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診療していて思うことの一つに、入院治療の位置づけがある。

入院治療って精神科では最後の手段になっているけど、

今の世の中、ファーストチョイスにしたほうが

上手くいくんじゃないかって思うときがある。

 

今、うつにしても、統合失調症にしても、

すごくラベルを貼る範囲が広くなっている。

統合失調症なんて、昔は先輩から

「被害関係妄想がない統合失調症があるか!」とか指導されて、

病気の本質は何か学べとかすごく言われた。

でも民間病院では・・・というか現場では、

病気の本質がどうとか本格的なものは二の次で、

患者さんの困り具合を何とかすることが求められてる。

 

今は大学でも、ちょっとした自我障害があると

「認知の歪みがある!」とかいって統合失調症というラベルが貼られる。

大学の後輩からの入院依頼の紹介状を見て、

本当に統合失調症なの?とか思うんだけど

たしかに職場や学校には出て行けなくて、家での生活を充実させるべきレベル。

ちゃんと家族が受け入れないとやっていけなくて、

きちんとラベルを貼って、みんなで患者さんに

無理させない生活を作らないといけないからよしとすべき。

 

でも思うのは、だったらギリギリまで外来で引っ張らずに

もっと早い時期に入院治療を導入すればもっと上手くいくのにということ。

たしかに、入院はコストがかかるし、「精神科入院」に対する偏見も強いから

患者も、医者も、入院は出来るだけ避けようとする。

でも、本当はコストをかけないということは、

それに見合うものしか受けられないということ。

たった一度の自分の人生にはもうちょっとコストをかけてもいいんじゃないか。

 

入院の利点というのは、病気を起こした環境(家)を離れて、

薬物療法の調整ができることだと一般に言われるけれども、

本当はもう一つ。「教育」という要素があると思う。

ただ、今やられている教育は、「病気の理解」と

「再発させないための疾患教育」とかいわれているけど、

しょせんその中身は「お薬をきちんと飲みましょう」というだけ。

薬の大切さは十分わかっているけど、

その教育は十分病気悪くなった人たちのための教育でしかない。

 

本当は、もう一歩進めて、悪くなりきる前に、

その人の生活を支えるための教育というのが大事なんじゃないかと思う。

先に書いた軽い認知の歪みがある人のケースでも、

周りの家族を巻き込んで、患者さんに見合った

「自分を追い詰めない生活」とか、その人の特性を

心理検査とかで調べて、フィードバックするような、

そんな入院があってもいいと思う。

期間は1ヶ月・目的は発病しないための生活モデル作成。

 

実際、今の精神科医療って、従来型の医療のモデルでは

カバーできないところもカバーしようとしている。

軽症うつの人を従来型のうつの治療で治療できるかといえば無理だ。

自由な環境下でなら安定していられるけど、

職場に出るときだけうつになるとか、

そういう人に休養と薬物療法の大切さを念仏のように唱えるほど、

患者の家族の信頼を失い、もしくは悲壮感あふれる信仰を寄せられ、

患者さんはかえってすさんでいく。

 

僕はだから、外来でやるなら治療以上に

生活の枠組みの設定が大切なんだって書いたけど、

それって要は患者さんとその家族に対する「教育」。

でも実際外来でやるのは無理があって、

本当は入院でそこをあつかえればいいなとずっと思ってる。

なぜなら、入院でそこを扱えれば看護や心理や、

多職種を絡めることが出来て、看護や心理は僕みたいな医者なんかより

ずっと患者さんの今の悩みを捕まえることが上手で、

僕が退院してからの生活の建て直しのビジョンを示すのに専念できるから。

誰か僕にスタートとしての入院治療をやらせてくれないかな。

こういうのって、偉くならないと出来ないから困る。

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2008.06.02 01:34 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  なし  | 推薦数 : 5

モンスター患者がつくるもの

モンスター患者(家族)はいる。

病院で医療サービスを受けていながら、

自分のルールで医療現場を消費する人たち

「俺の子どもを治さないとゆるさんぞ!」だって。

自宅でそういう優しい心を子どもに向ける分にはかまわないよ。

そういうのって素敵だし。

でも、「治さないとゆるさんぞ!」って、

公共の場ではじめて会った人間に向かって言う言葉じゃない。

やくざじゃないんだから(やくざなのか?)。

 

たぶん、医者だけじゃなくて、警察とか教師も同じこと言われている。

そういう職種は、その積み上げてきた歴史が大きいだけに、

世の中の人は、目の前の人を見ないで勝手な思い込みで、

自分のニーズだけを通そうとする。

いや。そういう人たちが悪いと書きたいわけじゃなくて、

そういう人たちが、医者や教師を「消費する」ことで

医者の「製造法」が変わってきてる。

消費にあわせた製造法

 

一昔前には、医者や警察や教師に対するリスペクトがあって、

世の中にものを「育てる」という概念があった。

世の中の「保護」された職業は、たしかに不届きな人間はいて、

ずるいやつほど儲かる酷い状況があったんだけど、

一本筋が通った職業魂みたいなものは育まれていた。

僕も10数年前に研修していた頃は、124時間じゃ足りなくて、

「今、楽しい」ことを求めることに抵抗があった。

「今」よりも「より良い明日」だし10年後の自分のために

今苦労して当たり前・・・とか、そんな感じで修行してた。

 

で、そんな苦労を当たり前として成立させるるのは、

現場で頑張っている先輩が示す「頑張ることは正しい」という価値観。

「明日のために今を犠牲にする」ことを担保する、

活躍する先輩の姿。あこがれることの出来るモデルの姿。

でも、モンスター患者の存在は、活躍する先輩達を

狙い撃ちして駆逐してくれる。

そして、駆逐されて自分の医療に自信をなくした先輩方は、

明日のために頑張る意味のなさを教えてくれる。

 

だから今の医師の製造法は、消費に合わせて

「今を犠牲にしないやり方」。

頑張っても、訴訟してくるような人が相手と思えば、

こころをこめて技術を磨くとか、むなしい。

でも、だからこそ技術が技術として、

優しいこころとかそういうあいまいな形ではなく、

市場のニーズに合わせて高まる時期なのかもしれない。

ならばこそ、偉い人には全て市場化してほしい。

中途半端に国に抱えられながら消費されると、

頑張る先輩は姿を消し、今の医療という姿から

どんどんずれた医師たちが製造されると思う。

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