| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
我が病院に、ドクハラを受けたとする投書が舞い込んだ。
その投書は、医局にデカデカと張り出されることとなったが、誰のことを書いたのかわからない。しかし、当人はかなり不快に感じたらしく、「そんなことで病院にくるんじゃない」というニュアンスのことを言われたという。
そして、定番の文句で「二度とこの病院にはかかりません」と書いてあった。
そう言われると、私に思い当たる節はあるので、また、自分のことが書かれているのかと考える。
でも、最近の私の考え方は、病気を自覚してから治そうというのは遅すぎるということである。自分でチェックできることは、なるべく習慣つけておこなう。
だから、たいした異常もない人でも、高血圧や嗜好品(酒、タバコ)のこと、運動や食事のことなどについて質問して聞いてみたりしている。
その行動から考えてみるとと私ではないかもしれない。
いろいろな憶測が飛び交う。
人生、不思議なことに、「こんな病院には二度とかかりません」と思っていても、なぜかこの病院に搬送されることがあるもの。
ドクハラをうけるということは、医者の問題もあるが、うける患者の問題もある。同類同士の問題なのだから、もう一度遭遇することはあるにちがいないのだ。事実、私はそのような人に出会ったことがあるから。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
解読困難な文字を書く医者は多い。
私もその一人であることは、否定できない。
あまりにも汚いので、大学医局に在籍中は、ひらがな練習帳を教授よりいただいた。その当時は、手書きの手術記録を教授より添削していただいてたので、私の文字の汚さが発覚してしまった。結局、数回練習しただけにとどまった。教授がかわってしまったからである。
数年前にも上司から同じことを指摘され、その上司は、医師会の会報か何かに投稿までした。書くきっかけは、私のカルテの文字があまりにも汚いためにわからなくて憤慨したことにある。私に対するあてつけみたない投稿だった。そのときはすなおに反省して丁寧に書くようにした。
しかし、長年染み付いた習慣から脱出するのはむずかしい。今は、また、読めない文字が復活しつつある。
なんでこんな汚い文字になったのか?
思えば、学生時代のつめこみ教育に原因があるのではないかと考えたりする。黒板もプリントも使わず、ひたすら話だけの講義やスライドだけの講義があり、それをノートに速記することをやっていた。それ以来、書くのは早くなったが、文字は自分にしか読めない暗号のような文字になってしまった。
というのが、かっこいい言い訳である。
(でも、振り返ると文字がきれいだと言われたのは、小学校時代までか?)
今は、活字も楽に打てる時代になり、ブログもその意味で便利である。もし、手書きのブログがあったらだれもアクセスしなくなるだろう。
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
23日に次男の通う幼稚園で、市民会館を使っての発表会があた。昔で言えば、学芸会のようなものか。
約1ヶ月前から熱の入った練習しているため、それなりの良いものに仕上がっている。衣装なども、先生と親との共同作業で、出来合いのものはほとんどない。
家内も役員をやっているので、11月はたいへん忙しく、私もほとんど相手にされず。当日は、次男だけをはやばや会場に連れて行って、あとは、私にまかせっぱなしである。
この発表会の主人公は年長さんたちであるので、会場の席も、年長さんの両親が優先的に前のほうにとれるようになっている。
この発表会の売りものは、最後に年長の子供一人一人が仮装して、将来自分が就きたい職業を発表するところにある。一人、5分程度の時間が与えられ、その仕事に就きたい理由や夢を子供ながらに語るのである。
一番多かったのは、男の子ならサッカー選手、女の子は幼稚園の先生である(昨年も同じ)。私は、医療関係の仕事を夢見る子供がいるのか、期待するわけだが、今年はゼロである。
看護婦さんすらもいなかった。
昨年は、大学教授とか看護婦さんになりたい子供が、一人づついた。医者はいなかった。
残念な気がしたが、自分の父親と同じ仕事に就きたいと思っている子供が何人かいたのでそれはすばらしいと思った。
親が自分の仕事に誇りをもつことは大切なことだと思う。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
健康的な医師をめざしておこなった運動や食事療法の成果がすこしづつあらわれはじめている。昨日は、病院の検査技師の方にお願いして、腹部エコーをおこなった。
長年、改善の余地がなかった脂肪肝であったが、昨日の検査では「ほぼ改善しています」という結果であった。皮下脂肪の厚さも問題なく、現在のウェスト径を考えても、これでメタボリック症候群の病名?は返上することになった。
脂肪肝が判明したのは、約7年前くらいからであるので、このまま放置しておけばどうなるかわからなかった。
思えば、今年の7月4日に検査していた頃は、まだ「脂肪肝ですね」という結果であった。体重は、7-8kgくらい減っていたが、まったくかわらなかった。 あれからさらに3-4kg減っているので、その減量が効いたのか?
