなかったので、でかけることになった。阪神大震災は、ちょうど日本に帰国したときにおこった。成田空港では、その大地震の話題で騒然としており、多くの人々がTVモニターに釘づけになっていた。私も、帰国後はじめてその事実を知り、まっさきに妻のいる病院に電話をし、元気な声に胸をなでおろした。
結局、輸血することなく、点滴と子宮収縮剤でなんとかのりきったようだった。安易に輸血しなくて逆によかったのかもしれないと思い、産科の先生の冷静な判断に感謝した。妻はやせ衰え真っ白になった顔貌ではあったが、すっかり元気をとりもどしていた。うまれたての長女は、何事もなかったようにスヤスヤと妻の横で寝ていたのが印象的だった。
人生何ががおこるかわからない。
地震もそうだし、出産だって同様である。
被害にあわれた方のご冥福をお祈りします。
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あるTV番組で、納豆ダイエットを紹介したところ、翌日くらいから納豆の売り切れが続出したとか?
納豆にダイエット効果があるとは、聞いたことはあまりなかったが、特保食品の一つであり、骨形成の助けになるということは新聞かなにかで読んだことがあった。
実は、私は、むかしから納豆と縁があり、高校時代には朝ごはんは、納豆とごはんと味噌汁の毎日であった。納豆が好きだったこともあったが、だされたものには文句は言わないように指導されていたことが原因である。その当時食事の世話をしてくれた叔母が言うには、何も文句を言わないでひたすら食べてくれるものだから、このメニューになったとのことだった。1年の浪人時代には、さすがに納豆をみるのもちょっといやになったが、大学時代にはもともと納豆がすきだったこともあり、1日の食事の中で1回は納豆を食べることが復活した。
そして、その頃に、学生食堂でカレーライスを食べるときには、納豆たまたまみかけたのでまぜてみると意外にうまいことを発見。友人はみな変な目でみていたが、カレーを食べるときは納豆もいっしょに食べたりしていた。
そして、大学3-4年のころ、納豆に卵と大根おろしやとろろ汁を混ぜるとうまいことがわかり、ほぼ毎朝それを食べていた。
納豆のおかげかいなかわからないが、大学3-4年の頃は、体重が4kgくらい減少した。
その後、納豆ばかりを食べる生活も、ほとんどなくなったが、昨年に10kgのダイエットに成功した昨年から、再び納豆を食べる生活が復活。動機は、ダイエットというよりたんぱく質をとることを意識したためである。
おかげさまで、脂肪肝からも昨年は開放された。
そんな矢先に、納豆が店頭から消えたと妻からの報告を聞いた。調べたら、納豆ダイエットというのが、あるそうな。豆よりも、ねばねばのところに効果があるという?
1日2パックもたべるそうだが、さすがに私もそこまでやる気はしないし、ダイエットには運動療法を併用することもおすすめする。でも、納豆は健康食品ではあるし、私も納豆大好き人間だから納豆ブームは歓迎である。
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先日、小脳梗塞の方が入院してきた。CTでは、左小脳半球の下1/3ほどの梗塞である。心房細動もある。めまいが中心症状であるが、数日で症状は軽快。頭痛もあったが、鎮痛剤でよくなってしまうものだから、入院が苦痛でしかたがない。
それでもなんとか2週間入院してもらった。
神経症状は、左半身の小脳半球症状は残っているのだが本人はそれほど不自由していないことや入院によるストレスもありそうなので、退院することになった。
退院にあたって、注意事項を話したが、そんなことおかまいなしに、「明日から、職場に復帰する」とか「車も運転しないと仕事場にもいけない」など、はじめからすべて否定。退院後も自宅で療養しているように話したが、聞き入れられず。
こちらもこみあげるものがあったが、その患者本人は、一人暮らしだし、食事もすべて外食。あれこれ注意するように話しても、ほとんど守られないことがわかってきた。
「せめて酒とタバコはがまんしてください」ということになる。それでも、「自分の楽しみをうばうつもりかとご立腹。
話が終わった後は、こちらの顔もみないでその場を立ち去り退院。
すでに、数箇所脳梗塞があり、心房細動もあるので、またいつか病院に入院となるのだろうか?
怒らせたのはよくなかったかもしれないが、退院後通院してくれるのかどうか?
脳血管障害の患者さんで、このようなことになってしまう方は決して少なくない。
糖尿病の患者さんでも、ただでさえ食事のコントロールができないのに、あれは駄目これは駄目では心の行き場がなくなるのかもしれない。食生活の改善は、健康な人でさえも難しいのだ。「薬さえのんでいれば、あとは何をやっても大丈夫」と考えているほうが気が楽だし、医師の管理としてもこうなれば、こんな楽なものはない。
それができないという現実をみると、自分の体は自分のもののようで決してそうではなく、はやくから病んでしまうのは取り扱い方が悪かったからに他ならない。その例が酒やタバコなどである。おそらくこれらは長年にわたり、多量にとれるような人間の身体構造にはなっていないのである。精神的身体的快楽のためにこれらを多用してしまうことは理解できないでもない。しかし、生命の連続性のなかで受け継がれてきたこの体は、結局はもとめていないのである。
自分の体は自分のもののようで自分のものではない。
長い歴史のなかで受け継がれ、いただいたものなのだ。だからこそ日頃そんな心を、忘れてはいけないと思った。
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