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2008.05.27 23:16 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

正しい人の叱り方

人にものを習うとき、一番苦しいのは

自分を否定されることだと思う。

そこを乗り越えないと学べないというのは良くわかるんだけど、

「出来ない自分」を「駄目だ」と否定されると、

自分の気持ちを立て直すのに時間がかかる。

 

逆にいうと、人にものを教えるとき、

一番難しいのは叱ることだと思う。

精神科でも患者さんを叱るのが一番難しい。

治療の決まりごとを守らなかったり、

社会的にまずい行動がエスカレートしたり、

そんな行動が続いて、叱らないと駄目だ!となる時、

注意というか指導をするんだけど、それがすごく難しい。

患者さんにとって、行動を注意されることと、

自分を否定されることは、極めて近い関係にあるから。 

          

ずっと僕は、それを乗り越える鍵は信頼関係だと思っていて、

信頼関係が築けている患者さんにはガッチリと叱って、

築けていない人にはやんわり駄目出しをするくらいに止めていた。

けど、信頼関係のあるなしというのはちょっと違うのかもしれない。

 

それは叱る側の理屈であって、

叱られる側はわかるように叱ってもらわないと困るから。

否定されると事実を受け取るという作業が難しい

否定されたら、自分を保つので精一杯になってしまうから。

叱るという行為は、今まさにここで事実に直面してほしいからするもの。

叱られたほうは、自分を保つので精一杯で、

事実どころじゃなくなれば本末転倒というもの。

 

だから、叱る側はファクトをちゃんと叱って、

相手にはリスペクトを感じさせないといけないんだと思う。

あるビジネス書で、アメリカでは社員に指導をするときに、

ユーではないくユア●●について叱咤すると書いてあった。

なるほど、君ではなく君のしたことは!と指導がはいるんだ。

ちゃんと自分と自分の行動は分けるべきなんだと思う。

               

ただ、それを日本でやろうとしたとき、

アメリカ式がどこまで通用するかは疑問。

アメリカのやり方はクリアでわかりやすいんだけど、

現場で使えないことだらけなのは、精神科医ならみんな知ってる。

 

ふと思い出したのは、むかし僕に指導してくれた先生。

「お前は愛情がないから指導(叱り方)が下手だ」とか言われた。

愛情とか漠然としたことを言われてもさっぱりわからなくて、

ただ否定された気分が残ったんだけど、

患者さんを人としてリスペクト出来ていない僕がいて、

そのことを言われていたんだと思う。

 

昔の人の教えは、すごく不器用だけど、正しい。

まず愛情、リスペクトがあって、それで初めて相手の問題も見える。

そういうのが正しいやり方、叱る素材の見つけ方なんだと思う。

リスペクトしてみつけた問題を叱る。

たぶん、僕はその先生にはかわいがられていて、

いわゆる愛情を注がれていたから、今は言われていたことがわかる。

リスペクトから入って問題を規定するプロセスがないと、

叱られる側は自分と叱られている内容を分けられない。

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2008.05.23 12:04 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 3

いい脚本を演じたい

日本のテレビドラマは面白くない。

ちょっと前に漫画が面白くないと書いて、

それは必然性が希薄になっていて、バトルという結果を

引き出すために無理やりストーリーを作っているからだと

コメントで教えてもらったんだけど、ドラマはもっと酷いと思う。

 

まだ漫画は「面白い展開」を説明するために理屈を積み上げる。

でも、日本のドラマはまず キャスティングがあって、

それからストーリーができる。スポンサーの都合だろうけど。

まだ「面白い展開」からスタートする面白くない漫画のほうが

ずっとましな気がする。

 

その点、アメリカのドラマは面白い。

だって、まず脚本からスタートするんだもん。

面白い脚本があって、それに合うスターを起用する。

だから24とか、ロストとか、すっかり当直の友。

朝の4時に「眠剤飲んでも眠れません」とか言う患者の電話を

つながられてもこれがあれば朝までご機嫌。翌日辛いけど。

 

