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10月から11月になると、人事異動の時期にはいる。
大学医局に所属していたころは、夏休みが明けると人事異動のうわさが出始める。本人には直前まで何も知らされず、うわさで自分の人事異動先がきまっていたことが情報でながされていたりすることがある。
一方で、退局の話になると、したたかに準備をすすめて、医局員のだれもがわからないうちに行き先を決めて出て行ってしまう者もいた。
そのような準備周到な先生は、普段あまり寄り付かないはずの医局での本人の机や書棚の書籍類が徐々に減ってゆくのである。
数週間かけて少しずつ減らしてゆくものだから、回りの先生方は気づかない。まるで、どこかのTV番組でやっていた間違いさがしみたいなものである。
そして、いよいよ異動当日には、机の上にはほとんど何もない状態である。
そのような先生が何人かいたため、この病院をそろそろでてゆくのではないか疑わし先生がいたならば、机の上をついついチェックする習慣がついてしまっている。
そして、つい最近、身近にいる先生の机や書籍が著明に減少していることにきづく。まさかと思い、真偽を確認すると9月いっぱいで退職するということであった。
残念なことである。
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子供たちの夏休みも今週でおしまいである。
子供の夏が終わると、秋を感じる。
秋は、脳血管障害の季節である。
脳卒中患者はは9月~10月にかけて、少しずつ数をふやしてくる。
いやな季節だといつも感じている。
そんなことを思いながら、昨日の当直をこなし、ホッとした矢先に血圧200mmHg、左片麻痺の脳出血の患者が救急搬送されてきた。
もともと無症候性脳梗塞があり、近医の開業医によりアスピリンの処方がなされていた人である。はじめは、レベルも良いし脳梗塞と思った。
しかし、CTでは前回の被殻ラクナに一致する部位に出血がみられ、錐体路にまでおよんでいる。
これは、ひょっとしたらと思い、
MRIでT2*画像をとると、microbleedsが数箇所にみられた。
降圧剤も内服してはいたが、コントロールは不良だったようである。そのような無症候性ラクナの患者には、 安易にアスピリンを飲ませるべきではないのだ。
患者さんに聞くとどうも発症して10時間は経ているので
幸いこれ以上増大することはないと思うが、それを祈りながら降圧剤の点滴をおこなっている。
アスピリンには要注意という症例であった。
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脳外科医は、仕事に忙しいので異性との出会いはほとんど職場が中心になる。だから、自然と看護士との結婚が多くなるようである。以前所属していた医局でも、半分以上の先生方の奥様は元看護士という経歴をもつ。または、医師であったという経歴をもっていた。
一方、出会いが少ないからその機会を失ってしまうと、いつまでたっても結婚できなくなってしまう。
わたしは、結婚することなど入局当時は考えてもいなかったし、逆にマイナス的に考えていたから、私の妻を紹介してくれた方との出会いがなければ、いまも独身であった可能性はある。
実際、いまだ独身生活を謳歌している同僚の先生がいる。しかし、40代にもなって独身を楽しむといってもなかなかそうもいかない様子である。
40代にしていまだ独身となると、職場の看護士も注目する人はいるようだが、同年齢では結婚している人も多いし、20代では、話がなかなかあわない。
本人としても焦りはあり、出会いをもとめているが、いざ結婚となると相手がしりごみしたり、または、本人が今の生活を崩したくないと思ったり、いろいろと考えてしまうこともあるようだ。
50代になる前になんとかしてあげたいと思う友人もいるが、彼の考えていることもわからず、紹介するのも知りごみしている。
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医師で死後の世界を信じている人はどれくらいいるのだろうか?
