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< 漫画喫茶で思ったこと | メイン | 実体経済が大事って・・・ >
2008.10.15 23:15 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 3

僕が教わった喧嘩のやり方

昔、打撃系の先輩に喧嘩のやり方のレクチャーを受けた。

まずそういう状況になったら、全力で「殺される―」と絶叫する。

思いっきり、あらん限りの声で叫べば体は動くようになるし、

いざというとき、「殺されると思った」とかいえば

過剰防衛になってもなんとかなる(先輩が言ってた話ですよ)。

で、叫んで蹴ったら(勢いがつきすぎて)事故になる可能性があるから、

捕まえて頭突きしろ、頭突きなら大けがにならないとか。

頭が振れたら、腕が振りまわせるとか。

 

昔はなんかカッコよくないやり方だとか思っていたんだけど、

緊張や恐怖でガチガチになっている状態では

「絶叫する」というのは、実に理にかなっている。

先輩は固まって動けなくなる状況で

「動く」ための方法を教えてくれていたんだな、と思う。

 

人間関係も、緊張して固まって、動けないときに

どう動きだしをするか考えておくのは大切だと思う。

傷つきそうで、傷つけられそうで、自縄自縛になっているとき、

自分の中でどういう踏ん切りのつけ方をするか。

 

結局動き出しはどう逆風を上昇エネルギーに

変換できるかが勝負だと思う

喧嘩で自分をぶち殺そうという人間を前にして闘おうとするときに

恐怖を殺意に変換するための「絶叫」は有効。

 

「人が怖い」とか「傷つけたくない」とか

いろんな恐怖を恐怖のままにしておかず、力に変換する方法は

たぶんいろいろあるんだろうけど、一歩踏み出すためには

どこか「絶叫」に通じる手法が必要な気がする。

言い方を変えると、あまり周りに惑わされないように、

いや、周りを目に入れないためのやり方。

   

自傷や過食や、うつっぽかたり、いろんな形でうまく生きられない患者さん。 

人は、そういう人が自己主張するとき

「悲劇のヒロインぶっちゃって」とか中傷する。

自傷なんて注目してもらいたいだけじゃん。

人が怖いって、家では普通に過ごせるんでしょ。

そういう痛い言葉が次々にふってきて、周りを見てしまうほどに

一歩が踏み出せなくなる。

 

でも、本当はそういう風にしか見れないやつらの頭が悪いだけだ。

そうなってきたプロセスも、そこから立ちあがろうとするプロセスも

どちらもそこに見ることがないのだから。

目に映るものの、その奥を見ようとしないで

勝手に自分の思い込みで中傷する。馬鹿か、と思う。

 

人に迷惑をかけて何が悪い。

注目してほしくて何が悪い。

そんなのみんな同じだろうに。

そうしないと生きていけない現実があって、

どこかの時点でそれを選択したのは自分だけど、

それもひっくるめてそのまま前に進むしかないんだから、

だから患者さんは、周りが見えすぎるとかえってよくない。

 

だから、絶叫するのは無理だから、そのかわりに

自分の状況に酔えばいい。と思う。

 

悲劇の主人公ぶって・・・とかいうけど、

本当に悲劇の主人公なんだから仕方ない。

主人公だと自覚すれば、ちゃんとストーリーは進行する。

進行するストーリーは、紆余曲折しながらも、かならず山を越える。

逆境とか恐怖とかそういたきついものを力に変えようと思ったら、

周りの雑音を聞いていたら変えられない。

どこか、酔うというか、麻痺しないと一歩踏み出せな気がする。

と、酔わせて支えるのが僕の「術」なんだけど。

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コメント

コメント一覧

パソコンがウイルスにやられご無沙汰していました。

技と術、喧嘩、悲劇の主人公、いろんな話題を読ませていただきましたが、基本は自分と目の前の他人、ということではないでしょうか。

自分に今どれだけの技術、喧嘩能力、感情の明暗、起伏があるのか、目の前の他人は自分と比べて相対的にどうなのか、それを見極めつつ技術を習得したり、喧嘩をしたり(喧嘩する前、はじまったらやるだけ)、感情精神的な問題の対処の参考にしたり、そういうことが大事なのではないかと自分なりに思いました。

そういうことが自然に無意識にできているうちはいいけど、できなくなった時が、あるいは無理をしないとできない状況になったときが苦しいのではないかと。

自分でもよくわかりません、抽象的ですがなし先生の文章を読んで感じたことです。
written by Paul Carpenter / 2008.10.21 09:05
Paul Carpenter さま

僕は脳がときどきやられてフリーズします。
コメントいただいた返事が遅れてすいません。

人が苦しくなるのは、
自分と目の前の他人との関係が、
自分の実力以上に無理をしないと成立しなくなるとき。
そこを乗り越えるために(もしくは乗り越えないために)、
ここ数回のエントリがあったんですね。
指摘していただいて、なるほどそうだなと思いました。

コメント感謝です。
written by なし / 2008.10.23 13:55
я думаю: отлично!!
written by гей знакомства клуб / 2009.12.17 18:45

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