| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
いろんな書きたいことはあったのだけれど、
旬を過ぎてしまった感は否めない。
でも、タモリさんの赤塚不二男さんへの弔辞についてはすこしだけ。
原文をそのまま載せた新聞と、一部改変して(整理して)のせた新聞があって、
いくつかのブログでそのことが取り上げられていた。
僕の立ち位置からは、やっぱり原文ままが感動した。
たくさん出てくる固有名詞。あの2人が一緒に生きた生の情景が描けた。
認識って、像だ。
映像が頭の中に浮かんで、それが苦い味がしたり、
甘いにおいがしたり、痛い感覚があったり。
その映像の濃さでいろんな味付はあるけども、
そして、どうでもいいことはあまり映像として残らないけれども、
やっぱり、原点は映像。
僕らは映像をココロで感じたり、アタマで整理したりする。
僕は医者なので、基本的に頭でっかちで、いろんな物事を
アタマで、理屈で捉えようとする。
それでたしかに人について見えてくる風景はあって、
患者さんの生活や、その歪みからくる病気が、それなりに見えてはくる。
でもたぶん、それだけではまだ半分。
「ココロで感じる」という部分がないと、本当の意味で
人のことはわからない。
僕の知っている天才。
その人は商業高校卒で、飲み屋で知り合ったお姉ちゃんなんだけど、
そのお姉ちゃんは知り合いのメンタルな問題を
すごい深さで「わかる」。
言葉に仕方がわからなから、上手にアドバイスとか介入は出来ないけど。
ある強迫っぽい症状を出して苦しんでいるバイトの子に
一見ぜんぜん関係ないところから「親の期待を裏切れないんだね」とかいってた。
その子は高校中退してバイトを始めたけど、弟がいい高校に合格しちゃって、
バイトも休みがちになって手洗いがひどくなったという訴え。
こっちが理屈で積み上げて、一番の核心と思えたところをさらっと話すから
最初は認められなかったけど、やっぱりすごい。
いや違うな。僕の理解より深い。
「裏切れないんだね」という言葉の中のやさしさは当時の僕にはなかった。
たぶん、その苦しさがわかるから表現がやさしくなる。
そのお姉ちゃんに会って、自分の積み上げてきた「理屈でわかる」部分は
人間の精神をわかる上でまだ半分なんだと気がついた。
理屈で考えた言葉にはあまり色がつかない。
患者さんの訴えを聞いて、それをそのまま知識の海で整理することは簡単。
で、それなりのわかり方をして、答えを出すのも簡単。
でもその言葉は患者の心を揺さぶらない。
ちゃんと、聞いた話に色をつけて、匂いをつけて、
味をつけて、そういうプロセスを経たとき、
はじめて、患者さんの気持ちがわからないなりに描ける。
昔は自分がおんなじ体験をしているときしか、色がつけられなかったけど、
抽象化する癖をつけてから、前よりは色のつけ方が上手になってると思う。
天才には遠く及ばないけれども。
このエントリを読んで、そんなこと当たり前じゃない!