アメリカのドラマはすごい演技がいい。

正確にはドラマの流れの中に演技が「はまる」からすごいと思う。

これって医療も同じことだなって気がつく。

アメリカでは、しっかりとした脚本が出来ていて、

医者はそこでの役割を見事にこなすことを要求される。

 

でも、日本は、まず医者ありき。キャストから始まって、

あとは適当。場合によっては端役が用意できなくて、

一人何役か。病院は経営を続けるために右に行ったり左に行ったり。

 

なんだかよくわからない雑用に振り回されて、

肝心の役割を果たすところではもう疲れちゃってる。

脚本の適当なドラマ。決めるべきところで決められない。

というか、どこが落ちなのか見失ってしまう。全編平坦なストーリー

 

国に守られてきて、病院全体にぬるい体質がしみついている。

 

最近はあたらしく、コンセプトをはっきりさせた病院が出てきてる。

生き残りをかけた専門病院化。

システムを見直してやっと脚本を書いてくれるようになった。

もっともっと脚本の精度を上げて欲しい。

その脚本はキャストにすごく能力を要求するはずだけど、

そのための役作りを苦労と思う医者はあまり居ないと思う。

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2008.05.22 10:14 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なし  | 推薦数 : 10

マスコミの友人との絶縁

マスコミの友人ところで書いたけど、

善悪で切る考え方ってすごくわかりやすくて、

誰もがその考え方をベースに持っているからこそ、

いろんな人に「受ける」し、「伝わる」んだと思う。

でもその乱用がどんな悪循環を生むか、

一番わかっているのはマスコミのはずなのに、

マスコミの友人の頭の中は10年前のまま。

聞く耳を持ってないから、もうだめだ。

 

昨日エントリを書いた勢いでマスコミの友人と喧嘩?になってしまった。

彼にしてみれば、医療者が漫然と同じことを繰り返して

社会を啓蒙しないことに問題がある!とのこと。

予防事業にせよ、医療行為にせよ、そのメリットがどこにあるのか

ちゃんと国民に伝えられていない!だから国民はそれがわからないんだ!

大阪の橋本知事の障害者予防事業撤退みたいな事件は

大阪の小児科医が啓蒙活動を積み重ねてこなかったからだ!だって。

 

もう阿呆かと。そんなこと本気で言ってるんだぜ。しかも昨日。

これが3年も4年も前ならまだ許せるけど、昨日の話。

橋本知事の判断は大阪の小児科医の責任だって。

笑える。いや、笑えないか。泣けてくる。

本人大真面目なんだもん。反論したら、お前も少しはものを

考えるようになったんだなって・・・聞く耳もたない。

もう友人との縁も終わりだな。

 

彼は自分が正しいことを言ってると思っている。

でも彼の根本的な間違いは、「医者」ってカテゴリー、

昔ながらのそういう「存在」がまだ「ある」と思ってる。

悪として叩ける力のある実体がそこにあると思ってる。

だから「医者が悪い」と叩けば世の中良くなると思ってる。

昔はそういうこともあったよ。医者という実体というか、共通概念があって。

叩いても壊れない「何か」があった。でももうぶっこわれてんだよ。

世の中変わったことに、いい加減気がつけよ。

 

僕らは本質的に職人だ。国に保護された職人だ。

いや、国に保護された職人だった。

今、医者という職人達は、国に保護される時期が終わり、

市場に売りに出されようとしてる

国に守られていたから、社会人として甘ったれてる部分もあって、

自分の信じる医療へのこだわりから、客のニーズに

応えられないこともしばしばあった。

でも同時に、国に保護されていた分、医師としての倫理観や、

社会への奉仕という概念は、すごく強くて、僕が研修してた頃は、

県北や県南に検診に行って、交通費くらいしか出なくても

「交通費が出るなんてありがたいと思え!」とか指導されてた。

そして、そういうものだと思っていた。

今はすっかり金でしか計られなくなって、純粋な客商売に堕している。

 でもまだ職人気質が抜けない人が多くて、客や国が求めるものと自分が追求したい路線と、折り合いをつけようとしてる人が多い状況。

でも本当は、市場で自分の値段を必死に模索しないといけない時期。

そんな微妙な状況。

 

