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「生命の大切さを教育する」ことの重要性が語られることは多い。殺人やら虐待などのニュースを聞くたびに、生命の大切さを教えなければいけないという。でも、だれがどんな教育をするのか?まったくわからない。
戦争を経験した方々に、その頃の体験を語ってもらえば生命の大切さがわかるのだろうか?
人の生死を目撃する医者が生命の大切さをよく知っているのだろうか?
戦争を目撃した人々が、それをよく知っているのだろうか?
周辺を語ることはできても、本質を語るには 宗教ではないだろかと感じる。
宗教を低俗なものとして扱う左翼教育のおかげで、もっとも大切なものが骨抜きにされ、権利や人権、そして差別など主張する今の教育である。生命の尊厳もその一つか。
日本人が歴史をかけて大切にしてきた心や大切にしてきた伝統、まさしく、その中には日本固有の宗教的な精神がある。そこには、生命という内容をこえたもっと大切なものが内在している。
わたしは、その大切なものの一つが「愛」ということばではないかと考える。愛と言う言葉をもたらしたのは、キリスト教がはじめてであると聞いた。東洋では「仁」だとか「和」というのことばであらわされてきたのか?
人間は「愛」を感じなければ動かない、なじみの病院にもゆかない、心がふさぎこみうつ傾向になる。
究極的には、自殺までする。
でも生命をかけて愛してくれる人には、生命をかけて美をかえそうとする。喜んでその人についていこうとする。「くるな」といってもついてくる。そのくらいの力が真の愛にはある。
生命も真の愛があって成立するように感じる。
ただ生きれば良いのではないのだと思うが、そのあと一歩が必要なのだ。聖書には、「信仰、希望そして愛が必要」という。まさしくそうなのかもしれない。
医者は患者の生命を守ることも大切だが、さらに一歩すすんだこの世界も忘れてはいけないと感じながら、苦悶する日々の診療である。
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