人の気持ちなんて感じるものでしょ!とか思う人がいると思う。
でも医者って頭で整理するのに特化した存在だから、難しい。
「感じる」ことの大切さに気がついたのも、7年目くらい。
わかる人から見たら馬鹿みたいなものだろうけど、
バカはバカなりに前進するしかないので。
だからタモリさんの弔辞。
原文のほうが端々に映像の断片がって圧倒的に色がつくし味がする。
原文は読むと涙が出てくる。
タモリさんは白紙の弔辞を読んでたって書いてあったけど、
さもありなんと思う。
たぶん、自分の中にある大切な映像を語ってくれたんだと思う。
言葉にすると「ありがとうございました」というしかない、
すごくいろんな味や匂いや痛みや、そんあものがついてる映像を。固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
件の研修医が指導医のいじめから何とか立ち直った。
よかったー。乗り越えてちょっと成長したっぽい。
昔の僕なら、裏から手を回してバカ指導医の上を動かして
うちの子の安全を確保するんだけど、
僕のそういう女性的な過保護なやり方って、
結構人をスポイルしてて、なかなか人が育たないのを見てきたから、
後ろに控えて、毎日メール打って、様子を見て愚痴を聞いて、
「お前が戦わんとしょうがない」とかいい続けた。
線の細い彼にしては上出来。ちゃんと自分で馬鹿の上司にいいに行って、
今でもバカ指導医にはつきまとわれてるようだけど、
そこに上司の目が光るようになったらしい。オッケー。
やっぱ、人を育てるって「待つ」という要素がすごく大きいと思う。
わかっちゃいるけど、手を出してしまうんだよねー。
今回は出さなくて、ホント正解。ただ、今だいぶ「待つこと」が出来るようになったのは、
学校の先生との出会いがすごく大きかったな。と思う。
何故学校の生徒が伸びるか。
それはたぶん、そこに伸びる構造があるからだと思っていたんだけど、
仲良しの先生と飲んで話す中で、「モデルとライバル」「評価の移動(スイッチ)」が大切なことに気がついた。
学校には先生がいて生徒がいる。生徒から見たら、
いい先生は人生の、もしくは行動のモデル足りうるし、
先生はときどき、モデルになるような子を取り上げたりする。
そして、それを同級生と一緒に見る子は、
ああすごいなと思ったり、あんなのすごくねえよと思ったり、
それはさまざまだけど、そういう横からの刺激に自分らしさがはっきりするし、
上からの刺激に、モデルに対する自分の到達度がわかる。
それは健康な人間にとって、自分がどう進むべきか
それなりに選択を促す構造なんだと思う。
自分なりの向くべき方向に歩を進めることができる。
でも、それは上手くいくことばかりじゃなくて、
モデルに対して50人言えば1番から50番まで出来てしまうわけで、
40番以降でまじめにそのモデルを追うのは辛すぎる。
だから「評価の移動」が大切。
要は勉強は出来なくとも運動は出来るとか、やさしいとか、
あっちは駄目だけど、クラスで冗談が一番面白いとか、かっこいいとか。
とにかく、一生懸命頑張ればなにかしら行き詰ることはあって、
そのときに上手くいかないことだけで自分を評価してしまうともたない。
そこで、こっちは駄目だけど、別の分野ではトップクラスとか、
そういう価値の移動というか、評価の移動をできれば、
上手くいかない現実の中で「踏ん張る」ことができる。
この踏ん張る。現状を壊さない。維持する。そういうことは
鬼のように大切なことだ。あまりに大切すぎて3時間ぐらい講義したい。
踏ん張って時間を稼げばたいていのことは何とかなる。
そこがたぶん、病んでいく人が自分じゃわからないところだ。
その問題を解決しないと先がないと思い込んじゃう。それは違う。
人間そんなに簡単に変わるわけもなく、
上手くいかない問題が簡単に解決するわけもなく、
でもそこに絶望して結論を出すのではなく、
そこで踏みとどまることが大事。
もちろん、苦しいことはわかるけど、だからこそ僕らの存在意義がある。
ちょっと脱線したけど、研修医の苦難を「待てる」ようになった原因は
この考え方を見につけたから。こいつに今「モデルとライバル」はあるか、
「評価の移動」は行えてるか。それを毎日メールでチェックした。