それ以外にも、7月からジュースや炭酸飲料類や栄養ドリンクもいっさいやめているので、それの効果かもしれない。
血液検査もおこなったが、結果はまだ不明である。
自分で身をもって体験することは、患者さんへの食事や運動指導にも今後少し役立つのではないか、とちょっと高慢な気持ちにもなっている。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
長年、医療をやっていて患者さんから苦情をうけたことのない医師はいないと思う。私も、2通の苦情の投書をいただいたことのある医療者の一人である。
数年前に、脳外科の外来をやっていたとき、一人の若い20代くらいの男性が頭痛を訴えて受診した。緊張型頭痛でまちがいないと思ったが、一応、頭部CTをとって異常所見の無いことを確認して帰っていった。ところが、その男性からいろいろ苦情の投書をいただいた。
内容は、「問診をとるときの態度が悪い。人の顔をみない、いらついたように貧乏ゆすりをして、患者をみようとする態度ではなかった」
そして、最後には「こっちは、頭痛がして死にそうなのに薬も処方せずに帰した。こんな医者は、みたことがない。大学病院の医師だからお高くとまっているのだろうか。云々・・・」
というような内容である。患者の名は匿名だった。
この投書は、名指しで病院の投書箱に同じものが2通入っていたので、たいへんな怒りの気持ちもっていたのであろう。さっそく院長に呼ばれてどうなっているのか事情を聞かれた。院長も立場的に呼び出して指導した旨を、報告しなければいけないようなことを言いながらいろいろ質問してきた。
返答内容は、詳しくは忘れてしまった。
患者の顔をみないでひたすら記録簿の記述に没頭していうことはあるので、気をつけますとした。
貧乏ゆすりは、癖のようなところもあるので、これも気をつけるようにした。
薬をださなかったのは、患者がはっきりと薬が欲しいと言わなかったのでださなかった・・・とした。
患者の顔をみてその心を読み取るだけの能力ははないので・・・と言い訳をしたと思った。
結局、患者の気持ちをくまなかった私のほうに問題があるということになったため、お詫びの文書を書くことになった。
院長は、呼び出してきつく指導したとして文書で報告した。
患者さんからの苦情の投書には、謙虚な気持ちで受け止めることはなかなかできないものであるが、その衝撃は脳裏にやきつくもので、以来日常診療において気をくばるようになった。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
医局からみえるきれいな富士山の写真をアップします。
都会にいるとこのような風景に遭遇することはないと思います。
診療の合間やホッと一息つきたいときに、富士山を医局のベランダからながめています。
すこしでも、その恩恵を皆様がたにと思います。
愛鷹山と富士山です。真ん中のは、避雷針ですか?
富士山アップです。
固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
医師の生き方として、開業医になることや勤務医になることだけが道ではない。
様々な勤務形態があっていいのではないかと思う。
それが、はたして、今の日本の医療へプラスになるか否かはわからないが、過酷な勤務を強いられていることが多いのならば、いろいろと考えてもよいのではないか。ただし、スキルアップしたいとか技術をみがきたいという話ならば、また別である。
1、嘱託産業医としての勤務
2、非常勤専門での勤務
3、健康診断医(非常勤)としての勤務
などである。他にもいろいろあるかのかもしれない。
1番の嘱託産業医は、企業にもよるが月3万の給与が相場と いうので、契約企業が10あると月30万くらいの給与は確保できる。でも、これだけは厳しそうである。
私の知り合いの医師は、2番めの勤務形態をとっている。週1回の非常勤医師として契約している病院は、5つほど。1日だけ当直勤務をする日もあるらしいが、ほとんどは日勤帯のみ。
このうち3施設が、日勤帯で1日3万ほどの給与、他は、それなりの給与で、1日10万ほどの給与らしい。他にも、健康診断の非常勤も1回やっているとのことであった。土曜、日曜はほぼフリーで、当直は月曜日のみである。
結局、しめてどのくらいの稼ぎになるのかは、教えてくれなかった。
私が推測するにザッと計算しても、週30万のかせぎとすると、月120万くらいになる。年収にすると1440万にもなる(税込みだが)。
待遇の良いアルバイト病院をみつけるのもたいへんそうだが、昔は医局に頼らなければむずかしいかった。最近は、みつけやすく、非常勤医師を求めているところは多いという。
金銭的なメリットはあったとしても非常勤だから、保険の問題や年金の問題などのデメリットはありそうである。
3番については、知り合いの女医さんが検診専門の勤務をおこなっていた。短時間で、効率よくかせげるということらしい。
ただし、勤務場所は定まっておらず、前日くらいに要請があって検診医として、あちらこちらに移動しなければならないようである。 結局その先生は、貯めたお金で開業したという話である。