このことは、いつも私の大きな疑問である。
死という言葉は、医師という職業では、気軽に口に出してはいけない言葉である。ましてや、死後の世界を語るなどというのは現場ではもっての他である。
しかし、医師という立場を超えて、一人の人間として、死や死後の世界の問題は考えなければいけないのではないか。
私が、この問題を考えるようになったのは、卒後2-3年の頃に、夜間当直にいった病院での体験にもとずく。
100床レベルの都内のA病院。毎週火曜日くらいに当直にでかけていた。
その病院の夜間はそれほど忙しくはない。寝当直のことが多いのだが、ある日から不思議と夜2-3時頃に目が覚めるようになるのである。それも、一人の女性のリアルな姿をみせられびっくりして起こされる。
はじめは、若い細身の女性のふりをしている、「助けてください」といってくる。白い薄手の着物をきてこちらを誘惑してくるそれに引かれて「どうしたのですか」と近づくと血まみれのおばあさんに姿がかわるのである。
いやな夢を見せられたとそのときおもったが、それは1回では終わらなかった。
次の週の当直にも同じような夢をみる。今度は別な女性の姿であらわれ、「足が痛い」とくる。近づくと以前みたと同じおばあさんの姿にかわり、がばっと目が覚める。 2回目にみたときは、これはいけない関わらないようにしようと思えたのでそれほどインパクトをもってあらわれなかった。
そしてこんどは、また別の週のある日そのおばあさんが、はっきりと自分の苦しみを訴えてでてきた。「この病院で手術が失敗して、こんな姿になった」といって、皮膚がただれて血まみれになった右足を自分に見せるのである。よくみると背中から足にかけて血まみれで、皮膚もただれている。「痛いから助けてくれ」と訴える。あまりの凄絶な姿に、目が覚め起き上がろうとするが体が硬くなって動かない自分にそのとき気がついたのである。「冷静になれ」と思ったとき体が動くようになり、当直室を飛び出てあたりをみまわす。特になにもない、当直室にも人の気配はない。「これが霊というものなのか」そう思った私は、当直室で休むのをやめ、医局のソファに寝てその日をすごした。
そんな体験があってから、その病院での当直をできる限り断るようにして回避したのである。
この体験は、いいかげんな医療をしてはいけないことや、死んでゆく患者さんにも最期まで真心をつくさなければいけないことを感じさせる体験となった。
いろいろな意見はあると思うが、
人間死んだらすべて終わるわけではないのだということや、もし、恨んで死んだ人がいればその思いは残るのではないかというのが、私の結論である。
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患者対医師の関係は1対1の関係である。
一人の患者に最終的に責任をもつのは、一人の医師の働きによる。
そこに病気の患者がいるかぎり、医師は、日々の勉強とそして外科医は、手技の向上をめざし努力する日々がある。
地道な努力であり、そこには到達点はない。
日々勉強であり、経験である。
数をこなせば、ベテランになるわけでもなく。スタンダードな手技をマスターすれば、それですべては終わるわけではない。
多くの失敗と反省のなかから、今の医療ができあがっている。それを多くの人々が知りながらも、結果が思わしくなければいろいろ言われる時代になってしまった。
いったい自分は、何のために手術をおこない、その腕を磨こうとしているのか?そんな疑問を言う先生が増えてきた。
病院に拘束される毎日が続き、不規則な生活を強いられながら、患者には規則正しい生活やらバランスのよい食事やら適度な運動やらを説いている。
こんな欺瞞に満ちた生活をしていたのでは、いつかは破綻がくることを思いながら、思い迷う孤独な生活。
おおくの医師が開業や転職に走っていると聞く。
しかし、本当に多くのがんばっている医師たちの孤独を慰めるものは何なのであろうか?
給与のアップで解決できる問題ではない。
喜んで、生きがいをもって医療ができる環境が欲しいものである。
そんなことを思いつつ、マイナス思考になりがちな当直時間帯をすごしている。
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りんご病は、結局、長男からはじまり、次男、長女へと感染した。3男には症状はない。やっとおちついた矢先ではあった。
しかし、我が家の子供たちの病気はおさまらず、このまえりんご病にかかった次男が、次は、プール熱の診断をもらってきた。プールにはここ2週間くらい入っていないのに、どこからかもらってきたようである。
経過は3-4日前くらいから変な目やにあり、その後右目の結膜炎らしき症状。鼻がつまっていたので、蓄膿症なのかと思っていたが、熱もなかったので様子をみていた。そんな中で昨日くらいから、38度台の発熱。まさかとは思いつつ、病院に今日受診した次第である。
2歳になる3男がいるが、もう遅いかもしれない。
妻は、急いでタオルの使い分けと気をつかっている。
2年前は、流行性角結膜炎で一家全員(特に私が)苦しめられた。きっかけは、次男がつくったが、今年も次男が、どこからかアデノウィルスをもらってきたようである。
我が家の5歳になる次男には苦しめられることが多い。
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最近聞かなくなった言葉に、親孝行という言葉がある。
親のことより自分、自分がたいへんなのに親がどうのと言ってられない。そればかりではなく、親殺しや子供殺しのニュースは耐えない。しかし、親孝行の息子、娘はこの世に多くいるであろうにもかかわらず、そのような話は何も聞かなくなってしまっている。
孝行息子とか孝行娘といったことは、美徳とされる時代は終わったのだろうか。