彼が乗り越えてくれてよかった。
僕も彼のおかげですこし成長できたような気がする。固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)
漫画の飢狼伝22巻は久しぶりに面白かった。
プロレスは強いんだって、真正面から書いてた。
もともと夢枕獏の格闘小説が好きで、
たいてい買って読んでるんだけど、
飢狼伝なんて何巻だったか、
主人公にぼこぼこにされた新人レスラーが
仰向けにぶったおされて「強くなりてえなあ・・」とか
言ってるシーンとかひどく感動した。
僕が小学生から中学生のころ、
プロレスが爛熟期を迎えてて、
もうすでにそのとき猪木は神で、神を中心に世界が回っていて
藤波対長州とか、初代タイガーマスク対小林やダイナマイトキッドとか、
すごい面白いカードがたくさん組まれてた。
もちろん切れたハンセンは最高だった。
テレビの前でいつも興奮してみてた。
そのあと少しずつ下火になていったけど、
UWFとかの流れも友達からビデオを借りて見てて、
新日と合流したころなんてかっこよかった。
UWFの連中は平気で顔面けりまくるけど、
それを真っ向から受け止めてやる藤波や越中をみて
超絶に感動した覚えがある。
強い攻撃を強い部位で受けることで「強さ」を見せる
プロレスは、かっこよかった。
ロードウオリアーズなんてドロップキックを
胸板に受けてよろりともしない。鬼のように強く見えた。
今じゃプロレスが強いなんてファンタジーって言われる。
そりゃそうで、強い攻撃を弱いところに叩き込んで
「勝敗」を見せる競技的なものに勝負で勝てるはずない。
今のプライドとかK-1とか、そういうのがどれだけガチなのか
よくわからないけど、あれが競技である以上、
プロレスは勝てない。言い尽くされてることだろうけど。
UWFの頃から思ってたんだけど、
競技的な面が入ってくると、たぶん、すごいんだろうけど、
それがどれくらい凄いことなのかよくわからなくなる。
藤波の凄さは、あの長州の痛めつけっぷりをしのいだり、
前田にボコボコにされても血だらけで立ち上がるからわかる。
血だらけでふらふら立ってるシーンが「凄さ」を伝える。
でも、アキレス腱固めとか、アンクルホールドとか、
関節技の痛みってよくわからない。
プライドやK-1も、
みんな何を面白く感じているのかよくわからない。
素人には勝敗は見えても、その競技の真髄は見えないはずなのに。
僕はジャンボ鶴田のバックドロップには感動できるけど、
K-1とかの、おそらくは繰り広げられてるだろう駆け引きは
よくわからないから、結果だけでカタルシスがない。
そう思って、ふと自分を振り返ってみると、
だからテレビドラマって、そういうつくりになってるんだと思った。
強い攻撃を強い部位で受けて「強さ」を見せる。
いきなり精神科医がトラウマの原因を解明するため探偵の真似事をしたり、
自殺未遂の患者を体を張って助けたり(未遂寸前まで家の外で待機してたのかな)。
ありえねーとか思うけど、そうじゃないと強さが見えないものね。
精神科医の仕事って地味だし。
診察室の中の間近で見ている家族にさえ、
「支持的精神療法固め」の強度は伝わりにくいし。
やっぱり自宅まで駆けつけて、体を張って見せないと
すごいって思ってもらえないかな。
くだらなくてすいません。
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (2)
Lisaさんからコメントもらったので、先日研修医に話したことを書いて見ます。
端的には、自分の実働年数から逆算してプランを練らないといけないです。
あなたが40過ぎなら迷わず都市部から車で1時間圏内の精神病院がおすすめ。
それも医者が少なくて、病棟が古びてるところ。
今療養病棟を削減するとか、病床を削るとかいろんな話がありますが、
たぶん、まだこれから20年くらいは今の古い精神病院は生き残ります。
認知症が精神科入院からはずされたりいろいろあって
もしかしたら福祉系の施設に一部様変わりするかもしれないけど、
実際問題、何十年も入院していて行き場のない患者さん達はまだたくさんいて、
彼らが生きてる間は管理する環境や人手が必要ですから。