あいつも大手のマスコミなんだから、そういう世の中の動きを読めよ。

もう「医者」ってカテゴリーは昔と違う意味になってるんだよ。

もう叩ける「お医者さま」はどこにもいなくて、

いるのは割り切ってしまった人と、折り合いをつけようとしている人。

だったらせめて、割り切れない人にエールをおくってくれればいいのに

 

 

両手で抱えられる患者は限られていて、

みんなその手からこぼさないようにみんな大切にやってる。

俺に出来ることは、金でしか計られなくても、そこに少しでも

心を乗っけて、乗っけ続けられるように気持ちを折らないように

保ち続けて、治療を頑張ることだけ。

人の上にたって、ばりばりテレビに出てる暇なんかあるか。

 

社会活動に熱心な医者をマスコミは名医と誉めそやすけど、

あいつらは、現場レベルでは唾棄すべき偽善者ばかり。

結局形を変えた医者たたきに協力して、

マスコミの「善悪で切る」手伝いばかりしてる。

割り切れない人の心を後ろから刺してる

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2008.05.20 23:49 |  診療  |  仕事 / 職場  |  なし  | 推薦数 : 5

マスコミの友人

大手のマスコミに友人がいる。

友人というより知り合いとった程度か。友人の友人。

彼とまじめな話をすると、いつも不快な「何か」がのこる。

いつも何か自分を否定された感覚。

それはなんだろうと考えていたけど、

たぶん、彼もスーパードクターたちと同じで

選ばれた人間という意識が強い人なんだと思う。

自分もミスを繰り返す普通の人間のくせに、

人のことを大上段から否定する。

 

彼との話はいろいろあるんだけど、最初にあったのが34年前か。

医療崩壊という言葉がまだ巷には広まっていなくて、

でも医者の間では常識で、「今動かないとやばいって!」とか

まだ何とかしなくちゃという思いにあふれていたとき。

まだ大学病院で踏ん張っていたとき。

 

彼に、マスコミの報道の姿勢はまずいよ。事実をちゃんと報道しようよ!

とか話していると、急に機嫌が悪くなって、

「医者の側からの情報公開や、市民への啓蒙がないじゃないか」だって。

いつの間にか、医者が非協力的なのが悪いという話になった。

「だから医者は・・・社会性がないんだ!」だそうな。

僕は普通に、今までに医療報道に絡んで嫌なことがあったのかな?

と思って、それ以上突っ込まなかったんだけど、

どうも彼は万事こんな調子。

 

それは、まじめにやばいと思っていた僕にしてみれば

まるで学校の先生が、授業に参加している生徒が少ないのを診て、

「全くお前達のクラスはなってない!馬鹿が!」と怒られた感覚。

そういうことは、休んでいる人間にいってくれよ。

金にならない現場で踏ん張っている人間は、そう言われるとしらける。

「まじめにやるほうが馬鹿なんだ」あの時はそう思った。

              

そのあとも彼と、何度も飲んでいるんだけど(友人の友人なので)、

医者の感覚はおかしい!それが一般の人の意見だ!と彼は言う。

まあ友人の手前、話はあわせるけど、なんでマスコミの彼は

一般の人はそう思っている!とか平気でいえるんだろう。

「おれは世の中の人の代表だ!」という感覚。

 

たしかに、ニュースを作る彼の腕前はたいしたもの。

珍しい問題を引っ張ってきて、いろんな人が共感したり

感動したりするように、加工してニュースにして流す。

だから、彼の仕事は、珍しいことをみんなにわかるように加工すること。

珍しいことを加工する技術に長けている人。

その手法をよくよく見ていくと、

結局善と悪の2つに分けて噛み砕くやり方。

それを露骨にやるかあっさりやるかの違いだけで、ニュースを作っている。

 