子供の側からでは「年老いてゆく親の介護をしていたら、自分たちの生活があやうくなる。幼い子供がいれば介護がたいへん」。または、親側も「子供たちに自分のことで苦労をかけたくない」という方もいる。
私の祖母は、「子供たちに自分のことで苦労をかけたくない」といって、自分から老健施設を選択し、亡くなった。
私の77才になる父も同じことを言っている。
それにしたがっていたのでは、ここぞとばかりの孝行を尽くすことができない。失われつつある孝という言葉は大切にしなければいけないし、それは後世にのこす伝統としなければいけない。最期まで子供や孫に囲まれて逝くほうが幸せにきまっているのだから。
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夏休みくらい子供の相手をしなくてはと思い、都内池袋で開かれている昆虫展にいった。珍しい昆虫の展示のみならず、最後は虫たち(クワガタとかカブトムシ)とのふれあいの場もあった。都会では、ふれることのできない虫であるが、子供たちにさんざんいたぶられている虫の姿はちょっとあわれでもある。我が家には、数匹クワガタとかカブトムシがいるので、ちょっとだけ触れさせて帰ってきた。
次に、次男が「ウルトラマンフェスティバルに行きたい」というので、そちらに場所をうつした。
入場料も入る人の数もこちらのほうが多い。大人たちは、我が子の写真を撮るのに必死である。ウルトラマンを前にして何とか良いショットを撮ろうとする。しかし、あまりにも人が多いのとスペースが狭いため、独占することがむずかしい。にもかかわらず、大人同士のこぜりあいやら、大声きっての言い争いなどを目撃する。並んで順番を待って我が子の写真をとっているらしいのだが、その列がその場を通過しようとする人たちの妨害になっているのだ。そんなところで係員の指示もなしに列ができあがること自体迷惑な話である。係員も何の対応もしていない。
気持ちはわかるが、子供を前にしては見ていられない光景であったので、すぐにその場を立ち去った。
私の次男が、ゆく幼稚園の教育モットーは、「あの子もこの子も仏の子」というのがある。あらためて、その言葉のよさを知った気がした。
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我が家には、子供が4人もいるため、小児科の先生にお世話になることが多い。
いままであちらこちらの病院を転々としてみて、どこにいっても小児科の先生は親切な先生が多いのでありがたいことである。
数年前に働いていた病院でも脳外科も夜間に呼ばれることが多かったが、小児科の先生は比べものにならないくらい呼ばれていた。夜間外来にほとんどいらしたので、内科の先生が忙しくてかけつけられないときは、小児科の先生が繋ぎで診ていたこともあった。「そこまでしなくても良いのでは」と進言すると、「内科の先生も大変ですから」と苦もなく診ていらいした。
そんな先生がいらしているかぎりは、私も下手に文句は言えないと思っていた。どんなときに呼ばれても、笑顔で対応し「ご苦労様の一言でもかけなければ」とがんばったこともあった。
その先生も、結局は、大学からのいろいろな要求(論文を書けとか、臨床研究しろとか)に耐え切れずか、同時に家庭の事情もあって退職された。
非常に良い先生であったのに、残念でならなかった。
我が家の子供たちも公私ともどもたいへんお世話になった。
小児科の先生方のご苦労が報われることを願ってやまないものである
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毎年このときになると浮上するのが、靖国神社参拝問題である。A級戦犯合祀がなぜか今頃になり問題となる。しかも、だれが仕掛け人なのか、昭和天皇の発言メモまで今になって登場。
朝から小泉首相の参拝風景をどの局も生中継。そして、必ず発表されるだろうと予想された、中国と韓国の抗議声明。
いつまでこんなことをマスコミを含めた我々はやらなければいけないのか?
かつて東京に住んでいた頃、私も8月に靖国参拝をしたことがあった。そのときに遊就館という歴史博物館ともいえる展示場をおとずれたことがあった。
その展示場は、戦争を美化する展示場ではない。国のために犠牲になった方々や歴史上の人物たちの生きた足跡の証がある。
その展示品のなかで、一番感動し涙に泣きぬれたのが、特攻隊として死を覚悟のうえで出征した方々の遺書の数々である。誰一人として自分のことを哀れんで亡くなったかたはいない。日本の国の将来や親兄弟のことを心配して、あとのことはお願いしますといって逝かれたのである。
あの時代には、あれだけ日本の国を愛したひとが数多くいたのに、今は戦犯に責任を押し付けて自分たちは関係のない被害者だ、平和主義者だといえるのであろうか。
これらの方々に対する慰霊、感謝としての参拝は重要と思う。
また、中国や韓国にとって、あれだけのひどいことをしながら、経済大国としてのしあがり復興した日本のことを悪く言うのはあたりまえと考える。かれらの前では我々は傲慢になってはいけないのである。
今の日本復興にはかつて朝鮮半島でおこった戦争により日本の景気が復興したことなど、アジア他国の犠牲もあったことを忘れたはいけないし、それらの国々に対する感謝の念もわすれてはいけない。日本ががんばったから、勤勉だったからでは、失礼すぎるのである。日本の終戦後は、滅んでなくなるか分断される可能性もあったのである。
戦争に対する謝罪だけではどうしようもならない。
靖国参拝を止めるだけではどうしようもならない。
過ちは犯したが、アジアの国々の犠牲で日本はここまで復興しえたことに対する感謝の念をもっと表明すべきなのではないか。
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