ただ、医療というより管理業務に近い部分があって、
医者としてかえって辛い部分もあるかと思いますが、高給。
内心、9時~5時で僕の1.5倍給料をもらう人たちが
(2倍だったら絶対怒る)うらやましくて仕方ないんだけど、
ああいうところもやっぱり適性のある人じゃないと勤まらないです。
結婚して家庭を大事にしたくて、仕事外の時間を充実させたいときには
まじおすすめ。僕もあと5年くらい頑張って
油ッ気が抜けたらそういうところで静かに余生を過ごしたい。
で、問題は今の研修医の世代。20歳~30歳台のドクター。
たぶんこの20年で状況は劇的に変わります。
端的には、急性期、児童思春期、うつの自殺関連、身体合併症
このどこかを齧ってないと状況に対応できなくなる可能性があります。
それ以外はたぶん金がついてこないですから。
もちろん統合失調症は変わらず数がいるだろうけど、
病気自体一昔前と比べて変質してきている気がしますし、
それらはほとんど全て急性期でまかなわれてしまうと思います。
だから、20年して社会的入院とされていた人たちの
大部分がお亡くなりなるころ、そういう慢性期を見る土壌というか
パイそのものがすごく小さくなっているはず。
金は上の4つの部分にしかついてこないはず。
だから、20台のドクターは普通の精神病院に就職して、
慢性期を中心に見るのはやめたほうがいい。
急性期のリズムを知って、慢性期をやることは出来ても、
慢性期を10年やった人は、急性期のリズムで動くとうつになります。
だから女医さんで、60くらいまで働きたいと思っているなら、
子どもを生む前に急性期の回し方を体感しておいたほうがいいと思う。
今30前で結婚して50くらいでリタイアしていいやと思うなら
先に書いたようなところは素敵ですよ。
あと、児童思春期については、この個性化時代、
患者は増えることがあってもへることはないと思います。
少子化といっても、その中でのメンタルな問題を抱える子どもの
パーセンテージはうなぎのぼりになっているはず。
その気になって開拓すれば、冗談抜きで患者数は今の2倍にも3倍にも増えるはず。
ただ、研修をどこでするかの問題は大きいですね。
僕の知る限り児童精神科医というやつは、今2つのタイプに大別できます。
神経症圏が好きなタイプと発達障害圏が好きなタイプ。
習うなら絶対に前者がいい。
発達障害大好きドクターは児童思春期といいつつ、
それが隠れ蓑になって大人が診れない人が多いんです。
大人が診れない児童精神科医って、
「患者をちゃんとした大人にする」ことが目標じゃなくて
「患者を幸せな子どもにする」が目標になっちゃう人だから
絶対に長いスパンで見ると、後者の治療は必ず歪んでいます。
前者の立場に立つ人に学ぶべき。でないと、基本問題は解けても
応用問題が解けなくなってしまうと思います。ただ、今は児童の働き場所があまりないですね。民間はきびしいですし。
でもこれから変わってくる可能性大ですし、公的なポストを
たくさん持っているところで研修すれば問題なく食っていけます。
そういう意味で研修場所を選んで人脈を創るのが大切かと。
あと、ここから先は妄想ですので、流してもらっていいです。
僕はクリニックも含めて、これから10年で新しい
ビジネスモデルが出てくるんじゃないかなと思っています。
混合診療が本当に世の中に浸透していくのか、僕は懐疑的です。
やっぱり精神医療は厚生省と薬屋さんの意向で動いていくと思います。薬屋さんが今の強さを維持するのであれば、
うつ病キャンペーンは続くでしょうし、さらに次の一手として
健常者と患者さんの中間層の開拓を進めて
「成人の発達障害」向けの薬とか、「治療の薬」ではなく、
「支える薬」が出てくるんだと思います。
これだけ日本がアメリカナイズされ、アメリカ的な雇用形態を導入し、
グローバルな価値観が幅を利かせるようになっていますので、
言い方を変えると、金で全てが計られるようになっていますので、
さらにいうと、経済成長がほとんど頭打ちになった以上、
みんながそれぞれの価値観、それぞれの自己実現の夢を描く方向に
世の中動かないといけないのに、なぜか実際は真逆に進んでいますので、
精神医療の需要は間違いなく続くし増えていくと思います。
