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脳神経外科とは、どのような人がかかればよいのか?
実にあいまいな科なのだと思う。
臓器別にセンター化された病院ならば、患者さんは迷うことはないのだろうけれども、私の居る田舎では、脳外科と聞けば頭のことならばなんでも見るのだろうと思われている。
頭痛、めまい、頭重感、物忘れ、脳梗塞なるか心配、呆けるのではないかと心配などと訴えてくる患者様がほとんである。このような、訴えはおおよそ脳外科の扱う疾患と程遠い場合が多いが、ここで他科にまわしてしまうと患者さんのニーズに答えきってはいないのではないかと考えてしまう。脳外科だけをやりたい先生にはこんな退屈な外来はないであろう。
脳神経外科外来の役割を見直す必要があるのではないか。
本当に脳外科をやるならば、術後の二次予防を中心とした外科手術患者のフォローのみに特化する。あとは、他科からの紹介のみにし、外科的適応のある患者以外は神経内科の先生が対応する。そうすると、週数回の外来業務となり、入院業務や手術を中心に専念することができる。
これらのことを行なわないのであれば、脳神経内科外来として、頭関連のあらゆる状態や疾患に広く対応してみてゆく。心療内科や精神科とも連携しながら、広く対応する。
このようにしたほうが、患者さんを門前払いしなくても済みそうである。内科と言いながら、外科的なことも行なうので矛盾はあるが、地方ではこのほうが集客効果はありそうである。
それとも名前を脳神経科とすべきか?
世間の注目は、痴呆症状の予防、脳血管疾患の予防に主眼がある。しかし、これらの予防にまだ決め手となるものがない。そのため、保険診療もできない。
エヴィデンスとなるものがはやくあらわれ、はやく保険診療が可能となる日がくることを待ち望むものである。
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今日、当直帯に70代男性の頭部外傷患者が救急車で来院。
意識レベルも清明で麻痺もない。でも、頭に何かに打撲した軽い傷がある。本人は、「ぶつけていない」と言い張る。救急隊に聞くと、「目撃者はいないが頭に傷がありますので」という。救急隊の記録簿に、「頭部打撲軽症」と記録して返す。
念のためレントゲンをとると何とそこには、骨折線!
CTを追加すると、何と外傷性くも膜下出血!
「何かくすりをのんでいるのではないですか」と聞いて、差し出された薬の中に「パナルジン」があるではないか。「パナルジンを飲ませるとは」(患者さんには言わなかったが)と病院名を聞く。かかりつけの病院に転院させようかとも思ったが、明日はわが身と思って、思いとどまり様子観察入院。
内服にいたった経緯をきくと「脳の血管に細いところがあるので脳梗塞の予防のため薬を飲みましょう」といわれたという。これも自分もつかうよく聞くセリフである。
抗血小板剤といえば、アスピリンやチクロピジンが有名なところであるが、最近では、クロピドグレルという内服が発売されてきている。これらの薬剤によって、脳梗塞の発症が抑えられた人や軽くすんだ人は多くいらっしゃるに違いない。
しかし、これが、脳出血や頭部外傷となると、これほどのやっかいものはない。とくに、外傷にいたっては、止血効果が悪いため、徐々に悪くなってゆく症例に遭遇することがある。
脳外科医にとってこれほどストレスのものはない。手術のタイミングも問題になる。頭部CTの撮影も頻回になってしまう。しかも、このような症例が夜中にくると、眠れなくなってしまう。
ああ、これで今日は眠れない当直になるのか?
これらのようなストレスもあるので、脳外科医のなり手がすくないわけである。
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自分の脳年齢はいくつなのか?
最近、ニンテンドーDSの影響もあり、ゲーム感覚で測定できるようになった。IQテストもその一つではあるが、実際いろいろなテストをやってみると、実年齢よりも20歳以上若くでたり、10歳以上若く出るもの、または、実年齢と同じにでるものなどテストによって幅が広い。いったいどれを信用してよいのやら。
しかし、明らかに言えることは、40歳を超えると記憶力が悪くなったことである。単純に意味もないことを記憶するのは、ほとんどできなくなってきている。そのかわり、理屈がわかっていたり、何かとかかわりのあるものならばなんとか記憶も保持できる。その点、子供は意味をわかっていないのに、どんどん記憶することが可能である。
ちなみに、脳外科の専門医試験は、「40歳を超えてからの受験はかなりきびしいよ」という、数年前にある先輩が言っていたのを思い出す言葉を思す。今は、どうなのかはわからないが?
