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件の研修医が指導医のいじめから何とか立ち直った。
よかったー。乗り越えてちょっと成長したっぽい。
昔の僕なら、裏から手を回してバカ指導医の上を動かして
うちの子の安全を確保するんだけど、
僕のそういう女性的な過保護なやり方って、
結構人をスポイルしてて、なかなか人が育たないのを見てきたから、
後ろに控えて、毎日メール打って、様子を見て愚痴を聞いて、
「お前が戦わんとしょうがない」とかいい続けた。
線の細い彼にしては上出来。ちゃんと自分で馬鹿の上司にいいに行って、
今でもバカ指導医にはつきまとわれてるようだけど、
そこに上司の目が光るようになったらしい。オッケー。
やっぱ、人を育てるって「待つ」という要素がすごく大きいと思う。
わかっちゃいるけど、手を出してしまうんだよねー。
今回は出さなくて、ホント正解。ただ、今だいぶ「待つこと」が出来るようになったのは、
学校の先生との出会いがすごく大きかったな。と思う。
何故学校の生徒が伸びるか。
それはたぶん、そこに伸びる構造があるからだと思っていたんだけど、
仲良しの先生と飲んで話す中で、「モデルとライバル」「評価の移動(スイッチ)」が大切なことに気がついた。
学校には先生がいて生徒がいる。生徒から見たら、
いい先生は人生の、もしくは行動のモデル足りうるし、
先生はときどき、モデルになるような子を取り上げたりする。
そして、それを同級生と一緒に見る子は、
ああすごいなと思ったり、あんなのすごくねえよと思ったり、
それはさまざまだけど、そういう横からの刺激に自分らしさがはっきりするし、
上からの刺激に、モデルに対する自分の到達度がわかる。
それは健康な人間にとって、自分がどう進むべきか
それなりに選択を促す構造なんだと思う。
自分なりの向くべき方向に歩を進めることができる。
でも、それは上手くいくことばかりじゃなくて、
モデルに対して50人言えば1番から50番まで出来てしまうわけで、
40番以降でまじめにそのモデルを追うのは辛すぎる。
だから「評価の移動」が大切。
要は勉強は出来なくとも運動は出来るとか、やさしいとか、
あっちは駄目だけど、クラスで冗談が一番面白いとか、かっこいいとか。
とにかく、一生懸命頑張ればなにかしら行き詰ることはあって、
そのときに上手くいかないことだけで自分を評価してしまうともたない。
そこで、こっちは駄目だけど、別の分野ではトップクラスとか、
そういう価値の移動というか、評価の移動をできれば、
上手くいかない現実の中で「踏ん張る」ことができる。
この踏ん張る。現状を壊さない。維持する。そういうことは
鬼のように大切なことだ。あまりに大切すぎて3時間ぐらい講義したい。
踏ん張って時間を稼げばたいていのことは何とかなる。
そこがたぶん、病んでいく人が自分じゃわからないところだ。
その問題を解決しないと先がないと思い込んじゃう。それは違う。
人間そんなに簡単に変わるわけもなく、
上手くいかない問題が簡単に解決するわけもなく、
でもそこに絶望して結論を出すのではなく、
そこで踏みとどまることが大事。
もちろん、苦しいことはわかるけど、だからこそ僕らの存在意義がある。
ちょっと脱線したけど、研修医の苦難を「待てる」ようになった原因は
この考え方を見につけたから。こいつに今「モデルとライバル」はあるか、
「評価の移動」は行えてるか。それを毎日メールでチェックした。
彼が乗り越えてくれてよかった。
僕も彼のおかげですこし成長できたような気がする。固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
やくざに脅されて担当官が長いこと生活保護を支給していたらしい。
新聞に載ってたけど、じゃあこれからこの問題をどう扱うの?と思う。
ぜんぜん対策が取り上げられないのがすごく嫌だ。
やくざと生活保護の問題なんて、はいて捨てるほどあって、
この手の社会保障のお金って大半は
「うるさい人」がもっていくんであって、
「本当に必要な人」はもらえないものと相場が決まってる。
僕の精神科の患者さん。
知的にあまり高くないけどすごく律儀で、
夫が自営業を失敗して首をくくって、
借金で生活をやりくりしているうちに親兄弟から絶縁されて、
子どもをたくさん抱えて路頭に迷っちゃった人。
子どもが病んだから病院にきたけど、明らかにお母さんが病んでる。
人様に迷惑をかけられないとか言うこの人を、散々説得して
保護を受けてまず生活できるようにしましょうとか言って
申請させたらあっさり却下。理由は借金があるから。
かと思うと、別に働けるんだけど、
窓口で死ぬ死ぬ自殺するって大声でさわいで、
「私が死んだらあなたのせいですよ○○さん!」とか
名指しで攻撃した人はあっさり保護をもらってきた。
その担当官もうつになって、通院してるからわかったんだけど、
生活保護の受給なんて、基準はあってないようなもの。
たぶん、問題はその世界が閉じていることだと思う。
家庭だって、周囲との関係が閉じて家庭内暴力が始まったら手が出せない。
親族や警察が入るとか、外とコネクトしないと解決しない。
保護をもらうって事に恥とかもろもろの感情が絡むので
生活保護をダイレクトに表に出しにくいってこともあると思うけど、
閉じて見えなくなるほどに、まっとうな人間は
ずるいことが上手い人間に駆逐されてしまう。
ずるい人間というのは、自分でルールを書き換えてしまうから。
先日美人さんと飲んだときもびっくりする話を聞いた。