なるほど、だから彼は、何でも頭から切るんだ。

それは○か、それは×か。どこが○で、どこが×か。

医療問題は、患者のほうが視聴者が多いので、医者が×。

わかりやすい客商売。カルガモがどうしたとか、セレブが人を殺したとか、

チベットがどうしたとか、経済がどうしたとか。

どっちにしても善か悪か、わかりやすく加工する。

 

僕がかれのそういう思考が不愉快なのは、

単純に医者が悪いって切られるからだけど、それだけじゃなくて、

阿呆な考え方で、一方的に評価されるのが不愉快なんだと思う。 

だって、現場はいつだってリアルな世界で、

そこにあるのは、厳しい現実だけなんだから。

医者の世界に限らず、殺人事件だって、なんとか事件だって

当事者にしかわからない割り切れないもので構成されているに決まっている。

そのほとんどは、生きていくために「飲み込む」しかないことなのに

火をつけて大騒ぎして、視聴者を喜ばせて儲ける。

自分の専門分野の情報を新聞やテレビで見るたびに、

本当のことが知りたかったら、マスコミは信じてはいけないと確信する。

        

あそこでは嘘しか語られない。

嘘と思って、書かれている断片的な事実を拾い集めるしかない。

              

まあ、僕の知り合いに関しては、いいものもつくるから

頭もいいし、たぶんわかってはいても、いまさら自分の

報道手法を変えることはできないだけかもしれない。

善悪に分けて、お客の興味を引く。なるほど、たしかにそれは頭の中の技だ。

そういう考え方が染み付いてしまって、もう変えようが無いだけかもしれない。

どっちにしても僕は彼が嫌いなことは変わらないけど。

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2008.05.16 18:15 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 3

診断は感情で行う

精神科で診る問題行動。

自傷とか、過食とか、ゴロゴロして部屋に引きこもるとか。

なんでもそうだけど、周囲がその理由をわからないから

「問題行動」なんだと思う。困った行動。

だからみんな、わかるために「診断」してもらおうとするけど、

診断をつけることに何の意味があるのか?

 

 

2年位前に新患で子どもを診たときのこと。

別に児童が専門じゃないけど、6歳の子がまわってきた。

2学期になって小学校に行くのを狂ったように泣いて嫌がって、

それがあまりにすごいので「病気じゃないか?」と

家族が心配してつれてきた。

 

それまで学校に行けてたのに、急におかしくなった。

お母さんがちょっと前にうつ病と診断されて、

寝込みがちだったんだけど、それが治ってよかったねと

動けるようになった矢先の出来事。

 

「この子はおかしくなったんじゃないのか」。

そんなことをお父さんもお母さんも言う。

このおかしさは「病気」かもしれない!

この子に手がかかって大変なんです!

この子の病気を治してください!だって。

 

とても利発な顔立ちの女の子。

でも、表情があまりない。子どもっぽさが皆無。

おいおい。学校云々以前に、この顔が変でしょ。

 

どうも話を聞くうちに、お母さんがうつで動けなくなって

甘えたい盛りの子どもが我慢させられていたらしい。

妹がいて、その子は3歳だからお構いなしに

お母さんに抱きついていくんだけど、

6歳のお姉ちゃんは、お利口に我慢。

なるほど、我慢に我慢を重ねたのに、

お母さんが良くなっても報われることなかったんだね。

我慢が「当たり前」になってた。

 

実はこのファミリー。

僕が見る前に子どもクリニックで見てもらって、まったく同じ

「分離不安」と診断をもらっていた。

でも納得いかなくて、僕がいる病院まで来た。

たぶん、本人も家族も、分離不安という診断だけでは

狂ったような泣き叫びがよくわからなかったんだろう。

 

僕もつけた診断は同じ「分離不安」だけど、

親の前でこの女の子を褒めちぎった。

本当は甘えたいのに、お母さんのために妹のようなずるをしないで

耐え続けるなんて、本当によくがんばったな!

だって、がんばったからこうなったんだもの。

何で狂ったように泣くの?

