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週末に薬屋さんの勉強会で、発達障害(アスペ)の症例報告を聞いた。
児童精神科の先生がすごくまじめに検討していた。
すごく手間ひまかけて診断してる。
えらいなと思う。
でも、僕がいるような民間病院で、
あれをやれといわれたら大変だなとも思う。
たぶん、1人の子どもを診察する間に、
5、6人の患者に手間をかけたいい診察が出来る。
薬屋さんの勉強会を聞いていて違和感を感じたのは、
発達障害(アスペ)かどうか、そのことにすごく神経を使っていて、
その後の治療展開からあんまり逆算して考えいるように見えないこと。
僕は病名(精神病以外)はラベルだと思っていて、
その貼り方は、その人の治療プランが決めるんだと思っているけど、
あんまり児童の人はそう思っていないらしい。
僕は今まで発達障害という診断は、
患者さんを取り巻く状況がこじれてしまって、
みんながその罪を互いに擦り付け合って困るからつけるんだと思っていた。
悪いのは誰かじゃなくて、生まれつき。
患者さんが社会に合わせる前に、
社会を患者さんにあわせましょうというラベル。
「障害」と診断をつけることで交通整理をする。
当然ラベルを貼る以上は、社会とのすりあわせまで
責任もってやるべきなんだけど、どうもそういうのは
児童では常識じゃないのかな?
診断して、社会を患者さんにあわせましょう!では、
今の一瞬は患者さんも家族も楽になるけど、
時間がたつにしたがって矛盾は大きくなって大変だと思う。
それが「障害」といわれるレベルであるほどに。
僕はADHDだけど、やたら衝動性が高いのを
障害として尊重されてしまっていたら、今社会でやれていたのか疑問。
やたら叩かれて痛い目をみたし、自己突っ込みみたいなものは
すごく強くて、いつも道を歩きながら「馬鹿じゃないのか」とか
自分に対して独り言をぶつぶつ言っているけど、
それでも社会人として何とかやれている(たぶん)。
個人に社会のほうを合わせるような指導というのは、
すごく怖いことだと思う。個人の能力をスポイルして、
本当に困るのは数年後。
そして、その数年後はもはや手遅れ。
社会にでるなんて出来なくなっているんだと思う。
だから場末の民間病院で毎日患者さんをたくさん捌いて
患者さん(お得意様)と一緒に生きていく立場からは、
その診断に要する労力を数年先のプランを描くところに
さいてほしい。それを勉強会では教えてほしい。
みんなどうやって患者さんを支えているんだろう。固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)