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モンスター患者(家族)はいる。
病院で医療サービスを受けていながら、
自分のルールで医療現場を消費する人たち。
「俺の子どもを治さないとゆるさんぞ!」だって。
自宅でそういう優しい心を子どもに向ける分にはかまわないよ。
そういうのって素敵だし。
でも、「治さないとゆるさんぞ!」って、
公共の場ではじめて会った人間に向かって言う言葉じゃない。
やくざじゃないんだから(やくざなのか?)。
たぶん、医者だけじゃなくて、警察とか教師も同じこと言われている。
そういう職種は、その積み上げてきた歴史が大きいだけに、
世の中の人は、目の前の人を見ないで勝手な思い込みで、
自分のニーズだけを通そうとする。
いや。そういう人たちが悪いと書きたいわけじゃなくて、
そういう人たちが、医者や教師を「消費する」ことで
医者の「製造法」が変わってきてる。
消費にあわせた製造法。
一昔前には、医者や警察や教師に対するリスペクトがあって、
世の中にものを「育てる」という概念があった。
世の中の「保護」された職業は、たしかに不届きな人間はいて、
ずるいやつほど儲かる酷い状況があったんだけど、
一本筋が通った職業魂みたいなものは育まれていた。
僕も10数年前に研修していた頃は、1日24時間じゃ足りなくて、
「今、楽しい」ことを求めることに抵抗があった。
「今」よりも「より良い明日」だし10年後の自分のために
今苦労して当たり前・・・とか、そんな感じで修行してた。
で、そんな苦労を当たり前として成立させるるのは、
現場で頑張っている先輩が示す「頑張ることは正しい」という価値観。
「明日のために今を犠牲にする」ことを担保する、活躍する先輩の姿。あこがれることの出来るモデルの姿。
でも、モンスター患者の存在は、活躍する先輩達を
狙い撃ちして駆逐してくれる。
そして、駆逐されて自分の医療に自信をなくした先輩方は、
明日のために頑張る意味のなさを教えてくれる。
だから今の医師の製造法は、消費に合わせて
「今を犠牲にしないやり方」。
頑張っても、訴訟してくるような人が相手と思えば、
こころをこめて技術を磨くとか、むなしい。
でも、だからこそ技術が技術として、
優しいこころとかそういうあいまいな形ではなく、
市場のニーズに合わせて高まる時期なのかもしれない。
ならばこそ、偉い人には全て市場化してほしい。
中途半端に国に抱えられながら消費されると、
頑張る先輩は姿を消し、今の医療という姿から
どんどんずれた医師たちが製造されると思う。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
コメント
コメント一覧
コメントありがとうございます。
世の中の流れとして「つくる(製造)」プロセスと「使う(消費)」プロセスがあると思うんです。消費中心になった今の世の中では、医療でPaul Carpenter さんが書かれたような状況が続いていて、つくるという作業が著しく劣化していると思うんです。そういう意味で、柏原の運動は素敵ですよね。
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