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「自殺は予防できる」キャンペーン。
いや、まったく正しい。
昨今の硫化水素を用いた自殺の連鎖も、
一昔前の、中高生の自殺の連鎖も、
連鎖しない突発的な自殺も、
それが回避できる事態だと啓蒙することで
少しは減らすことが出来る。
でも僕がすごく違和感があるのが、
「ストップ自殺」と声高に語る人たちの言葉の軽さ。
いや、言ってる人はわかっているのかもしれないけど、
言葉にすると軽くなるだけか?
死のうとする人と向き合ったことがない人は
「自殺をいけないこと」だと思ってるみたい。
そこを本当に善悪2元論で語っていいのか?と思う。
生きることがよいことで、死ぬことが悪いこと。
そんな簡単に割り切れば割り切るほど、
ストップ!の声がうそ臭く聞こえてしまう。
摂食障害で、死ぬとわかっていてもカロリーを拒否する人。
自殺未遂で心肺停止で運ばれてきた人。
一命を取り留めても保護室で何度も首を絞めようとする人。
そういう人に、軽い言葉は一切通用しない。
「ストップ!自殺」とかいっても
冷たい目で馬鹿にされるだけ。
「病気だから通じないんだよ」と同僚の医者は言うけど、
本当に、患者が病気だから通じないのか?
こっちの言葉が軽いからじゃないのか?
本当に死のうとする人と付き合ってきてわかるのは、
死のうとする思いは、プライドなんだということ。
可哀想な状況だから、辛い状況だから、追い詰められているから、
そんなことで、それだけで死のうとする人間なんていない。
繰り返しだけど、死のうとする思いは、
今の自分を認めない、高いプライドなんだと思う。
もちろん、自殺がいいなんてまったく思ってないし、
止めるべきなんだけど、
本当に止めようと思ったら、自分だけ安全地帯にいて
手を差し伸べるなんてできるはずない。
「自殺はよくないよ」って言っても馬鹿にされておしまい。
ただ、馬鹿にされながら関わってわかってきたことは、
それでも「その人」とアクセスしようと思ったら、
その人のプライドを尊重するしかないってこと。
死のうとするプライドを尊重するのは、一歩間違えると
自殺しようとする思いを認めることになりそうで、
(死にたくなる必然性を認めるということだから)
すごく怖くて、本当に後がない場面でしかやらないんだけど、
でも、本物を前にしてアクセスしようとしたら、
そこに踏み込まないといけないと思う。
だから、単純に善悪で語る自殺防止キャンペーンは、
その言葉の軽さに違和感がある。
キャンペーンだから、山の裾野にいる人たちに
山を登るんじゃない!と言いたいんだろうし、
それは絶対意味があることだけど、
僕の立ち位置は、山の中腹や頂上付近の人を
相手にする立ち位置なので、
なんか軽く聞こえてしまう。
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コメント
コメント一覧
初めまして。チカというものです。
日記を読んでいて、ふと
「だとしたら私みたいな一般人が出来ることって
なんなんだろうな」と思いました。
権威あるお医者さまでさえ、
>馬鹿にされながら
とあるのであれば私みたいな一個人では
下に見られて終わりなのかな・・・と。
私は身の回りにいる、危い子には
話を聞いて
「あなたがそんなふうに辛い目にあってきて
それでも自殺することなくここまで生きるために頑張ってきたことを、私はすごいと思う」
「生きていてくれてありがとう。がんばったね」
と言うようにしています。
なんというか、私の個人的な経験から
「がんばっているのに、頑張れない。
結果が出せない自分がすごく嫌だ」
という気持が「自分が生きていても何の意味もない」
という結論に至ることが多く
実際にカウンセラーの先生に言われて
一番嬉しかったのが「あなたは十分頑張っている。これ以上頑張らなくてもいい」という言葉だったので。
ただ、実際に病気で自殺に至る方と
一時的な感情の動きで「死にたい」と考える人では
根本的な問題が違うのではないかと思うのです。
だからどうしたらいいのか、私には分かりません。
>物を前にしてアクセスしようとしたら、
>そこに踏み込まないといけないと思う。
というのはかなりしんどいことで
こっちの身もぼろぼろになる覚悟でやらなければ
ならないのだろうなと思いました。
そこまで出来るキャパシティが
私自身にあるとも思えませんし・・・・。
お医者さんですと、こういったところも
タフになっているのでしょうか・・・。
私自身が、医者としての経験がないので
お医者さんがどういった気概で治療にあたっているのか
わからず、こんな文章となってしまいました。
不愉快な表現などしている場所があれば
ご指摘いただけると嬉しいです。
それでは失礼しました~
僕のブログなので、僕の立場から書いていて、チカさんのように身近な人の手助けをされている方を混乱させるような内容だったですね。
気概という書き方をされていたので、一つだけ。
医者ってなんでも「わかってる」わけじゃないです。むしろわからない。でも結果を出さないといけないので、目の前にくる患者さんに毎回四苦八苦しているだけです。自殺未遂とか、すごくきついんですよね。ドキドキしながら治療してる。でも逆に、ドキドキしなくなったらミスがでるから、自分の中で「ちゃんとドキドキしないといけない」と自戒しています。
で、正直、相手に入っていくのはきついです。そこまでやらなくてもよくなる方が多いので助かりますが、きつい治療を3人くらい同時にやったときは、自分がおかしくなりそうでした。だから、自分の出来る限界の見極めも大事で、「これ以上やったら自分が壊れる」もしくは「診療に神経が行き届かなくなって、ミスが出る」というライン(仕事の負荷)をいつもアタマにいれて仕事をしています。
ですので、何か人の力になりたいと思ったら、力になれる限界というのを自分の生活に設定しないと厳しいのかなと思います。限界の中で、できることを整理していくことが大切かなと。
やはり、のめりこむと自分がおかしくなるものなのですね。
どうやってバランスをとっているのだろう・・・大丈夫なのだろうか?と思っていました。
ところで、ひとつお尋ねしてもいいですか?
「今の自分を認めない高いプライド」ということは、
「どういう自分になりたいか」を明確にイメージ出来ているものなのですか?
言葉って難しいですね。僕は患者さんを何とかしなくてはいけない立場なので、患者さんの思いを「プライド」と表現してしまうんですが、医療者ではない方に伝えるなら、「この世に居場所がない」という表現になるのかもしれません。自分が修正できなくて、自分らしくあろうとするほどに、人とのつながりが切れていく・・・そんな感じです。
ですから、「今の自分を認めない」というのは、駄目だと感じる今の自分を認めないということで、「(自分で自分を褒めて認められるような)自分らしくありたい」という意味で、人として当たり前の感情なんだと思います。だから、簡単にそういう気持ちを否定して、ストップ!とかいう言葉に軽さを感じてしまうと書きたかったんです。
で、なりたい自分を明確にイメージできているかということについては、たぶん出来るんでしょうけど、それは決して前向きなものではなく、暗く苦しい感情に伴うものだと思います。
なるほど・・・「この世に居場所がない。」という事と「死」が繋がるのはわかるような気がします。
中学生を教えていた時、この子達って「あなたが世界中の何よりも大切!」と抱き締めてくれる人が
たった1人でもいれば生きられるのでは・・・と感じていました。
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