誰かに支えられないとみんな生きているのがきつくなってきていますから。
アメリカの金持ちはその支えをバカ高いカウンセリングでまかないますが、
アメリカの貧乏な人は薬で管理されたりしています。
だからたぶん日本は薬。
その薬の位置づけが治療から支えへと少しずつ変わっていく。
だからどんどん出てくる新しい薬の使い方のトレーニングが
きっちり出来る急性期病棟で経験はつんだほうがいいです。
僕が研修医に話しているのはそんなところです。
固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
精神科医として能力が高い面白い同僚がいる。
根は暗いんだと思うけど、表現型は明るくてオーバーアクション。
ちょっとこっけいな仕草で笑いをさそいつつ、
看護師さんやコメディカルを上手に使う。
僕は、「変ったやつだなあ」と思っていたんだけど、
先日、いろんな意味でなぞが解けた。
彼が師匠とあがめていた先輩ドクターを見る機会があって、
大笑いしてしまった。
仕草がそっくり。言うことがそっくり。
オーバーアクションにちょっと自慢を交えて周囲の笑いを誘う。
なるほど、僕の同僚は本当に師匠に憧れてたんだな、
憧れに身を任せた過去があったんだなと思った。
僕も僕の先輩ドクターそっくりらしい。
残念ながら先輩の足元にも及ばないレベルだけど、
しゃべり方とか、字の下手さとか、話を聞くときの微妙によじれた姿勢とか
そういったものが、コピーみたいとか言われる。
僕には自覚がないのだけれど。
たぶん、技術を学ぶということはそういうことなんだと思う。
知識は、本を読めば仕入れることが出来る。
でも、本を読んで仕入れた知識をスキルとして
そのまま実際の生活の中で役立てることって難しい。
役立てるには、使えるように加工するプロセスが必要になる。
そして加工するには、その知識に対するリスペクトが必要。
たぶん、技術というのは枝葉なのだと思う。
精神医療における患者のキャラクターの捉え方の技術。
患者を治療に導入する技術。
こじれたケースを修正して最悪の事態を回避する技術。
そういったものは、わかりやすい言葉で後輩に教えることはできるけれども、
教えたって、何年かかっても出来ないやつは出来ない。
学ぶ側から考えたら、それを現場で生かすには、
その枝葉を茂らせるための新しい幹が必要という気がする。
昔僕が学ぶ側だったとき、
ただただ先輩がかっこよかった。
僕が1時間四苦八苦するケースを10分で笑顔にして帰したり、
さっぱりわからないケースを30秒で解説したり、
そういう能力がかっこよくて、
気がついたら、先輩のすごく下手な字そっくりになって、
今看護師さんたちに「先生の字は読めない」とか怒られてるけど、
ああいう先輩にあこがれて、自分より彼が正しいと全部肯定した。
先輩の教えてくれる知識に対するリスペクト。
たぶんそれが僕の中の新しい幹になってる。
あの先輩の姿勢は全面的に正しいという確固たる思いがあって、
その上で枝葉を茂らせようとするから
スキルはすんなり自分の中で消化できた。
「スキルアップ」とか「スキルを学ぼう」とか
そういう言葉を聴くたびに感じる違和感は
たぶん、それを学ぶためのベースに誰も言及しないから。
自分を肯定するだけで、
そのままの姿勢で学べるスキルはたかがしれている。
精神科の治療でも、認知行動療法とか、スキルを学ばせるとか、
いろんなことが巷で言われているけど、
スキルだけ学ばせるなんてこと出来るはずがない。
教えてくれる医者が好きになって、この人の言うことなら
きいてみたいと思うから上手くいく。
新しい幹というのは、自分以外の人を肯定する感情。
自分以上に正しいとか、自分以上に信頼できると思う人に向かう憧れ。固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
やくざに脅されて担当官が長いこと生活保護を支給していたらしい。
新聞に載ってたけど、じゃあこれからこの問題をどう扱うの?と思う。
ぜんぜん対策が取り上げられないのがすごく嫌だ。
やくざと生活保護の問題なんて、はいて捨てるほどあって、
この手の社会保障のお金って大半は
「うるさい人」がもっていくんであって、
