| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
わかりにくいことを「わかりやすく」教えることが大切だ!
とか思ってきたんだけど、実はそうでもないのかもしれない。
むしろ「わかりやすくする」方法を教えるべきなのかも
患者さんのことを研修医にわかりやすく伝えようと思ったら、
いろんなことを省いて、核になる部分の話を中心にするしかない。
一緒に診察室で診療してると、研修医の顔が難しくなってて、
(診療の展開は研修医にはまだ難しいので)
診察室で展開された診療の骨子をわかりやすく教えてあげると顔が輝く。
それは僕にとって嬉しいことなんだけど、
患者さんのリアルな思いはあまり伝わってなかったりする。
僕だって、患者さんの苦しすぎる思いは薄くしか理解できないけど
研修医の理解はさらにそこから劣化したものになってる。
ありのままの事実とか、ありのままの思いとか、
そういうものは、そのまま伝達できない。
雑多な情報が入り混じりすぎてて、必要な情報が何か判断できない。
だから患者さんと医者の間でも、指導医と研修医の間でも
必ず一度「抽象化」という作業をして、
(言い方を変えるとわかりやすく構造化するということ)
無駄なものを省いて、骨組みを取り出して全体像を捉え、伝えようとする。
僕は患者さんの話をそういう風に聞くし、
自分の中で骨組みにしたものを研修医に教えてる。
これってものを教えるのにすごく有効だと思っていたんだけど、
実は「骨組みをわかる」ためのスキルの部分を
ブラックボックスにしてるのかもしれない。
僕も苦労して「端的に捉える」とか、「大まかに捉える」とか、
抽象化するとか、構造化するとか、
そういったわかりやすくするスキルを磨いた。
とにかく全体像が見えないと、具体的な方針が立てられないから。
自分が苦労したぶん、研修医にわかりやすいように
骨組みを知識的に教えちゃうんだけど、
そういうのって、研修医が自力でわかりやすくするスキルを
磨く機会をスポイルしちゃって、むりやりわからせているのかなと思う。
たとえば、4年前に教えた研修医のインテリジェンスはきわめて高い。
抽象化した話の飲み込みは異様に早くて、
僕が7年でわかったことを1年たらずでほぼ理解しちゃった。
絶対すぐに抜かれると思っていた。
でも、明らかに僕よりIQが高いはずの彼が、
いつまでたっても僕より治療が上手くならない。
なんだろう。あのバランスの悪さは。
結局自分がわかりやすく教えてもらったことは
自分で再度構成しなおす必要があるということかもしれない。
初心の頃に骨組みをわかりやすく教えてもらうぶんには、
昔の人たち(僕とか)よりずっと早く上達するけども、
自分で「わかりやすくする」やり方を覚えないと、
実力にならないということか。
そのあたりを、大前研一さんは「勉強は本を一冊書くつもりでやれ」
と表現したのかなとも思う。
だからこそ、自分でわかりやすくしようとしないで、
わかりやすく教えてくれる人の信者になってしまう人は、
オリジナルの人の劣化バージョンになるしかない。
たとえばなんとか流空手とか。
あれって、昔のめちゃくちゃ強かったオリジナルの人が、
自分の強さを抽象化・構造化して(突きの形とか、戦い方とか)、
わかりやすい形に直したものが今に伝わっている。
空手を習うというのは、その強かった人が強さを発揮した技を習うんだけど、
どう頑張ってもオリジナルの師範の劣化バージョンになるしかない。
わかりやすいことを教えてもらえる状況になじんで信者になると、
たぶん空手は上手になっても、戦いは強くならないだろう。
ルールのあるスポーツは上手くなっても、路上では戦えない。
だからまともな人は流派を離れて自分の流派を立ち上げたりして、
傍流みたいなものがたくさんあるんだと思う。
宮崎駿監督のファミリーも同じだと思う。
オリジナルと劣化バージョン。
お父さんは、狂ったような自分のオリジナルな世界観があって、
その世界観を抽象化・構造化してわかりやすくアニメにした。
たぶんお父さんは、自分の感じる「面白いこと」と死闘を繰り返して、
死ぬほど試行錯誤を繰り返して「わかりやすさ」を手に入れたんだと思う。
だからあの宮崎アニメという結果からスタートしたら超劣化するしかない。
だから本当は、あの息子は宮崎アニメからスタートするんじゃなくて、
自分なりの面白しろいことと格闘して
「わかりやすさ」を手に入れるところから
スタートするべきだったんだと思う。
・・・もしかしたらあの映画はそういう努力の第一歩なのかもしれないけど、
だとしたらよけい悲しい結末だ。お金を返してほしい映画だったから。
どちらにせよ、僕は教え方を変えないといけないかなと思う。
昔の人のように一方的に駄目だししたり、不親切だったりは出来ないけど、
手取り足取りはまずいんだということは感じてる。
自分で「わかりやすくする」ことを頑張らせるという視点が、
そう、部下に誰かを指導をさせるという視点が大切と思えてきた。
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く