もうこれ以上お母さんなしでがんばれなくなって、

お母さんと離れたくないからじゃない。

まだ支えがいる年なんだぜ。支えなしで一生懸命立って、

お父さんのいうとおり、静かに静かに、お母さんを休ませた。

妹の世話もしながらえらいじゃない。

 

だから分離不安。頭のいいえらい子じゃない。大事にしてやれよ。

そういって納得してもらった(ちょっと僕のキャラとちがうけど)。

診断というか、問題行動を定義するというか、

名前をつけてみんなで対処する方向に誘導するには、

感情レベルでものをわからせなきゃ駄目だと思う。

 

ラベル(診断)は貼れば機能するものじゃない。

体の病気と違って心の問題は目に見えないから、みんな違うことを考えてる。

こじれるほどに「手がかかる」患者さんが悪いことになってしまう。

それが患者さんなりのがんばりの結果なんだと

みんなが納得したときに、ラベルはしっかり機能するんだと思う。

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2008.05.15 17:51 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

行為障害と自傷と

この前、非行臨床の講演を聞いた。

まあ、10年位前は非行なんて医療が関わること自体

「おかしい」といわれていた分野。

そりゃそうで、傷害犯とか強姦魔を薬やカウンセリングで

治療できると思うほうが「おかしい」と思う。

でも、何故だか最近は医療の枠組みのなかで捉えて、

「治療すべき」とか言う話が増えている気がする。

 

それは行為障害という診断のためなんだけど、

欧米の人たちが作った診断マニュアルには

「反復し持続する反社会的行動パターン」というのが

行為障害という名前で、精神障害のひとつとして記されている。

そのマニュアルはICDとかDSMとかいって、

いまどきの精神科医なら誰もが持っているもの。

 

こんな立派なマニュアルがそんなこと書いてるなんて

不思議だなと思っていたんだけど、

よくよく考えてみると、人種が違うんだなと思った。

欧米の人たちって、「私とあなたは違う」ということが前提。

「みんな一緒」が前提の日本の常識で考えるとおかしくなっちゃう。

だから、差別というか、区別が当たり前の人たちのものを

あいまいな関係を好む人たちの中に持ってくるから、違和感があるんだ。

 

つまり行為障害という診断は、自分たちのコミュ二ティから、

そういう人たちを排除するための診断なんだと思う。

ここには「違う」というラインがありますよ!ということ。

日本はもうそういう方向に舵を切っていて、

医療観察法とか、精神鑑定とか、国が試行するレベルで

線引きが強まっている。日本の精神医療のアメリカ化。

 

患者を守りたい立場からは、そういう線引きって

精神医療を犯罪者の排除に使われるみたいですごく嫌。

でも、見方を変えると新しいラインが増えるのって、

その周辺にまつわる思考が深まるので、

いい変化を起こす可能性があるのかも。

 

たとえば自傷。

今では普通に精神科で対処するようになっているけど、

よく考えると、DSMが境界性人格障害というラインを引いてくれたから。

 

10数年前の精神科では、自傷を見ない人のほうが圧倒的に多かった。

「自分で勝手に切るやつは治療できない」

「治す気のないやつに医療は出来ない」

そういって追い返される患者は多くて、

まじめに付き合う医者は物好きなやつと思われてた。

線がすごく大まかで「精神病」「神経症」「心因反応と正常」

これを分ける2つくらいのラインしかなかったから。

 

新しいラインが引かれた当初は、先輩のドクターたちは

「俺には納得できない」とかいろいろ聞かされたけど、

感情とは別に、新しいラインの周辺で「嗜癖モデル」みたいな

アプローチが生まれて、脚光を浴びた。

ストレスに対処しきれないと、病的反応が起きるから

それをフォローする必要があるんだよ!って、

正常から切り離す新しい切り口が治療法と一緒に確立して、

今ではみんな自傷をちゃんと見るようになっている。

 

