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それはたぶん、飽きるということだと思う。
同じことの繰り返しを楽しめなくなったら、
それは医者にとっても患者にとっても不幸なことだと思う。
僕らにとって、妄想や自殺未遂は日常の出来事だ。毎日診てる。
医者がまじめに10数年、たくさんの患者さんにまみれて仕事をしたら
それに対する自分なりの方法論、構造論みたいなものが出来ると思う。
自分の中の構造論が形になってきたときって、
すごく実力がついた気がして嬉しいものなんだけど、
それが自分の首を絞めることに気がつくのは、すこしあとになる。
自分なりの方法論を持つってことは、
要は患者さんを診察してて、いろいろな訴えを聞きながら
この人の解決すべき問題は何か、何から手をつけるべきなのか、
それがすぐにわかる(答えが出せる)ようになるということ。
どんなおかしな質問が来ても、診察室の中ならすぐに答えが出せる。
そして打率7割以上が確実にキープできるようになる。
でも一度出来た「自分の形」って、
自分が苦労して獲得した理屈って、
それを否定することがすごく難しい。
みんな一目おいてくれるし、自分でもそれがプライドになっているから。
でも、どんなすごいやり方だって、
何にでも当てはまる方法ってのはない。
抽象度が高すぎて何も言っていないことに等しいから。
だから、自分のつくった方法論はそれが実用的であるほど
上手く機能しない状況に必ずめぐり合う。
でも苦労して獲得したやり方を変えるってことは感情的にすごく難しい。
たまに「あんたの治療は私にあわない!」とか怒りをぶつけられる。
僕の場合は相手のケースワークを性急にすすめすぎたりするとある。患者さんの怒りを受け止めたり受け流したりするのは難しいことじゃない。
でもその出来事をきっかけに自分を修正することは結構難しい。
それは、自分を真っ向から否定する人に対して、
人として興味を持つ必要があるから。
罵倒してくる人の立場にたって、学び始めた原点に戻って、
たしかに俺は馬鹿だよなとか思わないといけないから。
ちょっと前。ブログを始める前。忙しくて自分に余裕がないころ、
こういう患者さんがすごく嫌で、嫌なことをおくびにも出さず
上手に処理してた時期があった(問題を処理することって簡単だから)
そのころはすごく仕事が退屈だった。
客観的には自分の限界量近い患者さんを捌いて、適切に指示は出してた。
忙しいのに退屈というのも変な話だけど、
たぶん、忙しすぎて「人」に興味を持つ余裕がなかったんだと思う。
病名と状況を相手に仕事をしてた。
それは医者として間違ってない働き方で、
能力が上がったから出来るやり方だったけど、たぶん、僕の偉くなった先輩達もこの流れに乗っかって、
仕事に飽きていったんだと思う。
ある程度力がついたから、すごく快適に仕事が出来る。
患者を診るときに「人」に興味を持つというプロセスは、
めんどくさくて苦痛を伴うぶん自分の中から消せる。
消しても働ける。だから忙しくて退屈になる。
でもそれをやると昔はあったはずの中身がすかすかになってしまう。
どうせ忙しいんなら、忙しくて面白く、がいい。
仕事の面白さは、「わからないことがわかる」
「難しい仕事が出来るようになる」ということに尽きると思う。
それがないと毎日同じことの繰り返しが楽しめない。
でもそれには学び始めたころのように、「患者さんに教えてもらう」
そういうスタンスをどこかに持ってないといけないんだと思う。
なんにせよ「人に興味を持つ」という学びの原点から離れると駄目だ。
原点から離れても仕事が出来るのは力がついたからだけど、
原点から離れると、ついたはずの力もいつか消えてしまうと思う。
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