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(前回の続き)家庭だって同じこと。

よくいうのが、精神科医の家庭と教師の家庭は正反対。

精神科医の家は、子どもが学校できつくなると、

現実を撤退(不登校)することに妙にハードルが低いけど、

教師の家は非常に厳しかったりする。

別に親がうるさく言うわけじゃないのかもしれないけど、

監督である親の価値観はチーム(家族)の戦略に影響を与える。

 

だから、「うちは普通の家です」という人がいるけど、

普通の家なんてどこにもなくて、みんなどこかしら個性的。

そこにいる監督と選手が一緒になって作る価値観があるから。

親と子ども、家族の責任者と家族が一緒になって創る価値観。 

で、昨日の続き。

自分の気持ちにこだわることなく、

周囲の人に目が向けることが出来るかどうかというのは、

この「価値の問題」に関わると思う。

特に家庭という集団で考えるなら、

そこでは、家族と本人で作り上げた価値観がある。

チームのスピリッツがある。

患者さんは、そこから脱落したから精神科に来るのであって、

チームで活躍できている選手は精神科に来ない。

だからこそ、脱落した選手を再生させるには

「野村再生工場」じゃないけど、チームのスピリッツそのものを

修正する必要があると思う。

自分がチームの勢いに乗り遅れていたり、完全に脱落している時に

フォアザチームの心は育たないし、フォアザチームの行動はとれない。

 

父がいて母がいて、一般社会の常識で生活している家では

「まじめに社会のために働いて食っていくのが当たり前」の状態。

(もしくはもっときつい価値観かもしれないけど)

そういう価値の元毎日みんな生活している。

そこで脱落してやんでしまった場合、一人だけ違う価値観で

「はたらくより病気の治療優先」ということが本当に出来るのか。

医者はそれをすすめるけど、後ろめたさで

敏感になっている患者さんには「休む」のはきつい。

 

外来で専念している患者さんが、入院するだけでスッキリよくなるのを

何度もみているけど、たぶん「治療優先が当たり前」という

病院独特の価値観が、その人に有効に働いているんだと思う。

 

だから、弱っている患者さんに「いいよ休んで」という家族は、

自分の価値観にもう少し敏感になると上手くいくんだと思う。

休んでいいよといいながら、いっていないケースがたくさんある。

もちろん家族に悪気なんてないし、良くなって欲しいに決まっているけど、

だからこそ、自分たちの社会に対する本当の気持ち(価値観)と、

患者さんに対してとっている行動のギャップを、

家族自身が上手く消化しないと、

患者さんが休めないし、家族の優しい気持ちに向き合うことが

出来なくなってしまうと思う。

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人間はみんな立っている。

立つってことは、立つために必要な体の構造というものがあって、

それはベースとして人類共通の構造があるんだけど、

実はみんな一人一人は微妙に「立ち方」は違っている。

その人独特の生活のあり方-野球選手だったり、

サラリーマンだったり、農家の人だったり、

その人の毎日の運動の仕方や休み方で、

その人の立つという運動のあり方は違ってくる。

 

人間の心も同じで、同じ日本に住んでいれば

基本的な「(社会に対する)価値観」は同じで、

日本の憲法や法律の範囲内で社会の中でどう立つべきか、

基本的な構造、最低限のルールはみんな共通。

でも、一人一人をみると微妙に「社会観」というか、

社会に対する価値観が違っていて、

自分の肯定の仕方が違っている。

単純に考えてお金持ちのぼんぼんと貧乏人の倅では

同じルールで生きていても、社会の見方が全然違う。

社会から与えられるのが当たり前と思う人と、

社会の一員となるには頑張らないと!と思っている人。

 

(ここで書いている価値観というのは、野球よりサッカーが好きとか、

そういったレベルじゃなくて、社会の見方という意味)

 

人それぞれ価値観が違うのは、みんなわかっているけど、

集団には集団の価値観というものが存在することには意外と鈍感。

今日の話は、家族という集団にも、独特の価値観というものがあって、

患者さんが社会復帰する上で、そこを意識すると

だいぶ上手くいくんじゃないかという話。

 

たとえば、プロ野球チーム。

監督が変わるとガラッとチームが変わることがある。

スポーツニュースで解説を聞いていると、

昔は「気迫が変わった」とか監督の闘志が乗り移ったとか、

よく精神論で語られてきたけど、今では「チームのコンセプト」

という文脈で語られることが多い。

チームのコンセプトが変わるってどういうことかというと、

「何が正しくて何が間違っているか」という価値の変更が行われるということ。

一人の監督の強烈な認識が、集団の価値を強制的に変更し、

それがチームの戦い方を変える。

だから、サッカーでオシム監督が日本代表監督に就任したあと、

すごく日本サッカーが面白くなった。素人ながら

試合の仕方が少しずつ変わるのがわかって面白かった。

今はそのコンセプトがみえないからダメダメになっている。

 家庭だって同じこと。(続く)

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