ラインを引いて、人を区別したり差別したり。

そういうのは副作用も大きくて、大まかにあいまいに扱いたいんだけれど、

ちゃんと区別してしまうと、それに応じなくちゃいけなくなってよく考える。

それが治療を進歩させる面もあるのかなあと思って非行臨床の話を聞いてた。

非行の子も、たとえば自傷と同じく嗜癖モデルで捉えて

治療するって事が出来るのかもしれない。限定的ではあっても。

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2008.05.12 18:24 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 3

医者って上から目線

ブログをはじめてみて、
あらためて自分の「上から目線」に気がつく。
特にコメントの返事を書くとき。
ぜんぜん別分野の人から、
抽象的な質問を受けるときには、さらっと
自分の気持ちが文章になるんだけど、
精神医療のことで質問されたり、
自分が精神科医の仮面をちゃんとかぶらないと
返答できないとき、すごく上からの物言いになって、
うまく返事がかけない。

なんでだろ?と考えると、
精神科医として、患者さんやその周囲の人に何か伝えるとき、
自分のなかで責任が生じるからかも。
目の前にいない人に向けて1文書くと、
それがいろんなシュミレーションを生んで、
「こう取られたらまずいな」「これはこう読めるな」とか。
書いては消し、書いては消し、最後は自分で何を
書いているかわからなくなる。

で、さらに思ったことは、
この上からの物言いって、職業病じゃないかなということ。
医者って、「患者さんに寄り添う医療を!」とか
素敵な言葉を吐きながら、本当に寄り添いすぎたら
ちゃんとした治療ができなくなるから。

医者だって人間だし、自分の人生を生きてきた人間だから、
患者さんを前に、「自分の気持ち」というのがある。
この人はかわいそうだから絶対何とかしなけりゃとか、
こういう人は許せないなあとか。
で、一番やっかいなのが、嫌いな感情じゃなくて
「何とかしてあげたい」という善意。

相手に感情移入して、何とか楽にしてあげたい!という思いは、
相手の現実を客観的に見れなくなって、すごく視野を狭める。
患者さんにとって、共感されるのはいいことなんだろうけど、
で、そういうのが得意なタイプのドクターはいいんだろうけど、
(いるのかな?)医者はたいてい共感が苦手で、
まじめに感情移入しすぎると、厳しい対応が取れなくなる。
結果、患者さんの対処を間違える。

だから、医者は少し上から目線くらいでちょうどいいんんだと思う。
いつも俯瞰して、客観性を保つ。相手に引っ張られない。
感情移入する自分も上から見ていて、自分に駄目だしができる。
カウンセラーなんかはその点、横から目線。
だってカウンセラーの仕事は、寄り添うことで、
共感が全ての出発点になっているから。仕事の立ち位置が
医者とはぜんぜん違う。

もっというと、横から目線のドクターはちょっと危険。
フレッシュな新人で、患者さんの目線で仕事をするんだ!と
燃えているやつが新聞に載っていたりするけど、
大丈夫か?と思う。こういうやつほど好不調が激しくて、
患者さんの状態じゃなくて、自分の気持ち、機嫌で動く。
そして治療の失敗を自分のせいだと思わない。

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2008.05.11 09:16 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 2

自殺を止めるということ

「自殺は予防できる」キャンペーン。

いや、まったく正しい。

昨今の硫化水素を用いた自殺の連鎖も、

一昔前の、中高生の自殺の連鎖も、

連鎖しない突発的な自殺も、

それが回避できる事態だと啓蒙することで

少しは減らすことが出来る。

 

でも僕がすごく違和感があるのが、

「ストップ自殺」と声高に語る人たちの言葉の軽さ。

いや、言ってる人はわかっているのかもしれないけど、

言葉にすると軽くなるだけか?

