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まずもう一度確認するけど、
犯人のような人間は許せない気持ちが強い。
それをおいて、考えたことを書いてみたい。
最近周囲を見ていてつくづく思うのだが、
みんなハッピーになりたくて当たり前だけど、
その「方法」を豊かに持っている人間と、
「方法」をほとんど知らない幅の狭い人間がいる。
僕ら医者は基本的に後者だと思う。
受験勉強をたくさんやった人ほど
先生の下で自分の正しさを競うことが骨身にしみている。
競って勝つことで評価されることに慣れている。
だから白黒があいまいなまま、それでよしとすることが苦手。
なんというか、世の中の楽しみ方が下手なんだと思う。
他人の物差しから自由になることが難しくて
あいだみつをさんみたいに、ありのままの自分を肯定することが出来ない。
僕はたまたま精神科医になって、
患者さんたちが自分の我(正しさ)を通そうとすることで、
悪循環にはまるのをたくさん見てきたから、
競うことから降りる大切さを知っている。
「自分が、いなければ、職場が回らない」切れ切れに喋るうつの患者さんに
「でも今は、そこから降りましょう」と休養の大切さを心をこめて喋れる。
競って勝ち続けなくても生きる場所があることを示せる。
でも僕が医者になる途中で挫折してたら、どうなっていたんだろう。
自分の正しさを証明するために競うことから降りて、
別の場所で楽しくやれたんだろうか?
あんまりそういう柔軟性はないような気がする。
挫折してたどり着いた先でも競うことから逃れられず、
誰かに評価されようとしてどんどんスミに追いやられ、
いろんなものを恨みながら生きていたんじゃないかな。
学校での「成績の良し悪し」というのは自分の価値を数値化する。
それって本当は、人の気持ちをわかる力や、
人と関わったりする力より、汎用性のない「能力評価」なんだけど、
世間的にはすごく上位にランクされる能力評価だ。
だから子どもの頃から成績競争してて、そこで勝つ味を覚えてると
いろんな他の価値あるもの(人の気持ちとか)を馬鹿にしてしまう。
他人の気持ちをわかることを馬鹿にした人間は、
挫折したときに収拾がつかない。
今回の事件で、勝ち組・負け組の話の流れで、
派遣(トヨタ)で働いていたことが話題になっているけれども、
たぶんそれは、犯行に踏み切る最後の一歩の問題。
ジャンプに踏み切る位置の問題。
むしろ問題は、ド田舎の秀才が進学校で落ちこぼれたとき、
そのプライドを抱えたまま、下請工場で働くことが
どれだけ大変かということにあると思う。
そこで一から出直せばいいという人は
世の中を楽しむすべに長けた人だと思う。
人の気持ちがわかる、人の輪の中でハッピーになる「方法」を知っている人。
人の気持ちがわからない幅の狭い僕らにとって、
人の中で一からとか、すごく難しいことだ。
ハッピーになるというのは、自分で自分を肯定することだけど、
肯定できず、しかし自分のプライドも捨てられず、
恨みをつのらせるという病理は、
医者の大部分が「わかる」面があるんじゃないか?
もちろん、だからといって殺しに行くやつはいないが。
(続く)
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