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2008.06.25 13:12 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 4

等身大の医療

物事を理屈で考えていくと、

どんなものも内側に「創る」というプロセスをもつのに気がつく

創るからこそ実体化して「使う」ことが可能になり、

使うことで成果を出して、物事は変化発展していくんだけど、

使えば崩れたり消耗したりするから、それを創りなおす必要がある。

つまり、実体化したものを使い続ける為には、

その中に「創り続ける」という要素がないといけないと思う。

 

病院という建物一つとっても、

老朽化したら補強工事をしたり立て直したりする。

だから病院は内部留保の資金を必ずつくって、

維持費という名目のお金をもってる。

使いすぎて壊れたときに、それを補填するためだ。

夫婦関係だって、ただ相手に求めるだけでは

だんだん最初にあった感情が冷めてしまう。

離婚に至ることだってある。

だからいつだって、2人だからこそ出来る共同作業

(子育てでも趣味でも)が必要で、それがないと関係は形骸化していく。

維持するということは、「創る」というプロセスを

内に含むということだと思う。

 

人の技術も同じだと思う。

プロ野球選手が高打率をキープする為には、

フォームの修正(1人練習)を随時必要とする。

勝負という「使用」をおこなうと、

それがどんなに見事な使用であっても、

いや、見事だからこそフォームの変化・崩れが生じる。

だからプロはみんな死ぬほど素振りをする。

オープン戦や2軍の試合では打つことよりも

自分の中の感覚を創ることに重点をおくらしいし。

 で、言いたいことは創るって行為や

維持するって行為にはモデルが必要ということ。

 

今はすっかりメジャーになった医療崩壊って言葉も、

結局は医者を創る部分を壊しちゃったからおきたことだと思う。

多少酷使して疲れたとか、そういうのはまだ修正が効くけど、

(むしろ学生の頃は外科にいった先輩達の疲れた様子に憧れたし)

「医者はかくあるべし」というモデルをぶっ壊したから崩壊してる。

みんなが凄いと認めるかっこいいドクターがいなくなって、

「かっこいい」モデルの変わりに「等身大」モデルが幅を利かせてる

だから医者を使えば使うほど、壊れた部分が等身大に修復されて、

今の研修医の教育も、等身大のそれになってる。

 

それはすごく正しいことで、僕にはまったく異存ない。

ただ、「誤認逮捕する思考プロセスは正しい」の繰り返しになるけど、

等身大になるってことは、今まで広げていた大風呂敷をたたむということで

難しい疾患が見れなくなるということだ。

 

今はまだ違う。今一線の人たちは「かっこいい」モデルを見てきた人たち。

ワーカホリックな先輩に目を散々鍛えられて、

成功からも失敗からも何かを学んできた人たち。

(誤解を恐れずに言うなら、失敗が許された過去をもつ人たち)

ちゃんと一歩踏み込むことを続けてきたから、

難しい疾患を踏みとどまってあがいてなんとかするという技術を知ってる。

今は訴訟が怖くて難しい疾患を敬遠したりするけど、

それは「診ない」ってこと。

でも、この先は「診れない」「診る能力がない」ことになる。

なにせ、僕らモデルが等身大を目指して、一歩踏み込まなくなってるし、

研修医たちは失敗することを許されないから。

 

それもまた正しい未来。

今は「創る」という行為に価値をおかれず、

「使う」「消費する」ということに価値があるのだから。

ただ、創るという部分に価値をおかず、

失敗を無駄なもの、駄目なものと一面的に処理をすることで

変質するものがあるってだけの話。

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一般市民の方にもわかりやすいように言い方を変えますと、というか全く別の言い方をしますと、ほっといても治る軽症でも死にかけている超重症でも、赤ちゃんこどもでも80歳90歳の超高齢者でも平等に治療し絶対に救命することが求められる奇妙な社会、とも言えるでしょうか?
written by Paul Carpenter / 2008.06.25 17:45
Paul Carpenter さま
いつもありがとうございます。
たぶん、等身大になるってことはその奇妙な社会がなくなって、サービスの量と質が低下して、それがふつうのこととして納得するしかない社会になるということだと思います。
日本は「みんな一緒」の国だから、これから10年かけて「みんな一緒」に医療の最高ラインは変わらなくても、ふつうの人が関わる最低ラインが切り下がっていくんだと思います。
written by なし / 2008.07.02 00:46

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