「本当に必要な人」はもらえないものと相場が決まってる。
僕の精神科の患者さん。
知的にあまり高くないけどすごく律儀で、
夫が自営業を失敗して首をくくって、
借金で生活をやりくりしているうちに親兄弟から絶縁されて、
子どもをたくさん抱えて路頭に迷っちゃった人。
子どもが病んだから病院にきたけど、明らかにお母さんが病んでる。
人様に迷惑をかけられないとか言うこの人を、散々説得して
保護を受けてまず生活できるようにしましょうとか言って
申請させたらあっさり却下。理由は借金があるから。
かと思うと、別に働けるんだけど、
窓口で死ぬ死ぬ自殺するって大声でさわいで、
「私が死んだらあなたのせいですよ○○さん!」とか
名指しで攻撃した人はあっさり保護をもらってきた。
その担当官もうつになって、通院してるからわかったんだけど、
生活保護の受給なんて、基準はあってないようなもの。
たぶん、問題はその世界が閉じていることだと思う。
家庭だって、周囲との関係が閉じて家庭内暴力が始まったら手が出せない。
親族や警察が入るとか、外とコネクトしないと解決しない。
保護をもらうって事に恥とかもろもろの感情が絡むので
生活保護をダイレクトに表に出しにくいってこともあると思うけど、
閉じて見えなくなるほどに、まっとうな人間は
ずるいことが上手い人間に駆逐されてしまう。
ずるい人間というのは、自分でルールを書き換えてしまうから。
先日美人さんと飲んだときもびっくりする話を聞いた。
美人さんは保母さん。今働いているところは
前の職場よりずっと忙しくて、給料も3分の2くらいなんだけど、
今の職場をやめる気はないそうだ。
理由はセクハラがないから。
僕は東京福祉大の事件みたいなことは、
まあないこともないだろうけど、珍しいのかと思っていたら、
保育所とか、福祉系の職場では、ああいうのは「常識」だって。
その女の子のいた職場では、月曜はその子が担当で酒の相手をさせられて、
まあオーナーは年なので最後までやられるとかはなかったそうなんだけど、
オーナーに息子とかいるところは最悪だそうな。
なんか、エロ本みたいな世界。
世の中すごいなと思う。
田舎のお金持ち達は自分達のルールで生きてる。
その美人さんの前に務めてたところは、
近隣の私立保育所のオーナーはみんな仲間で、
やめるといったら「どこでも働けないようにしてやる」とか言われたらしい。
で、僕の居る町に流れてきた。
そういうお金持ちの人の世界って中がよく見えないけど、
見えない世界って、僕らの住む世界と違ったルールで動いてるんだなと思った。
産地偽装とか、料亭の使い回しとか、そういうのもお金持ちの世界。
そういうむちゃを、むちゃとして修正しようと思っても、
どうしたらいいのか、よくわからない。
ルールってやっぱり創る側が強いな。
や○○屋さんは創る側にくっついているから強い。
強くない僕らはせめて
窓口でごねて保護を獲得したあの人を見習って、学んで、
まっとうな患者さんにごね方を教えないといけない。
ルールを自分に引き寄せて書き換える技術は必要だと思う。
固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
診療していて思うことの一つに、入院治療の位置づけがある。
入院治療って精神科では最後の手段になっているけど、
今の世の中、ファーストチョイスにしたほうが
上手くいくんじゃないかって思うときがある。
今、うつにしても、統合失調症にしても、
すごくラベルを貼る範囲が広くなっている。
統合失調症なんて、昔は先輩から
「被害関係妄想がない統合失調症があるか!」とか指導されて、
病気の本質は何か学べとかすごく言われた。
でも民間病院では・・・というか現場では、
病気の本質がどうとか本格的なものは二の次で、
患者さんの困り具合を何とかすることが求められてる。
今は大学でも、ちょっとした自我障害があると
「認知の歪みがある!」とかいって統合失調症というラベルが貼られる。
大学の後輩からの入院依頼の紹介状を見て、
本当に統合失調症なの?とか思うんだけど
たしかに職場や学校には出て行けなくて、家での生活を充実させるべきレベル。
ちゃんと家族が受け入れないとやっていけなくて、