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毎週金曜日が研究日となっているため、いままでならば、アルバイトであったが、私の場合は、完全休暇にしている。
第二、第四土曜日が休みのため、三日日連休も可能である。自分の趣味の時間や勉強の時間にしようと思っていたが
なかなかうまくいまない。
妻は、これをいいことに日頃の育児の疲れをいやすべく、妻なりの予定をいれて外出することしばしばである。
まるで妻のための休みのような感じである。
子供相手の研究日も、はじめは楽しかったが、最近はちょっとつかれぎみである。従来のように、アルバイトをして小遣いを稼いだほうがよいかと最近は考えている。
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教育基本法の改正論議が昨日あった。
愛国心とは、辞書で引くと「自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。」とある。
大変、崇高な言葉のようである。
しかし、愛国心を叫ぶほどの意識にこの国の運気は成長しているといえるのだろうか?
次元を低くして、国という言葉を変えて、都道府県とか市町村とか、氏族、家族としたらどうか。
「自分の家族を愛し、家族の名誉・存続などのために行動しようとする心。家族愛。」
個人の権利や人権ばかりの主張が多いのどこでもそうかもしれないが、ジェンダーフリーの容認、不倫を文化のように宣伝する輩の存在、同性愛者の容認、そして、性情報の氾濫。このような環境の中では、祖国愛などというのは育ちにくい。崩壊してゆく家族制度とか家庭こそが、いま、問題なのだ。
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昨日は、当直だったので朝早くから、投稿ができた。
昨日の当直は、夜間の来院が一人だけだったので、よかった。
しかし、そんな中で、ふと思ったことは、同じ当直をしていても、妙に患者の多いがあることやもう一つは、患者が少ないのに問題のある患者や手間のかかる患者にあたったりすることがあったりすること。そして、今回のテーマのように医者によっては、当直していて夜間の患者によくぶちあたる方もいれば、ほとんどあたらない先生もいる。
医者の運勢というのが、おそらくある。
運勢の良し悪しは、外科医ならば、周術期管理をおこなっていても、手術中にでもよく体験する。手術が下手で、術後トラブルの種になるだろうと思っても、意外と何事もなくことがすすんだりすること。手術中のトラブルは何もなく術直後までは順調に経過していたにもかかわらず、突然の急変などということもある。そのような患者家族にかぎって、理解の悪い家族だったりして、トラブルがどんどん広がって、訴訟ざたにまでなる。医師によっては、今の時代は逮捕にまで、いたる先生もあるようである。
不可抗力ということもあるが、その背後には、医師の運勢と患者の運勢というものがある気がする。
運勢は悪いより良いほうがいいに決まっている。医師は、病める人を助ける仕事なのだから、運勢は良いに決まっているはずであるし、経験が積もれば逆に運勢が上向きにかわる場合だってありそうである。でも、人生はそううまくはいかないし、単に人を救った救わないだけではわりきれない。
そのような見方でわかりやすい例では、「白い巨塔」の財前教授などは、運勢の悪い人の話と見て取れないわけでもない。
運勢をよくするにはどうするのか?
「患者のために、とにかくこつこつがんばることだ。そのために勉強することだ」という先生がいた。
「そんなことを考える暇があったら、勉強しろ」と怒られたこともあった。
「手術前には必ず神社にいって、手術がうまくゆくようにお参りをするといい」とまじめに言う先生もいた。
「御祓いでもしてもらえ」と冗談で言う先生もいた。
「人事を尽くして、天命を待つ。そして、あきらめるなプラス思考でゆけ」と私の手術を指導してくださった先生は、よくこうおしゃっていた。
いずれにしても、運勢のことを考えたから運勢がよくなるわけではないのだろう。
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抗加齢学会に参加しての総括を書きたいと思います。
加齢現象というものが、学問、科学として十分に研究する必要性があるものだとわかりました。
しかし、残念ながら、アンチエイジングドックをおこなっている先生方のデータは、都市部のごく限られた健康に関心のあるお客様(患者さま)のデータである可能性があり、大きなバイアスがかかっているように思いました。
田舎では、メタボリックシンドロームという言葉自体浸透しておらず、成人病のほうが皆様にわかってもらえます。また、「患者さんに上から下にゆくような指導は改めなければいけない」かもしれませんが、田舎でははっきりと警告しなければ、信頼関係を構築しづらい場合が多々あります。また、いろいろなことを話すと消化不良をおこし、かえって信頼を失います。そのひとにあったポイントをいかに指導するかにつきるかもしれません。
それから、脳神経外科医である、私にとっては、加齢減少を神経のレベルからどうとらえるのか興味深いテーマでもありました。実際は、それに対する評価では目新しいものはありませんでした。従来のWisconsin Card Sorting Testが、その評価方法としてあげられていましたが、それだけで十分といえるかどうか、さらなる検討考察が必要に思いました。神経系分野の先生方の参加による神経年齢の評価法の試みや、脳ドック学会においてもその分野の検討は必要かもしれません。
そう思いながらも、自分は脳ドック学会に入会していないことに気づき、今日、入会届けを書きました。
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今日、2日目もこの学会に参加した。
抗加齢医学をどのようなかたちで展開してゆくのか保険診療では難しいため、一般ドック プラスアルファを中心とする自由診療で行くか。または、保険診療を別に行いながら展開するのか?