美人さんは保母さん。今働いているところは
前の職場よりずっと忙しくて、給料も3分の2くらいなんだけど、
今の職場をやめる気はないそうだ。
理由はセクハラがないから。
僕は東京福祉大の事件みたいなことは、
まあないこともないだろうけど、珍しいのかと思っていたら、
保育所とか、福祉系の職場では、ああいうのは「常識」だって。
その女の子のいた職場では、月曜はその子が担当で酒の相手をさせられて、
まあオーナーは年なので最後までやられるとかはなかったそうなんだけど、
オーナーに息子とかいるところは最悪だそうな。
なんか、エロ本みたいな世界。
世の中すごいなと思う。
田舎のお金持ち達は自分達のルールで生きてる。
その美人さんの前に務めてたところは、
近隣の私立保育所のオーナーはみんな仲間で、
やめるといったら「どこでも働けないようにしてやる」とか言われたらしい。
で、僕の居る町に流れてきた。
そういうお金持ちの人の世界って中がよく見えないけど、
見えない世界って、僕らの住む世界と違ったルールで動いてるんだなと思った。
産地偽装とか、料亭の使い回しとか、そういうのもお金持ちの世界。
そういうむちゃを、むちゃとして修正しようと思っても、
どうしたらいいのか、よくわからない。
ルールってやっぱり創る側が強いな。
や○○屋さんは創る側にくっついているから強い。
強くない僕らはせめて
窓口でごねて保護を獲得したあの人を見習って、学んで、
まっとうな患者さんにごね方を教えないといけない。
ルールを自分に引き寄せて書き換える技術は必要だと思う。
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診療していて思うことの一つに、入院治療の位置づけがある。
入院治療って精神科では最後の手段になっているけど、
今の世の中、ファーストチョイスにしたほうが
上手くいくんじゃないかって思うときがある。
今、うつにしても、統合失調症にしても、
すごくラベルを貼る範囲が広くなっている。
統合失調症なんて、昔は先輩から
「被害関係妄想がない統合失調症があるか!」とか指導されて、
病気の本質は何か学べとかすごく言われた。
でも民間病院では・・・というか現場では、
病気の本質がどうとか本格的なものは二の次で、
患者さんの困り具合を何とかすることが求められてる。
今は大学でも、ちょっとした自我障害があると
「認知の歪みがある!」とかいって統合失調症というラベルが貼られる。
大学の後輩からの入院依頼の紹介状を見て、
本当に統合失調症なの?とか思うんだけど
たしかに職場や学校には出て行けなくて、家での生活を充実させるべきレベル。
ちゃんと家族が受け入れないとやっていけなくて、
きちんとラベルを貼って、みんなで患者さんに
無理させない生活を作らないといけないからよしとすべき。
でも思うのは、だったらギリギリまで外来で引っ張らずに
もっと早い時期に入院治療を導入すればもっと上手くいくのにということ。
たしかに、入院はコストがかかるし、「精神科入院」に対する偏見も強いから
患者も、医者も、入院は出来るだけ避けようとする。
でも、本当はコストをかけないということは、
それに見合うものしか受けられないということ。
たった一度の自分の人生にはもうちょっとコストをかけてもいいんじゃないか。
入院の利点というのは、病気を起こした環境(家)を離れて、
薬物療法の調整ができることだと一般に言われるけれども、
本当はもう一つ。「教育」という要素があると思う。
ただ、今やられている教育は、「病気の理解」と
「再発させないための疾患教育」とかいわれているけど、
しょせんその中身は「お薬をきちんと飲みましょう」というだけ。
薬の大切さは十分わかっているけど、
その教育は十分病気悪くなった人たちのための教育でしかない。
本当は、もう一歩進めて、悪くなりきる前に、
その人の生活を支えるための教育というのが大事なんじゃないかと思う。
先に書いた軽い認知の歪みがある人のケースでも、
周りの家族を巻き込んで、患者さんに見合った
「自分を追い詰めない生活」とか、その人の特性を
心理検査とかで調べて、フィードバックするような、
そんな入院があってもいいと思う。
期間は1ヶ月・目的は発病しないための生活モデル作成。
実際、今の精神科医療って、従来型の医療のモデルでは
カバーできないところもカバーしようとしている。
軽症うつの人を従来型のうつの治療で治療できるかといえば無理だ。
自由な環境下でなら安定していられるけど、
職場に出るときだけうつになるとか、
そういう人に休養と薬物療法の大切さを念仏のように唱えるほど、
患者の家族の信頼を失い、もしくは悲壮感あふれる信仰を寄せられ、
患者さんはかえってすさんでいく。
僕はだから、外来でやるなら治療以上に
生活の枠組みの設定が大切なんだって書いたけど、
それって要は患者さんとその家族に対する「教育」。
でも実際外来でやるのは無理があって、
本当は入院でそこをあつかえればいいなとずっと思ってる。
なぜなら、入院でそこを扱えれば看護や心理や、
多職種を絡めることが出来て、看護や心理は僕みたいな医者なんかより
ずっと患者さんの今の悩みを捕まえることが上手で、
僕が退院してからの生活の建て直しのビジョンを示すのに専念できるから。
誰か僕にスタートとしての入院治療をやらせてくれないかな。
こういうのって、偉くならないと出来ないから困る。固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)