金銭面での話が中心になったが、これでやっていけるならば医師のNEETなんてのも今後あるのかと思ってしまう。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
患者さんに健康的な生活としての、運動やら食事療法の大切さを説きながらも、「自分ではそんなこと不可能だ」と思いながら生活してきた。
とくに、適度な運動や規則正しくバランスよい食事など忙しい部署で働けば、ほとんど無理である。脳外科においては、夜中の緊急手術などやった日やその翌日は、生活のリズムはめちゃくちゃになる。その生活レベルをそのまま引きずりながら、1年以上の月日が流れてゆくこともある。
そんな生活をしていながら、指導するなど偽善の何もでもないと思った。そればかりではない、自分が悪い生活の典型例にもなりかねなかった。
そこで、「患者に指導したことは、自分でもやってみなければいけない」と思うようになり、この1月からダイエットもかねて、食事や運動。特に、30分の有酸素運動をおこなうことにしたのである。
驚いたのは、腹に貯まっていた内臓脂肪が、この10ヶ月で完璧にとれたことである。ウェスト径は、88cm近かったが、いまでは79cmまで減少している。(私のダイエット記録にもアップしましたが)
なにもつらい運動を日々おこなったわけではないのである。運動強度にして、50~60%くらいの運動を、30分間。週5回~6回ペースである。
有酸素運動だけでは、よくないということで、最近は筋力トレーニングを入れているが、驚きなのはしばらくご無沙汰だった腹直筋が、外から見えるようになった。大胸筋についていた脂肪も落ちて引き締まってきている。
コツコツと努力することはやっぱり大切なようである。
医師がやれば、説得力もすこしは増すのはないかと思うのだが、そう簡単にはいかないようである。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
娘が、修学旅行から昨日帰ってきた。
夕方6時頃の帰宅ではあったが、さぞかし楽しかったようで始終話がつきず、また、弟たちや親戚へのおみやげもすべて余すことなく購入してあり、びっくり。あとで聞くと、妻がしっかりと言い聞かせたようであった。
今どきの小学校の修学旅行はどこにゆくのか?非常に関心をもってみていたが、
娘の場合の目玉は、キッザニア東京にいったことだろうか。いろいろな職業体験ができるということで、すでにご存知のかたも多いと思う。東京都内の名所めぐりを終えて、最後にそこで思う存分いろいろな職業体験ができるという。
大人は、入場不可であるが、見学場所があるという。年齢制限は15歳まで。園内では、さまざまなルールがあるようで、三井住友銀行の名の入った疑似紙幣によってやりとりされる。
娘の目あては、病院の勤務だったらしいが、ものすごく人気があってとても待ってられないのであきらめたということだった。そんなに人気があるのかと思ってその内容を聞いたが(本人は体験していない)。病院での手術の模擬体験やらができるらしく、そこに人気があるということである。
現実は、こうもいかないが、ハードルが低くなれば医師をめざす人も増えるということなのか?
娘は、結局、友達の影響もあって、デザイナーの体験とか洋服つくりを体験したりしたという。実際に自分でデザインした洋服を持ち帰って見せてくれた。
また、警察や裁判所などもあり、ちょっとしたルール違反をすると、警察につかまって裁判にまでかけられるという。厳しそうにも思うが、それなりのルールがあるのだから、このような体験も必要なのだろうか?
娘はもう一度行きたいと切願していたので、百聞は一見にしかず、家族でもう位置ゆくしかないかと考えている。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今月より、非常勤の医師が一人きてくれるようになり、ほぼ毎日だった私の外来も、やっと月、水、木、土となった。
現在も、大学病院の助手として勤務する私の同期の先生が週1回の外来を引き受けてくれたのである。
かつて脳外科に入局する新人が多かったころは、アルバイト先を確保するのがたいへんだった。しかし、今では人手不足のため、大学医局に非常勤の派遣ですら頼んでもほとんど良い返事はもらえない。
しかし、個々の医局員にあたると大学職員の給与は依然として厳しいものがあり、アルバイト先でなんとか食いつなげているのが現状のようである。そのアルバイト先も非常勤に対する待遇が悪化してゆくところが多く、決して上昇に転じることはない。そんな中で、私の同期ということで来てくれることになった。
わざわざ東京から、この富士山のみえるこの地にまできていただけるのは、何よりもありがたい。
脳外科の世界から離れていた私も、彼を通じて少しは様々な情報をいただけるかなと期待している。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)