ほとんどの先生方は後者の立場をとっているようである。
プラスアルファの検査項目もアンチエイジングドックという名の下で共通項目をつくり、数を集めて一定のエビデンスを得ることが今後の方向性のようである。
しかし、数を集めるとしても、本当にアンチエイジングを理解し、そのようなドックにわざわざ金をかけて受けにくる人がいるのか。私の住む人口5万の田舎地域では、60代や70、80代の老人ばかり。しかも、病状がひどくならないかぎりは病院にあえてかかろうとしない人たちばかりである。
昨年、国保対象者に脳ドックをおこなった。負担費用は、約10000円程度である。検査項目は、一般血液生化学検査、尿検査、胸部レントゲン、負荷心電図、MRI、MRA、頚動脈エコーなどである。
この項目には、不満は残るが、項目を増やしてこれ以上値段をつりあげると受診する人がほとんどいなくなると事務方から言われた。受診者は昨年1年では、60名弱である。
何と少ないことか。
国保対象者のみで、年齢制限もあるためだと思うが、この地域は予防医学については行政事態が消極的である。病院側も市からの援助はあるが、儲けにはつながらないため同じく消極的である。住民側も1万も2万も金をかけて健診を受けたい人は少ないのも事実だろう。
そこに1万円以上もかかる、アンチエイジングドックを入れたとしてどれだけの人がかかるだろうか。抗加齢医学というのは魅力はあるが、まだまだ現実は厳しい。
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今日は、研究日なので抗加齢医学会に参加し、加齢現象が一つのサイエンスとして、医学として取り組む時がきたことをはじめて知った。しかも、この学会には専門医制度まである。いったいどんな医療をおこなうのか、驚きの連続であった。明日はさらにいろいろなシンポジウムが組まれている。
15年以上前の独身頃に、ある病院の近くで一人暮らしをしていたときのこと、ちょうどその日は自宅待機の日。
40代くらいの男性と中学生くらいの二人の親子が、そのアパートにやってきた。「これを読んでください」とパンフレットをわたされた。エホバの証人の信者親子であった。「あなたは聖書を読んだことがありますか」というものだから、ついついすなおに「ありますよ」と答えてしまった。
それがきっかけとなり、ついつい話しこむことになってしまった。その当時からエホバの証人のかたは、輸血拒否でもよく知られていたので、その理由や彼らの見解を聞きたかったという理由もあったように思う。
その話の中で彼が言うには、「人間は本来は、死なないようにできている、将来は医学が発達して人間は死ななくなります」ということを強調していたのを思い出す。それに反論した私に「人間が死んでしまう理由を医学的に説明できますか」と言われ、説明に窮していると「医者であるあなたにも説明できないわけですから、道はあるのですよ」とその男性は言っていた。
くやしい思いをしたが、確かに医学は老化や死の問題に取り組んでいないとそのとき思った。果たして、人間はなぜ死んでしまうのか、老化するのか、遺伝子学的にその現象がわかってきたのは最近のことである。でもいまだ本質はわかっていないし、とらえられていない。
それでは、それがわかったら、かれらの言うように不老不死になるのだろうか?
でも、結局のところ「人間は、どれくらい長く生きたかではなくどのように生きたか」ということこそが問われなければいけないように思う。
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考えてみると、日本の人々にとって宗教とはなんなのか?
正月には神社に初詣に行き、お盆にはお寺に行き、結婚式は神社やキリスト教の教会で、12月にはクリスマスを祝う。葬式は、お寺。日本神道信者なのか仏教徒なのか、それともキリスト教徒なのか。
人生の節目をかざる儀式の一つ一つが、一つの宗教によらないのは日本くらいなものかもしれない。
ある友人が「日本人は、特定の宗教によらないから、いろいろな宗教を客観的にみれる眼があるのだ」と言っていた。
私は、この意見に対して、「無神論者がはなつ傲慢な意見だ」と言い返した。なぜそうなのか、人間を超える存在、絶対者をすなおに信じ、常に畏敬と謙虚な気持ちを持ち続けることこそが大切だと思うからである。
そして、その思いそのものは、自分自身に対して何か足りないものを感じている人、絶対ではない自分を真に理解していなければ到達できない世界でもある。生死をかけたような戦いをした人や人生のがけっぷちに立たされる体験をした人が理解できる世界とも思える。
書き方がちょっと傲慢になってしまったが、友人には言い返しただけで、理由は結局話さなかった。
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