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< 指導医だけがやめる現象に思うこと | メイン | 踏みとどまることの大切さ >
2008.08.05 22:36 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 5

患者さんのわがままは苦手じゃないけど

精神科医の仕事って何?と聞かれたら、

僕は「無理難題を受け止めること」って答える。

だって、妄想を叫んで暴れる患者さんを沈静したり、

自傷を繰り返して、私なんてどうなってもいいのよ!とか言う患者さんをなだめたり、

焦って動けばうつや拒食がひどくなる患者さんを止めたり。

 

一般の人なら勝手にしろ!とか言ってしまうようなことを

真面目に受け止めるのが仕事。

だから無理難題を吹っかけられることには慣れている。

そうそう怒ることはない。

 

ただ、それにはいくつかコツがあって、

自分の常識のチャンネルを患者さんのチャンネルに合わせること。

彼氏を殺したい!と興奮している人があれば、

「そりゃ殺したくなる彼氏なんだな」とチャンネルをあわせる。

患者さんの殺したくなったストーリーにちゃんと興味を持って、

一つ一つの話に耳を傾ければいい。

そうすると、患者さんの中での整合性のとり方がわかる。

人の思いはかならずその人なりの理屈で整理がついている。

どんな理不尽な訴えも、その人の中では「正しい」訴え。

 

だから、他の科のドクターから「わがままな患者」として紹介されたり

他の病院から「人格障害疑い」とか紹介される人はあまり苦にならない。

要は、その人の正しさ・その人の理屈を捉えればいいだけ。

 

ただ、そういうやり方にも前提があって限界がある。

あくまでそれは病院の中での話であって、

病院という場を壊さない人に対しての話。

病院という場は、治療のための善意や道徳観念で構成されているので、

(言い方を変えれば病んだ人は救われるべきという観念)

場そのものを踏みにじれる人に対しては、無力。

 

ちょっと前から、えらい議員先生を診察してる。

病状を踏まえていくつかのプランを立ててみるんだけど、

こっちの立てたプランをことごとく崩してくる。

えらい議員先生は若造の言うことなんて聞く耳持たないから、

そのときの気分で薬を使ったり使わなかったり。

仕事は任せてあるといいつつ、やってたり。

周りの家族が輪をかけていうこときかなくて、

薬物治療派と自然軽快派が入り乱れて、毎回付き添いの流派が違うので、

3ヶ月たっても症状が遷延してる。

しかも、どっちに治療を進めればいいのかいまだに見えない。

 

まだ、病院事務の対応が悪いとか、

看護の対応が悪いとか食いついてくる

クレーマーのような人のほうがやりやすい。

少なくともそこには、病院という場に対する思いがある。

チャンネルの合わせようがある人は、たとえ喧嘩別れになるにしても

そこに線が引きやすい。

 

でも議員先生のように、自分を病院の上において

病院を下僕のように「使う」人に対しては、チャンネルのあわせようがない。

症状が軽快しないことばかり責めてくるけど、

いうこと聞かないのに治せとかって、そんな無理難題は受け止めきれないよ。

しょうがないから、そのつどプランを提示して

あとは相手に任せるのみ。治るか治らないかは相手のインテリジェンスと運次第。

 

患者さんのわがままは苦手じゃない。

善意や道徳観念の場の中で一緒に頑張れるから。

場を壊すようなわがままは付き合いきれない。

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コメント

コメント一覧

詳しいことは分からないですけれど、えらい議員先生じゃなくても、そのときの気分で薬を使ったり使わなかったりする人はいるんじゃないでしょうか。そりゃ精神科に限らず、他の科でもめちゃくちゃな飲み方をする人はいるでしょう。

「薬を飲む」とか「休む」というのは、医療者側が思っているより難しいものだと思います。議員ということは、猛烈に働いてきた人なのではないですか?そういう人が、ぱっと休めるものでもないような気がしますが、どうなんでしょうね。理屈では分かっていても実行ができないということは多いと思います。

長く生きているということは、その人が作り上げてきた信念があるということだと思います。それを崩されることに抵抗を示すのは、ある意味当たり前のような気もします。
written by ののか / 2008.08.07 10:29
ののかさま
コメントありがとうございます。
たしかに!というご指摘です。患者さん側からストーリーを書くとそうなるんですよね。わかっちゃいるけど、それまで積み上げてきたもの、自分のルーツが医者の提供するものをそのまま受けられない。
今回のは医者側の論理といわれてもしかたがないのは重々承知しています。

ただ、本来医者と患者は対等なはずなんです。だから、一緒に治療をするならば、一緒に場を作るところからやってくれないと、「治せ」といわれても厳しい。この架空の人物は僕を「何故治らないのか」と責めてくるので、「やってられない」と。消費者としての感覚で使われると、そこにはサービスとしての医療の提供はあっても、むかしながらの「いろんな思いをひっくるめての治療」はなくなっていくわけです。それは何より僕にとって不幸なことで(もちろん患者にとってもですが)、いやだなあとつくづく思うわけです。

written by なし / 2008.08.07 23:34
ひとつ気になるのは、自分の悩み苦しみを解決するために人の特に専門家の意見さえも素直に聞き入れられないような人が多くの人の上に立ち、血税で生活を保障されている職業に就いているということです。前回の上司、教授についてのコメントでも書きましたが、自己変革を適宜行えない、自己変革どころか人のアドバイスも聞き入れないような人間がひとの上に立ち(選挙の前だけは頭を下げるが)、多くの人の生活人生を左右する政治の世界で仕事をする(利権関係以外の仕事はしているかどうかはわからないが)べきではないと思います。それがわかっただけでもひとつの治療ではないかと。言い過ぎですか?
written by Paul Carpenter / 2008.08.12 09:54

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