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患者の気持ちを大切にする医療ってすごく大切。
でも、そもそも患者の気持ちを大切にするって何?
個人的な気持ちを大切にしすぎると社会復帰がおろそかになる。
熱心な同僚のドクター。
遅い時間まで残って一生懸命入院患者と話している。
口癖は、「患者さんを支えてあげたい」。素敵だと思う(まじで)。
だけど、患者個人の気持ちを医者が尊重して支えるというのは
美しい話で異論の余地はないはずなのに、
現実には「支えることで病気や状況が悪くなる」ことがある。
患者さんの辛い・苦しいをわかってあげられる
ドクターは素敵だけど、守り続けてどんどん悪いほうへ。
軽症に限らず、病気がよくなりつつある人は、
周囲で支えてくれていた人の気持ちに気がつく。
「今まで支えてくれた親(友人)に感謝してる」とか。
目がちゃんと周囲の人に向いて、
周囲の人の気持ちにこたえようとする姿は感動的。
そこから無理して社会生活が破綻しないように
コントロールをするのも医者の大切な仕事なんだけど、
今日の話はそっちじゃなくて、
どうしたらそういう風に周囲の人の気持ちに
目を向けられるようになるかということ。
だって、本当に大切にしてあげたい気持ちって
そういう気持ちじゃないですか。
「患者さんの気持ちを大切に」という医療者の多くが、
家族に患者さんの「辛い・苦しい」気持ちへの隷属を要求する。
そのつもりはなくても、医療者のスタイルがそれに近いので、
家族はそれに習うしかなくて、煮詰まるばかり。
(医療者の場合は、隷属しているスタイルでも
患者をいつでも捨てられるので患者は無茶がいえない)
僕は、患者さんが周囲の人と向き合えるようにするためには、
患者さんの今の気持ちを大切にしても仕方ないと思っている。
それよりは、たとえば家族なら、家族の一員としての義務を、
社会人なら社会人としての責務を、可能な限り
本人の出来るレベルまで落として(必然的に家庭内の話になるが)
全うさせることが大切だと思う。
周囲の人間の気持ちを大切にできるために、患者さん自身の
気持ちを大切にする・・・なんてファンタジーだと思う。
気持ちって、生活の中の事実から2次的に派生してくるものだから、
「生活の形」をつくるところからスタートすべきというのが持論。
病気だって、器質的なものでなければ、生活からの2次的な派生。
だったら、その生活の形・・・家族の一員として
食器のあげさげ位するとか、朝の挨拶やそうじくらいは必ずするとか、
一見ばかばかしいと思われがちな、そんな事実の積み重ねを
無理ないレベルで行っていく。
患者の気持ちを大切にするといいうのは、
僕にとって、患者の個人的なこだわりを大事にすることじゃなくて、
社会の一員としての感情を大切にすること。
だからミニマムな社会でちゃんと一員としての生活をさせる。
たぶん、患者さんは本当はそういう世界での喜びを求めているはず。
僕が患者になったら、たぶんそうだし。
この話には、本当は生活の中の頑張りを「価値として評価する」
という大事なプロセスが抜けているけど、それはまたこんど。固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)