きちんとラベルを貼って、みんなで患者さんに
無理させない生活を作らないといけないからよしとすべき。
でも思うのは、だったらギリギリまで外来で引っ張らずに
もっと早い時期に入院治療を導入すればもっと上手くいくのにということ。
たしかに、入院はコストがかかるし、「精神科入院」に対する偏見も強いから
患者も、医者も、入院は出来るだけ避けようとする。
でも、本当はコストをかけないということは、
それに見合うものしか受けられないということ。
たった一度の自分の人生にはもうちょっとコストをかけてもいいんじゃないか。
入院の利点というのは、病気を起こした環境(家)を離れて、
薬物療法の調整ができることだと一般に言われるけれども、
本当はもう一つ。「教育」という要素があると思う。
ただ、今やられている教育は、「病気の理解」と
「再発させないための疾患教育」とかいわれているけど、
しょせんその中身は「お薬をきちんと飲みましょう」というだけ。
薬の大切さは十分わかっているけど、
その教育は十分病気悪くなった人たちのための教育でしかない。
本当は、もう一歩進めて、悪くなりきる前に、
その人の生活を支えるための教育というのが大事なんじゃないかと思う。
先に書いた軽い認知の歪みがある人のケースでも、
周りの家族を巻き込んで、患者さんに見合った
「自分を追い詰めない生活」とか、その人の特性を
心理検査とかで調べて、フィードバックするような、
そんな入院があってもいいと思う。
期間は1ヶ月・目的は発病しないための生活モデル作成。
実際、今の精神科医療って、従来型の医療のモデルでは
カバーできないところもカバーしようとしている。
軽症うつの人を従来型のうつの治療で治療できるかといえば無理だ。
自由な環境下でなら安定していられるけど、
職場に出るときだけうつになるとか、
そういう人に休養と薬物療法の大切さを念仏のように唱えるほど、
患者の家族の信頼を失い、もしくは悲壮感あふれる信仰を寄せられ、
患者さんはかえってすさんでいく。
僕はだから、外来でやるなら治療以上に
生活の枠組みの設定が大切なんだって書いたけど、
それって要は患者さんとその家族に対する「教育」。
でも実際外来でやるのは無理があって、
本当は入院でそこをあつかえればいいなとずっと思ってる。
なぜなら、入院でそこを扱えれば看護や心理や、
多職種を絡めることが出来て、看護や心理は僕みたいな医者なんかより
ずっと患者さんの今の悩みを捕まえることが上手で、
僕が退院してからの生活の建て直しのビジョンを示すのに専念できるから。
誰か僕にスタートとしての入院治療をやらせてくれないかな。
こういうのって、偉くならないと出来ないから困る。固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
わかりにくいことを「わかりやすく」教えることが大切だ!
とか思ってきたんだけど、実はそうでもないのかもしれない。
むしろ「わかりやすくする」方法を教えるべきなのかも
患者さんのことを研修医にわかりやすく伝えようと思ったら、
いろんなことを省いて、核になる部分の話を中心にするしかない。
一緒に診察室で診療してると、研修医の顔が難しくなってて、
(診療の展開は研修医にはまだ難しいので)
診察室で展開された診療の骨子をわかりやすく教えてあげると顔が輝く。
それは僕にとって嬉しいことなんだけど、
患者さんのリアルな思いはあまり伝わってなかったりする。
僕だって、患者さんの苦しすぎる思いは薄くしか理解できないけど
研修医の理解はさらにそこから劣化したものになってる。
ありのままの事実とか、ありのままの思いとか、
そういうものは、そのまま伝達できない。
雑多な情報が入り混じりすぎてて、必要な情報が何か判断できない。
だから患者さんと医者の間でも、指導医と研修医の間でも
必ず一度「抽象化」という作業をして、
(言い方を変えるとわかりやすく構造化するということ)
無駄なものを省いて、骨組みを取り出して全体像を捉え、伝えようとする。
僕は患者さんの話をそういう風に聞くし、
自分の中で骨組みにしたものを研修医に教えてる。
これってものを教えるのにすごく有効だと思っていたんだけど、
実は「骨組みをわかる」ためのスキルの部分を