死のうとする人と向き合ったことがない人は

「自殺をいけないこと」だと思ってるみたい。

 

そこを本当に善悪2元論で語っていいのか?と思う。

生きることがよいことで、死ぬことが悪いこと。

そんな簡単に割り切れば割り切るほど、

ストップ!の声がうそ臭く聞こえてしまう。

 

摂食障害で、死ぬとわかっていてもカロリーを拒否する人。

自殺未遂で心肺停止で運ばれてきた人。

一命を取り留めても保護室で何度も首を絞めようとする人。

そういう人に、軽い言葉は一切通用しない。

「ストップ!自殺」とかいっても

冷たい目で馬鹿にされるだけ。

 

「病気だから通じないんだよ」と同僚の医者は言うけど、

本当に、患者が病気だから通じないのか?

こっちの言葉が軽いからじゃないのか?

        

本当に死のうとする人と付き合ってきてわかるのは、

死のうとする思いは、プライドなんだということ。

可哀想な状況だから、辛い状況だから、追い詰められているから、

そんなことで、それだけで死のうとする人間なんていない。

 

繰り返しだけど、死のうとする思いは、

今の自分を認めない、高いプライドなんだと思う。

もちろん、自殺がいいなんてまったく思ってないし、

止めるべきなんだけど、

本当に止めようと思ったら、自分だけ安全地帯にいて

手を差し伸べるなんてできるはずない。

 

「自殺はよくないよ」って言っても馬鹿にされておしまい。

ただ、馬鹿にされながら関わってわかってきたことは、

それでも「その人」とアクセスしようと思ったら、

その人のプライドを尊重するしかないってこと。

死のうとするプライドを尊重するのは、一歩間違えると

自殺しようとする思いを認めることになりそうで、

(死にたくなる必然性を認めるということだから)

すごく怖くて、本当に後がない場面でしかやらないんだけど、

でも、本物を前にしてアクセスしようとしたら、

そこに踏み込まないといけないと思う。

 

だから、単純に善悪で語る自殺防止キャンペーンは、

その言葉の軽さに違和感がある。

キャンペーンだから、山の裾野にいる人たちに

山を登るんじゃない!と言いたいんだろうし、

それは絶対意味があることだけど、

僕の立ち位置は、山の中腹や頂上付近の人を

相手にする立ち位置なので、

なんか軽く聞こえてしまう。

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2008.05.09 20:28 |  診療  |  なし  | 推薦数 : 3

「溜め」をつくる大切さ

今、精神科医が書いた非行臨床の本を読んでいる。

もともと「犯罪を犯したら警察の領分」といって

精神科がタッチしてこなかった分野だけれど、最近はそうでもないので。

 

で、更生のためには、「葛藤する」力をつけさせることが大切らしい。

正確には「葛藤を保持する力」か。

少年であっても、世の中のルールはみんなわかってる。

盗みが悪いとか強姦が悪いとか、みんな知ってる。

でも衝動のままに行動してつかまっちゃう子がいて、

そういう子はほとんどが、自分の中に矛盾を溜め込んで

「我慢」することが苦手らしい。

 

この本を読みながら、これってそんなに珍しくないよなと思った。

僕が普段診ている子たちにすごく似てる。

自傷が常態化して、何かあると即スパッといく子たちに。

その子たちは、みんな自傷しちゃいけないってわかってるんだけど、

何かのきっかけで「自分の存在を否定」されるように感じて

(もしくは自分で自分を否定してしまって)スパッと行く。

なんとか死なないように踏みとどまらせても、そこから先

「自傷を我慢して生きていく道」が大変。

 

もっというと、普通の子でも珍しくないかも。

葛藤を保持するなんて、難しいことじゃなくて、

「自分の気持ちをぐっと溜める」というレベルで見ると、

みんな苦手になっている印象がある。

テレビで「間宮兄弟」って映画がやってて、

主人公の一人(男性)が、沢尻エリカに告白するシーン。

江尻さんは彼氏がいる設定で、それを知らない主人公がデートに誘うんだけど、

沢尻さんは、主人公が自分に好意を持ってると知った瞬間「嫌な顔」をする。

 