ブラックボックスにしてるのかもしれない。
僕も苦労して「端的に捉える」とか、「大まかに捉える」とか、
抽象化するとか、構造化するとか、
そういったわかりやすくするスキルを磨いた。
とにかく全体像が見えないと、具体的な方針が立てられないから。
自分が苦労したぶん、研修医にわかりやすいように
骨組みを知識的に教えちゃうんだけど、
そういうのって、研修医が自力でわかりやすくするスキルを
磨く機会をスポイルしちゃって、むりやりわからせているのかなと思う。
たとえば、4年前に教えた研修医のインテリジェンスはきわめて高い。
抽象化した話の飲み込みは異様に早くて、
僕が7年でわかったことを1年たらずでほぼ理解しちゃった。
絶対すぐに抜かれると思っていた。
でも、明らかに僕よりIQが高いはずの彼が、
いつまでたっても僕より治療が上手くならない。
なんだろう。あのバランスの悪さは。
結局自分がわかりやすく教えてもらったことは
自分で再度構成しなおす必要があるということかもしれない。
初心の頃に骨組みをわかりやすく教えてもらうぶんには、
昔の人たち(僕とか)よりずっと早く上達するけども、
自分で「わかりやすくする」やり方を覚えないと、
実力にならないということか。
そのあたりを、大前研一さんは「勉強は本を一冊書くつもりでやれ」
と表現したのかなとも思う。
だからこそ、自分でわかりやすくしようとしないで、
わかりやすく教えてくれる人の信者になってしまう人は、
オリジナルの人の劣化バージョンになるしかない。
たとえばなんとか流空手とか。
あれって、昔のめちゃくちゃ強かったオリジナルの人が、
自分の強さを抽象化・構造化して(突きの形とか、戦い方とか)、
わかりやすい形に直したものが今に伝わっている。
空手を習うというのは、その強かった人が強さを発揮した技を習うんだけど、
どう頑張ってもオリジナルの師範の劣化バージョンになるしかない。
わかりやすいことを教えてもらえる状況になじんで信者になると、
たぶん空手は上手になっても、戦いは強くならないだろう。
ルールのあるスポーツは上手くなっても、路上では戦えない。
だからまともな人は流派を離れて自分の流派を立ち上げたりして、
傍流みたいなものがたくさんあるんだと思う。
宮崎駿監督のファミリーも同じだと思う。
オリジナルと劣化バージョン。
お父さんは、狂ったような自分のオリジナルな世界観があって、
その世界観を抽象化・構造化してわかりやすくアニメにした。
たぶんお父さんは、自分の感じる「面白いこと」と死闘を繰り返して、
死ぬほど試行錯誤を繰り返して「わかりやすさ」を手に入れたんだと思う。
だからあの宮崎アニメという結果からスタートしたら超劣化するしかない。
だから本当は、あの息子は宮崎アニメからスタートするんじゃなくて、
自分なりの面白しろいことと格闘して
「わかりやすさ」を手に入れるところから
スタートするべきだったんだと思う。
・・・もしかしたらあの映画はそういう努力の第一歩なのかもしれないけど、
だとしたらよけい悲しい結末だ。お金を返してほしい映画だったから。
どちらにせよ、僕は教え方を変えないといけないかなと思う。
昔の人のように一方的に駄目だししたり、不親切だったりは出来ないけど、
手取り足取りはまずいんだということは感じてる。
自分で「わかりやすくする」ことを頑張らせるという視点が、
そう、部下に誰かを指導をさせるという視点が大切と思えてきた。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
刑事ものの映画を見ていると、
目つきの悪い刑事が、見た目が怪しい人物を見つけて
言いがかりをつける場面が良くある。
言いがかりをつけられた方が主人公の場合、
主人公の視点で物語が進むから、刑事はヒドイやつに見える。
でも、いつも思うけど刑事はぜんぜん間違っていないと思う。
そんな怪しいやつを見て見ぬふりをする刑事がいたら
そいつは無能で、市民に対してずっとひどいことをしてる。
見た目で怪しいと決め付けてしまう警官。
でも刑事視点で物語を紡ぐならば、
仕事の中でたくさんの救いのない事件を経験してるはず。
ちょっと怪し気だけど、強引に引っ張るまでもないと