それ見てて、いや、あれは人に向けちゃいけない顔だよなと思った。

僕の常識では、自分の気持ちは一瞬ためて、

相手の様子を伺って気持ちは表現するもの。

「私は嫌だから、私が嫌な顔をするのが当たり前」。

そういわれれば、そのとおりですねとしか言いようがないんだけど、

そういう動物みたいな行動は、間違いなく自分の首を絞めると思う。

いつか社会にはじかれる。

 

そこは一瞬踏みとどまろうよ。一瞬の溜めは大事。

溜めというのは、感情のままに進むのを止めて、

一瞬損得を計算すること。もしくはその先の攻防を描くこと。

描いてその後、駄目な行動をとることなんてたくさんあるけど、

溜めが出来れば、絶対に社会で生きやすくなる。

 

だから、自傷をする子に限らず、過食でも、薬でも、ギャンブルでも、

嗜癖という言葉でくくることの出来る領域の子には、

今一瞬踏みとどまることを大切にして、臨床をしてる。

沢尻さんの「嫌な気持ち」くらいなら踏みとどまれても

「自分の存在を否定された」と感じる子達が溜めを作るのは大変。

でも一瞬でいい。そこで溜めが創れれば、

たとえその後切ったって次につながる。

 

そう考えると、非行の子達も「嗜癖モデル」で

対処できるかもしれない。ただ場所は刑務所の中になるんだろうけど。

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2008.05.08 23:53 |  診療  |  趣味  |  映画 / 音楽 / 読書  |  なし  | 推薦数 : 2

最近漫画が面白くないこと

僕は漫画が結構好きでよく読む。

子どもの頃は漫画家になりたくて、ジャンプ、サンデー、

マガジン、チャンピオン、キングと必ず制覇していたけど

最近少年誌を読んでもあんまり面白くない。

僕のほうの感性が変わったためかと思っていたけど、

本当にそうなのか?

 

大人向けの漫画誌のいくつかは、まだ読める。

違いはたぶん、自分の中の精神科医?が駄目だしをすること。

主人公が行動するときの「理由」がいいかげんで

それで命を張ったりするから、

読みながら冷めてしまう。

 

最近の漫画は、何か出来事が起きたら即行動。

なんかちょっと強引な展開→即戦い。

行動を起こす主人公なりの理由が見えてこないことが多い。

ヒット作は、それなりに盛り上げ方が上手いけど、

それでもやっぱり物足りない。

      

昔の漫画だって戦い・戦いの連続だけど、

リングにかけろの中盤とか、北斗の拳の前半とか、

そこには友情とか努力とか勝利とか、そういう感情の勢いがあって、

それが行動の「理由」として成り立っていた。

ハリケーンボルトとかジェットアッパーとか意味不明なのに異様に燃えた。

その辺は時代の問題なのかも。

今の教育は、友情努力勝利の前に、「個性重視」だし。

みんなが求めるものが変わってきてるから、漫画も変わったのか。

 

とにかく、精神医療をやっていると、「理由」にすごく敏感になる。

目に見えない心の問題を扱う以上、

その問題行動を患者さんがやってしまう「必然性」を

見つけられないと、その問題に介入できない。

「理由」はすごく個性的で、人によって突拍子もないことだけど、

その人のそれまでの人生を、価値観を、物語として丹念に構築すれば、

読者としてちゃんとのめりこめるし、のめりこめば、

理由は自然と納得がいって、治療はスムーズに展開する。

           

だから、今教えている研修医にはICDの洗礼を浴びてもらったら、

精神分析を並行して学んでもらうつもり。

分析は大事だなー。僕は本格的に学んだわけじゃないけど、

影響を受けた人は分析畑の人だったし。

あんまり本式の分析の人は好きじゃないんだけど、

分析があったから僕みたいな人間でも患者さんの話に気持ちが入る。

 

で、僕は漫画が好きなので、のめりこんで読みたいし

患者さんの話もちゃんと物語としてのめりこんで読みたい。

いや、患者さんの話はちゃんと聞けば、必ずドラマになるんですよ。

絶対。ただ、ちゃんと聞くって言うのは、

相手の話したくなくて話さないことも

察して聞くって事なんですが。

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